第43話 空色の髪の理由
中央大広場のざわめきが、少し遠く聞こえていた。
エリシアは少しだけ目を伏せ、静かに口を開いた。
「わたくしは、ずっと父の所有物のように扱われてきたのだと思います」
その声は、普段の明るく押しの強い調子とは違っていた。
大広場の冷たい風が、空色の髪を揺らす。
「勇者協会会長の娘。ネルヴァ家の令嬢。政治的な縁談に使われる駒。そういうものとして、ずっと生きてきました」
ゼストは何も言えなかった。
勇者協会会長の娘。
望めば何でも与えられる立場に見えて、その実、自由はない。
「もちろん、恵まれていたとは思いますわ」
エリシアは続ける。
「衣食住に困ることはありませんでした。教育を受ける機会も、回復魔法を学ぶ環境もありました」
金色の錫杖が、彼女の手の中で小さく揺れる。
「でも、わたくしが何をしたいかを訊かれたことは、一度もありませんでした」
その言葉に、ヴァニラが小さく息を呑んだ。
レスターは静かに表情を引き締める。
カレンも、腕を組んだまま黙って聞いていた。
「父は、わたくしを使ってゼストさまと繋がりを持とうとしました。ゼストさまが断れば怒り、処分に利用した。わたくしの気持ちなど、そこにはありませんでした」
ゼストの胸が、鈍く痛んだ。
自分の失言が発端だったのは間違いない。
会長の娘との縁談。
それに対する、最低な拒絶の言葉。
あの一件で、自分は王都を追われて辺境へ来た。
だが、その裏でエリシアもまた、父親の都合に振り回されていたのだ。
「ゼストさまに『デブは無理』と拒絶されたことは、すごく傷つきましたわ」
「……本当に悪かった」
ゼストは深く頭を下げた。
「自分でも最低な発言だったと思ってる」
軽口では済ませられない。
今さら取り消せる言葉でもない。
だから、ゼストは真正面から謝るしかなかった。
エリシアはそんなゼストを見て、ふっと柔らかく笑った。
「良いのです」
「良いことではないだろ」
「いいえ。おかげで、このままでは嫌なのだと、自分の本当の気持ちに気づけましたから」
エリシアは顔を上げる。
その目には、一切の迷いはなかった。
「父に決められた縁談であなたの妻になるのではなく、自分の意思であなたを選び、そして選ばれたい」
エリシアはくすりと笑い、それからまた真面目な声に戻る。
「父の家の中で飾られるのではなく、自分の力で立ちたい。誰かに守られるだけの令嬢ではなく、誰かを救える人間になりたい」
錫杖を握る手に、力がこもった。
「だから、自分を変えるために痩せました」
ゼストはエリシアを見る。
王都で見た彼女とは、まるで別人だった。
体型だけではない。
髪も、表情も、立ち方も、声の張りも違う。
「急激に身体を変えた反動で魔力質まで変わったらしく、金髪ではなくなってしまいました」
エリシアは自分の空色の髪を一房すくい、そっと見つめた。
「最初は戸惑いましたが、変化した自分の象徴だと思うと、この空色の髪も好きになれました」
それは、父の家で飾られていた令嬢ではなく、自分の意思で変わろうとした少女の証だった。
「それから、父や兄の反対を押し切って家を飛び出しました。辺境への船旅の中で、回復魔法にもさらなる磨きをかけました」
ゼストは驚いていた。
ベッドに忍び込んでいた奇行や強引な距離感、カレンを煽るような言動。
その印象が強すぎて、見落としていた。
エリシアはただの我がままな令嬢ではない。
自分の人生を変えるために、本当に動いてきたのだ。
「もちろん、ゼストさまのことはお慕いしていますわ」
エリシアはそこで、少しだけ頬に手を当てる。
「わたくしを変えるきっかけをくれた人ですし、何より、その端正なお顔や確かな実力……一度拒絶されたくらいで嫌いになれるはずがありません」
ゼストは少しむず痒さを覚えつつも、黙って聞いていた。
「しかし、銀鍵同盟に入りたい理由はゼストさまだけではありません」
再び、声が真剣なものに戻る。
「わたくしは、ここで自分の役割を得たいのです」
その言葉は、大広場のざわめきの中でも、はっきりと届いた。
「勇者協会会長の娘ではなく、エリシア・ネルヴァとして」
カレンは黙ってエリシアを見ていた。
「回復役として、皆様の命を支えたい」
エリシアは言う。
「戦場に出る覚悟もあります。血を見て怯えるつもりも、傷を負った仲間から目を逸らすつもりもありません」
沈黙が落ちた。
大広場のざわめきが、遠く聞こえる。
冷たい風が吹き、噴水の水音が小さく響いた。
最初に口を開いたのは、ヴァニラだった。
「……ごめんね。疑うようなこと言って」
「いいえ」
エリシアは首を横に振る。
「あなたの言葉は正しいですわ。覚悟のない者を戦場に連れていくべきではありませんもの」
「うん……でも、今の話を聞いて、分かった」
ヴァニラは柔らかく笑った。
「エリシアちゃん、本気なんだね」
「ええ。本気ですわ」
レスターも穏やかに頷く。
「回復役がいてくれるのは、正直すごく心強いよ。特にタンクとしてはね」
エリシアは少し眉を寄せる。
「怪我を前提にしないでくださいませ」
エリシアはレスターを真っ直ぐ見る。
「でも、もし傷ついたなら、必ずわたくしが治してみせますわ」
「ありがとう。頼りにしてる」
レスターは素直に頭を下げた。
カレンはしばらくエリシアを見ていた。
そして、ふんっと鼻を鳴らす。
「まあ、戦場で頼れる回復役なら歓迎するわ」
そう言って、カレンはエリシアへ手を差し出した。
エリシアは少し驚いたように目を開く。
カレンから差し出された手。
それは、ただの握手ではない。
銀鍵同盟の一員として迎えるという意思表示だった。
エリシアは嬉しそうにその手を取った。
「よろしくお願いいたしますわ、カレンさん」
二人の手が、しっかりと握られる。
その様子を見て、ヴァニラがぱっと笑った。
「じゃあ、五人目の銀鍵同盟だね!」
レスターも穏やかに頷く。
「うん。これで、パーティとしての形もかなり整うと思う」
ゼストはエリシアを見る。
「本当にいいんだな?」
「ええ」
「銀鍵同盟に入るってことは、危険な任務にも出る。今回なんて、いきなり戦争だぞ」
「望むところですわ」
エリシアは迷わず答えた。
その顔には、恐怖がないわけではない。
しかし、逃げる気もなかった。
ゼストは少しだけ息を吐く。
「分かった」
そして、右手を差し出した。
「ようこそ、銀鍵同盟へ。エリシア」
エリシアは満面の笑みでその手を取った。
「はいっ。末永くよろしくお願いいたしますわ、ゼストさま」
カレンがじとっとゼストを見る。
「嬉しそうね」
「いや、そういうんじゃなくてだな」
「ふーん」
ヴァニラがくすくす笑い、レスターも肩を揺らす。
エリシアも楽しそうに微笑んでいた。
勇者協会会長の娘ではなく、誰かの所有物でもなく、自らの意思で役割を選んだ少女。
空色の髪を揺らしながら、彼女は銀の鍵で繋がるパーティへと足を踏み入れた。




