第52話 悲劇の昇格
12月。シーズン最終月。
王都ハイデンダルクの北は、凍えるような寒さに包まれていた。
ゼストとピピの二人はDランクのアマチュア勇者として、王都から北へ進んだ先にある廃坑へ向かっている。
任務内容は、廃坑に巣食うオーガの群れの討伐。Cランク相当の高難度任務。
ここで結果を出せば、二人はシーズン中にCランクへ昇格しプロ勇者になれる見込みだった。
しかし、ゼストの表情は重かった。
「本当に俺たちにオーガなんて倒せるのか」
廃坑へ続く道の途中で、ゼストはぽつりとこぼした。
隣を歩くピピは、寒さで赤くなった鼻をすすりながら笑う。
「大丈夫だって!」
ピピは腰に下げた短剣を叩く。
「オーガはデカくて硬いけど、動きは鈍い。廃坑の中なら通路も狭いし、俺たち二人で立ち回れば、やれない相手じゃない」
「……そうか?」
「そうだって」
ピピは前方の山肌に見える廃坑の入口を見上げた。
「それに、ここで結果を出せばシーズン中のプロ昇格が確定するんだぞ」
その声には、隠しきれない熱があった。
「そうすれば、あのスラムからも完全に脱却できるってもんよ」
奪うか奪われるかの日々。
白い目で見られながら、それでもそこに戻るしかなかった生活。
――二度と戻りたくない。
その思いは、ゼストにもあった。
「そう……だな」
ゼストは小さく頷いた。
ピピは満足そうに笑う。
「だろ? 俺たちならやれる」
ピピは笑った。
その笑顔に、ゼストも少しだけ肩の力を抜いた。
二人が廃坑へ入ると、壁に染み込んだ水がぽたぽたと落ち、足元には古い木材や錆びた道具が転がっているのが見えた。
廃坑の奥からは、かすかに獣臭い匂いが漂っている。
ゼストとピピは短剣を抜いて慎重に進み、やがて広い空間に出た。
そこにあったのは、オーガの死体だった。
「……は?」
ピピが眉をひそめる。
巨大なオーガが、横倒しに倒れている。
胸は大きく裂かれ、首元には深い傷がある。既に息はない。
ゼストは周囲を見渡した。
別の通路にも、もう一体。
少し奥にも、さらに一体。
どれも、二人が来る前に殺されていた。
「誰かが先にやったのか……?」
ゼストが呟く。
ピピは舌打ちした。
「チッ! 先越されたみたいだ」
「残念だけど、引き返すしかな――」
ゼストの言葉は、途中で止まった。
廃坑の奥。
濃い闇の向こうから、二つの影が現れた。
血色の悪い肌に鋭い輪郭。
暗闇の中で鈍く光る、特徴的な赤い目。
ピピが低く呻いた。
「吸血鬼族……!」
ゼストも、息を呑む。
人型魔族。
しかも、片方は明らかに格が違う。
立っているだけで空気が重くなる。
廃坑の冷気とは別の、背筋を凍らせるような圧。
「こいつ……多分、幹部クラスだ」
ゼストの声がかすれる。
勝てる相手ではない。
その直感が、全身に突き刺さった。
吸血鬼族の幹部は、ゼストたちを見下ろすように一瞥する。
「人間か」
ただ一言、興味も怒りもない声だった。
その言葉だけを残して、幹部は踵を返し、奥の闇へ戻っていく。
代わりに、配下と思われるもう一体が前へ出た。
――その瞬間、地面が鳴った。
配下の吸血鬼族が、凄まじい速度で迫ってきたのだ。
ゼストは足がすくんで動けない。
目では追えているが、身体が反応しないのだ。
――死ぬ。
そう思った瞬間。
「ゼストッ!」
ピピが飛び込んだ。
肉を貫く音がした。
ゼストの目の前で、ピピの身体が大きく跳ねる。
吸血鬼族の腕が、ピピの胸を貫いていた。
「……ピピ?」
ゼストの声がかすれた。
何が起きたのか、一瞬分からなかった。
ピピの口から血が溢れる。
栗毛の少年は、ゼストの方を見る。
何かを伝えようとしたが、言葉にならない。
吸血鬼族が腕を引き抜くと、ピピの身体は力を失って崩れ落ちた。
「おいッ!」
ゼストは反射的にピピを抱きとめる。
「しっかりしろ! ピピ! おい!」
ピピの胸から、信じられない量の血が流れていた。
手で押さえても止まらない。
温かいはずの血が、廃坑の冷気の中で急速に冷えていくようだった。
そのとき、後方から足音が聞こえた。
たったった、と誰かが駆けていく。
協会審判員が異常事態に気づき、その場から離れようとしたのだろう。
吸血鬼族の配下が、面倒そうにそちらへ視線を向けた。
次の瞬間、雷属性魔法が後方の通路へ放たれる。
暗闇の奥で断末魔が響き、足音は消えた。審判員は殺されたのだ。
ゼストは、まだピピを抱えたまま動けない。
吸血鬼族の配下が、ゆっくりこちらを見る。
その手に握られた黒い剣が、無造作に振り上げられる。
「ッ!」
ゼストは濃紺の短剣を抜き、反射的に受けた。
金属音が廃坑に響く。
ピピの血で濡れた手が、短剣の柄を滑らせる。
けれど、ゼストは離さなかった。
「ふざけんな……」
低い声が漏れた。
視界の端に、ピピが倒れている。
さっきまで笑っていた相棒が。
