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お姉さんと僕  作者: 埴輪庭
第3章

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118/123

閑話「本田(下)」

 ◆


 本田は人間なのか? 


 YESとも言えるし、NOとも言える。人である部分を多分に残しながら、その本性はもはや魔であると言ってもいい。


 受肉した本田がした事はまず、自身の力──つまり、念動の力を試す事であった。だが結果はといえば、かつてのそれと大して変わらない。むしろ、繊細な操作が効かなくなっており、劣化したとも言える。


 落胆した本田だが、ここでふと思い立つ。それは()であるならば決して考えない、考えてはならない事だった。


 ・

 ・

 ・


 暗がりの中、くちゃり、くちゃりと粘つく音が響く。


 ここは西池袋のとある雑居ビルだ。このフロアは元は印刷屋が入っていて、部屋に生活感はない。他の階層にも色々な中小企業がテナントとして入っていた。こういうビルはある程度セキュリティに配慮されている事が多く、一部の避難民の避難所として機能していた。


 そんな元オフィスに響く気味の悪い音──これは言うまでもない。


 本田である。


 本田の咀嚼音である。


 青白く変色した腕──恐らく、女のものだろう──を食っている。


 肉を貪っている。


 血を啜っている。


『アンデスの聖餐』という映画があるが、それを引き合いに出すまでもなく、人が人を食うという行為は古今東西を問わず存在してきた。飢餓、宗教、極限状況──動機は様々である。


 が、本田の場合は違う。



 ()()()()()()()()()()


 霊体であった頃から本田は弱った浮遊霊や怪異の残滓を喰らい、己の核をじりじりと太らせてきた。受肉してこの肉と血の身体を得た以上、その理屈はなおの事通るはずだ──そう踏んだ上での所業であった。


 肉を貪り血を啜り、女の腕一本を食い終えた本田は予想通りの手応えを得た。


 手を握ってみる。指先がさっきまでより鋭く動く。転がっていた空き缶を念動で浮かべてみれば、それは読み通り勢いよく宙へ跳ねた。


 ──やはりな。


 本田は嗤った。


 つまり、こういう事である。


 ()()()()()()()()()()


 ◆


 とはいえ、本田は腹を括ったその日から派手に動いたわけではない。


 受肉してから幾日かの間、本田は西池袋の界隈を流浪しながらぽつりぽつりと人を食って過ごした。狙うのは弱い者──孤立した避難民、子供を連れた女、年寄り。たまに群れからはぐれた小者の異能持ちなどを見つけると、念動で背後から首をへし折って暗がりに引きずり込んだ。


 食えば力が伸びる事は間違いがなかった。


 最初の女を食った時より、念動の出力は明らかに増していた──が、限界もまた見えてきた。


 単独で動く以上、狩れる頭数には上限がある。街には別の捕食者が幾つか居て、本田の縄張りに不用意に踏み込んでくる事もあった。そういった怪異と争うのは難儀である。本田はその総身に増上慢が満ち満ちていたが、それでも自身の身の程というやつを生前よりは考えるようになっていた。まあこの辺は生存本能というやつだろう、馬鹿は死んでも治らないという説が否定された瞬間である


 もっと食えば、と本田は思った。


 もっともっと食えば、()()()()()()の事も食えるようになるはずだ。


 本田の考えはあながち間違いではなかった。


 ◆


 ところで、池袋という街には紫ドーム降臨後の数週間で立ち上がったある集団があった。


 ()()()()、という。


 名前の由来は仏教ではない。佐竹という男が前身として営んでいた派遣会社「AMIDA」を、そのまま音引きして組織の名としたものであった。佐竹本人は半グレ上がりの三十前後の男で、般若の刺青と欠けた小指が看板代わりだが、ただの暴力屋ではなかった。


 紫のドームが空を覆い、人ならざるモノが街に溢れ始めた時、佐竹はあぶれ者の異能持ちたちを集めた。半グレ、引きこもり、反社崩れ、行き場のない者──世間からはみ出した者ばかりを拾い、それぞれに役目を割り振ったのだ。


 目的は怪異から池袋を守る事である。


 暴力組織ではない。徒党である。力ある者が力を結集して得体の知れぬ脅威に立ち向かう──そういう、案外と真っ当な動機で立ち上がった集団なのであった。


 阿弥陀羅のおかげで、池袋の中心部は紫ドーム降臨後も比較的穏やかな治安を保っていた。


 が、それは表側の話である。


 街の周縁、阿弥陀羅の目が届かぬ路地裏や雑居ビル群では、本田のような捕食者が跋扈していた。


 ◆


 その阿弥陀羅という集団の名を、本田は街角で耳にした。


 風呂敷包みを抱えた中年の女が、別の女に向かって「サンシャイン通りの方は阿弥陀羅の人らが見回っとるから、夜でも歩けるらしいわよ」と話していた。本田は雑居ビルの陰でそれを聞いていた。


