第31話 日暮れ前に帰ろうな
夕暮れの空。
湿った土に背の高い葦。
その向こうから響いた、子供の叫び声。
嫌な予感しかしない。
村まではそれほど離れていないだろうが、リザードマンにとっては格好の狩場でもある。
「いたぞ!」
ゼストが叫ぶ。
「数は!?」
カレンが紅椿の柄に手をかけながら問う。
「戦士一体に、通常四体! それと――子供が一人!」
葦を抜けた先。
開けた湿地の端に、少年がいた。
十歳前後だろうか。
足から血を流し、泥の上に倒れ込んでいる。
その少年に、曲刀を持った通常リザードマンが今まさに斬りかかろうとしていた。
「レスター!」
「分かってる!」
先頭を走っていたレスターが、一気に加速した。
背負っていた象牙色の大盾を構える。
闘気を発動し、その身体に淡い光が走った。
レスターの踏み込みが、湿った地面をえぐる。
通常リザードマンが少年へ曲刀を振り下ろす、その直前。
「らぁッ!」
象牙色の大盾が、横から叩き込まれた。
鈍い音とともに、通常リザードマンの身体が吹き飛ぶ。
そのまま背後の木に叩きつけられ、幹が大きく揺れた。
『ギャッ――』
短い悲鳴。
リザードマンは口から血を吐き、そのまま動かなくなる。
内臓が潰れたか、あるいは背骨が折れたか。
いずれにせよ、もう立ち上がることはない。
ゼストは少年の元へ駆け寄り、身体を抱えるようにして後方へ下がらせた。
「大丈夫か?」
「う、うぅ……」
少年は顔を青くし、震えている。
足の傷から血が流れていたが、傷の深さは致命的ではなさそうだった。
ゼストは少年を背後の安全な位置へ移し、ロッドを構え直す。
「三人とも、いけるな?」
「もちろん!」
カレンが紅椿を抜く。
今度のカレンは落ち着いていた。
呼吸を整え、魔力を刀身へ流し、紅椿に炎を纏わせている。
「行くわよ」
通常リザードマンの一体が、カレンへ曲刀を振りかざす。
カレンは半歩踏み込んだ。
紅椿が赤い軌跡を描く。
「はぁっ!」
カレンは相手の曲刀の軌道を見切り、刃の側面で軽く弾く。
そのまま身体をずらし、炎を纏った紅椿をリザードマンの胴へ滑り込ませた。
斬撃と同時に、火炎が傷口を焼く。
『ギィアアアッ!?』
リザードマンが悲鳴を上げた。
鱗を裂かれ、肉を焼かれ、たまらず後退しようとする。
だが、カレンは逃がさない。
「遅い!」
返す刃が、首元を斬り抜いた。
通常リザードマンは倒れ、その傷口から煙が上がった。
残る通常リザードマン二体が、左右に分かれて迫ってくる。
動きは速い。
湿地のぬかるみなど、まるで苦にしていない。
「群雷撃!」
ヴァニラの杖先から、複数の雷撃が走った。
青白い雷が枝分かれし、左右から迫る通常リザードマン二体へ絡みつくように直撃する。
『ギッ!?』
『ギャアッ!?』
二体の身体がびくりと跳ねた。
鱗の上を電気が走り、筋肉が硬直する。
動きが止まった、ほんの一瞬。
レスターが右のリザードマンへ踏み込む。
「そらぁッ!」
大盾で曲刀を弾いて剣を振るう。
腕に闘気が薄く乗り、斬撃の重さが増した。
リザードマンの肩口から胸にかけて、刃が走る。
同時に、カレンが左のリザードマンへ迫る。
紅椿の炎が揺れた。
「これで――終わり!」
炎を纏った斬撃が、リザードマンを斜めに斬り伏せた。
通常リザードマン四体、全滅。
残るは、後方のリザードマン戦士一体のみ。
『ギ、ギギ……!』
部下を一瞬で失ったリザードマン戦士は、喉を鳴らしながら後ずさった。
相手は子供を追い回していた獲物ではない、明らかに格上の勇者パーティ。
そう判断したのだろう。
リザードマン戦士は槍を構えたまま、じりじりと湿地の奥へ下がる。
「逃げる気ね」
カレンが紅椿を構え直す。
だが、ゼストが短く制した。
「深追いしなくていい」
「でも――」
「まずはこの子の保護が優先だ」
ゼストの声は静かだった。
カレンは一瞬だけリザードマン戦士を睨む。
その間に、敵は葦の中へ身を翻した。
水音が響き、気配が遠ざかっていく。
カレンは紅椿の炎を消し、鞘に戻した。
ヴァニラは少年の近くへ膝をつく。
「大丈夫? 痛いよね」
「う、うん……」
少年はまだ震えていた。
