第49話 温泉女子会
温泉街として知られるペイジには、宿ごとにいくつもの湯が引かれている。
その中でも、銀鍵同盟が泊まることになった宿の露天風呂は、岩造りの湯船から夜空を見上げられる造りになっていた。
肌に触れる夜気は少し冷たい。
けれど、肩まで湯に沈めると、五日間の移動で固まった身体が、ゆっくりほどけていくようだった。
「沁みるわね……」
カレンが、心の底からそう呟いた。
普段のきりっとした表情は、今は完全に緩んでいる。
「だね~」
ヴァニラも湯船の縁に腕を乗せ、ふにゃりと笑った。
「身体が、お湯に溶けていく気がする……」
「同感ですわ……」
エリシアも目を細め、気持ちよさそうに息を吐いた。
空色の長髪は湯に浸からないようにまとめられている。
それでも、湯気に濡れて、普段より柔らかく見えた。
三人はしばらく、何も言わずに湯に浸かっていた。
馬に揺られ続けた腰。
手綱を握り続けた腕。
戦闘で張り詰めていた神経。
自分たちがどれほど疲れていたのか。
湯に浸かることで、かえってそれを実感する。
エリシアは湯面を指先で揺らしながら、ふっと息を吐いた。
「今度は、ゼストさまとも一緒に入りたい……」
カレンが半目になる。
「さっきも大変だったじゃない。男湯と女湯に分かれる直前まで、ゼストから離れなかったし」
「あれは、当然の主張ですわ」
「どこが当然なのよ」
「想いを寄せる殿方と温泉を共にしたい。自然な願いではありませんこと?」
エリシアは少し不満げに頬を膨らませる。
「自然じゃないわよ」
カレンは即答し、ヴァニラの方を見る。
「ヴァニラもそう思うわよね?」
当然、同意が返ってくると思っていた。
しかし、ヴァニラは湯面を見つめたまま、少しだけ頬を赤くしていた。
「私は……ちょっと、エリシアちゃんの気持ち分かるかも」
「えっ……そうなの?」
予想外の返答に、カレンは目を丸くした。
エリシアも興味深そうにヴァニラへ顔を向ける。
「あら、ヴァニラさん?」
ヴァニラは恥ずかしそうに指先をもじもじさせた。
「レスターくんと一緒に入れたらなあって……」
カレンの動きが止まる。
エリシアの目が輝く。
「ヴァニラさん、もしかして……」
ヴァニラは耳まで赤くしながら、小さく頷いた。
「うん……私、レスターくんのことが好きなんだと思う」
湯気の向こうで、しばらく沈黙が落ちた。
先に口を開いたのは、カレンだった。
「気づかなかった……」
「無理もないよ」
ヴァニラは苦笑する。
「私だって、気持ちを自覚したのは最近だし」
「最近って、いつ頃からですの?」
エリシアが身を乗り出す。
完全に恋愛話を聞く姿勢だった。
ヴァニラは湯の中で膝を抱えるようにしながら、ぽつりと話し始める。
「たぶん、夏のカイラブ湖での戦ったとき……かな」
リザードマン隊長との戦い。
こちらの隙を突いた反撃によって、レスターがヴァニラを庇って負傷した場面。
ヴァニラの脳裏に、その時の光景が蘇る。
茂みから飛んできた槍。
自分へ向かって一直線に迫る穂先。
避けられないと思った瞬間、レスターが前に飛び込んできた。
左肩を裂かれながらも、自分の前に立った。
『大丈夫……怪我はないね?』
レスターの声は、いつも通り穏やかだった。
血が流れているのに。
痛いはずなのに。
彼はまず、ヴァニラの怪我を心配した。
「私、自分のせいでレスターくんに怪我をさせちゃったって、すごく申し訳なくて」
ヴァニラの声が少し震える。
「でも、それと同時に……その、変な言い方かもしれないけど」
「うん」
カレンは静かに続きを促す。
「レスターくんが私を抱えるみたいに庇ってくれて、その腕とか背中とか、すごくしっかりしてて」
「まあ……!」
エリシアの目がさらに輝いた。
「顔も近くて、やっぱり綺麗だなって思っちゃって」
「うんうん」
「それに、何より……怖いはずなのに、私を守ることを迷わなかったのが、すごく格好よくて」
ヴァニラは湯の中で顔を半分隠す。
「ときめいちゃったんだと思う」
「聞いているだけでドキドキしてきましたわ……!」
エリシアが胸元に手を当てる。
「負傷しながらも自分より相手を心配する、頼もしく端正な男性……素晴らしいですわね」
