第3話 大根切り
本当はもっといろいろなことをやりたかったらしい。ただ親川の送球で盛り上がったメンバーが守備に熱を入れてしまい、結局は守備練習のみで練習を終える。
「はぁ、疲れた」
今までにこれ以上の練習をしてきたはずの親川であるも、久しぶりの運動とあって疲れは隠せない様子。
「いい汗かいたんじゃない?」
「疲れた」
「そう」
意地でも前向きには捉えたくないようである。口を開けば「疲れた」の押し売り。あまりここにいたくなさそうな、早く帰りたそうな雰囲気を醸し出す彼の姿に、これをきっかけにしてほしいと願った彼女も諦める気持ちが生まれ始める。野球嫌いを謳っていても、いざやってみれば恋しくなるのではないかと思ったが、あまり変わらないような気もする。それどころかわずかに野球に反する気持ちも強くなったような。
「もう終わったなら、そろそろ帰るけど?」
「そりゃ終わったけど……」
誘った赤羽もあまり気分が上がらない。みんなで楽しくやろうくらいに思って誘ったものの、その結果、あまり楽しくなさそうな雰囲気を出しているのだから当然である。彼の視界に入った織田は「ダメだね。これ」という意味を込めたお手上げジェスチャー。
彼を野球に戻す作戦は失敗。織田の中で希望が途切れたその時である。帰る準備を始めようとする親川に向けて駆けよってくる者が1人。
「親川先輩」
唐突に声をかけられた親川は顔を上げてみる。するとそこには記憶の片隅に残った見覚えのある女子。
「えっと……ライトの子」
「長谷崎冬美です。よろしくお願いします」
出会ったのはつい数時間前であり、彼の気が抜けている時に自己紹介を受けたため、名前を覚えていないのもやむを得ない事ではある。
「で、何かな?」
「その……親川先輩って、野球部にいたんですよね?」
「あぁ……ちょっとだけなら」
その事実は今更ごまかせないため、ちょっとだけと言っておく。ただ野球経験7年半がちょっとというのはごまかし過ぎな感じも否めないが。
「よかったら、私のバッティングフォームを見てくれませんか」
「フォームを?」
「はい。本当はバッティング練習の時に見てほしかったんですけど……」
そのバッティング練習が今日は無かったのである。
「どうするかなぁ?」
あまり野球については気が進まないところがまだある。少々悩んだ素振りを見せると、不安そうな長谷崎の表情を見て隣の織田が彼の肘を突っつく。
「見てあげたらいいじゃない。何時間もかかるような話じゃないし。帰るのは待っててあげるから。グラウンドはまだ時間あるでしょ?」
彼女は赤羽や千嶋がいる方向へと振り向く。すると彼は頷いてサムズアップ。
河川敷の使用許可はあくまでも専有のため。専有権がないだけで公共物としての利用自体は可能である。
「だって。教えてあげて」
「仕方ない」
そもそも実は彼自身打撃不振に陥っている状況にわけで、本当にそんな人間のアドバイスに意味があるのか疑問ではある。ただ頼まれた上に織田からも背中を押されては、さすがにNoとは言えない。ここは自分のできることをするのみである。
「ほら。ひとまず振ってみ」
「はい」
半ば投げやり感の否めない言い様ではあるも、確かにスイングを見てみない限りアドバイスのしようもない。必要なことであるには違いない。
自分で持ってきた軽めの金属バットを手に構える。右打ちのようである。
『(教科書通りだなぁ)』
言い方に反して頭はしっかり動かす。
彼女の構えは絵に描いたようなきれいなもの。身体の軸も手の位置も、まったく悪くはない。調子はまだしも経験はなお生きている親川にしてみても、文句のつけようがない見た目である。
そこから少しだけ足を引いてのスイング始動。ただ大きく足を動かすことはなく、どちらかと言えばノーステップ打法に近い。高い位置に掲げられたバットを真ん中意識で振り下ろす。勢いよく振り抜かれたバットは空気を切り裂き、短い音を残すのみ。
「悪くはないと思うけど」
「そうね。むしろ経験者かって言うくらいにきれい。私よりもいいスイングなんじゃない?」
課題を言えばスイングスピードが遅いように見えるくらい。ただそれについては体格の問題があるため、成長が早い女子と言っても小学生には酷な話か。
「何度か振ってみて」
「はい」
一言だけ発してから無言で考え込む親川に代わって織田が提案。
長谷崎も了承して素振りを重ね、織田も彼と一緒に考え始める。
しばらく見ていた後、彼女のスイングを横から見ていた親川はふと気付く。
「雪。ちょっとスイングが大根切りじゃない?」
「大根というほどではないと思うけど、確かにちょっとダウンが強いかも? 千嶋さん。どう思う?」
「は、はい」
