第34話 奇襲返し
前方には、リザードマン戦士三体。
後方から、通常リザードマン六体。
逃げたリザードマン隊長を追いたい気持ちはある。
だが、その前に目の前の敵を処理しなければならない。
湿った林の中。
土と水の匂い。
雷撃の余韻で、空気がわずかに痺れている。
カレンは息を吐いた。
紅椿の刀身に纏わせた火炎が、揺らめく。
「行くわよ」
次の瞬間、カレンは地面を蹴った。
ぬかるんだ足場をものともせず、一気に前へ出る。
リザードマン戦士の一体が槍を構えた。
だが遅い。
カレンは槍の穂先を紅椿で弾き上げ、そのまま懐へ潜り込む。
「はぁっ!」
炎を纏った斬撃が、リザードマン戦士の胴を斜めに叩き斬った。
『ギャァアッ!?』
鱗が裂け、肉が焼ける。
血と焦げた匂いが混じった。
リザードマン戦士はその場に崩れ落ちる。
残る二体が、わずかに後ずさった。
仲間が一瞬で斬られた。
しかも、炎を纏う剣によって。
獣じみた顔にも、確かに怯みが走っていた。
「どうしたの?」
カレンは紅椿を振り払い、低く言う。
「来ないなら、こっちから行くわよ」
一方、通常リザードマン六体は、レスターとヴァニラが相手取っていた。
「レスターくん、右から三体!」
「了解!」
レスターが大盾を構える。
通常リザードマンたちが曲刀を手に、左右から迫る。
湿地に慣れた足運び。
低い姿勢で、水辺の魔物らしい素早さがある。
だが、今のレスターは簡単には崩れない。
「誘陣!」
レスターの声と共に、周囲の敵意が彼へ集まる。
通常リザードマンたちの視線が、レスターへ向いた。
曲刀が大盾へ殺到する。
金属音が連続して響く。
レスターは受け、いなし、押し返す。
大盾の表面に刻まれた銀鍵同盟のエンブレムが、湿った木漏れ日の中で鈍く光った。
「ヴァニラ!」
「任せて!」
ヴァニラが杖を掲げる。
「群雷撃!」
複数の雷撃が、レスターの盾の隙間を縫うように走った。
迫っていた通常リザードマンたちの身体が跳ねる。
『ギッ!?』
『ギャッ!?』
痺れて動きが鈍る。
そこへ、レスターが踏み込んだ。
盾で一体を弾き飛ばし、剣でもう一体を斬る。
さらに、横から迫った三体目を大盾の縁で殴りつける。
残った通常リザードマンが体勢を立て直す前に、ヴァニラが追加の雷撃を撃ち込んだ。
「もう一回! 雷撃!」
青白い閃光が走る。
リザードマンの動きが止まる。
「はぁっ!」
レスターの剣が、その胸を貫いた。
さらに二体。
ヴァニラが足止めし、レスターが叩き切る。
役割が定まった二人の連携は、噛み合っていた。
「よしっ!」
ヴァニラが叫ぶ。
通常リザードマン六体は、すべて地に伏していた。
残るは、リザードマン戦士二体。
カレンはそのうち一体へ、すでに斬り込んでいた。
「邪魔!」
リザードマン戦士が曲刀を振るう。
カレンは身を沈めてかわし、そのまま懐へ飛び込んだ。
紅椿の炎が、さらに強く揺れる。
紅蓮の刀身が、リザードマン戦士の胸部を貫いた。
『ガッ……!』
リザードマン戦士が血を吐く。
「次っ!」
カレンはすぐに剣を抜き、もう一体へ移ろうとした。
――だが。
「……っ!?」
――抜けない。
紅椿が、敵の胸に刺さったまま動かない。
カレンは力を込める。
「なっ!?」
リザードマン戦士は、死にかけながらも両手で紅椿の刀身を掴んでいた。
炎が鱗と手の肉を焼く。
焦げた匂いが立ち上る。
それでも、離さない。
『ギ、ギギ……ッ!』
血を吐きながら、リザードマン戦士が喉を鳴らす。
まるで、何かを叫ぶように。
カレンは瞬時に判断した。
剣を抜けないなら、一度手を離して距離を取る。
しかし、その直前。
「――痛っ!」
背後へ引こうとしたカレンの頭が、強く引かれた。
椿色のサイドテール。
それを、リザードマン戦士の片手が掴んでいた。
「このっ……離せっ!」
カレンは身を捩る。
だが、リザードマン戦士は死にかけとは思えない力で、髪を掴んで離さない。
自分の命を使って、カレンをその場に縫い止めていた。
その意図に気づいた瞬間、カレンの背筋に寒気が走る。
もう一体のリザードマン戦士が、槍を構えていた。
『ギィィィィアアアアッ!』
慟哭。
仲間ごと貫くつもりだ。
