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札幌、北の境界線 ―― NORTHERN BORDER ――vol.1:セリカと、コーラの瓶と炭酸の抜けた日曜日  作者: akira


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第一章:平岸街道、オフ・ホワイトの聖域

その店は、平岸街道の喧騒から少しだけ奥まった場所にあった。

 扉を開けると、外の湿ったアスファルトの匂いが消え、代わりに深く煎られた珈琲の香りと、清潔な静寂が僕を迎える。白を基調とした店内は、まるで高級な陶磁器の内側に迷い込んだような錯覚を覚えさせた。


「いらっしゃい、今日はなんだか、髪の毛と一緒に魂まで逆立ってるみたいだね」


 カウンターの奥で、マスターがいつものように軽妙でいて逃げ場のない挨拶を投げてくる。

 この人は、僕が今まで出会った中で最も「粋」を形にしたような男だった。洒落た服を着こなし、物腰はどこまでも柔らかい。だが、彼がこの界隈で影響力を持つ組織の娘と結婚し、その家の養子に入っているという事実は、平岸の夜を歩く者なら誰もが知っている公然の秘密だ。


「……災難だったんですよ。郊外までドライブに行って、ヤクザに絡まれまして」

「ほう。で、君はどうしたんだい? レッド・ツェッペリンの『移民の歌』でも歌って蹴散らしたのかい?」

「まさか。叔父の名前を出して、なんとかやり過ごしました」


 僕が吐き捨てるように言うと、カウンターの端で新聞を広げていた酒屋の坂田さんが、クスクスと笑った。隣には地主の息子で電気技師の藤田さん、そして製薬会社の小宮さんもいる。彼ら年上の常連客たちは、僕の青臭い背伸びを、まるで季節外れの雪を見るような目で見守ってくれていた。


「いいじゃない、名前だって武器だよ。僕なんて営業先で、親会社の名前を出さなきゃ名刺すら受け取ってもらえないんだから」

 小宮さんが苦笑いしながら、自分のウイスキーグラスを傾けた。


「はい、お疲れ様。まずはこれを飲んで落ち着きなさいよ」


 明るい声と一緒に、のりこが白いカップを差し出した。彼女は昼間は店を切り盛りし、夜も時折カウンターに立つ。その笑顔は、この無機質な白い空間に灯った唯一の体温のようなものだった。


 僕は珈琲を一口すすり、自分の置かれた環境を改めて反芻した。

家に戻れば、スナックを経営する母親が、大人の事情と札束を等価交換するような放任生活を送っている。金は与えるからいいだろうという母の冷めた愛情は、僕に自由と、それと同じくらいの虚無感を与えていた。


 僕は18歳。

叔父の名前を借りて女を守り、母親の金でセリカを転がし、ススキノの『ディスコ55』で踊り、親の店の代理とはいえ、キャバレー『ミカド』や『エンペラー』のホステスに指名を入れ、大人になったような顔をして平岸に帰ってくる。


 けれど、この白一色の店に座っていると、自分がまだ何者でもない「書きかけの原稿」に過ぎないことを痛感させられる。


「マスター、次は、ハイボールを」


 僕がそう言うと、マスターは何も聞かず、ただ静かにボトルに手を伸ばした。

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