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第60話 白兵戦

 初めに響いたのは、盾と棍棒がぶつかる鈍い音だった。


 辺境軍の盾列へ、オーガの巨体が体当たりする。

 ただそれだけで、前列の兵士たちの足が地面を削った。


「押し返せええええ!」

「槍を入れろ! 止めろ!」

「ひるむな! ここで崩れたら後ろが死ぬぞ!」


 怒号が飛び交う。


 オーガは一体一体が大きい。

 通常個体であっても、一般の兵士やDランク勇者からすれば十分すぎる脅威だった。


 Dランクパーティは、通常オーガ一体を相手にするだけでも全員でかからなければ危ない。

 一人でも連携を乱せば、あっという間に潰される。


 どこの戦況も死線だった。


「左から来るぞ!」

「止めろ!」

「無理だ、速い!」


 前衛の一角で、Dランクパーティがオーガの突進を受け止めようとしていた。


 盾役が前に出て、剣士が横から足を狙う。

 魔法使いが詠唱するのに合わせて、回復役(ヒーラー)は後方へ下がろうとする。


 だが、混戦の中で動線が塞がった。


「きゃっ!」


 足元の死体に引っかかり、回復役の少女がその場に倒れ込む。


 棍棒を持ったオーガが、それを見た。

 濁った目が少女を捉え、巨腕が振り上げられる。


「逃げろ!」


 仲間の叫び。

 だが、間に合わない。


 オーガの棍棒が、回復役へ振り下ろされようとした瞬間。


「――貫雷撃(レイ)!」


 青白い雷が、横から一直線に走った。

 細く束ねられた強力な電撃が、オーガの胸部を貫く。


『ゴッ……!?』


 巨体が硬直した。

 胸に黒い穴が開き、内部から雷が爆ぜる。


 オーガは棍棒を振り下ろすこともできないまま、後ろへ倒れた。


 回復役の少女は、震えながら顔を上げる。


 目の前に立っていたのは、ゼストだった。


「――集中しろ!」


 ゼストはロッドを構えたまま叫ぶ。


「死ぬぞ!」

「は、はい! ありがとうございます!」


 回復役の少女が慌てて立ち上がり、仲間のもとへ戻る。


 その少し離れた場所で、古の指輪(エンシェント・リング)のハイパーが、ゼストの戦いを見ていた。


「ゼスト……」


 そう呟くハイパーの背後へ、オーガ族長(ヘッド)が迫る。

 通常個体より一回り大きく、筋肉の膨れ上がった上位個体。


 だが、ハイパーは振り返りすらしなかった。


「アイツ、俺のライバル決定――よっしゃ!」


 背後から棍棒が振り下ろされる。


 次の瞬間、ハイパーの裏拳がノールックで放たれた。


 拳が、オーガ族長(ヘッド)の頭部を叩き割る。

 頭蓋が砕け、巨体がその場に崩れ落ちた。


「張り切るか!」


 ハイパーは楽しそうに笑い、そのまま敵陣へ突っ込んでいく。


 その様子を、少し離れた場所から見ていたソーラが舌打ちした。


「ちっ……」


 殿上命令(ジ・オーダー)のリーダーである彼は、ゼストの活躍を苛立たしげに見ていた。


「俺たちも気合い入れ直すぞ!」


 ソーラは仲間へ叫ぶ。


「アイツらばっかいい顔させんな!」


 殿上命令(ジ・オーダー)のメンバーたちが応じる。


 ソーラは細身の剣を抜き、迫るオーガへ魔力を込めた斬撃を放った。


 ゼストは別の方向へ視線を向ける。


 助けられたことに感謝されている余裕はない。

 この戦場では、次の一瞬には別の誰かが死にかけている。


「レスター、右!」

「うん!」


 レスターが大盾を構え、横から来たオーガの拳を受け止める。

 衝撃で足が滑るが、崩れることはない。


 その隙に、カレンが走り込む。


「らぁっ!」


 紅椿(ベニツバキ)が、紅蓮の軌跡を描いた。

 剛闘気(ハイブレイブ)の濃く、荒々しいオーラを纏った一撃が、オーガの腕を斬り飛ばす。


『グガァッ!?』

「遅い!」


 カレンは止まらない。

 踏み込み、腰を回し、紅椿(ベニツバキ)を返す。

 紅蓮の刀身が、オーガの首を斜めに断った。


 巨体が崩れるより早く、カレンは次の敵へ向かっていた。


「もう一体!」


 その動きは、凄まじかった。


 押し寄せるオーガの群れの中を、椿色の髪が駆け抜ける。

