第65話 片翼の幹部たち
魔族陣営。
ゼフィード家と辺境の境界に、ハイポリオン家の本陣が置かれていた。
荒れた大地の上に張られた黒い天幕。
その周囲には、堕天使族の兵たちが整然と立ち並んでいる。
その中心にいるのは、一人の女だった。
白銀の髪に褐色の肌。
そして、背中から伸びる片翼。
ハイポリオン家継承順位第1位。
第三次ルカリス回復遠征、第一陣指揮官――セレネ・ハイポリオン。
彼女は静かな目で、前方の戦場を見つめていた。
戦場からは、絶えず轟音が響いている。
遠く離れていても、戦いの熱はここまで届いていた。
そのセレネの前に、一人の堕天使族の部下が進み出た。
片膝をつき、頭を下げた。
「ご報告いたします」
セレネは振り返らずに耳を傾ける。
「開戦時点で約八千体いたオーガ部隊ですが、現在、五千体を下回っております」
「かなり削られましたね」
その声に焦りはない。
部下は続ける。
「しかし、人間側の辺境軍および勇者連合も相当数を失っています。前衛の圧力は維持できており、戦況はほぼ五分と見てよいかと」
報告を聞いたセレネは、空を見上げる。
太陽は真上を過ぎていて、すでに昼を越えようとしている。
セレネは目を細めた。
「下がっていいわ」
「はっ」
部下が一礼し、後方へ退く。
セレネはしばらく天を見上げたまま、静かに呟いた。
「そろそろ頃合いかしら」
彼女の頭に、各局面へ配置した幹部たちの顔が浮かぶ。
ハイポリオン家の血を引く、片翼の幹部たち。
彼らはすでに、戦場の要所へ送られている。
人間側のプロ勇者たちを潰すために。
そして、戦線の均衡を崩すために。
☆ ☆ ☆
前線の一角。
Cランク4位、殿上命令が受け持つ戦域は、急激に圧力を増していた。
「最悪だ……!」
ソーラが舌打ちする。
甘い香水の匂いも、今は血と土煙にかき消されている。
彼の周囲では、殿上命令のメンバーたちが次々と迫るオーガを捌いていた。
だが、敵の数が多い。
加えて、先ほどから異様に軽い足取りでこちらへ近づいてくる存在がいた。
「おい! もっとこっちに戦力回せ!」
ソーラが後方へ叫ぶ。
その声を聞いたのか、聞いていないのか。
敵の中から、少女のような姿の魔族が歩いてくる。
十代半ばほどに見える小柄な体。
背中には、片翼。
その手には、彼女の身体とほぼ同じ大きさの大斧が握られていた。
ハイポリオン家継承順位第5位――パーム・ハイポリオン。
彼女は周囲の人間たちを見回し、つまらなそうに首を傾げた。
「雑魚しかいないな~」
大斧の柄を肩に乗せ、ため息をつく。
「私はハズレ引いちゃったか」
その一言に、ソーラの眉が跳ねる。
「誰が雑魚だって……?」
「ん?」
パームはようやくソーラを見る。
そして、少しだけ笑った。
「まあ、雑魚狩りには雑魚狩りの楽しみ方があるんだけどね~」
次の瞬間、パームの姿が消えた。
いや、消えたように見えた。
小柄な身体が、大斧ごと一気に踏み込んできたのだ。
「散れ!」
ソーラが叫ぶ。
直後、大斧が地面を叩き割った。
衝撃波が走り、周囲の勇者と兵士がまとめて吹き飛ばされる。
パームは楽しそうに笑った。
「ほらほら。ちゃんと逃げないと、潰れちゃうよ?」
ソーラは細身の剣を構え直す。
苛立ちと危機感が、同時に背筋を走っていた。
「陣形を組み直せ!」
ソーラの声が戦場に響く。
「こいつは俺たちで止める!」
パームは大斧を軽々と回しながら、にやりと笑った。
「少しは楽しませてよね?」
☆ ☆ ☆
最前線。
Bランク1位、古の指輪が暴れている戦域。
ハイパーは、オーガの群れを蹴散らしながら前へ出ていた。
「足りねえな!」
ハイパーは笑っていた。
「もっと強いの連れてこいよ!」
その声に応えるように、前方のオーガたちが左右に割れた。
その奥から、片翼の男が現れる。
金髪をかき上げながら、ゆっくりと歩いてくる。
