第38話 とどめの一撃
目の前の獲物に、ようやく本命が現れた。
カナゼルの表情からは、そう読み取れた。
ゼストは一瞬だけ背後を振り返る。
カレン。
レスター。
気絶しているヴァニラ。
三人とも限界に近い。
特にヴァニラは完全に意識を失っている。
レスターの左肩も血で濡れていた。
カレンも息が上がっている。
「レスター、ヴァニラを連れて下がれ」
「分かった」
レスターは即座に頷いた。
「カレン」
「なによ」
ゼストはカレンのそばへ寄り、耳元で短く囁いた。
その内容に、カレンの目がわずかに見開かれる。
「信じてるぞ」
ゼストは短く返した。
カレンは一瞬だけ不満そうに眉を寄せたが、すぐに紅椿を握り直す。
「分かったわよ」
レスターは気絶したヴァニラを背負った。
「ゼスト、無茶はしないで」
「ああ、分かってる」
ゼストは軽く笑った。
その間にも、カナゼルは余裕を崩さない。
「作戦会議は終わったかな?」
「ああ。待ってくれるなんて、意外と紳士的だな」
「君が逃げるとは思っていないからね」
「そりゃどうも」
レスターがヴァニラを背負って下がる。
カレンも気配を殺し、闇の中へ消えるように距離を取った。
カナゼルはそれを見ていた。
だが、追わない。
視線はずっとゼストに向いていた。
その判断を見て、ゼストは内心で息を吐く。
――こいつ、俺しか見てねえな。
それなら、やりようはある。
「さて」
カナゼルが片手を上げる。
「楽に死ねると思わないことだね」
空間が歪む。
次の瞬間、大小さまざまな鋼鉄の剣が数十本、カナゼルの周囲に生成された。
短剣。長剣。大剣。刺突剣。曲刀。
それらが四方八方からゼストへ刃先を向ける。
「避けてみたまえ」
カナゼルの指が動いた。
鋼鉄の剣が一斉に飛ぶ。
剣が通り過ぎる。
足元に突き刺さる。
頭上から降る。
背後から追う。
だが、ゼストには当たらない。
髪をかすめる距離。
頬を裂く寸前。
服の端を切る程度。
それでも、身体そのものには届かない。
「やるねえ」
カナゼルが呟く。
「そっちこそ、よくもまあ器用に何本も動かすもんだ」
ゼストは走りながらロッドを振るう。
「爆火炎!」
火球が飛ぶ。
カナゼルは横へ避ける。
その動きに合わせて、ゼストはさらに詠唱した。
「群地槍!」
カナゼルの足元から岩の槍が突き上がる。
だが、カナゼルはその直前に跳んでいた。
宙に浮いた彼へ、ゼストは雷を撃ち込む。
「貫雷撃!」
青白い雷が走る。
カナゼルは空中で鋼鉄剣を足場のように使い、身体を捻って避けた。
「器用なのは君も同じだろう?」
「まあな」
ゼストはすぐに次の剣をかわす。
そして属性を変え、タイミングをずらし、角度を変えて攻める。
だが、カナゼルも手練れだった。
避けて、防ぎ、剣で相殺する。
互いに決定打が入らない。
戦場には、鋼鉄の剣と魔法の残滓が散っていく。
ゼストは一度、大きく距離を取った。
このままでは埒が明かない。
ならば、別の角度から崩す。
「お前ら」
ゼストは呼吸を整えながら言った。
「最低でも一か月以上、辺境を調査しているな?」
カナゼルの目が細まる。
「答える気はないね」
「なにが目的だ?」
「君が知ってもどうしようもないことだ」
ゼストは鋼鉄剣を避けながら続ける。
「じゃあ質問を変える」
ロッドを回し、飛んできた剣を弾く。
「なぜ俺の名前を知っている?」
カナゼルの表情が、わずかに変わった。
それは本当にわずかだったが、ゼストは見逃さなかった。
――揺れたな。
ここを突く。
「俺はお前のことを知らない。なのに、お前は俺を知っている」
ゼストは笑う。
「有名人ってのは困るな。知らない奴から恨まれる」
「……」
「どうした? そこは答えないのか?」
カナゼルの周囲に浮かぶ剣が、ぎしりと音を立てる。
次に彼が口を開いたとき、声は先ほどまでより低かった。
「――リゼルという魔族を覚えているか?」
「おいおい」
ゼストは肩をすくめる。
「質問してるのはこっちだぞ?」
「いいから答えろ!」
初めて、カナゼルの表情が崩れた。
怒りと憎しみ。
それらが、整った顔に浮かび上がる。
同時に、鋼鉄剣の軌道が少し変わった。
直線的かつ力任せになったことで、途端に読みやすくなる。
ゼストはそれを確認し、さらに口角を上げた。
「リゼル、リゼルねえ……」
飛んできた剣を身を沈めてかわす。
「どっかで聞いたことあるけど……覚えてないな!」
「……っ!」
カナゼルの顔に、明確な憎悪が走った。
「ふざけるな!」
鋼鉄剣が一斉に飛ぶ。
「前の冬に貴様が焼き殺した魔族だ! 覚えていないとは言わせない!」
前の冬。
ハイポリオン家の領内に遠征に行っていた頃。
ゼストは頭の中で、その名を反芻する。
「あ」
思い出した。
「あの、前口上が長すぎて全部聞く前に殺した奴か!」
あえて、軽く言った。