 紅蓮の剣が閃くたび、巨体が倒れていく。


 通常オーガだけではない。

 オーガ戦士(ソルジャー)でさえ、カレンの勢いを止めきれない。


「ゼストは相変わらずだけど、あの赤髪女もヤベえ!」

「知らねえのか!? カレン・リードマンだよ!」

「リードマンって……あのハイネスの娘か!」

「通りで強いわけだ!」


 周囲の勇者たちが驚きの声を上げる。


 ――身体が軽い。


 紅椿(ベニツバキ)が手に馴染む。

 剛闘気(ハイブレイブ)が、全身を熱くする。


 戦場の恐怖と興奮が混ざり合い、カレンの感覚を研ぎ澄ませていた。


「カレン、出すぎだ!」


 レスターが叫ぶ。


 だが、カレンは反応しない。


 聞こえていないのか。

 それとも、聞こえていても身体が止まらないのか。


 カレンはすでに、レスターの守備範囲から大きく前へ出ていた。


 ゼストもまた、別方向へ意識を向けている。


 前方に、オーガ族長(ヘッド)

 それも複数の戦士を従え、周囲のDランクパーティを押し潰しかけている個体だった。


 あれを放置すれば、戦線に穴が開く。


「俺は前方のオーガ族長(ヘッド)を倒してくる!」


 ゼストが叫ぶ。


「二人はここら一帯の通常と戦士(ソルジャー)クラスを頼んだ!」

「う、うん!」


 レスターが何とか返事をする。

 だが、カレンから返答はない。


 彼女は目の前のオーガ戦士(ソルジャー)と斬り結んでいた。


「カレン!」


 レスターがもう一度呼ぶ。

 しかし、カレンは強く踏み込み、紅椿(ベニツバキ)を振り抜く。


「邪魔よ!」


 オーガ戦士(ソルジャー)の胴が斜めに裂ける。


 返事の代わりに、敵を斬り倒す音だけが返ってきた。


 ゼストは一瞬だけ迷ったが、前方のオーガ族長(ヘッド)を放置するわけにはいかない。


「レスター、頼んだ!」


 そう言い残し、ゼストは一気に前へ出た。


 ロッドから濃紺の短剣に持ち替え、雷を纏い、最も危険な敵へ向かって走る。


 カレンは左側へ。

 ゼストは前方へ。

 レスターはその中心で、大盾を握ったまま立ち尽くしそうになった。


 ――待って。


 心の中で、そう声が出た。


 レスターは慌てて足を動かす。


 カレンの背中を追おうとする。

 だが、横から通常オーガが殴りかかってきた。


「くっ!」


 大盾で受けた衝撃で、足が止まる。


 その間に、カレンはさらに前へ出る。

 ゼストの姿も、別の敵の影に隠れた。


 ――マズい……見失う!


 レスターの胸に、冷たいものが広がった。


 温泉で語った不安。

 自分だけ成長が足りていないのではないか。

 みんなを守り切れないのではないか。


 その不安が、現実になり始めていた。


「僕が……」


 レスターは歯を食いしばる。


「僕が追わないと」


 彼は大盾を構え直し、前へ出た。


 右から来るオーガの拳を受け、闘気(ブレイブ)を纏って反撃する。

 直後に左から振られた棍棒を盾で流し、さらに反撃を重ねてオーガを倒しきる。


「カレン!」


 レスターは叫ぶが、返事はない。


 代わりに、赤い剣閃だけが敵の群れの中に見えた。


 ――あそこにいる。


 そう思って追うが、次の瞬間には別のオーガが視界を塞ぐ。


「どけっ!」


 レスターは大盾を叩きつける。

 シールドバッシュによってオーガの巨体がよろけた隙に進んでいく。


 何度も見失っては、追いつく。

 また見失っては、追いつこうとする。


 その繰り返しだった。


 白兵戦の喧騒が、レスターの耳を埋め尽くす。


 怒号、悲鳴、金属音。

 肉を打つ音に、魔法の炸裂音。


 その中で、レスターは必死に仲間の背中を探していた。


 守ると決めた。

 迷っている暇があるなら盾を構えると決めた。


 けれど、盾を構えるべき仲間が、どんどん遠ざかっていく。


「絶対……追いつく!」


 その声は戦場に呑まれた。

 レスターは大盾を握りしめ、さらに前へ進む。


 目の前のオーガを受け止めながら、仲間の背中を見失わないように。

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