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第62話 足りない回復役

 戦いが始まってから、すでに数時間が経っていた。

 太陽は空の真上近くまで昇っている。


 最前線から一時後退するゼストたちは、レスターを支えながら中衛の魔法使い部隊が展開する位置まで戻ってきていた。


 先ほど一度落ち着いたかに見えた遠距離戦は、また再開している。


 敵の堕天使族(フォールンエンジェル)たちが後方から魔法を放ち、人間側の魔法使いや弓兵たちがそれを迎撃する。

 上空では、火球や雷撃、風刃がぶつかり合い、断続的に爆発が起きていた。


「ヴァニラは……」


 ゼストは周囲を見回す。


 中衛には多くの魔法使いたちがいた。

 土属性魔法で作られた高台がいくつも並び、その上から魔法や矢が放たれている。


 その一つに、小柄な蘭色の髪の少女の姿があった。

 杖を構え、右翼側へ向かって連続で火球を撃ち込んでいる。


「ヴァニラ!」


 ゼストが声を張った。


 高台の上のヴァニラが、はっとこちらを見る。


「ゼストくん――」


 言いかけた声が止まる。


 彼女の視線は、ゼストに支えられているレスターの左足へ向いていた。

 布の隙間から血がにじんでいる。


「レスターくん、その傷……!」


 ヴァニラはすぐに高台から降りた。

 土梁を渡り、階段状に隆起した足場を駆け下りてレスターのもとへ。


「だ、大丈夫……じゃないよね」

「ヴァニラ……そんな顔しないで」


 レスターは無理に笑おうとした。


「大した傷じゃ――っ!」


 そこで痛みが走ったのか、表情が歪む。

 膝がわずかに折れかけたところを、ゼストが支え直した。


 カレンはその横で、唇を噛んでいた。


「ごめん、ヴァニラ。私のせいで――」

「――そんなのどうだっていいよ」


 ヴァニラは即座に遮った。

 いつもの柔らかさはなく、不安と焦りを押し殺した必死の声だった。


「早く基地まで戻って治療しないと……ちょっと待ってて」


 そう言うと、ヴァニラは振り返った。

 高台の下で一時的に指示を出していたミラのもとへ向かう。


 雨ノ御矢(アロー・レイン)のリーダーであるミラは、弓を片手に戦場全体を見渡していた。


 彼女の額にも汗が浮かんでいる。

 中衛もまた、楽な場所ではない。


「ミラさん!」


 ヴァニラが声をかける。


 ミラは視線だけを向けた。


「なに? もう魔力切れ?」

「いえ、違います」


 ヴァニラは息を整える間も惜しむように言った。


「私のパーティメンバーが負傷してしまって、一旦前線基地まで戻ってもいいですか?」

「ダメよ。許可できない」


 ミラは即答した。


 ヴァニラは目を見開く。


「ど、どうしてですか?」

「あなたが優秀な魔法使いで、戦線の維持に必要だから」


 ミラの態度は冷たいわけではない。

 戦場の指揮官として、必要な判断をしているだけだった。


「わ、私なんかがいなくても、大丈夫だと思いますけど……」

「見てみなさい」


 ミラは右翼側を指す。


 ヴァニラが離れた高台の先では、ほんのわずかな間に魔法の密度が落ちていた。


 敵の火球が一つ、人間側の弾幕を抜けてくる。

 近くの魔法使いたちが慌てて相殺するが、明らかに余裕がない。


「あなたがこの一瞬抜けただけで、もう右翼側の弾幕に穴が空き始めてる」


 ミラはヴァニラを見る。


「全然大丈夫じゃないわ」

「でも……!」

「あなた、プロでしょ?」


 その一言に、ヴァニラは言葉を失った。


 ミラは続ける。


「Cランクパーティの魔法使いとしてここにいる。だったら、責任持ちなさいよ」


 ヴァニラは杖を握りしめる。


 レスターが怪我をしている。

 早く治療したいし、そばにいたい。


 でも、ミラの言っていることも分かってしまった。


「怪我したメンバーは、他の仲間に任せればいいじゃない」


 ミラは淡々と言う。


「一緒にいても、あなたに治癒はできないんだから。こっちで頑張った方が断然いいわ」

「……っ」


 ぐうの音も出ない正論に、ヴァニラは閉口する。


「なら、俺がやります」


