第26話 逸る気持ちを抑えつつ
夕暮れ時。
ルカリス東部にある銀鍵同盟の家、その庭先に、鋭い風切り音が響いていた。
「――っ!」
カレンが踏み込む。
振るわれるのは、今日手に入れたばかりの長剣――紅椿。
夕陽を受けた刀身は、昼間に見たときよりもさらに深い赤を帯びていた。
庭の端では、ゼスト、レスター、ヴァニラの三人がそれを眺めている。
「なんか綺麗だな〜」
ヴァニラがぽつりと言った。
「うん。夕暮れだと、より映えるね」
レスターも頷く。
紅蓮の刀身が夕陽を受け、斬撃の軌跡を赤く残す。
銀の椿が動きに合わせてちらちらと光る。
ゼストは腕を組みながら、呆れ半分、感心半分で言う。
「昼に戻ってきてから、ぶっ続けで三時間振ってるんだからな。どんだけ気に入ったんだっての」
「三時間……」
ヴァニラが目を丸くする。
「私なら腕ぷるぷるになっちゃうよ」
「カレンもたぶん、もう結構きてるよ」
レスターが言う。
「でも、止まる気配がないね」
「完全に聞こえてねえな」
ゼストは肩をすくめた。
実際、カレンにはこちらの会話など耳に入っていない様子だった。
「おい、カレン」
ゼストが声をかける。
反応はない。
「カレン」
もう一度。
カレンは紅椿を振り下ろしたあと、ようやくこちらを向いた。
「なによ」
「飯だ。先に汗流してこい」
「もう少しだけ」
ゼストは半目で言う。
「剣が良くても、使い手が疲労で壊れたら意味ねえぞ」
カレンは不満そうに唇を尖らせた。
だが、自分でも腕に疲労が溜まっている自覚はあったのだろう。
「……汗流してくる」
カレンは紅椿を大事そうに布で拭いてから、家の中へ入っていった。
その背中を見送りながら、ヴァニラが小さく笑う。
「カレンちゃん、完全に夢中だねぇ」
「まあ、気持ちは分かる」
ゼストは庭に残った斬撃の跡を見る。
「新しい武器ってのは、それだけで気分が上がるからな」
☆ ☆ ☆
四人は部屋着に着替え、食卓を囲む。
カレンはいつもより少しだけ疲れた顔をしていたが、その表情には満足感があった。
紅椿はすぐ手の届く壁際に立てかけられている。
食事が始まってしばらくすると、レスターが口を開いた。
「今日の交流会で、いくつか情報を聞いてきたんだ」
「お、早速か」
ゼストがスープを飲みながら顔を上げる。
「やっぱりDランク同士だと、任務の情報も具体的だったね。カイラブ湖のリザードマンが活発化していることとか……」
「私は魔法使いの人たちから、火属性魔法の燃費の話も聞けたよ」
ゼストは頷く。
「交流会、行って正解だったな」
「うん」
レスターは少し表情を引き締める。
「――ただ、一つ気になる噂もあった」
「気になる噂?」
カレンの反応に、レスターは頷いた。
「辺境の西端にある前線都市ペイジ。その周辺で、人型魔族の一行を見たって話が出てるらしい」
食卓の空気が、少し変わった。
ヴァニラも声を落とす。
「でも、あくまで噂だよ。戦闘になったって報告は、今のところないみたい」
「目撃だけか」
ゼストは椅子の背にもたれ、少し考える。
噂の信ぴょう性は半々。
だが、無視はできない。
ゼストは指でテーブルを軽く叩いた。
「人型魔族の一行、ね」
「何か気になるの?」
カレンが訊く。
「気になるっていうか、嫌な匂いはする」
ゼストは答える。
「ペイジは前線都市だ。そこ周辺に人型魔族が出たって話なら、偵察か、何かの下準備って可能性もある」
レスターの表情が少し硬くなる。
「ルカリス方面への?」
「まだ分からん」
ゼストは正直に言った。
「今の段階で決めつけるのは早い」
だが、ゼストの中では一つの結論が固まりつつあった。
「提案がある」
ゼストが言った。
三人が顔を上げる。
「これから一か月、修行期間に充てよう」
「修行期間?」
ヴァニラが首を傾げる。
「任務をまったく受けないってこと?」