近くで2人の指導を横目で見つつ、帰る準備を行っていた千嶋。彼女も話に入ってくる。
「そうですね。言われてみればダウンスイングを通り越して、大根切りかもしれないですね」
経験者3人の総意が出る。
「ちょっとダウンスイングが強い気がするかな。もっと水平の意識でいいと思うよ」
「はい。分かりました」
その親川の指摘を受けた長谷崎は、レベルスイングを意識しつつ素振りを再開。まだ大根切りの傾向は抜けないものの、かなりよくなったと言えるだろう。これで織田は一安心の様子。
「それにしてもきれいな構えときれいなスイングだよね。大根切りだって、雄太に言われなければ分からないくらいだったし」
「確か野球経験者のお兄さんから数年前に習ったみたいです」
「数年前に。それで」
「それでって?」
千嶋の一言に納得するよう、短く話に入ってきた親川に織田が反応。
「体のできていない間の小さい子って、バットの重さにパワーが負けちゃうんだよ」
彼はまだ片付けていなかったバットを千嶋に持たせたうえで、バットの先を持って下に引っ張る。するともちろんのことバットのヘッドは下がる。
「そうなるとバットは予想よりも下から出てしまうから、レベルスイング意識だと実際はアッパースイングになっちゃうんだ。だから上から振り下ろす意識。たとえ実際はレベルスイングが理想でも、意識の上ではダウンスイングにしておくのがいい。すると意識と重さが殺し合って、レベルスイングになる。ちょっとバットを平行に」
指示を受けた千嶋は彼のバットを持つ力に逆らいながらバットを平行に保つ。
「でも仮にその意識を持ったままバットの重さに負けなくなる。つまり成長してパワーが付くと」
彼が急にバットの手を離すと、そのバットのヘッドが跳ね上がった。何をするか予告されていなかった千嶋は驚きの様子だが、それを気に掛けることなく彼は前を向き直る。
「ダウンスイングの意識だけが残って、大根切りになるってこと?」
「そういうこと。さっきみたいにヘッドが上がりすぎてね」
指を鳴らして織田を指さす。
「あれだけきれいな構えの指導をするお兄さんなら、このことを知っていても不思議じゃない。となると数年前、まだ体ができていない時期だと、きれいなレベルスイングだった可能性はある。それが体の成長に合わせて今みたいな大根切りになったんだろうね。女子は成長が早いし」
「そうね。昔は雄太より私の方が身長は高かったのに、中学であっさり追いつかれちゃったし」
「僕は親も身長低目だし遺伝かも。しかしそれはそうと、これだけ丁寧に指導してくれたお兄さんから、今はもう手が入っていないか」
少し疑問ではある。野球経験者である親川に教えを乞うのであれば、同じく経験者である兄に聞けばいいはずである。まったく指導が入っていないというのは、別にいろんな意見を聞きたいというわけでもないだろう。
「あまり家庭事情をしゃべるのはどうかと思いますけど……長谷崎さんのお兄さん、もういないんです」
「あぁ、就職か大学で外に出たか」
「それは仕方ないね。私たちもそろそろ進路を考えないとね。大学どこ受けようかな?」
高校2年生の2人。来年にはもう受験生である。
「時に雄太」
「何か?」
織田は思い出したように笑みを浮かべて彼の顔を見つめる。
「野球の事を話していると楽しそうだね」
「うるせぇ」
また彼の顔が仏頂面に戻った。彼女が余計なことを言ってしまったが原因であるも、今日は家に帰るまでずっとその表情を崩すことはなかった。
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
翌週の土曜日。織田が河川敷に来てみるも、そこに幼馴染の姿はない。
「今日は来ていないかぁ」
結局、彼にとって先週はまさしく織田への借りを返すだけの体験に終わった様子。チームに姿を見せる気配すらない。同じ学校に通うメンバーは話す機会もあるのだが、彼が話すことを受け入れようとはしないのだ。もちろん彼はチームに正式に加入すると決めたわけでもないし、何かしら責任のある立場と言うわけでもない。それでも織田にとっては、幼馴染の荒んだ高校生活に一石を投じるきっかけになれば。と思っていただけに残念である。
「あっ、織田さん。こんにちは」
「千嶋ちゃん。こんにちは。雄太は?」
「はい。今日も来てないです」
もしかしたらトイレに行っているだけかもしれない。と聞いてみるが、あいにくそういうわけではないようである。
「雄太も強情なんだから……」
ただ彼女にしてみれば彼の思いも分からなくもないのである。
「ねぇ、織田さん。雄太さんって、どうして野球をやめちゃったんですか?」