 へえ、と本田は思った。


 へえ、そりゃあいい話だ、と。


 怪異対策の自警団、力ある異能者の寄り合い──それはつまり、本田にとっては最高級の()()である。一人で街を彷徨いて凡夫を食い溜めるより、強い奴らを食ったほうが力の伸びは速い。これは生前の本田が学校で覚えた数少ない理屈の一つであった。「弱い奴を百人ぶっ叩くより、強い奴を一人潰した方が話が早い」というやつである。


 ただし、と本田は考えた。


 いきなり乗り込んで暴れるのは下策である。それは生前の本田であれば躊躇なくやっていたかもしれないが、受肉して以降の本田にはほんの僅かばかり、()()()()()()()()が芽生えていた。死んで悪霊化して受肉する過程で、本田は自身の死に方を一度反芻している。雑魚の死に方をしたという屈辱は、本田のなかで「次は同じ轍を踏まぬ」という細い知恵に変じていた。


 飯を求めて飛び込むより、飯を出す側に近付いた方が早い。


 本田は決めた。


 阿弥陀羅に入ろう、と。


 卑の塊が卑屈な顔をして門を叩く事に、何の躊躇いもなかった。


 ◆


 西池袋の駅前に、阿弥陀羅の中堅らしき男が立っていた。年の頃は二十代半ば、ジャージの上にダウンを羽織って首から銀色の笛を下げている。これは見回り中の構成員に支給される合図用のもので、要するに巡回係であった。


 本田は卑屈な顔を作って男に声をかけた。


「すいません、阿弥陀羅の人っすか?」


 ジャージの男はぎろりと本田を睨んだが、本田が「異能持ちなんすよ、入れて貰えないっすかね」と続けると、視線を緩めて頷いた。


「ガキか」


「高校生っす」


「歳はどうでもいい。何ができる」


「念動っす」


 本田は近場の空き缶を一つ、軽く宙へ浮かせて見せた。ジャージの男は鼻で笑い、しかし「来な」と顎をしゃくった。


 本田は俯いてその後についた。


 ◆


 連れて行かれたのは、サンシャイン通りに面する元はホテルだった建物の十五階であった。


 かつて宴会場として使われていたらしい広い一室に、男が一人座っていた。


 佐竹である。


 パイプ椅子に深く腰を下ろし、煙草を吸っていた。スキンヘッド、首には般若の刺青、左手の小指は第二関節までしかない。年の頃は三十前後だが、纏う雰囲気は四十にも五十にも見える。その辺の半グレでは絶対に出せない、()()()()()があった。


 本田は一目で察した。


 ──こいつは強い。


 部屋に踏み入った瞬間、本田の中で計算がほんの一瞬、立ち上がった。今この場で襲ってやろうか、と。佐竹は座っており、ジャージの男は背後に回って気を抜いている。念動で椅子ごと佐竹を吹き飛ばし、ジャージの首を掴んで食えば──


 が、その計算は佐竹がふと顔を上げて本田を見た瞬間、()()()()()()()した。


 佐竹の視線は本田の身体ではなく、本田の()()()()を貫いていた。霊だか魂だか人ならざる本田の核を、まるで履歴書でも読むかのように一目で確かめている──そういう類の視線であった。


 本田は内心、ぞっとした。


 この男には勝てない、と察した。


 少なくとも今は絶対に勝てない。


 結局の所、今現在の本田は受肉して間もない卑しい霊体の継ぎはぎでしかないのだから。


 本田は俯いた。


 俯いて、卑屈な顔を一段と深くした。


「力があるんだってな。見せてみろ」


 佐竹が短く言った。


 本田は震える指で、近場のパイプ椅子をすうっと宙に浮かせた。生前の出力ならばもっと派手に飛ばせたが、わざと加減をした。強過ぎる新人は警戒される。弱過ぎても採用されない。本田はその辺の塩梅を()()()()()()()で見極めていた。


 佐竹はふん、と短く息を吐き──。


「使えるな。明日から第三班の見回りにつけ」


 それだけを言った。


 険しい目つきは本田に気を許していない証左である。


 それを、本田自身もよくわかっていた。


 ◆


 本田は阿弥陀羅において模範的な新人として振る舞った。


 第三班の見回りに律儀につき、怪異が出れば真っ先に念動で叩いた。先輩構成員たちには低姿勢を貫き、上から下まで「あいつは扱いやすい」と評された。


 ただ、それは表面上の話である。


 昼間は阿弥陀羅の一員として怪異対策の現場に出る。夜になれば、阿弥陀羅の目が届かぬ路地で、本田は変わらず人を食っていた。


 狙うのは阿弥陀羅の活動圏外で生きる孤立した避難民である。誰かに見られた事もあったが、念動で口を塞いでから喉を裂けば済んだ。死体は放っておいても何かしらの怪異が始末してくれる。