「完全にゼロとは言わない。感覚維持のために軽めの任務は挟む。ただ、SP稼ぎを主目的にした連続任務はいったん止める」
カレンがすぐに反応した。
「どうして?」
その声には、少しだけ焦りが混じっていた。
ゼストは真面目な表情で答える。
「理由は二つある」
指を一本立てる。
「まず、その人型魔族が四大魔族の関係者だった場合、今のままだとシャレにならない」
「四大魔族……」
ヴァニラが小さく呟く。
魔族の中でも、特に人類にとって脅威とされる四つの大勢力。
その名は、職業勇者なら誰でも知っている。
「幹部クラスが出てきたら、正直、俺が戦っても全員の命の保証はできない」
ゼストははっきり言った。
カレンが息を呑む。
ゼストが弱音を吐くことは少ない。
こうして正面から危険を認めるのは珍しかった。
ゼストは続けて、二本目の指を立てる。
「もう一つ。季節は真夏の盛りだ」
「暑いってこと?」
ヴァニラが聞く。
「そうだ。今の時期は、任務をこなすだけでも難しくなる。長距離移動は消耗が激しいし、水分管理でも事故が起こりやすい」
ゼストは三人を見る。
「だから、この一か月は実力の底上げに時間を使う。暑さの中で無理に走り回るより、朝夕の涼しい時間を使って鍛えた方が効率もいい」
つまり、さらなる実力を積み上げる必要性と、その機会が同時に巡ってきたと、ゼストは判断したというわけだった。
カレンは壁際の紅椿をちらりと見る。
そして、少し言いづらそうに口を開いた。
「……Cランク昇格、間に合うの?」
ゼストはその問いを予想していた。
カレンの焦りは分かる。
Dランクに上がって、新しい剣も手に入れた。
足を止めるのが怖いのだろう。
レスターが手元の資料を取り出す。
「今日、支部で最新のランキングも確認してきたよ」
彼は紙をテーブルに置く。
「Dランク909位、銀鍵同盟、19,203SP」
ヴァニラが目を丸くする。
「もうDランク中位だね」
「この一か月でかなり積み上げたからね」
レスターが言う。
「カイラブ湖周辺の任務も含めて、安定して稼げてる」
ゼストは頷く。
「Dランク中位まで来てるなら、一か月を修行に回しても今シーズン中のCランク昇格には十分間に合う」
「本当に?」
カレンが確認する。
「ああ」
ゼストははっきり答えた。
「むしろ、焦って中途半端なまま上位任務に手を出す方が危ない。Cランクを目指すなら、今ここで土台を固めた方が結果的に早い」
カレンは黙った。
理屈は分かる。
ゼストの言っていることは正しい。
でも、心はまだ少し前へ行きたがっている。
ゼストはそんなカレンを見て、にやりと笑った。
「ていうか、お前」
「……なによ」
「早く紅椿で敵を斬りたいだけだろ?」
「……っ!」
カレンの表情が分かりやすく固まった。
図星だった。
ヴァニラが「あっ」と声を漏らし、レスターが苦笑する。
「カレンちゃん、分かりやすい……」
「そ、そんなことないわよ」
「いや、めちゃくちゃあるだろ」
ゼストは半目で言う。
「昼から三時間ぶっ続けで振ってた奴が言っても説得力ねえよ」
「それは、感触を確かめてただけで……ごめん、やっぱ斬りたいわ」
カレンはすぐに観念したように答えた。
「一か月後」
ゼストは言う。
「敵を斬るのが今よりずっと楽しくなるくらいには仕上げるつもりだ。だから……な?」
カレンは少しだけ目を見開いた。
それから、ふっと笑う。
「……そこまで言うなら、乗るわ」
「よし」
ゼストはレスターとヴァニラを見る。
「さっそく明日から取り掛かろうと思うけど、二人もいいな?」
「うん」
「もちろん!」
レスターとヴァニラが頷く。
「一か月後、別のパーティになってるくらい仕上げるぞ」
こうして銀鍵同盟は、これから一か月を修行期間に充てることを決めた。
Cランク昇格を焦るのではなく、その先で戦える実力を積み上げるために。