彼女は手近なベンチに腰掛けながら織田へと問う。聞かれた織田も荷物をベンチに降ろしながら座る。
「昔は雄太、走・攻・守、三拍子揃ったセンターで、それこそ私たちの間では漫画のような選手とか、将来はプロとか言われてたかなぁ」
「そんな人なのにどうして――」
「精神的な病気、かな?」
彼女は表情に暗い影を落とす。
「少年野球のチームは決して悪いチームじゃなかった。私が少年野球の時にしたこの怪我も、チームや監督のせいじゃなくて、ちょっとした事故と私の管理の甘さだからね」
むしろ親川や織田のいた少年野球チームは、コーチに野球好きの町医者がいたこともあって怪我には敏感であったともいえる。織田の肩に異常が出始めた頃は早い段階にて「投げられないのは辛かろう」と、禁止こそないものの投球数制限が出された。さらに1イニング限定で試合に登板し、その時偶然にピッチャライナーを肩に食らった時。それまでの蓄積に加えてその打球直撃が肩の故障の決定打となったわけだが、素早い対応があったからこそ日常生活には支障がないくらいには回復できたと言える。
「でもね、中学校から崩れちゃったの。中学の野球部の監督はね、自分が「これ」と思ったことは、何がなんでも曲げない。信念が強いとか一本の軸があるってわけじゃなくて、意地を張ってる古臭い頑固者って感じかな。そんな人だったみたいなの」
半ば中学校は選択権がなかっただけに、そうした学校に入って野球部に入部したのが運の尽きであったのだろう。
「監督は流し打ち信仰、ゴロ信仰の人みたいで、引っ張る中・長距離打者の雄太とは真反対。無理やり変えさせられて、フォームを崩して打撃が狂って。かと思えば足を生かして左に転向ってなったものの、そっちも上手くいかず。むしろそれが打撃の狂いをさらに加速させちゃったんだよね。結果としてその打撃の狂いから守備のリズムも崩し、精神的な不安定も生んで。たしか学校の成績まで落ちちゃったんだっけ?」
野球観の押し付けによって金の卵が潰されたと言ったところか。実際のところ親川は少年野球時代まで4番センターが定位置。本人の好みの都合でピッチャーではなかったが、チーム事情によってはマウンドに上がることもあった、実力十分の野球エリート。それが打撃も守備も崩壊するまでに至ったのである。
「それに加えて実力主義だったものだから、不調の雄太はベンチ入りが続いて、試合に出られなかったせいで、野球への情熱を失っちゃったみたい」
彼がその少年野球時代のまま一切の障害なく中学、高校と進んでいたとして、プロになり、成功したという保証はどこにもない。むしろそれだけの、それ以上の人間離れした怪物が平気で失敗に終わるのがプロの世界である。それでもプロに行けた可能性があったからこそ、その可能性すらも握りつぶした中学教員のくだらない意地には腹が立つ。彼のアマチュアの安っぽいプライドが野球界へと大損失を与えたと思うと、つくづくあの教員は野球指導者失格だと思う。
織田は親川の姿をずっと近くで見ていたからこそ、そして自らが野球好きだからこそ、その怒りは並大抵のものではなかった。
「そう、だったんですか」
それを聞いた千嶋も俯き、悔しそうに手を握りしめる。
「私と……私と似た境遇ですね」
「千嶋さんも?」
「私も、中学野球で野球を捨てたつもりでした。雄太さんと同じです」
その直後の彼女の話を聞いて織田は合点がいった。
彼女は親川不在の現状でチーム唯一の野球経験者である。中学野球は高校野球のように女子の公式戦出場が禁止されているわけではないため、わざわざ外部のチームに参加せずとも学校の野球部に参加すればいいはずである。にも関わらず、わざわざ近所の高校生に交じって、活動資金その他を自己負担、グラウンドのレンタルや試合相手の確保など諸手続きを自分でやらなくてはならない草野球にいるのか。その点についてはわずかながら疑問であった。しかし彼女と初めて出会った時の光景をヒントに、いくつもあった点が線で繋がったのである。
『(確かに、雄太と千嶋さんは似ている。いや、一緒。野球をやめた原因は違わない)』
織田は親川・千嶋お互いの状況を知ったからこそその結論を導き出すことはできた。そして先ほど親川の置かれた状況を説明しただけに、千嶋もそれと同様の結論を導き出せているかもしれない。だからこそ彼女は思った。
『(私が野球を辞めた理由はただのケガで雄太とは違う。でも千嶋さんは雄太と同じ。だったらもしかすると――)』
思い悩む表情の千嶋に視線を落として決心する。
「千嶋さん」
「はい?」
「雄太の家の住所。教えてあげる。会ってみない?」
そう提案した。
『(もしかすると、雄太を固い殻の中から引っ張り出せるかもしれない)』




