第29話 応用から入るのもアリ
「何の用?」
カレンの声は冷たかった。
手のひらに小さな火すら灯せず、じわじわ苛立ちが溜まっていたところである。
そこに、よりにもよってデナムだ。
間が悪いにもほどがある。
デナムは肩をすくめた。
「いやいや、たまたま通りかかっただけだって」
そして、カレンの手元を見る。
「そしたら元仲間が、手のひらから何も出せずに唸ってるじゃないか」
わざとらしく笑う。
「気にならない方が無理だろ?」
カレンの眉がわずかに動く。
その前に、ヴァニラが一歩前へ出た。
「デナムくん」
声色は柔らかい。
だが、その目は笑っていなかった。
「今は訓練中なんだよね。どっか行ってくれないかな」
「へ、へえ……」
デナムは一瞬だけ言葉に詰まった。
まさかヴァニラが先に出てくるとは思っていなかったのだろう。
動揺を隠すように、目を細める。
「ヴァニラが先生?」
「うん」
「昔は人に教えられるようなタイプじゃなかったのにな。ずいぶん偉くなったじゃん」
その言葉に、ヴァニラは少しだけ首を傾げた。
そして、いつものふわっとした声で言った。
「たしかに、裏切り者のデナムくんよりかは偉いかもね」
「――ぶっ」
少し離れた場所で、ゼストが吹いた。
完全にツボに入った。
ロッドを持ったまま肩を震わせている。
「お、お前……ヴァニラ……っ」
「ゼスト、笑いすぎだよ」
レスターが苦笑する。
「でも、相変わらず裏切り者にはキツいね」
デナムの顔が引きつった。
どうやら、口論ではヴァニラに勝てないと判断したらしい。
彼は露骨に視線をカレンへ移した。
「それで?」
デナムは薄く笑う。
「剣士が火遊びとは、ずいぶん余裕があるんだな。Dランクになったからって、変な方向に浮かれてるんじゃないのか?」
「……」
カレンは答えない。
「できもしないことやってるようだから、二年もFランクで足踏みしてたんだよ」
カレンは何も言い返さない。
しかし、拳は握っていた。
デナムはそれに気づいているのかいないのか、さらに笑みを深めた。
「おっと、また殴るなよ?」
その瞬間、大柄な前衛職が少しだけ後ろへ下がった。
……トラウマが蘇ったようだ。
カレンが静かに口を開く。
「任務に行くんでしょ。さっさと行けば?」
「ああ、行くさ」
デナムは笑みを浮かべたまま言う。
「最近、Dランク90位にまで浮上したからな。忙しいんだよ」
1,916パーティいるDランクの中では、上位も上位。
巨人の心眼が実力のあるパーティであることは、確かだった。
「俺たちには、訓練場で火種も出せずに遊んでる暇なんてないからな」
その言葉に、カレンの眉が動いた。
ゼストは一歩踏み出そうとした。
――まずい、カレンがキレた。
しかし、その直前にカレンが片手を上げた。
ゼストは足を止める。
――思ったより冷静だな。
そう思って安心した次の瞬間――カレンは左腰の紅椿に手を掛けた。
「なっ!?」
デナムの顔色が変わる。
ゼストも驚きの表情を見せる。
――キレてるどころじゃねえ……ブチギレかよ!?