カナゼルの目が見開かれる。
「貴様……!」
「いやあ、いたな。なんか名乗りが長かったから、途中で面倒になって焼き殺したんだった」
「――リゼルは私の弟だ!」
空気が震えた。
怒りが、魔力となって漏れ出している。
ゼストはそれを見て、さらに踏み込んだ。
「へえ……」
偽悪的に笑う。
「――骨は拾えたかい、お兄さん?」
リゼルを骨一つ残らず焼き尽くしたことは覚えていたし、言っていて胸糞は悪かった。
だが、今は綺麗事を選べる状況ではない。
目の前の相手を崩すために、必要なことだった。
「ゼスト・マクシムゥゥゥッ!」
カナゼルの怒りが頂点に達した。
周囲の鋼鉄剣が震え、同時に、彼の手元に火球が生まれる。
今まで見せていなかった魔法。
「爆火炎!」
「爆火炎!」
ゼストも同時に火球を放った。
二つの爆炎が正面からぶつかる。
爆音と熱風。
土と草と焦げた木片が巻き上がり、辺り一面に粉塵が広がった。
視界が奪われる。
「どこだ……」
ゼストの声が、粉塵の中に落ちた。
その背後。
剣を抜いたカナゼルが迫る。
手には、魔力で生成したものではない実体の長剣。
殺意を込めた刃が、ゼストの背中へ振り下ろされようとした。
「死ね! ゼスト・マクシム!」
だが、その直前。
カナゼルの目が細まった。
「――などと、騙されると思ったか!」
カナゼルは振りかぶった剣を止め、背後へ振り返る。
そこに、本体のゼストがいた。
短剣を抜き、背後から斬りかかっている。
カナゼルの長剣と、ゼストの濃紺の短剣がぶつかった。
金属音が鳴り響き、鍔ぜり合いになる。
「ちっ……バレてたか」
「粉塵が上がったときに魔影分体と入れ替わったんだろ?」
カナゼルは憎悪を滲ませながら笑う。
「バレているんだよぉ! 忌々しい勇者が!」
その言葉と同時に、カナゼルの背後にいるゼストの魔影分体へ鋼鉄剣が飛ぶ。
魔力で生成された身体を、複数の剣が貫いた。
魔影分体は揺らぎ、闇へ溶けるように消滅する。
「……じゃあ、キレたのも演技か?」
ゼストが問う。
「半分本気だよ」
カナゼルは剣に力を込める。
「君のことは殺したいし、憎んでいるからね」
鍔ぜり合いの圧が増す。
「でも同時に、君の実力は認めているんだ。さっきの雑魚はともかく、君に油断することはないよ」
「へえ……」
ゼストは短く返した。
次の瞬間。
ゼストは、短剣を握っていない左手で、カナゼルの長剣を掴んだ。
「なっ!?」
刃が掌を裂き、血が流れる。
それでも、ゼストは握る力を緩めない。
カナゼルの剣が、動かなくなった。
「馬鹿な……!」
「認めてんのは」
ゼストの口元がわずかに上がる。
「俺の実力だけだってさ」
その言葉に、カナゼルの目が見開かれる。
ゼストは叫んだ。
「――カレン!」
次の瞬間、カナゼルの視界がぐるりと回転した。
何が起きたのか、カナゼル自身もすぐには理解できなかった。
自分の身体が見える。
首から上を失った自分の身体が。
背後に立つのは、紅蓮の刀身を振り抜いたカレン。
紅椿の刃が、カナゼルの首を刎ねていたのだ。
「な、なぜ……」
カナゼルの首が地面を転がる。
ゼストは血の滴る左手を押さえながら、転がった首を覗き込んだ。
「俺ばっかり気にしやがって」
そして、静かに言う。
「――銀鍵同盟のエースを舐めすぎだ」
カレンは紅椿を振り払い、ふんっと鼻を鳴らした。
不機嫌そうだった。
だが、その剣先はわずかにも震えていない。
「こんな……」
カナゼルの口が動く。
「こんな惨めな死に方……あって、たま、る、か……」
その目から力が抜けていく。
ハイポリオン家配下、カナゼル。
ゼストへの復讐を掲げ、弟の仇を討とうとした人型魔族は、その因果とは無関係の少女によって首を落とされ、絶命した。
周囲に静寂が落ちる。
燃える家の音も、遠くの村人の声も、少し遅れて戻ってきた。
ゼストは息を吐く。
「ふぅ……」
その直後、カレンがじろりと睨んだ。
「『必ず隙を作るからとどめはお前が刺せ。それまで姿を隠しておけ』だなんて雑な指示、よくしてくれたわね」
それは、ゼストが逃がす前にカレンにだけ耳打ちした内容そのものだった。
カレンの真っ当な抗議に、ゼストは頭を掻く。
「いや、まあ、時間なかったし」
「あれで失敗したらどうするつもりだったのよ」
「そのときはそのときだ」
ゼストは右手の短剣を収め、血の流れる左手を少し掲げた。
「カレンなら上手くやってくれるって信じてたぜ」
そして、その左手で拳を作り突き出す。
「ありがとな」
カレンは少しだけ目を逸らした。
不満げで、呆れたような顔。
それでも、どこか満更でもない表情の少女。
「もう……しょうがない奴」
カレンは紅椿を鞘に戻す。
そして、ゼストの左拳に、自分の右拳を軽く合わせた。
それは死線を越えたあとに交わされた、ささやかな勝利の証だった。