ハイポリオン家継承順位第3位――メルヴァ・ハイポリオン。
長剣を手にする彼のそばにいた堕天使族の部下が、ハイパーを指した。
「奴です」
メルヴァはハイパーを見た。
そして、心底面倒くさそうにため息をつく。
「姉さん……だいぶ面倒くさそうな奴を充てやがったな……」
その声は低く、気だるげだった。
しかし、剣を握り直す手つきには隙がない。
ハイパーの口元が大きく吊り上がる。
「ようやく幹部がお出ましか……!」
ハイパーは首を鳴らした。
メルヴァは冷めた声で返す。
「ま、お手柔らかに頼む」
「嫌だね!」
ハイパーが踏み込むに合わせて、メルヴァも同時に動いた。
拳と剣が激突し、空気が裂ける。
周囲のオーガも、人間側の勇者も、その衝撃に一瞬動きを止めた。
Bランク1位の豪腕と、ハイポリオン家継承順位第3位の剣。
最前線の一角で、別格同士の戦いが始まった。
☆ ☆ ☆
一方、中衛。
魔法使い部隊の周囲にも、ついに敵の圧力が届き始めていた。
前衛をすり抜けたオーガの一団。
その中に、堕天使族の部隊が混じっている。
「撃て!」
魔法使いたちが一斉に集中砲火を浴びせる。
「――魔力干渉」
堕天使族たちが魔法へ干渉した。
人間側の魔法が、次々と形を崩して霧散する。
火球は燃え尽きる前に消え、雷は曲げられ、氷槍は砕け、石弾は地面へ落ちる。
集中砲火を受けながら、敵部隊はほぼ無傷だった。
「くっ……!」
高台の上で、ミラが弓を引き絞る。
だが、その時、敵部隊の中心に立つ片翼の男がロッドを掲げた。
オールバックに撫でつけた髪。
整った顔立ちに、薄く浮かぶ笑み。
ハイポリオン家継承順位第4位――オファル・ハイポリオン。
彼はロッドを軽く回し、楽しそうに言った。
「火力勝負といきましょうや」
ロッドの先に、無数の魔弾が生まれる。
ただ純粋な魔力を圧縮した、無属性の魔弾。
それが、異様な速度で放たれた。
次の瞬間――土属性魔法で作られた足場が、魔弾によって粉砕される。
魔法使いたちが悲鳴を上げながら転落し、工兵たちが慌てて足場を補修しようとする。
だが、魔弾の速度が速すぎる。
高台が一つ、また一つと、次々にされていく。
ミラは足場が崩れる直前に飛び降り、地面へ着地する。
弓を握り直し、敵部隊の中心を睨んだ。
「お出ましね」
オファルはロッドを肩に担ぐようにして笑う。
「お互い、後ろから撃つのが仕事みたいですし」
彼は軽く片目を細めた。
「どっちの火力が上か、試しましょうや」
☆ ☆ ☆
魔族陣営後方の本陣。
セレネは、各局面から届く報告を静かに受け取っていた。
戦場の均衡は、少しずつ崩れ始めている。
「さて」
セレネは椅子から立ち上がる。
最後に残していた札を切る時だった。
彼女の視線の先。
本陣の奥に、巨大な影が座っている。
通常のオーガとは比較にならない巨体。
全身を覆う分厚い筋肉に、傷だらけの皮膚。
背には巨大な戦斧。
その存在だけで、周囲の下位オーガたちが本能的に距離を取っていた。
オーガ将軍。
今回の第一陣において、唯一の将軍クラス。
セレネは彼の前に立つ。
「出陣を命じます」
オーガ将軍が、ゆっくりと顔を上げた。
低い唸り声が喉の奥から漏れる。
「ようやくか……」
その声は、岩が擦れるように重かった。
長く待たされていたことへの苛立ち。
そして、これから戦えることへの喜び。
その両方が混じっている。
セレネは静かに見上げた。
「あなたの役割、くれぐれもお忘れないように」
「分かっている」
オーガ将軍は立ち上がった。
周囲のオーガたちが道を開ける。
「戦線の外から回り込み、奴らの要を砕く」
「よろしい」
セレネは微笑んだ。
「では、行きなさい」
オーガ将軍が歩き出す。
一歩ごとに大地が鳴る。
その巨体が戦場へ向かうたび、周囲のオーガたちが咆哮を上げた。