足の切り傷からは血が滲んでいる。
ゼストは傷口を確認する。
「不幸中の幸いで、傷は浅いな」
ロッドを少年の足元へ向ける。
「癒光」
淡い光が傷口を包んだ。
裂けた皮膚が塞がり、血が止まる。
痛みも引いたのだろう。
少年の表情が少しだけ和らいだ。
「……あ」
少年は自分の足を見下ろし、驚いたように呟く。
「痛くない……お兄ちゃんたち、ありがとう」
「ああ。歩けそうか?」
ゼストが訊く。
少年は恐る恐る足を動かし、頷いた。
「うん……」
まだ怖さは残っているようだが、怪我は問題ない。
レスターがしゃがみ、目線を合わせる。
「君、名前は?」
「……ラッカ」
少年は小さな声で答えた。
「ラッカか。いい名前だね」
レスターが優しく笑うと、少年――ラッカは少しだけ安心したように見えた。
ゼストは周囲を確認する。
もう近くに敵の気配はないが、日暮れは近い。
このまま湿地に留まる理由はない。
「ラッカ」
ゼストは少年に声をかける。
「お前を安全に家まで送り届けたい。村へ案内してくれるか?」
ラッカは少し迷ったあと、頷いた。
「うん、でも……」
ラッカは不安そうに葦の奥を見た。
「また、あいつらが来るかも……」
「そのために俺たちがいる」
ゼストは軽く笑った。
「日暮れ前に帰ろうな」
ラッカは、その言葉にようやく小さく頷いた。
☆ ☆ ☆
ラッカに案内され、銀鍵同盟の四人は村へ向かった。
堀と柵で囲まれた村は、湖西岸の湿地を少し抜けた場所にあった。
入口に近づくと、数人の大人たちが慌ただしく動いているのが見えた。
「ラッカ!」
真っ先に叫んだのは、ひとりの女性だった。
まだ若いが、疲れきった顔をしている。
彼女はラッカの姿を見るなり、こちらへ駆け寄ってきた。
「母ちゃん……!」
ラッカが走り出す。
女性はラッカを強く抱きしめた。
「よかった……! 本当に、よかった……!」
「ごめんなさい……」
「いいの、いいのよ……戻ってきてくれたなら、それでいいの……!」
女性は泣いていた。
ラッカもつられるように泣き出す。
少し遅れて、村の奥から数人の男たちが戻ってきた。
その先頭にいた男が、ラッカを見た瞬間、持っていた棒を落とした。
「ラッカ……?」
「父ちゃん!」
ラッカが母親の腕から抜け、今度は父親の元へ走る。
男はラッカを抱きしめ、膝をついた。
「無事か!? 怪我は!? どこか痛いところはないか!?」
「勇者さまたちが助けてくれた。足も治してくれた」
「勇者さま……」
ラッカの父親が、ようやく銀鍵同盟を見る。
そして、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます……! 本当に、ありがとうございます!」
ラッカの母親も涙を拭いながら頭を下げる。
「この子が、日暮れ前になっても戻らなくて……みんなで探していたんです」
「間に合ってよかったです」
レスターが穏やかに答える。
「怪我も浅かったので、もう大丈夫だと思います」
ヴァニラもほっとした顔でラッカを見る。
「でも、今日はちゃんと休んだ方がいいよ」
「うん……」
ラッカは小さく頷いた。
周囲の村人たちも、安堵の表情を浮かべている。
中には胸を撫で下ろす者もいた。
「ところで」
ゼストがラッカの父親へ声をかける。
「この村に宿はありますか?」
ラッカの父親は申し訳なさそうに首を振った。
「宿は……ありません。旅人が来ることも少ない村なので」
「そうですか」
ゼストは頷く。
「なら、野営場所を――」
「よければ、うちに泊まってください」
口を挟んだのは、ラッカの母親だった。
「え?」
ヴァニラが瞬く。
「助けていただいたお礼にもなりませんが……狭い家ですけど、床なら空けられます。お食事も、ぜひ」
「いや、そこまでしてもらうわけには」
レスターが遠慮しようとする。
だが、ラッカの父親も強く頷いた。
「お願いします。せめてそれくらいはさせてください」
ゼストは三人が同意するのを見て、頷いた。
「では、お言葉に甘えさせてもらいます」
ラッカの母親は、ほっとしたように笑った。
「どうぞ、こちらへ」
夕暮れの村に、少しずつ灯りがともり始めていた。