スラムから這い上がろうと、自分を引っ張ってくれた相棒が。
もう、動いてくれない。
「ふざけんなよ……!」
ゼストの中で、何かが弾けた。
濃紺の短剣に雷が走り、青白い光が刃を包み込む。
「――轟雷撃」
それは、初めて自分の意思で繰り出した雷撃だった。
形はまだ荒いし、制御も甘い。
だが、込められた魔力の密度だけは、紛れもなく上級雷魔法のそれだった。
短剣に纏った雷が、吸血鬼族の黒い剣を弾く。
配下の赤い目が、初めてわずかに細くなる。
次の瞬間、二人は同時に踏み込んだ。
暗闇の中で、雷が弾ける。
吸血鬼族の配下も雷属性魔法の使い手だった。
指先から雷を放ち、剣に雷を纏わせ、超高速で斬り込んでくる。
ゼストもそれに応じ、短剣に轟雷撃を纏わせ、足元に雷を走らせ、廃坑の壁を蹴って加速する。
狭い坑道。
暗闇。
濡れた足場。
その中で、青白い閃光と紫の雷光が何度も交錯した。
ゼストの肩が裂け、脇腹に雷が走り、頬を剣先がかすめる。
しかし、止まることはなかった。
ゼストは配下の雷を短剣で弾き、懐へ潜った。
吸血鬼族の反応は速い。
黒い剣が、ゼストの首を狙う。
だがその瞬間、ゼストは身体を沈めた。
相手の視線の下へ潜り、足を踏む。
配下の体勢がわずかに崩れた。
「ッらあああああ!」
ゼストの短剣が、雷を纏って吸血鬼族の胸へ突き刺さる。
轟雷撃が、内部で爆ぜた。
配下の身体が激しく震え、その赤い目が見開かれる。
ゼストはさらに短剣を押し込み、横へ裂いた。
吸血鬼族の配下は、声もなく崩れ落ちた。
人型魔族の単独撃破。
しかし、勝利の感覚はなかった。
ゼストは荒い息を吐きながら、倒れた配下を見下ろす。
廃坑には、静寂が戻っていた。
「……ピピ」
ゼストはふらつきながら、相棒のもとへ戻った。
ピピは動かない。
胸の傷はあまりにも深く、もう呼吸はなかった。
ゼストは何度も名前を呼んだが、返事はない。
ゼストはピピを背負い、廃坑の入口へと引き返す。
背負われる気のない身体はとても重い。
その重さが、相棒が既に死んでしまったことをゼストに強く感じさせた。
ゼストが廃坑を出ると、外に光はなかった。
夕暮れはとうに過ぎて、空は暗く、雪が降っていた。
白い風が山肌を叩き、視界を奪う。
ゼストは数歩進んだところで、膝から崩れ落ちた。
ピピの身体を背負ったまま、雪の中にへたり込む。
怒るわけでも、叫ぶわけでもない。
ただ、胸の奥にある底のない穴へ沈んでいく感覚だけ。
ゼストは声もなく涙を流した。
頬を伝った涙は、すぐに冷たい雪に混じる。
その後、偶然にも遠征帰りのハイネス一行がその場を通りかかった。
吹雪の中で倒れていたゼストと、背負われたピピの遺体。
廃坑内部に残されたオーガの死体。
吸血鬼族の配下の死体。
殺された審判員。
それらを確認したハイネスの証言により、ゼストは任務達成以上のSPを獲得した。
結果として、ゼスト・マクシムはCランクへ昇格し、歴代最年少プロ勇者となった。
勇者協会本部はその事実を大きく扱ったが、それは勝利の昇格ではなかった。
相棒を失った末の、悲劇の昇格だった。
☆ ☆ ☆
「俺は、自分の実力が足りなかったせいで、相棒を死なせた」
「……」
「ピピが庇わなかったら、俺が死んでた。あいつは俺を守って死んだ」
ゼストの声は震えていなかったが、その平坦さがレスターには痛かった。
「俺がもっと強ければ、足がすくまなければ、反応できていれば……ピピは死ななかったかもしれない」
レスターは何も言えなかった。
慰めの言葉など、軽すぎるからだ。
ゼストはゆっくり息を吐く。
「あんなことは、二度と繰り返したくない」
その言葉に、レスターは胸を刺された気がした。
自分が置いていかれるのではないか。
劣等感は山ほどあるのに、自分のせいで仲間を守れないのが怖い。
そう思っていた自分を、レスターは恥じた。
御託はいらない。
才能がどうとか、成長速度がどうとか、そんなことを並べている場合ではない。
自分にできることは、最初から決まっている。
地道に鍛錬を積むこと。
今できる全力を尽くすこと。
真摯にみんなの盾となることが、自分に任せられた役割なのだから。
レスターは湯の中で両手を握った。
「ゼスト」
「ん?」
「僕は、僕にできることをやる。今より少しでも強くなる」
その声は、先ほどよりずっと落ち着いていた。
「迷っている暇があるなら、みんなの前に立って盾を構えることにするよ」
ゼストは少しだけ目を開いた。
それから、ふっと笑った。
「レスター……俺は、お前となら銀鍵同盟を守り切れるって信じてるから」
その言葉は、レスターの胸にまっすぐ届いた。
ゼストが抱え続けてきた傷。
それを知ったからこそ、レスターは自分の役割をもう一度確かめることができた。
銀鍵同盟の仲間を守る。
自分にできることを、ただ全力で。
レスターの胸の中には、確かな覚悟が灯っていた。




