第32話 銀の鍵で繋がる家族
家の中に入ると、魚を焼く香ばしい匂いと、温かいスープの湯気が銀鍵同盟を迎えた。
「たいしたものは出せませんけど……どうぞ、食べてください」
ラッカの母親が、少し申し訳なさそうに料理を並べる。
「いや、十分すぎますよ」
レスターが丁寧に頭を下げた。
食卓には、焼き魚、魚と野菜の煮込み、湖で採れた小エビの炒めもの、黒パンが並んでいた。
村の暮らしらしい素朴な料理だが、移動と戦闘を終えた身体には、これ以上ないご馳走に見える。
ヴァニラが煮込みを一口食べて、目を輝かせる。
「おいしい……!」
「本当ね。魚の出汁がすごく出てる」
カレンも素直に感想を漏らす。
ラッカの母親はほっとしたように笑った。
「よかった。村の料理ですから、街の方の口に合うか不安で」
「めちゃくちゃ美味いです」
ゼストも焼き魚をほぐしながら言う。
「遠征先でこういう飯食えるの、物凄くありがたいですよ」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
食卓の空気は、少しずつ和らいでいった。
ラッカは最初こそ助けられた直後の緊張が残っていたが、食事が進むにつれて、だんだんと元気を取り戻していく。
そして、魚を食べながら目を輝かせた。
「僕も、いつか勇者さまになりたいな」
その一言に、母親の手が止まった。
「ラッカ……」
「だって、今日すごかったんだ!」
ラッカは興奮気味に続ける。
「デカい兄ちゃんが、盾でリザードマンをどーんって吹き飛ばして! 赤い姉ちゃんの剣が燃えてて! 小っちゃい姉ちゃんの雷もすごくて! 青い兄ちゃんは足を光で治してくれて!」
ラッカの父親が豪快に笑った。
「男なら一度は憧れるもんだ。勇者ってのはな」
「あなたまで……」
ラッカの母親は困ったように眉を下げる。
「勇者さまには感謝しています。でも、危ない仕事でしょう? 毎回命がけでしょうし……」
「母ちゃん、でも――」
「――でもじゃありません」
母親はラッカを見つめる。
叱っているというより、心配でたまらないという顔だった。
その表情を見て、カレンは少しだけ目を細めた。
「……懐かしい」
カレンがぽつりと言う。
ラッカの母親が顔を上げた。
「私も、勇者になるとき母に反対されました。最後の最後まで」
「カレンさんも?」
「はい。父は職業勇者だったので、どちらかというと賛成してくれたんですけど」
カレンは少し苦笑する。
ラッカの母親は、静かにその言葉を聞いていた。
「私も、ちょっと似てるかも」
「ヴァニラ姉ちゃんも?」
ラッカが興味深そうに訊く。
「うん。私はお爺ちゃんとお婆ちゃんに育ててもらったんだけど、独り立ちして勇者になるって言ったとき、すごく反対されたよ」
ヴァニラはスープの器を両手で包みながら、懐かしそうに笑う。
「危ないからやめなさいって。魔法が使えるなら、もっと安全な仕事もあるって」
「それでも勇者になったんだ」
ヴァニラは少し照れたように笑って頷く。
「怖いことも多いけど、今はなってよかったと思ってるよ」
レスターも穏やかな声で続ける。
「僕も、実家に年の離れた弟がいるんだ」
「弟?」
「まだ小さくてね。今日のラッカくんを見たときに、少し思い出したんだ」
レスターはラッカに柔らかく笑いかける。
「だから、助けられて本当によかったよ」
ラッカは少し照れたように視線を逸らした。
父親が笑い、母親がほっとしたように息をつく。
カレンやヴァニラ、レスターも、家族の話をしながら穏やかな表情を浮かべている。
温かい食卓。
親が子を心配し、子が夢を語る。
家族の記憶を、それぞれが自然に口にする。
その空気の中で、ゼストは少しだけ居心地の悪さを覚えた。
「……悪い。ちょっと外の空気吸ってくる」
「ゼストくん?」
ヴァニラが顔を上げる。
「日中暑かったからな。少し涼んでくるだけだ」
ゼストは軽く笑って席を立った。
誰かに止められる前に、家の外へ出る。
扉が静かに閉まった。
夜の村は、昼間とは違う静けさに包まれていた。
遠くで虫が鳴いていて、湖の方から湿った風が吹いてくる。
村の家々には小さな灯りがともり、その明かりが暗い土の道にぼんやりと滲んでいた。
ゼストは家の壁に背を預ける。
空を見上げると、月が出ていた。
「……家族、ね」
口に出すと、ひどく遠い言葉に聞こえた。
少しして、扉が開く音がした。
「ゼスト」
「……レスターか」
「少し、気になって」
「顔に出てたか?」
「少しだけ」
レスターはゼストの隣に立つ。
無理に踏み込むでもなく、ただ横にいる。
そういう距離の取り方が、レスターは上手い。
ゼストはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「前に、浴場で少し話したよな。俺が王都のスラム出身だって」
「うん」
ゼストは月を見たまま続けた。
「俺、父親とは一度も会ったことがないんだ」
レスターは何も言わない。
「母親はいた。でも、まあ……親らしい親ではなかったな。基本的に、暴力を受けてた」
