第15話 オーク族長討伐遠征④
『オマエラ、ユルサナイッッッ!!』
オーク族長の咆哮が、岩場に響き渡った。
右目に縦傷を持つ巨体が、両手で巨大な戦斧を握りしめる。
目の前の人間たちを叩き潰すという殺意……それだけが、オーク族長の全身から噴き出していた。
『グォオオオオッ!』
オーク族長が踏み込む。
地面が砕けた。
次の瞬間、戦斧が大きく横に振るわれる。
「っ、来る!」
レスターが大盾を構える。
怒りに任せた殺意の一撃。
まともに受ければ、盾ごと身体を持っていかれる。
「誘陣!」
レスターは魔法を発動しながら、斧の軌道へ盾を差し込む。
真正面から受けず、角度をつけ、力を逃がす。
ぎぃん、と重い音が鳴った。
「ぐっ……!」
レスターの足が、岩肌を削りながら横へ滑る。
完全には受け流せない。
腕が痺れ、肩が軋む。
肺の奥が押し潰されるように苦しい。
援護のために、ヴァニラは焦げた袖を揺らしながら杖を構えた。
動きを止めるためには、高火力の一撃が必要。
「灼火炎!」
ヴァニラの杖先に、赤い魔力が集まる――はずだった。
「……あれ?」
杖先で魔力がちらつき、火花のように弾ける。
炎は膨らまず、高密度の火球になる前に、霧散していく。
「灼火炎! ……灼火炎!」
しかし、結果は同じだった。
杖先に小さな火が灯りかけて、すぐ消える。
ヴァニラの顔から血の気が引いた。
「ま、魔力が……」
魔力切れ。
ここまでの連戦で無理を重ねた身体は、もう高火力の魔法を生み出せる状態ではなかった。
「ヴァニラ、下がって!」
カレンが叫びながら前へ出る。
オーク族長は、止まらない。
戦斧が振り下ろされる。
レスターが盾で軌道を逸らす。
空いた横から、カレンが懐へ入ろうとする。
「はぁっ!」
だが、踏み込みきれない。
戦斧の戻りが速い。
巨体に似合わない速度で、柄が横から薙がれる。
「っ!」
カレンは咄嗟に跳び退いた。
鼻先すれすれを、斧の柄が通り過ぎる。
あと少し遅ければ、顔面を砕かれていた。
「隙があるようで、ない……!」
カレンは奥歯を噛む。
怒りで動きは荒くなっているが、懐へ入れると思った瞬間には、次の攻撃が飛んでくる。
中途半端に踏み込めば、即座に潰される。
レスターは何度も斧をいなしながら、必死に耐えていた。
「くっ……!」
盾を持つ腕が震え、膝も笑い始めている。
カレンはオーク族長を睨んだ。
正面から斬っても浅い。
首を狙うには位置が高すぎる。
足を狙えば、戦斧で潰される。
そのとき、カレンの視線が一点で止まった。
縦傷の走る、潰れた右目。
オーク族長は、右側への反応がわずかに遅い。
カレンの脳裏に、地形が浮かぶ。
右側……岩場……そこを足場にすれば――。
「レスター! 次の一撃、死ぬ気で耐えて!」
カレンの叫びに、レスターは迷わず頷く。
「了解!」
カレンは次に、ヴァニラへ振り向く。
「ヴァニラ! 弱火でいいから、最後の一発をアイツの顔面に撃ってほしい!」
ヴァニラは杖を握り直す。
小さな火で……最後の一発くらいなら。
「――なんとか頑張ってみる!」
カレンは頷き、剣を構えた。
オーク族長が戦斧を振り上げる。
レスターは大盾を構え、腰を落とした。
「来い……!」
『ツブレロォッ!』
大盾に戦斧が叩きつけられ、鈍い音が岩場に響く。
レスターの足元が砕け、膝が沈む。
「ぐ、うううううっ……!」
受け流しきれない。
今まで受けたどの攻撃よりも、重い。
「耐え、ろ……!」
レスターは歯を食いしばった。
同時に、ヴァニラが杖を構える。
「火炎!」
小さな火球が、杖先から飛んだ。
今まで放ってきた魔法に比べれば、頼りないほど小さな炎。
だが、それは正確にオーク族長の顔面へ直撃した。
『グォッ!?』
ダメージはほとんどない。
だが、顔面で炎が弾けたおかげで、オーク族長の視界が炎と煙に覆われた。
