第44話:旅立ちの予感と、消えぬ刻印の熱
森でのリハビリから戻った翌日。
エリスの体調がすっかり回復したことを受け、バッシュたちは今後の旅の準備と情報収集のため、ヴェノリアの街にある冒険者ギルドへと足を運んでいた。
ギルドの大きな掲示板の前で、バッシュたちの足がふと止まる。
人だかりから少し離れた壁際で、黒い装束を纏った小柄な人影が、ぽつんと掲示板の依頼書を見つめたまま固まっていた。
昨日、森で圧倒的な暗殺術を見せてくれた暗殺者——ブルだった。
「ん……? ブルじゃないか!」
バッシュが明るく声をかけると、ブルは肩を跳ねさせ、ハッと振り向いた。
布で顔の下半身を覆ったまま、鋭い目つきでバッシュたちを睨みつける。
「……お前たちか。何の用だ」
低い声で男っぽく言い放つブルだったが、その手元にある依頼書は、どれも破格の報酬と引き換えに怪しい条件が並ぶものばかりだった。
「いや、ギルドの前に呆然と立ってたからさ。……もしかして、本当に依頼もお金もなくて困ってるのか?」
「っ……!? た、たわけたことを言うな! 私はただ、暇潰しに依頼を吟味していただけだ!」
(……なによ! どこも『正体不明の暗殺者は断る』だの『保証人が必要』だの言われて門前払いされたなんて、口が裂けても言えるわけないでしょ……っ! 今夜の宿代どころか、今日のパン一食すら買えないなんて……っ!)
強がる言葉とは裏腹に、仮面の下で荒ぶる悲鳴を上げるブル。
そんな彼女の様子を察したバッシュは、嫌みなく爽やかな笑顔を浮かべ、すっと財布を取り出した。
「なあブル。昨日見せてくれたあんたの腕前、本当に凄かったよ。……もし良ければ、俺たちの『護衛』として依頼を受けてくれないか?」
「……何……?」
「俺たちはこれから、さらに危険な地域へと向かうんだ。あんたみたいな強者が一緒に来てくれたらすごく心強い。報酬も宿代も飯代も、全部俺たちが持つ。……どうだ?」
「……正気か? 私は素性も明かしていない暗殺者だぞ。命を狙われる危険だって——」
「昨日、俺たちを助けてくれた。それだけで十分信じる理由になるよ」
バッシュの真っ直ぐで疑いを知らない瞳。
その眩しさに射抜かれ、ブルは言葉を詰まらせた。
(な……なんなのこの人たち……っ! 普通、暗殺者なんて警戒して遠ざけるでしょ!? なのに……ご飯も宿も奢ってくれるだなんて……そんなの……断れるわけないじゃないのよ……っ!)
ブルは顔を背け、フンと素っ気なく鼻を鳴らした。
「……フン。そこまで言うなら、ついて行ってやってもいい。……勘違いするなよ、腹が減っているわけではない」
「はは、助かるよ! よろしくな、ブル!」
こうして、男装の暗殺者ブルが一時的に同行することとなり、バッシュは晴れやかな顔で仲間たちを振り返った。
「エリスの体調も万全だし、心強い仲間も増えた。……よし、明後日の朝、このヴェノリアの街を出発しよう!」
「「おおっ!!」」
ゼットとレオンが威勢よく応じる。
その歓声の中で、エリスも「ええ……!」と優しく微笑みを返した。
——だが。
その胸の奥で、エリスの心は激しく、そして切なく揺れ動いていた。
(明後日には……この街を発つ……)
バッシュの隣に立ち続けるための力を手に入れた。もう足手まといではなく、彼を守れる存在になれた。それは間違いなく、エリスが心から望んでいたことだった。
けれど……街を出るということは、聖魔術師バレットの館へ通う夜が、終わりを迎えることを意味していた。
(バレット様のところへ通えるのも……明日で最後。もう会えなくなっちゃうんだ……)
宿屋へ戻り、夕闇が街を包み込む中、エリスは一人静かに自分の部屋の窓辺に立っていた。
そっと服の上から、お腹と背中に手を当てる。
服の布地越しでもはっきりと分かる、皮膚の深層で脈打つ『魔力文字』の熱。
毎夜、静まり返った館で、バレットと二人きりで過ごした時間。
二人だけの秘密を共有し、誠実な眼差しで自分と向き合ってくれたバレットの姿。
羞恥に震えながらも、静かに重ねられた刻印のひととき——バレットと重なり合い、身を委ねていたあの時間そのものが、エリスにとってたまらなく愛おしく、特別なものになっていた。
(私……バレット様と一緒にいられる、あの時間が……すごく好きだったんだ……)
バッシュへの一途で深い恋心のために受け入れた施術。
けれど、いつしかバレットと過ごした密やかな夜の時間は、エリスの心に温かな名残として深く刻み込まれていたのだった。
(バレット様……。私……私、強くなれました。でも……あと少しで、お別れなんだね……)
お腹の回路が、トクン……と甘く、切なく疼く。
(明日で、最後の施術……。バレット様と過ごせる最後の時間を……大切にしなくっちゃ……)
大好きなバッシュへの愛と、バレットと過ごした大切な時間への名残り。
二つの想いを抱えながら、エリスは明日訪れる『最後の夜』へと想いを馳せるのだった——。
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ちょっと直接的なセクシーシーンが描かれていますので、苦手な方はスキップしてください。




