第42話:密やかな夜と、甘い痺れ
バレットの館で『魔力文字』の刻印を受けてから、数日が経過していた。
エリスの体調は表向きにはすっかり回復し、日中はバッシュやゼット、そして新たに仲間に加わったレオンと共に、ヴェノリアの街で穏やかな時間を過ごしていた。
だが、夜が深く更け渡ると、エリスは一人静かに宿屋を抜け出し、霧の立ち込める古城の館へと足繁く通い詰めていた。
背中とお腹に刻まれた回路は、バレットの手によって夜ごとに微調整され、文字のラインがより深く、精密に上書きされていく。
施術を受けるたびに襲われる、肌を灼くような熱気と、身を捩りたくなるほどの甘い羞恥。
(あ……ん……っ……!)
診察台の上で服を脱ぎ捨て、バレットの細い指先や冷たい筆先が、敏感な背中やお腹を撫で回す感触。
最初は恐怖と恥ずかしさで死んでしまいそうだったはずなのに、回数を重ねるにつれ、エリスの身体はその「異常な刺激」を鮮明に記憶してしまっていた。
回路を通じて大気中の莫大な魔力が押し寄せる瞬間、全身の脈管がカッと熱くなり、つま先まで痺れあがるような強烈な全能感と甘美な快感が駆け巡る。
その熱い感触を思い出すだけで、昼間であっても下腹部の奥がキュッと熱く疼き、息が荒くなってしまうほどだった。
(私……どうしちゃったんだろう……。でも……身体が……あの熱さを覚えてる……)
恐怖や拒絶どころか、どこかで『あの夜の施術』を欲してしまっている自分——。
けれど、その背徳的な快感の根底にあるのは、いつだってバッシュへの溢れ出る情愛だった。
強くなれる。バッシュの足手まといにならず、彼の隣に立ち続けられる——その事実が、エリスにどんな苦痛も羞恥も、甘い恍惚として受け入れさせていたのだ。
——ある日の夕刻。
宿屋の食堂で、バッシュはエリスと二人きりになったタイミングを見計らい、少し意を決したように声をかけてきた。
「なあ……エリス」
「ん? どうしたの、バッシュ君?」
エリスは紅茶のカップを置き、首をかしげてバッシュを見つめた。
その瞳には、以前のような怯えや自分への不甲斐なさはなく、湿り気を帯びた艶やかさと、凛とした芯の強さが同居していた。
「いや……その、変なことを聞くかもしれないんだけどさ」
バッシュは少し言葉を濁しながら、心配そうにエリスの顔を覗き込んだ。
「ここ数日……夜、部屋にいないことがないか? 昨日の夜もゼットが気にしてたんだ。それに……なんだかお前、ここ数日で急に放つ魔力の気配が変わったというか……上手く言えないけど、前よりずっと魔力が強くなってる気がするんだよ。体調は本当に大丈夫なのか……?」
バッシュの素朴な疑問と心配の眼差し。
ただの田舎の回復術師だったはずのエリスが、短期間で明らかに強い魔力を放ち始めているのだから、違和感を抱くのは当然だった。
(バッシュ君……鋭いな……)
バレットとの「他言無用の契約」がある以上、背中とお腹に刻まれた異形の魔力文字のことも、夜な夜な館に通っていることも言えない。
エリスは心の中で密かに焦りつつも、あらかじめ考えていた「言い訳」を、落ち着いた微笑みとともに口にした。
「ふふ、驚かせちゃってごめんね。実はね……あの恐ろしい呪いを受けたでしょう? その治療の過程で、体内の魔力線に『逆流効果』みたいな変化が起きたらしいの」
「逆流……効果……?」
「ええ。呪いを打ち消す時に魔力を一気に流し込まれたでしょう? その反動で、今まで閉じていた体内の魔力回路が逆流するように活性化して……大気中の魔力を少しずつ引き込める身体になっちゃったみたいなの。夜散歩に出かけていたのは、その急に増えた魔力を身体に馴染ませるために、静かな場所で呼吸を整えていたからなんだよ」
「そうだったのか……! あの凶悪な呪いの後遺症……というか、怪我の功名みたいなものなのか」
バッシュは納得したように大きく頷いた。エリスが命懸けで自分を庇って倒れたときの凄惨さを知っているからこそ、その死線をくぐり抜けたことで身体に特殊な変化が起きたという説明に、何ひとつ疑いを持たなかった。
「……そっか。怪しいことじゃなくて良かったよ。でも、無理だけは絶対にするなよ?」
「ええ、ありがとう。心配してくれて嬉しいわ、バッシュ君」
エリスは愛おしそうに微笑むと、すっとバッシュの手の上に自分の小さな手を重ねた。
温かな体温が伝わり、バッシュの頬がぽっと赤く染まる。
「私ね、バッシュ君……。あなたを守りたいの。あの時、バッシュ君に悲しい思いをさせちゃったから……これからは、私がバッシュ君の背中を守れるようになりたいの」
(好き。大好きで……愛おしくて、たまらない)
手から伝わるバッシュのごつごつとした感触。
自分の全てを差し出してでもバッシュを支えたいという情念が、エリスの瞳に甘く、けれど揺るぎない光を宿らせていた。
「頼りにしてるよ、エリス」
照れくさそうに笑うバッシュを見つめながら、エリスの胸の奥——そして下腹部に刻まれた『魔力文字』が、キュンと熱く、甘く脈打った。
(バレット様……今夜も、私にあの施術を……あの熱い魔力を刻んでください……っ)
バッシュへの一途な恋心と、体内に刻み込まれる甘美な施術への執着。
二つの感情を抱えながら、エリスは夜の闇の中へ、再び足を踏み出していくのだった——。
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