第57話 ドミニクズ・ブリーフィング
翌朝。
前線基地の中央に設けられた司令部の天幕には、朝早くからプロ勇者たちが集められていた。
王都を含む全域で一万三千を超える勇者パーティが存在する中で、プロと呼ばれる領域へ届く者は、ほんの150パーティしかいない。
その中で、今回の招集に間に合ったプロ勇者は、七パーティ。
戦争の第一段階に即応できる戦力としては十分とは言えないが、急な招集であることを考えれば、まずまずというべき数だった。
天幕の中には大きな卓があり、その上には前線一帯の地図が広げられている。
マクスウェル辺境伯領とゼフィード家領の境界線。
東フォーン砦と思われる敵側拠点。
前線基地と補給路。
予想される魔族軍の進軍経路。
それらが、赤や黒の印で細かく書き込まれていた。
このブリーフィングには、全員参加のパーティもあれば、代表者のみのパーティもある。
銀鍵同盟から参加しているのは、ゼストとレスターだった。
ゼストは地図の前に立ちながら、天幕内の顔ぶれを軽く見回す。
Aランク、Bランク、Cランク。
それぞれのパーティが、独特の空気を放っている。
その中心に立つのは、全身を銀の鎧に包んだフルフェイスの男。
Aランク2位、王の槍のリーダー、ドミニク・ブールだった。
兜のせいで表情は見えないが、立っているだけで場が締まる。
「では、始めさせてもらう」
ドミニクの低い声が、天幕内に通った。
ざわつきが消える。
プロ勇者たちの視線が、一斉に地図へ向いた。
「まずは敵の情報からだ」
ドミニクは地図上の西側を指した。
「斥候部隊によれば、敵の数は確認できただけでも総勢一万ほど。指揮しているのは堕天使族――つまりハイポリオン家だ。戦力の大半はオーガで構成されている」
オーガは下位個体であっても、まともに正面から受ければ人間の兵士など簡単に叩き潰される。
それが大半を占める軍勢で、しかも総勢一万。
「大半がオーガね……」
そこで、低く笑うような声が割り込んだ。
声の主は、Bランク1位パーティ、古の指輪のリーダーだった。
男の名は、ハイパー。
黒い短髪に、肩には奇妙な紋様の入った外套を羽織っている。
目つきは鋭いが、態度はどこか軽い。
「ワンチャン、王クラスもいるかもってことね」
その発言に、天幕の反対側から冷たい声が飛ぶ。
「……黙って聴けないの?」
Bランク2位パーティ、雨ノ御矢のリーダー、ミラ。
長い黒髪をひとまとめにし、背筋を伸ばして立つ女性だった。
弓使いらしく、背には美しい長弓を背負っている。
その目は、雨に濡れた刃のように冷たかった。
ハイパーが眉を上げる。
「あ?」
ミラも一歩も引かない。
「は?」
二人の間に、見えない火花が散った。
周囲のプロ勇者たちが、微妙な顔になる。
どうやら、この二人の衝突は珍しいものではないらしい。
古の指輪のメンバーらしき男が、慣れた様子でハイパーの肩を押さえる。
雨ノ御矢の女性メンバーが、こちらも慣れた様子でミラの袖を引いた。
二つのパーティのメンバーたちは、互いに軽く頭を下げ合う。
「すみませんねぇ」
「こちらこそ、すみません」
ドミニクは少しだけ沈黙した。
兜のせいで表情こそ見えないが、呆れていることだけは天幕内の全員に伝わった。
「……続けるぞ」
その一言で、場が再び地図へ戻る。
ドミニクは指先を地図の東側、つまり人間側の前線基地へ移した。
「配置説明に移る。今回の布陣は、大きく前衛、中衛、後衛に分かれる」
地図上に置かれた駒が三つの層を示していた。
「後衛はこの前線基地だ。負傷者の手当、物資補給、伝令の中継を行う。戦闘で負傷した者は、可能な限りここまで下がって治療を受ける」
レスターの表情がわずかに硬くなる。
エリシアがいない今、回復を受けるには基地へ戻る必要があるためだ。
ドミニクは続ける。
「中衛は魔法使い部隊だ。各パーティから魔法使い、弓兵、広範囲攻撃が可能な者を集める。初手で大規模な面制圧を行い、オーガ部隊の進軍速度を落とす」
ゼストは地図を見下ろした。
魔法使い部隊には、銀鍵同盟からはヴァニラを出すことになる。
つまり、開戦直後のヴァニラはゼストたちと別行動になる。