夜風が吹く。
ゼストの声は、あくまでも淡々としていた。
「身体の傷痕見ただろ? あれ、戦いで負った傷だけじゃなくて、母親にやられたものも混じってる」
「……そうだったんだね」
レスターは静かに答えた。
同時に、胸の中で一つの違和感が消えていくのを感じていた。
ゼストは元Sランク勇者だ。
戦闘で多くの傷を負ってきたとしても不思議ではない。
けれど、戦闘で負った傷なら、癒光やポーションである程度は治る。
痕にならずに済むものも多い。
それなのに、ゼストの身体には古い傷が多かった。
その理由が、今ようやく分かった。
「その母親とも、俺が十歳になる頃に死別した」
ゼストは続ける。
「それから職業勇者になるまでは、生き延びるために、あんまり人には言えないようなこともしてきた」
「……」
盗み、騙し、喧嘩もした。
誰かに迷惑かけて、誰かを蹴落として生きていた。
そんな過去を思い出し、ゼストは自嘲気味に笑う。
「生きるのに必死だった……なんて、言い訳にはならないけどな」
「ゼスト……」
「だから俺は、みんなが言うようなまともな家族の姿を知らない」
その声が、少しだけ低くなった。
「親が子どもを心配するとか。子どもが夢を語って、それを笑って聞く父親がいるとか。そういうの、正直、あんまり実感が湧かない」
勇者になった。
強くなって一時はSランクまで上がった。
それでも。
「どれだけ勇者としての実力や名声を積み重ねても、心のどっかに埋まらないものがあった」
ゼストはそう言って、少しだけ笑った。
「なんか、柄にもない話してるな」
「そんなことないよ」
レスターはゆっくり首を振る。
「話してくれて、ありがとう」
「礼を言われるような話でも――」
「――銀鍵同盟じゃ不満なの?」
突然聞こえた声に、ゼストの肩が跳ねた。
家の影から、カレンが出てくる。
「カレン……聞いてたのか」
「盗み聞きするつもりはなかったんだけど……」
カレンは少し気まずそうに視線を逸らす。
「ただ、様子が変だと思ったから」
「いや、まあ……」
「で、どうなの?」
カレンはゼストを見た。
「私たちに不満があるわけ?」
「不満って……」
ゼストは戸惑う。
「そりゃ、パーティには不満はねーよ。みんなよくやってくれてると思うし」
「そういう意味じゃなくって……」
カレンは少し言葉に詰まる。
そのやり取りを見て、レスターは小さく苦笑した。
やれやれ、という顔だ。
カレンは首元に手を伸ばした。
そこには、紐を括りつけた銀の鍵。
カレンはそれを握りしめながら、少しだけ頬を赤くした。
「私は――家族、みたいなものだと思ってたんだけど」
ゼストは目を見開いた。
「……家族?」
「そうよ」
カレンは少しむきになったように言う。
「毎日一緒に暮らして、任務に行って、食事して、訓練して、会話して、背中預けて戦ってるんだから」
まだ、たった三か月ほど。
ゼストが銀鍵同盟に来てから、それくらいしか経っていない。
それなのに。
カレンはもう、そこまでのものを感じてくれていた。
ゼストは少し驚いて、言葉が出なかった。
レスターが静かに続ける。
「僕ら、一蓮托生なんだよ?」
ゼストがレスターを見る。
「背中を預ける相手に対する信頼は、家族に向ける信頼と同じか、それ以上だと思う」
「レスター……」
「少なくとも僕は、そう思ってる」
そのとき、扉が勢いよく開いた。
「そうだよぉ!」
涙目のヴァニラが飛び出してくる。
「銀鍵同盟は、とっくにゼストくんの帰れる場所なんだよ!」
完全に泣いていた。
目元を赤くして、鼻声になっている。
ゼストは一瞬ぽかんとした。
カレンもレスターも、同じようにヴァニラを見る。
「ヴァニラ、お前……」
「だってぇ……そんな話、泣くでしょ……!」
「いや、聞いてたのかよ」
「聞こえちゃったんだもん!」
ヴァニラはぐしぐしと袖で目元を拭く。
「ゼストくんが帰るところないみたいなこと言うから……そんなの違うって思って……!」
必死だった。
真剣だった。
だからこそ、ゼストの口元に少しずつ笑みが浮かんだ。
カレンもつられるように笑い、レスターも肩を揺らす。
「な、なんで笑うの!?」
ヴァニラがむっとする。
「いや、ごめんごめん」
ゼストは片手を上げた。
「マジで嬉しいよ。三人にそう言ってもらえて」
「本当?」
「ああ」
ゼストは月明かりの下で、三人を見る。
勝ち気で、不器用で、真っ直ぐなカレン。
穏やかで、誠実で、誰よりも人の痛みに気づくレスター。
柔らかくて、泣き虫で、それでも芯の強いヴァニラ。
最初は、鍛えてやる対象だった。
プロの世界へ連れて行くと決めたパーティだった。
自分の再出発のために選んだ場所だった。
だが、今の銀鍵同盟は、ゼストにとってそれ以上の意味を持っている。
「……ありがとな」
ゼストはそう小さく言った。
夜の村に、湖からの風が吹く。
家の灯りが、四人の足元を温かく照らしていた。
血の繋がりはない。
生まれた場所も、育った家も、見てきた景色も違う。
それでも。
銀の鍵で繋がった彼らは、確かに同じ場所へ帰る家族だった。




