第37話:契約の条件と、夜の決意
「秘法……? そんな……そんな力を、私なんかが手に入れることができるんですか……!?」
バレットの言葉に、エリスは掠れた声で問い返した。驚きに目を見開いた彼女の瞳には、微かな希望と、未知の領域への恐怖が入り混じっていた。
「私みたいな……ただの村娘でも、バッシュの足手ま徒にならずに……彼の隣に並んで立てるくらいの力が……っ?」
縋るようなエリスの眼差しを受け止め、バレットは静かに、だが重みのある声で深く頷いた。
「ああ。君に……相応の『覚悟』があるのならば、そうした道も間違いなく存在するだろう」
バレットは一歩身を引き、手にしていた診察道具を静かにまとめ始めた。
「だが……私から君に話せるのは、ここまでだ」
「え……?」
思いがけない言葉に息を呑むエリスに対し、バレットは落ち着き払った態度で視線を向けた。
「ここから先は、私にとっても今後の人生や立場を左右してしまうような、あまりに大きな秘密なのだよ。そのような危険な禁忌を、君に軽々しく教えるわけにはいかない」
バレットはそこで一度言葉を区切り、真剣な眼差しでエリスを見つめた。
「もしその術を知り、真に力を望むというのであれば……何があっても決して他言しないという厳格な【契約】を結んでもらう必要がある。生半可な気持ちで踏み込んでいい領域ではないのだ」
バレットはベッドの脇を離れ、病室の扉へ向かって歩き出した。そして、ドアノブに手をかけたところで立ち止まり、背越しにエリスへと静かな宣告を残した。
「君の体の呪いは解けたが、まだ経過観察が必要だ。……もし、君が本気で己の運命を変えたいと望み、秘密を守る覚悟が定まったのなら……夜、治療院を抜け出して私の屋敷を訪れなさい」
バレットは静かにそれだけ告げると、病室を後にした。
パタン、と扉が閉まり、再び部屋に訪れた静寂。
残されたエリスは、ポツンとベッドの上で一人、己の手のひらを見つめていた。
(バレット様との契約……私の運命を変える秘法……)
頭の中で、バレットの言葉が何度も、何度も重く反響する。
その夜、エリスの心は激しく揺れ動いていた。
脳裏に駆け巡るのは、これまでの旅の記憶——幼い頃、セレスティアの村でバッシュと一緒に駆け回っていた温かな日々。そして、勇者として選ばれ、泥と血に塗れながら世界を救うために必死に戦うバッシュの背中。
(私……バッシュのことが……)
これまでずっと「大切な幼馴染」だと思っていた。
けれど、バッシュが目の前で傷つき、自分自身も死の淵を彷徨ったことで、エリスは自分の胸の奥にあった本当の気持ちに気づかされた。
ただの幼馴染なんかじゃない。
自分は、バッシュのことが好きなのだと。彼を一人で傷つけさせたくない、誰よりも一番近くで彼を支えたいというこの胸の痛みは、紛れもない『恋心』なのだと。
(あの頃のままじゃ……ダメなんだ……)
クロードの死。クルルの離脱。そして、エドの冷酷な裏切り。
戦いが苛烈さを増すたび、バッシュの心と身体は削り取られていった。
その傍らで、自分はいつも守られるだけで、毒や呪いに倒れ、バッシュに『仲間を殺す』という恐ろしい罪まで背負わせてしまった。
(今の私じゃ……バッシュを救うどころか、彼を壊してしまう。これ以上、バッシュの足手まといになるなんて……大好きなバッシュを私が傷つける原因になるなんて、絶対に嫌……っ!)
恐怖がなかったわけではない。
バレットの言う秘密や契約が、どれほど異質で重大なものか、予感はあった。
けれど——自分の無力さでバッシュの隣にいられなくなる絶望に比べれば、どんな不安も吹き飛んでしまった。
(バッシュの隣に居続けるために……今、行動を起こすしかない。ここで踏み出さなきゃ……私は一生、ただ守られるだけの存在で終わってしまう……!)
葛藤の果てに、エリスの瞳から迷いの色が消え去った。
そこに宿っていたのは、可憐な村娘の面影を残しつつも、大好きなバッシュのために己の運命を切り開く、静かで揺るぎない覚悟だった。
夜が深く更け渡り、治療院の付き添い部屋でバッシュたちが深く眠りについたのを見計らい、エリスは静かにベッドを抜け出した。
まだ病上がりの体には冷気が染みたが、足取りに躊躇いはなかった。
羽織を深く被り、深い霧が立ち込めるヴェノリアの夜の街へと踏み出していく。
すべては、大好きなバッシュの隣に立ち続けるために——聖魔術師バレットの住まう古城の館を目指して。
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