エリシアがいない今、仲間を分けること自体に抵抗があるが、ヴァニラの火力と制圧力を考えれば、魔法使い部隊に入るのは妥当だった。
――合図と約束事を決めておく必要があるな。
ゼストは心の中で整理する。
ヴァニラ自身にも、無理はさせないようにしなければならない。
「中衛の現場指揮は、雨ノ御矢に任せる」
ドミニクが言った。
ミラが静かに頷く。
「了解したわ」
そこへ、ハイパーが横から口を挟む。
「やれんのか?」
ミラのこめかみがわずかに動いた。
「アンタもオーガと一緒に射抜いてあげるわよ」
「おお、怖」
ドミニクは、今度は間を置かずに言った。
「最後に前衛についてだ」
強制的に話題を進める声だった。
「ここには戦力のほとんどを注ぎ込む形になる。辺境軍の歩兵、Dランク勇者の主力、近接戦闘に長けたプロ勇者。これらを中心に白兵戦で前線を押し上げる」
地図の西側へ、いくつもの駒が並べられる。
オーガの大群に対して、真正面から押し返す部隊。
最も危険で、最も重要な配置。
ゼストたち銀鍵同盟も、基本的にはここへ入ることになるだろう。
「前衛の現場指揮は、古の指輪に任せる」
ドミニクはハイパーを見た。
「ただし」
「ただし?」
ハイパーが楽しそうに笑う。
「ハイパー、お前は目の前の相手をとにかく撃退してくれればいい。全体への指揮は、パーティ内の誰かに任せる」
天幕内に、微妙な沈黙が落ちた。
現場指揮官に任命されたはずなのに、本人には指揮を期待しないという宣言。
だが、古の指輪のメンバーたちは特に驚いた様子もなかった。
むしろ、当然のように頷いている。
「背中で見せろってことね。了解」
そう腕を組んで満足げなハイパーに、ドミニクはあえて反応しなかった。
そして、地図の前に立つゼストへ視線を向ける。
「ゼスト・マクシム、君にも期待している」
天幕内の視線が、ゼストへ集まった。
噂だけが先行している者もいるのだろう。
値踏みするような視線もあった。
ドミニクは続ける。
「個の力で戦況を打開してほしい」
返すゼストは、声の温度を少しだけ落とす。
「――大事な回復役を欠いてるので、少し消極的になってしまうかもしれませんが……」
ドミニクの兜が、わずかにゼストへ向く。
ゼストは笑っていなかった。
「大目に見てくれますよね?」
天幕内の空気が、微妙に変わる。
事情を知らない者たちは、眉をひそめた。
ハイパーが興味深そうに身を乗り出す。
「なんだ? なんか揉めてんのか?」
ミラも無言でドミニクを見る。
ドミニクは一拍置いて言った。
「こっちの話だ。気にしなくていい」
ゼストはそれ以上追及しなかった。
ここでエリシアのことを広げても、今すぐ事態が好転するわけではない。
しかしドミニクには、銀鍵同盟が万全ではないことを念押ししておく必要があった。
――回復役を奪われた状態で、無茶な使い方をされるつもりはない。
その後は、細かな配置の話へ移った。
勇者連合の大多数を占めるDランク以下の勇者と辺境軍は、すでに大まかな配置が決められていた。
一方、Cランク以上のプロ勇者パーティには、一定の自由行動が許可された。
いわゆる遊撃部隊として、戦場を縦横に動く役割だ。
戦力が不足している場所や、堕天使族の幹部と思われる敵が確認された場所へ、適宜投入されることになる。
ゼストは地図上の駒を見ながら、頭の中で銀鍵同盟の動きを組み立てる。
レスターを軸に、カレンと自分で前を切り開く。
ヴァニラが中衛にいる間は、合図を決めて合流できるようにする。
回復役がいない以上、無理な深入りはしない。
敵幹部級と遭遇した場合も、単独撃破に固執しない。
勝つより先に、生きて戻る。
そしてエリシアを迎えに行く。
「概要は以上だ」
ドミニクの声で、ゼストは思考を戻した。
天幕内のプロ勇者たちが、再び指揮官を見る。
ドミニクは地図に置かれた駒を一度見下ろし、それから全員へ告げた。
「ルカリスへの侵攻をここで防ぐためにも、死力を尽くして戦ってくれ」
その言葉に、天幕内の空気が引き締まる。
第三次ルカリス防衛戦争。
その開戦は、もうすぐそこまで迫っていた。