 そうして食えば食うほど、本田の力は伸びていった。


 念動の出力は阿弥陀羅入りした頃の数倍に達していた。腕力も増し、夜目が利き、息切れがしなくなった。空腹という感覚は依然としてはっきりしないが、それでも何かが()()()()()感覚は確かにあった。


 そういう日々が二か月ほど続いた。


 ◆


 ある日、佐竹に呼び止められた。


「本田」


 本田は背筋を伸ばして振り返った。


「はい、アニキ」


 佐竹は煙草を咥えたまま本田を真っすぐ見ていた。


「お前、最近なんか違うな」


 険しい目つきはさらに鋭さを増している。


「そうっすか」


「そうだ。前より()()()()()


 佐竹はそう言って煙を吐いた。


「気のせいかもな。気のせいだったら、それでいいは」


 ふん、と佐竹はもう一度息を吐き、本田に背を向けて歩き去った。


 本田は廊下の中ほどに立ち尽くしていた。


 額に汗が滲んでいた。


 佐竹の目は本田の偽装をうっすらとだが見抜き始めている。放っておけば、いずれ確信を持って本田を始末しようとするだろう──もうあまり時間がない、そう本田は思い。


 そして決めた。


 ◆


 数日後の夜であった。


 本田は佐竹に、ある提案を持ち込んだ。


「アニキ、東池袋の方ででかい怪異が出たって構成員から報告が」


「どんなのだ」


「俺、見てきました。蛇みたいなやつです。やたら素早くて、三鷹さんもかなり苦戦しているみたいです。アニキの異能じゃないとちょっと手が出せないかと」


 佐竹は本田を一瞥して煙草を消した。


「お前を連れていく」


「……えっ」


「三鷹が芋を引くとは思えねぇが、あいつ程の男が苦労してるっつうなら策を練らなきゃあならねえ。お前の念動で動きを止めろ」


 本田は俯いて頷いた。


 ◆


 二人は夜の街を歩いた。


 佐竹は先を行き、本田はその二歩後ろをついた。サンシャイン通りを抜け、東池袋の方角へ。本田が報告した「蛇の怪異」など当然ながら存在しない。


 目的地として選んだのは廃ビルの地下駐車場であった。蛍光灯はとうに切れている。コンクリートの床にはひび割れと染みが広がり、空気は黴と鉄錆の匂いがした。


 誰の目もない。


 誰の耳もない。


 誰の異能も──佐竹のそれを除いては──届かない。


 佐竹が階段を降り切った所で、本田は立ち止まった。


「アニキ」


「ん?」


 佐竹が振り向いた、その瞬間であった。


 本田は念動を()()()()()()


 佐竹の身体が見えない巨大な掌で叩かれたかのように後方へ吹き飛んだ。地下駐車場の柱に背中から激突し、コンクリートに罅が走る。


 が、佐竹は咳き込みながらも立ち上がった。


「テメェ──」


 佐竹の右手が本田に向かって翳された。


 異能である。


 膨大な空気圧が本田を全方位から圧殺しようとしてくる。


 皮膚を、筋肉を、骨を、そして内臓を押しつぶされる感覚。


 ──こりゃあ、普通の奴じゃああっというまにぺちゃんこだな。でもよ……


 本田がニタリと嗤うと、佐竹の両の目が見開かれた。


 ◆


 翌朝。


 ホテルの宴会場、佐竹の椅子に本田が座っていた。


 集められた阿弥陀羅の幹部たち──第一班から第七班までの班長、合計七名が入口の壁際に並んでいた。


 本田は煙草を咥えていた。生前は吸わなかったが、佐竹の真似をしてみたかったのだ。


「佐竹は俺が殺った」


 本田は短く言った。


 幹部たちの間にぴくりと緊張が走った。


「文句あるやつはいるか」


 一人が「お、お前──」と声を上げかけたが、本田はそいつに念動を向けた。声を上げた幹部の身体が宙へ持ち上がり、天井に叩きつけられた。


 一度、二度、三度──五度目か六度目で、その幹部の頭が割れ、脳みそと思しき肉片がだらりと垂れた。


 残る六名は言葉を発しない。発せない。三鷹もそのうちの一人だ。


 本田は煙草を一吸いして、「これからは俺がボスだ」と言った。


 誰からも反論はでなかった。


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お姉さんと僕
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