槍の穂先が、カレンと、胸を貫かれた仲間へ向けられる。
「カレンちゃん!」
ヴァニラが叫ぶ。
槍が走る、その瞬間。
「させるかぁッ!」
レスターが割り込んだ。
大盾を前面に構え、カレンの横へ滑り込む。
槍の穂先が、大盾に激突した。
重い衝撃により、レスターの足がぬかるみに沈む。
だが、踏みとどまった。
レスターの身体に、淡い闘気が走る。
「押し――返すッ!」
レスターは盾を斜めに弾いた。
槍の軌道が逸れて、リザードマン戦士の体勢も崩れる。
その隙を、レスターは逃さない。
守備から攻撃へ。
一か月の修行で身体に叩き込んだ流れ。
「はぁっ!」
剣が袈裟に走った。
リザードマン戦士の肩口から胸へ、深く斬撃が入る。
『ギャアッ……!』
槍を持ったリザードマン戦士が崩れ落ちた。
同時に、カレンの髪を掴んでいた方の個体の力も抜ける。
胸を貫かれたリザードマン戦士は、最後まで紅椿を掴んだまま、息絶えた。
カレンはようやく剣を引き抜く。
紅椿の刀身に付いた血が、炎でじゅっと焼けた。
「二人とも、大丈夫!?」
ヴァニラが駆け寄る。
「大丈夫……」
カレンは少し乱れた髪を押さえながら息を吐く。
「しぶとかったわね」
「本当に」
レスターも肩で息をしていた。
「あんなことしてくる敵、今まで出会ったことなかったよ」
「命を使って足止めしてきた」
ゼストが近づきながら言う。
「敵ながら、覚悟が決まってるな」
カレンは地面に倒れたリザードマン戦士を見る。
胸を貫かれ、炎で焼かれ。
それでも仲間のために、最後まで剣を掴んで離さなかった。
魔族。敵。討伐対象。
それは間違いない。
しかし、ただの獣ではなかった。
そこには、仲間のために命を使うだけの知性と意思が確かにある。
「……嫌な戦い方するわね」
カレンが呟く。
「そういう相手ってことだ」
ゼストは林の奥へ視線を向ける。
リザードマン隊長は、二体の戦士を連れて逃げた。
追いたいところではある。
しかし、三人には疲弊が見えた。
無理に追えば、逆に崩れる。
ゼストが判断を下す。
「ここで一度、態勢を整えよう」
カレンは悔しそうに林を見る。
「……分かった」
レスターも頷く。
「うん。僕も賛成だよ」
「私たち、まだ相手の全力を見切れてないもんね」
ヴァニラも杖を握り直しながら言った。
空気が、少し緩んだ。
通常リザードマンも、リザードマン戦士も倒した。
隊長は逃がしたが、敵の本隊には大きな損害を与えた。
いったん退く選択も悪くない。
そう思った――次の瞬間。
「――あぶないっ!」
レスターが叫んだ。
考えるより先に、大盾を動かそうとした。
だが、間に合わない。
レスターは盾を捨ててヴァニラの前へ飛び込んだ。
茂みの奥から、槍が飛翔していた。
鋭い投擲。
夕暮れ前の光を裂くように、一直線にヴァニラへ向かっていた。
「レスターくんっ!?」
レスターがヴァニラを抱き、覆うように庇う。
槍の穂先が、レスターの左肩を裂いた。
「ぐっ……!」
血が飛び、深い傷口から赤が滲む。
レスターは片膝をつきかけながらも、ヴァニラに顔を向ける。
「大丈夫……怪我はないね?」
「どこが大丈夫なの!?」
ヴァニラが顔を青くする。
ゼストは即座にロッドを構える。
レスターの治療より先に、視線は槍が飛んできた方へ向いていた。
茂みが揺れる。
そこから、三つの影が現れた。
リザードマン隊長。
そして、付き従うリザードマン戦士二体。
逃げたはずの敵が、戻ってきた。
いや、逃げたのではない。
待っていたのだ。
こちらが気を緩める、その瞬間を。
カレンは紅椿を構え直し、低く言う。
「逃げたわけじゃなかったってことね」
リザードマン隊長は喉を鳴らした。
その目には、獣の怒りだけではない。
冷えた知性があった。
仲間を犠牲にして足を止め、追撃を誘う。
追ってこなければ、気が緩んだ瞬間に奇襲を返す。
まるで、こちらの判断まで読んでいたかのようだった。
ゼストはロッドを握り、目を細める。
「奇襲返し……」
思わず、声が漏れた。
「本当にただの隊長クラスかよ」
『この夏を乗り越えた、練度も組織性も共に高い群れです』
出発前のメイの言葉が、ゼストの脳裏に蘇る。
リザードマン隊長討伐任務――最終局面、開始。