カレンが呆れつつも、少しだけ笑った。
「てことは、ペイジまでの移動中はかなりおいしい状況だったわけね」
その一言に、ヴァニラは一気に顔を赤くした。
「う、うん。ずっとドキドキしっぱなしだった」
広い背中に安定した姿勢。
優しく『大丈夫?』と何度も声をかけてくれる気遣い。
ヴァニラにとって、あの五日間は移動の疲労と同じくらい、胸の忙しい時間でもあった。
「で、でも!」
ヴァニラは慌てて両手を振る。
「馬に一人で乗れなかったのは、わざとじゃないよ!?」
「そこは疑ってないから安心して」
カレンはすぐに言った。
「ヴァニラが馬の操作で混乱してたのは、普通に見て分かったし」
「それはそれで恥ずかしい……」
「でも、結果的には良かったのではありません?」
エリシアがにこにこと言う。
「恋のきっかけは、どこに転がっているか分かりませんもの」
「恋……」
ヴァニラはその言葉を小さく繰り返す。
それから、エリシアへ視線を向けた。
「でも、こうやって自分の気持ちに正直になれたのは、エリシアちゃんの影響だから」
「わたくしの……?」
エリシアは目を瞬かせる。
ヴァニラは頷いた。
「エリシアちゃんって、ゼストくんへの気持ちを隠さないでしょ」
「もちろんですわ」
エリシアは胸を張る。
「好きなものを好きと言うことは、淑女の権利ですもの」
「そこまで堂々と言えるの、すごいなって思ってたの」
ヴァニラは少し照れたように笑う。
「私は、自分の気持ちを隠すというより、そもそもちゃんと見ようとしてなかった気がする。レスターくんのこと、素敵だなとか、優しいなとか、一緒にいると安心するなとか、ずっと思ってたのに」
湯気が、三人の間をゆっくり流れていく。
「でも、エリシアちゃんを見てたら、私はレスターくんが好きなんだって、ちゃんと思えたんだよね」
ヴァニラの声は小さい。
けれど、はっきりしていた。
「これからは、私からも少しずつアプローチできたらいいなって思ってる」
エリシアは両手で口元を押さえた。
目が潤んでいる。
「感動……いたしましたわ」
エリシアは湯気の中で、キラキラした目をヴァニラへ向ける。
「わたくしにできることがあれば、何でもおっしゃってくださいっ!」
「うんっ! よろしくね!」
ヴァニラとエリシアは、湯の中で両手を繋いだ。
二人はまるで同盟を結ぶように、楽しそうにはしゃいでいる。
「えぇ……」
カレンは呆れたように息を吐いた。
エリシアの恋愛への前のめり具合に影響されて、ヴァニラまで妙に真剣になっている。
だが、二人の表情は明るい。
戦争前の重さを、一瞬でも忘れさせるような明るさだった。
カレンは湯船の縁に背を預け、夜空を見上げる。
星が湯気に霞んでいた。
ヴァニラはレスターへの気持ちを自覚した。
エリシアはゼストへの恋心を隠さない。
では、自分はどうなのだろう。
頭上に広がる星空に重ねて、カレンの脳裏に移動三日目の夜が浮かぶ。
エリシアとゼストがべったりしているのを見ると、いつも胸の奥に何かが引っかかった。
ゼストはそれを仲間意識や家族愛に近いものだと言った。
確かに、銀鍵同盟は家族みたいなもの……それは今でも本心だ。
けれど、カレンの中には、それだけでは説明しきれない感情があった。
エリシアがゼストの腕に絡むと、面白くない。
ゼストがエリシアに甘い態度をとると、胸がざわつく。
二人きりで話せた夜が嬉しかったし、肩を借りて眠ったことを思い出すと、少しだけ顔が熱くなる。
それは、仲間意識や家族愛とは違う……もっと個人的で、もっと独占欲に近い感情だった。
「……ま、私も同類ってことね」
カレンは自嘲気味に笑った。
「え?」
ヴァニラがこちらを見る。
「何か言った?」
「別に」
カレンは湯に肩まで沈む。
「温泉、気持ちいいなって言っただけ」
「そうだね~」
ヴァニラは疑うことなく笑う。
エリシアは少しだけカレンを見つめた。
何かに気づいたような、気づいていないような表情だったが、今は何も言わなかった。
露天風呂の湯気が、夜空へとのぼっていく。
ペイジの街は、今後さらに戦争の色を濃くしていくだろう。
それでも、今だけは温泉の湯が三人の心と身体をゆっくり温めていた。




