第55話 欠けた五人目
ペイジ西門を出た荷馬車は、ゆっくりと西へ進んでいた。
前線基地へ向かう道には、同じような荷馬車や兵士、勇者パーティの姿がいくつも見える。
だが、その中で銀鍵同盟の空気は重かった。
荷馬車の荷台に座るのは、四人だけ。
そこにいるはずだった五人目――エリシア・ネルヴァはいない。
何一つ納得できないまま、現実だけが進んでいる。
車輪が土を踏む音だけが、しばらく荷台に響いていた。
「……やっぱり、納得できない」
最初に口を開いたのは、カレンだった。
彼女は膝の上で握った拳をじっと見つめていた。
「多少小競り合いになったとしても、あの場でエリシアを連れてくるべきだったわ」
「カレン」
ゼストが静かに呼ぶ。
「分かってるのよ。あそこで本気でやり合ってたとしても、良い結果にはならなかったってことは」
言葉では理解しているが、感情が追いつかない。
カレンは唇を噛んだ。
「あの子、嫌だって言ってたのに」
最後に残した声が耳に残っている。
『うそ……い、や……』
眠らされる直前、エリシアは確かにそう言った。
あの強気な彼女が、はっきり拒んだ。
それなのに、自分たちは連れてこられなかった。
「ごめん」
レスターが頭を下げた。
「僕が止めたから」
「違う」
カレンはすぐに顔を上げる。
「レスターを責めてるわけじゃない。ごめん、感情的になった」
彼女は息を吐く。
「あの場で一番冷静だったのは、たぶんレスターだから。私が突っ走りすぎてただけ」
「でも、カレンの気持ちも分かるよ」
レスターは小さく言った。
「僕も、納得してるわけじゃないから」
ヴァニラは杖を抱えたまま、荷台の隅で膝を寄せていた。
「エリシアちゃん、大丈夫かな……」
その声は小さかった。
「眠らされただけって言ってたけど、起きたらきっと怒るし、悲しむよね」
「めちゃくちゃ怒ると思う」
ゼストが低く言った。
「だよね……」
ヴァニラは目を伏せる。
「昨日の温泉で、これから私も頑張るって話したばっかりだったのに」
エリシアは笑っていた。
ヴァニラの恋を応援すると言って、両手を握ってくれた。
回復役としても、銀鍵同盟の仲間としても、これから一緒に前線へ行くのだと思っていた。
なのに、翌朝には奪われた。
あまりにも突然だった。
「回復役がいないのは、やっぱり大きいね」
レスターが静かに言う。
その表情は、昨夜までよりも少し固い。
「基地に回復役がいるって言ってたけど、戦闘中にすぐ頼れるわけじゃない。戻れる保証もない」
「ああ」
ゼストが頷く。
レスターは自分の大盾に視線を落とした。
「その分、僕が守らないと」
昨日の夜、ゼストからピピの話を聞いて、レスターは覚悟を決めた。
迷っている暇があるなら盾を構える。
そう思ったばかりだが、いきなり回復役を失った。
守れなければ、本当に終わる。
その重みが、昨夜よりさらに現実味を持って肩にのしかかっていた。
「レスター」
ゼストが声をかける。
「一人で全部背負うなよ」
「うん……でも、前に立つのは僕だから」
「それは頼りにしてる」
そう真っ直ぐに言ってから、ゼストは荷台の外へ目を向ける。
ペイジの街はもう遠ざかりつつあった。
西へ進むほど、街道の空気は乾いていく。
前線基地へ向かう兵士や勇者たちの会話も、どこか声を潜めたものになっていた。
「方針を変える」
ゼストが言った。
カレン、レスター、ヴァニラが顔を向ける。
「基本はレスターを中心に固まる。ヴァニラは範囲魔法で距離を取らせる。カレンは撃ち漏らしと危険個体の処理。俺は全体の穴埋めと緊急対応」
「エリシアちゃんがいない分、守り優先だね」
ヴァニラが確認する。
「ああ。勝ちに行くより、まず死なないことを優先する」
「でも、戦場でそれが許されるの?」
