第40話 妥当(?)な罰
真夜中の王都ハイデンダルク。
勇者協会本部の最上階近くにある、Sランクパーティ専用区画。
その一室で、床を磨く音だけが虚しく響いていた。
「……なぜこの僕が、こんな下働きを……」
勇者協会会長の息子――キリアン・ネルヴァ。
キリアンは雑巾を握りしめながら、恨めしそうに床を見下ろした。
高級な絨毯は端に寄せられ、机の上には磨き途中の銀杯。
棚には書類が無造作に詰め込まれ、床には泥の跡。
遠征帰りの装備から落ちた砂や草くずまで散らばっている。
それらを片づけているのは、栄光あるSランクパーティの新メンバー。
……という名目の、雑務係だった。
「当たり前だろ」
部屋の奥のソファに寝転がっていた男、カガミが容赦なく言った。
「お前、パーティのお荷物なんだから」
「お、お荷物……!?」
キリアンの顔が赤くなる。
「僕は勇者協会会長の息子だぞ!」
「だから?」
「なっ……」
カガミは欠伸をしながら、足を組み替えた。
「ほら、手ぇ止まってるぞ。そこ、まだ汚れてる」
「くっ……!」
キリアンは屈辱に震えながらも、床を拭く手を再開した。
ゼスト・マクシムが黒之剣から更迭されてから、しばらく後。
キリアンは新メンバーとして黒之剣に加入した。
表向きには、厳正な協会内選考を経ての補充。
だが、実際の事情は少し違う。
勇者協会会長は元来、息子であるキリアンを、どうにかして黒之剣に入れたがっていた。
しかし、キリアンに特別な才能があるわけではない。
剣も魔法も、名門の子息として最低限の教育を受けた程度。
Sランクの黒之剣に入れるほどの実力は、当然ない。
それでも、会長としての面子がある。
強引に息子を押し込んだと思われるのは避けたかった。
そんな折、ゼストが会長の娘、エリシアへ失言したという報告が上がった。
会長は、それを幸運と見た。
ゼストに対して、更迭という重い処分を下す。
そして、すぐにキリアンを入れると露骨すぎるため、数か月の間を空けてから加入させた。
しかし、ゼストの抜けた穴は、あまりにも大きかった。
十月の最終週時点で、黒之剣はSランク一位から二位へ転落していた。
「……あっ、やっぱその棚、あっちにやって」
カガミが不意に言う。
キリアンは棚を抱えたまま固まった。
「さっきと言ってること真逆じゃないか!」
「気が変わった」
「横暴だ!」
「お前なんかを抱えてるから、黒之剣は首位から落ちたんだぞ」
カガミは面倒くさそうに言った。
「罰だよ、罰」
「罰が重い気がする……」
「妥当だろ」
「どこがだ!」
キリアンが叫んだ、そのときだった。
扉が開く。
入ってきたのは、黒之剣の一人、レンダだった。
「カガミ、聞きました?」
「あ?」
「ゼスト、二か月くらい前にプロ復帰したらしいですよ」
カガミの動きが止まった。
「……へー」
彼は少しだけ目を細める。
黒之剣は長期遠征に出ていたため、その手のニュースが届くのが遅れていた。
そのため、カガミがそれを知ったのは今が初めてだった。
カガミはソファの背に頭を預けた。
「分かってきたんじゃねーの? 『パーティの戦い方』ってやつがよ」
そう言って、カガミは小さく笑った。
☆ ☆ ☆
「ぶぇっくしょい!」
遠き辺境の地ルカリスにて、ゼスト・マクシムは大きなくしゃみをして目を覚ました。
自室のベッド。
柔らかい布団。
窓の外は、まだ朝の光が淡い。
「……誰か噂してやがるな」
寝ぼけた頭で、そんなことを呟く。
そして、次の瞬間。
「――おはようございます。ゼストさまっ」
すぐ隣から、知らない少女の声がした。
「……ん?」
ゼストはゆっくりと顔を横に向ける。
そこにいた。
空色の長い髪。
整った顔立ち。
白い肌。
朝の光を受けて、どこか幻想的に見える美少女。
しかも、寝間着にしてはあまりにも無防備な格好だった。
彼女は、当然のようにゼストのベッドへ潜り込んでいた。
「……」
ゼストは一回、二回、三回と瞬きした。
しかし、状況は変わらない。夢ではないようだ。
「あぁ……えーっと」
ゼストは慎重に口を開いた。
「どなた?」
空色の髪の少女は、口元に手を当てて笑った。
「ふふっ……やっぱり、お気づきになられませんよね」
「いや、気づくも何も、初対面だと思うんだけどな?」
「本当に?」
「本当に」
「では、ヒントを差し上げます」
少女は楽しそうに目を細めた。
「――デブは無理、でしたっけ?」
ゼストの背筋が、ぞくりとした。
眠気が一瞬で吹き飛ぶ。
「え」
ゼストは少女を凝視した。
「君は……いや、だって、金髪じゃないし……見た目も全然違っ……」
少女はにこりと笑う。
そしてゼストが固まっている間に、少女は当然のように仰向けのゼストの上に跨り、はっきり名乗った。
「お久しぶりです、ゼスト様。わたくし、勇者協会会長の娘――エリシア・ネルヴァですっ!」
「嘘だろ……」
ゼストの顔から血の気が引いた。
「ここ、辺境だぞ?」
「……来てしまいましたっ!」
ゼストは頭を抱えたくなった。
エリシア・ネルヴァ。
勇者協会会長の娘。
そして、ゼストが黒之剣を更迭される原因になった失言の相手。
あのときの彼女と、目の前の少女はあまりにも印象が違う。
体型も、髪色も、雰囲気も。
だが、声。
そして、妙に押しの強い言動。
間違いない。
「いや、待て。そもそもどうやってこの家に入った?」
「細かいことは気にしないでください」
「気にするだろ。家の防犯が死んでるんだぞ」
そのとき、廊下から足音が聞こえた。
「ゼストー? いつまで寝てんのよ」
扉が開く。
カレンが顔を覗かせた。
「朝食冷めるわ――」
固まった。
ベッドの上のゼスト。
その上に跨る、薄着のエリシア。
どう見ても、朝から言い逃れの難しい構図。
沈黙。
カレンの目が、すっと細くなる。
「……は?」
ゼストは冷や汗を流した。
「あー、カレンさん? 俺もさ、この状況をよく分かっていなくてー、ははは……」
乾いた笑い。
その横で、エリシアはにっこりと微笑んだ。
「あらっ?」
そして、わざとらしくゼストに身を寄せる。
「こちらは朝からずいぶんお元気ですことっ」
そう言ってゼストに跨りながら腰を動かし、煽るようにカレンを見るエリシア。
カレンのこめかみが、ぴくりと動く。
そして、硬く拳を握った。
「――死刑ッ! うらあああああ!」
「うわあああああ! 罰、重くねえええええ!?」
次の瞬間、銀鍵同盟の家に、ゼストの断末魔が響き渡った。
辺境のFランパーティを率いて出直した元No.1プロ勇者。
更迭から九か月。
銀鍵同盟加入から三か月。
彼はついに、Cランク昇格とプロ復帰を果たした。
だが、彼の波乱に満ちた再出発は、まだまだ終わりそうになかった。
これにて第一部終了です。ここまで読んでくださった方、お疲れさまでした。
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ゼストと銀鍵同盟の物語はまだ続きます。第二部もよろしくお願いします!