 横から声が入り、ヴァニラが振り返る。


 ゼストは支えていたレスターをカレンの肩へ預けるようにして、ミラの前へ出た。


「俺がヴァニラの穴を埋めます」


 ミラはゼストを見た。

 その目が、少しだけ興味を帯びる。


「ゼスト・マクシムね」

「はい」

「悪くないわ」


 ミラは戦場へ視線を戻しながら言った。


「一度、あなたの実力をこの目で見てみたいと思っていたし」


 ゼストは短く頷き、ヴァニラを見る。


「ヴァニラ、レスターを頼む。カレンも、今は落ち込むより足を動かせ」


 カレンは顔を上げる。

 その目にはまだ罪悪感が残っているが、ゼストの声でわずかに意識が戻った。


「……分かった」


 ヴァニラはまだ何か言いたげだったが、唇を引き結び、頷く。


「ゼストくんも、無理しないでね」

「お互い様だ」


 ゼストはロッドを握り直し、高台へ向かう。


 ミラが工兵へ指示を飛ばす。


「銀鍵同盟のゼストを右翼高台へ。ヴァニラの代わりに入れるわ」

「了解!」


 土属性魔法で足場が再び整えられる。

 ゼストは軽く跳ぶように高台へ上がった。


 ヴァニラがいた場所から戦場を見下ろすゼストは、ロッドを掲げた。


「――陣灼火炎(レルム・ブレイズ)


 巨大な青白い炎が、空中へ広がった。


 敵の火球をまとめて呑み込み、一気に後方へ。

 それまで火力が届きにくかった堕天使族(フォールンエンジェル)部隊へ、炎の波が押し寄せる。


 高台の周囲にいた魔法使いたちが、思わず息を呑んだ。


 ミラは少しだけ口角を上げる。


「ふふ、噂通りね」


 その頃、ヴァニラとカレンはレスターを支え、前線基地へ向けて歩き出していた。


 ☆ ☆ ☆


 前線基地の治療用天幕にたどり着いた時、カレンたちは息を呑んだ。


 負傷者が、あまりにも多かった。

 大きな天幕の内外に、兵士や勇者たちが次々と運び込まれている。


 腕を押さえて呻く者。

 腹部を布で押さえられている者の叫びや、足を引きずり、治療を求める声。

 意識のないまま担架で運ばれる仲間を見守るパーティ。


 それらが、天幕の中に満ちていた。


「次、こっち!」

「出血を押さえて!」

「軽傷者は外で待機! 重傷者を先に入れて!」

「上級ポーションの残りは!?」


 軍の回復担当者たちと、職業勇者の回復役(ヒーラー)たちが必死に動き回っている。


 だが、明らかに手が足りていなかった。

 負傷者の数に対して、回復役が少なすぎる。


「すみません!」


 ヴァニラが声を張る。


「仲間が足を負傷してるんです!」


 近くの治療係がレスターの足を見る。


 中程度の裂傷による出血。

 だが、意識はあり、歩けている。


 治療係は一瞬だけ迷い、すぐに言った。


「止血して待ってください! 今は重傷者が優先です!」

「でも……!」

「命に関わる負傷者が先です!」


 その言葉に、ヴァニラは何も言えなくなった。


 レスターは静かに頷く。


「分かりました。待ちます」

「レスターくん……」

「大丈夫」


 レスターは近くの空いた場所へ腰を下ろす。


 カレンがすぐに布を取り出し、傷口の上から強く押さえた。


「痛いわよね……今は我慢して」

「だ、大丈夫だよ……ありがとう」


 激痛を耐えるレスターは、なんとか笑顔を作った。


 治療の順番は、なかなか回ってこない。

 目の前で、別の重傷者が運び込まれ、そのたびに回復役たちがそちらへ駆け寄る。


 レスターの傷は決して浅くはない。

 けれど、すぐに死ぬ傷ではないから待たされる。


 ヴァニラは唇を噛み、カレンも俯いている。


 銀鍵同盟は、改めて痛感していた。

 彼女がここにいさえすれば、レスターの傷はすぐに塞がっていたはずだ。


「エリシアちゃん……」


 ヴァニラが小さく名前を呼んだ。


 返事はない。

 この戦場に、彼女はいない。


 ☆ ☆ ☆


 その数時間前。

 ペイジ内のマクスウェル辺境伯家の別荘。


 上等な寝台の上で、エリシア・ネルヴァは目を覚ました。

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