訓練場の空気が一気に張り詰めた。
カレンの予想外の行動に、その場にいた全員が息を呑む。
巨人の心眼の面々も即座に反応した。
大柄な前衛職が剣に手をかけ、別の男が槍を構える。
デナムも一歩下がって杖を構え、戦闘態勢に入る。
しかし、カレンはただ沈黙したまま、紅椿をゆっくりと鞘から引き抜く。
紅蓮の刀身が姿を見せ、銀の椿が光を受ける。
そして。
――その刃に、炎が燃え上がった。
「……え?」
ヴァニラが目を見開いた。
紅椿の刀身を包むように、赤い炎が揺れている。
「火炎!? しかも……」
「ああ」
ゼストは驚きを隠せないまま呟く。
「カレンのやつ、完璧に付与してみせた……!」
レスターも目を丸くしていた。
「怒ってるからかなぁ……すごく熱い」
「たぶんそれもあるな」
ゼストは真顔で答えた。
怒り任せで魔法が出るのは危うい……が、今はそれ以上に見事だった。
カレンは紅椿を抜き切り、炎を纏った刀身を下段に構える。
その目は、まっすぐデナムを射抜いていた。
「……これでも遊んでるように見える?」
デナムの喉が鳴った。
「なっ……何なんだよ、いつもいつも……!」
その声には、怒りよりも怯えが混じっていた。
「――行くぞ!」
デナムは吐き捨てるように言った。
巨人の心眼の面々は、空気に押されるようにその場を離れていく。
大柄な前衛職は最後までカレンの紅椿を警戒していた。
今度は殴られるどころでは済まないと思ったのかもしれない。
彼らの背中が訓練場の外へ消える。
緊張の糸がふっと切れて、カレンはその場にへたり込んだ。
紅椿に纏っていた火炎も、同時に消える。
「カレンちゃん!」
ヴァニラが慌てて駆け寄る。
レスターも盾を置いて近づいた。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫……」
カレンは自分の手と紅椿を交互に見る。
そして、信じられないような顔で呟いた。
「で、出来た……!?」
「出来てたよ! すごいよ、カレンちゃん!」
ヴァニラが目を輝かせる。
「ちゃんと剣に乗ってたし、すごく綺麗だった!」
「迫力ありすぎて、ちょっと怖かったけどね」
レスターが苦笑する。
ゼストも近づいて、紅椿の刀身を覗き込む。
熱はもう引いていて、剣に異常はない。
さすがカジタの仕事だ。
「ま、たまには応用から入るってのもアリだな」
「……どういうこと?」
カレンが座り込んだまま言う。
自分でもなぜできたのか分からない様子だ。
「手のひらに火を出すって言われても、カレンの中では戦う動きに繋がってなかった。でも、紅椿に炎を纏わせるってなった瞬間、感覚が一本に繋がったってわけだ」
カレンは黙って聞いていた。
確かに、そうだった。
手のひらに火を灯す。
そのときは、どうにも感覚が掴めなかった。
だが、紅椿を抜いた瞬間。
デナムを黙らせたいという怒りや、この剣で示したいという意地。
そして、紅椿に炎を纏わせるという明確なイメージ。
それらが一つに重なった。
「……修行再開よ」
カレンは立ち上がる。
「今度は怒ってなくても出来るようにするんだから」
ヴァニラが嬉しそうに手を叩く。
「じゃあ、次は私と一緒に、今の感覚を思い出してみよっか……あ、でもデナムくんの顔は思い浮かべなくていいからね?」
「むしろ思い浮かべた方が出そうなのが腹立つわ」
「それはそれで燃費悪そうだね」
レスターが真面目に言い、ゼストが笑った。
「怒り燃料式火炎か。嫌な魔法体系だな」
「絶対採用しないわよ」
カレンは半目で返す。
訓練場に、少しずついつもの空気が戻っていった。
☆ ☆ ☆
それから、さらに二週間。
ルカリスを照りつけていた真夏の日差しは、少しずつだが柔らかくなり始めていた。
残暑の季節である。
一か月に及んだ修業期間を終えた銀鍵同盟は、久しぶりに勇者協会第77支部の受付に立っていた。
受付には、いつものメイがいた。
彼女は四人を見ると、淡々とした表情のまま、少しだけ目を細めた。
「待ちくたびれましたよ。銀鍵同盟のみなさん」
ゼストは受付の上に片肘をつき、にやりと笑った。
「一か月分、取り戻さないといけないんだ。いい任務頼みますよ、メイさん」
メイは手元の依頼書を整える。
「もちろんです」
そう言って、彼女は一枚の依頼書を取り出した。
約一か月ぶりの任務。
銀鍵同盟の修行成果を試す時が、ようやく来た。
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