――その一瞬。
カレンの魔力が全身を巡る。
さっきよりも濃いオーラが、カレンの身体を包んだ。
後方で見ていたゼストが、思わず声を漏らす。
「――剛闘気!?」
ただの闘気ではない。
瞬間的に、出力が一段上がっている。
「っ!」
カレンは地面を蹴った。
岩場を駆け上がるように跳び、オーク族長の右半身側にある大岩へ飛び乗る。
視界を奪われたオーク族長は、反応が遅れた。
カレンは大岩の上で、一瞬だけ身体を沈め……飛び降りる。
「はああああああっ!」
昼の光の下で、カレンの椿色の髪が、鮮やかに宙を舞った。
落下の勢いと剛闘気で上昇した力。
そのすべてを、握った剣に乗せる。
狙いは右肩口。
オーク族長の分厚い身体へ、剣が叩き込まれた。
『ガ、ァッ――!?』
「っ、あああああああ!」
歯を食いしばり、両腕に力を込める。
鎖骨を砕き、胸を裂き、内側へ進む。
肉が裂ける感触。骨を断つ重さ。
血が噴き出し、カレンの頬を汚す。
――それでも、刃は止まらない。
右肩口から左脇腹へ斜めに……オーク族長の巨躯が、断たれた。
『グ……ォ……』
血が溢れ、巨体が大きく傾く。
上半身が先に滑り落ち、下半身もやがて地面に倒れた。
しばらく、誰も声を出せなかった。
滝の音だけが、岩場に響いている。
カレンは荒く息を吐きながら、剣を手から落とす。
そのまま、脚から力が抜けて膝をついた。
「はぁ……はぁ……」
レスターも盾を下ろし、その場にへたり込む。
「ぼ、僕たち……」
ヴァニラは杖を抱えたまま、ぺたんと座り込んだ。
「……勝った」
小さな声だった。
それでも、確かに勝利の言葉だった。
オーク族長を倒した。
その実感よりも先に、どっと疲れが押し寄せ、全身が急に重くなる。
ゼストは三人のもとへ歩み寄った。
三人だけで、族長クラスを倒し切った。
それは、ただの勝利ではない。
銀鍵同盟が、確かに一段上へ進んだ証明だった。
「よくやったな」
ゼストはロッドを掲げる。
「――群癒光」
淡い癒しの光が、三人を包む。
「……ありがと」
カレンが息を整えながら言った。
「でも、今は立てる気しないわ」
「私、魔力すっからかんだよぉ……」
ヴァニラが情けない声を出す。
ゼストは苦笑した。
「まあ、そりゃそうだ。少し休――」
そのときだった。
『グォオオオオオオオオオオオオオオ!』
後方から、凄まじい雄叫びが轟いた。
空気が震え、滝の音が一瞬かき消される。
ゼストの表情が変わる。
三人も、反射的に振り返った。
丘陵地帯の向こう……岩場の斜面に、オークがいた。
その数……ざっと見ても、百体以上。
圧倒的な物量だった。
カレンの顔から、血の気が引く。
「一族の……本体……?」
オーク族長との戦闘音や配下の断末魔を聞きつけたのだろう。
周辺に散っていたオークの一族本体が、集まってきてしまったのだ。
先頭のオーク隊長以外は、全てが戦士や通常オーク。
一体一体なら、さっきまでの敵ほどではない……しかし、数が違いすぎる。
勝利の直後に突きつけられた、あまりにも大きな絶望。
『グォオオオオオ!』
『ガァアアアア!』
『ブゴォオオオ!』
オークの群れが、地鳴りのような足音を響かせて迫ってくる。
「くそ……こんな、ところで……」
カレンは剣を握ろうとした。
だが、手が震えている。
レスターも何とか盾を持ち上げようとする。
「やらなきゃ……」
「無理だよ、レスターくん……!」
ヴァニラの声が震えていた。
心が折れかけている三人……しかし、そこにはもう一人の仲間がいた。
「――こりゃあ、さすがに緊急事態ってやつだよな」
軽い声だった。
だが、その濃紺の背中は、いつもと違って見えた。
銀鍵同盟の四人目――ゼスト・マクシム。
咆哮を上げて突っ込んでくる百体以上のオークを前にしても、その声に怯えはなかった。