カレンが問う。
「許されない場面もあるだろうな」
ゼストは正直に答えた。
「だから、そこは見極める。無理に英雄ぶる必要はない。俺たちはエリシアを迎えに戻らないといけないんだからな」
その言葉に、三人がわずかに反応した。
「そうね」
カレンは紅椿の柄に手を置いた。
荷馬車は西へ進む。
空は高く、雲は薄かった。
周囲の荷馬車や兵士たちも同じように無言が多く、誰もが前線基地へ近づいていることを感じていた。
☆ ☆ ☆
夕方。
陽が傾き、平原が赤く染まり始めた頃。
「見えました」
御者が声を上げる。
銀鍵同盟の四人は、荷台から前方を見た。
そこにあったのは、広い平地を即席の柵で囲い、最低限の防御を施した拠点だった。
木材を組んだ柵が外周を囲み、ところどころに見張り用の櫓が立っている。
中央には大きな天幕と簡易建築があり、そこが司令部らしい。
水飲み場。
物資置き場。
治療用と思われる大きな幕。
兵士たちが行き交い、馬が繋がれ、荷物が積み下ろされている。
そして、その周囲には無数のテントがあった。
勇者パーティごとに張られたものだろう。
色も大きさもばらばらのテントが、所狭しと並んでいる。
「ここが前線基地……」
ヴァニラが呟いた。
「いよいよって感じだね」
「そうだね」
レスターは大盾を担ぎ直す。
カレンは黙って基地全体を見渡していた。
荷馬車が入口で止まると、兵士が滞在許可証と参加登録を確認した。
「銀鍵同盟、四名」
兵士が名簿を見ながら言う。
その言葉に、カレンの眉がわずかに動いた。
本来なら五名のはずだったが、兵士は何も言わない。
すでに伝達されているのだろう。
エリシア・ネルヴァは不参加。
その事実が、ここでも当たり前のように処理されている。
「指定区域内にテントを張ってください。パーティごとの位置は自由ですが、司令部周辺と物資搬入口は避けるように」
「分かりました」
レスターが答える。
荷馬車から降りると、周囲の視線がいくつも向けられた。
「あれ、銀鍵同盟じゃないか?」
「Cランクに上がったばかりの?」
「カナゼルを討伐したっていう、あの?」
「辺境伯スポンサーのパーティだろ」
噂の声。
好奇の視線。
期待と値踏みが混じった目。
銀鍵同盟は、もうただの新人パーティではない。
Fランク下位から短期間でCランクへ上がり、人型魔族討伐の実績を持つプロ勇者パーティ。
その名は、ルカリス周辺の勇者たちの間で確実に広まっていた。
だが、ゼストたちは今、それに応える気分ではなかった。
「少し離れた場所に立てることにしようか」
ゼストの提案で、四人は基地の端に近い場所へ移動した。
外周の柵から近すぎず、司令部からも遠すぎない。
周囲に少し空きがあり、荷物を広げても邪魔にならない場所を見つけられた。
「ここにしよう」
ゼストが言うと、四人は黙々とテントを張り始めた。
テントの布を張りながら、ヴァニラがぽつりと呟いた。
「……エリシアちゃんがいたら、絶対に何か言ってたよね」
「言ってたわね」
カレンが短く答える。
「ゼストさまのお隣はわたくしですわ、とか」
「言いそうだな」
ゼストは苦笑した。
いつもなら、エリシアが何かしら騒いでいたかもしれない。
しかし、今は静かだった。
その静けさが、五人目の不在を余計に際立たせていた。
「迎えに行くためにも」
レスターが静かに言った。
「僕たちは、ここでちゃんと生き残らないとね」
「ああ」
ゼストはテントの杭を地面に打ち込む。
「五人全員で、生きて帰る」
カレンとヴァニラも、小さく頷いた。
柵の向こうには、ゼフィード家領へ続く荒れた大地。
前線基地の空には、夕暮れの赤が広がっている。
欠けた一人分の空白を抱えたまま、彼らは第三次ルカリス防衛戦争の前線に立った。




