第69話 僕の役割
前線基地の一角が、崩れた。
守備隊の横腹へ、別のオーガの群れが押し寄せたのだ。
「右側が抜かれるぞ!」
「止めろ!」
「治療天幕に近づけるな!」
辺境軍の兵士たちが槍を並べる。
基地内部に残っていた勇者たちも、必死に武器を構えた。
だが、押し寄せるオーガの数が多い。
一体を止めても、すぐ後ろから次の巨体が来る。
棍棒が振るわれ、盾列が揺らぎ、兵士たちが地面を滑る。
その一角が、ついに破られた。
空いた穴へ、オーガの軍勢が雪崩れ込んでくる。
向かう先は、治療用大天幕。
負傷者たちが集められ、回復役たちが治療を続けている場所。
そこを潰されれば、後方基地の機能は一気に失われる。
治療用大天幕の入口近くに立っていたエリシアは、錫杖を握りしめた。
背後には、まだ動けない負傷者たちがいる。
目の前には、押し寄せるオーガ。
その間に、二人の勇者が立った。
「ヴァニラ」
「うん」
ヴァニラは杖を構える。
「――陣灼火炎!」
ヴァニラの杖先から、白みを帯びた巨大な炎が広がった。
それは治療天幕を避けるように弧を描き、基地の通路を塞ぐ壁となって燃え上がる。
先頭のオーガたちが、一瞬にして業火に呑まれた。
『グガァアアアッ!?』
叫び声が重なる。
巨体が燃え、倒れ、後続の進路を塞いだ。
焼けた死体と炎の壁によって、オーガの軍勢の足が一時的に止まる。
前線基地の兵士や勇者たちから、歓声が上がった。
「止まったぞ!」
「銀鍵同盟だ!」
「今のうちに立て直せ!」
しかし、ヴァニラは表情を緩めない。
火の向こうには、まだ大量の影がある。
炎を避けるように回り込み、あるいは仲間の死体を踏み越えながら、オーガたちはこちらへ進もうとしていた。
エリシアが二人の横へ進み出る。
「助かりましたわ。わたくしも、お二人と共に参ります」
レスターは首を横に振った。
「いや、エリシアは残りの負傷者たちを一刻も早く回復させて、戦線に送り込んでほしい」
「ですが――」
「今は戦える人員を確保するのが先だ」
レスターはエリシアを見る。
「エリシア、頼んだよ」
エリシアは一瞬だけ唇を噛んだ。
それから、錫杖を握り直す。
「分かりましたわ」
彼女は深く頷いた。
「お二人とも、お気を付けて」
レスターが大盾を構え、前へ走り出す。
ヴァニラもその横を走った。
炎の向こうでは、焼けたオーガの死体を踏み越えながら、新たな敵が進んでくる。
その中心にいるのは、分厚い刃の巨大な剣を持った一体のオーガ族長だった。
オーガ将軍に付き従っている七体の族長クラスのうちの一体。
それが、治療天幕と補給路の方向へ差し向けられていることの意味を、レスターは理解する。
負傷者を殺し、回復役を潰し、補給を断つ。
人間側の継戦能力を奪うための、計画された攻撃だ。
なおさら、ここを抜かせるわけにはいかない。
「銀鍵同盟が前に出たぞ!」
後方から声が上がった。
「動ける奴は続け!」
「治療天幕を守れ!」
「レスターに続け!」
四方八方から、基地内部に残っていた辺境軍や勇者たちが集まってくる。
負傷から回復したばかりの者。
予備として待機していた者。
補給作業をしていた者。
武器を取り、盾を持ち、レスターとヴァニラの後ろへ続いた。
レスターは先頭で大盾を構える。
炎の残り火を踏み越え、オーガ族長が迫ってきた。
『グォオオオオッ!』
咆哮によって、空気が震える。
オーガ族長が巨大な剣を振り上げた。
レスターは足を止めず、真正面から踏み込む。
「はあっ!」
振り下ろされた大剣を、レスターは大盾で受けた。
凄まじい衝撃が、全身を貫く。
足元の土が抉れた。
腕が痺れ、肩が軋む。
だが、左足には全く違和感はなかった。しっかりと踏ん張れている。
――ありがとう、エリシア。もし君が来ていなければ、自分はここに立てなかった。
レスターは大きく息を吸い、全身に魔力を張り巡らせる。
「――闘気!」
淡い光が、レスターの身体と大盾に宿った。
「らぁッ!」
レスターは大盾を強く押し込んだ。
オーガ族長の剣がわずかに弾かれ、巨体の姿勢が崩れる。
そこへ、後続の勇者たちが槍を突き込む。
「今だ!」
「足を狙え!」
「崩せ!」
辺境軍の兵士たちも横から槍を入れる。
オーガ族長は怒りの咆哮を上げると、危機を察知した周囲のオーガたちが、レスターへ迫る。
だが、その前にヴァニラが動く。
「近づけさせない!」
彼女の杖先から複数の火球が生まれた。
「――群爆火炎!」
レスターへ横から迫ろうとしていた通常オーガたちの足元で、爆炎が連続して弾ける。
巨体がよろめき、進路が塞がる。
さらに、別方向から回り込もうとしたオーガ戦士へ、ヴァニラは雷を放った。
「――貫雷撃!」
細く束ねられた電撃が肩を貫き、オーガ戦士の腕が跳ねる。
そこへ後続の勇者が斬り込んだ。
「助かった!」
「まだです!」
ヴァニラは叫びながら、また次の敵へ魔法を向ける。
彼女はレスターの背中を見ていた。
大盾を構え、オーガ族長の正面に立つレスター。
怖いはずなのに、退かずに誰よりも前にいる。
だから、ヴァニラも退けなかった。
「レスターくんの邪魔はさせない!」
火球が飛び、雷が走る。
迫るオーガたちを、ヴァニラが次々と食い止める。
レスターはその支援を背中で感じながら、もう一度大盾を構えた。
オーガ族長が剣を振り上げる。
「来い……!」
先ほどよりも強い一撃が振り下ろされる。
レスターは大盾を斜めに構え、真正面ではなく滑らせるように受けた。
盾の表面を刃が走り、火花が散る。
レスターはそのまま一歩踏み込む。
「はぁッ!」
シールドバッシュを繰り出し、大盾をオーガ族長の胴へ叩きつけた。
闘気を乗せた一撃が、巨体の腹へ入る。
『グッ……!?』
オーガ族長が一歩下がった。
そのわずかな後退に、周囲の味方の士気が上がる。
先ほどまで守るだけだった後方基地の防衛線が、少しずつ形を取り戻していく。
治療天幕では、エリシアがその背中を見ていた。
今すぐ駆け寄りたい気持ちを抑え、彼女は負傷者の治療へ戻る。
「次の方を!」
年配の回復役が頷く。
「右肩裂傷、意識あり! 中級!」
「――深癒光!」
光が灯る。
負傷者が息を吹き返す。
治療を終えた勇者が武器を握り直す。
「まだ動ける!」
「俺も行くぞ!」
後方基地の戦線は、崩れかけていたが、まだ終わっていない。
レスターは大盾を構え直す。
目の前には、怒りに目を血走らせたオーガ族長。
その背後には、まだ数えきれないほどのオーガがいる。
ドミニクは遠くでオーガ将軍とぶつかり合っている。
前線では、ゼストたちも戦っている。
なら、自分はここを守る。
天幕にいる負傷者を。
それを治すエリシアを。
そして、隣で必死に魔法を放つヴァニラを。
「これが……」
レスターは静かに息を吐いた。
「これが僕の役割だ」
オーガ族長が再び咆哮する。
レスターは大盾を構えた。
もう一歩も、後ろへ通さないために。




