第2話 久しぶりのグラウンド
土曜日の米子日野川高等学校。
グラウンドから野球部員達の声がする。それも野球を毛嫌いしている身からすれば恨めしく思うところである。
草野球にしぶしぶ参加することになった親川。場所が分からないために赤羽と待ち合わせということになっている。できることならば休日くらい部屋でのんびりしておきたいところだったが、一度出てやらない限りはしつこく絡んでくるに違いない。勧誘を諦めさせて平穏な高校生活を取り戻すためには、これも必要なコストなのではなかろうか。
「おっはよ~。よく来てくれた、親川氏」
「朝っぱらからうるさい。でかい声を出すんじゃない」
いつにもまして怒りっぽい。
「はいは~い。で、なんで織田氏がいるの?」
呼んだのは親川だけのはずだが、なぜかその横には日傘を片手に持った織田の姿。
「だって雄太、絶対に1人じゃいかないし。なんなら家に出るのもやたらのんびりしていたくらいだもんね」
「別に1人でも大丈夫だ。雪じゃあるまいし」
「私はもっと大丈夫だけど?」
「いつも僕と一緒にいた方向音痴はどこのどいつだか」
「あれは小学校低学年の頃でしょ」
相当昔の話を掘り起こしてきた親川に痛烈な反論。が、
「高学年の社会科見学でも同じことがあったけどなぁ。わざわざ僕のクラスまでやってきやがって。あの時、先生が『工場内で1人いなくなった』って大騒ぎしてたし」
「あ、あれは別。トイレに行ったせいで、クラスとはぐれちゃって」
「そういうことにしておこう」
「そろそろいいかな?」
蚊帳の外に置かれた赤羽であったが、腐れ縁2人の間で勝手に盛り上がってくれたおかげで、かえって彼のツンケンした雰囲気がほぐれたか。赤羽にしてみればこうしてみると、親川の操縦ができる織田がいてくれて助かる気もする。なんだかんだ言っても、赤羽と親川はクラスメイトなだけで特別な交友関係があるわけではないのである。
練習場所自体は学校基点で徒歩圏内。それほど遠い場所ではない。
歩き始めてたった7、8分といったところ。それだけですぐに河川敷へとたどり着き、メンバーの姿が見えてくる。
「あれ? もしかして結構女の子もいる?」
意外と目のいい織田は遠くからでもメンバーを確認できたようで。
「3人。以前織田氏が会ったのが中2の千嶋由香で、チーム唯一の野球経験者。そのクラスメイトで野里八恵。で、最年少が小6の長谷崎冬美。以上」
「しょ、小6? そんなに小さい子も?」
「草野球は年齢に制限がないから。だから試合は近所の大学生とやることもあるよ」
「へぇ。世代ごとの野球しか知らないから、そういうの斬新かも」
小学生と大学生が一緒にプレーして試合になるのか疑問だろうが、野球経験ありきの少年野球~大学野球と異なり、まったくの初心者もザラにいる草野球。年齢は違えど、つまるところが初心者VS初心者の試合になることも多く、あまり年齢は気にならないところもある。もちろん同じ経験ゼロなら身体能力の差で年上の方が有利ではあるが。
「みんな、お待たせ~」
堤防上の道から河川敷へと駆け下り、手を振りながら皆の注目を集める。
「あっ、雄太さん。お久しぶりです」
面識のある千嶋は自ら駆け寄り挨拶。
「それとえっと……」
千嶋は隣の女子高生に目線を合わせ
1秒……2秒……3秒……
「織田雪」
小さくつぶやく赤羽に表情を明るくする。
「織田さん。お久しぶりです」
「忘れてたよね。議員が言ったら分かったフリしたけど、今の絶対に忘れてたよね」
当然である。なにせ千嶋にとって親川は、自らの目の前で超プレーを見せた人。対して織田は彼のオマケである。赤羽に話した時は『ゆうた』『ゆき』の名前を憶えており、その後にフルネームも彼から聞いている。が、そもそも認識がまったく違うのである。
「それじゃあ、雄太。頑張ってね。私はプレーできないし外で見てるから」
「帰れ」
それだけ吐き捨てて赤羽・千嶋と共に皆のもとへ。
「しゅうご~」
キャプテンの赤羽が全員を集める。彼の隣にいる2人に加えて、8人が集まる。総勢10名のチームの様である。赤羽が先ほど説明したように、見た目の最年少は小学生くらいの女子。上は高校生くらいであろうか。同じクラスではないにせよ、何人か学校で見たことがあるような顔もあるくらいだ。そのように年齢がバラバラであるのもそうだが、服装が揃っていないのも草野球らしい。ジャージや、学校の長袖体操服。中には外国人観光客が意味も分からず来ていそうな『境港』と行書で書かれたシャツ姿の人まで。
「みんな来てるよね。じゃあ、話をしていた新メンバーのしょうか~い」
「新メンバー? あくまでも今日だけの体験」
自然な流れで本格加入させられそうだったため、早いうちにそこは訂正しておく。
「はいはい。じゃあ、今日だけの体験ってことで、名前をどうぞ」
「親川雄太」
「以上?」
「以上。ネタがない」
らしい。
「で、向こうにいるのが」
さらに赤羽は振り返ってバックネット裏を指さす。そこでは織田が手を振っている。
「織田雪。親川氏の彼女――」
「腐れ縁」
「はい」
こうしてみると、周りに溶け込めない暗くツンケンした子である。実際問題として、現在の彼はまさしくそうなのだが。
その彼に寄って作り出された落ち込んだ雰囲気を、赤羽が手を叩いて盛り上げる。
「じゃあ、さっそく練習を始めよう。まずはキャッチボールなんだけど」
「赤羽さん。私、雄太さんとやります」
全員集まるなりキャッチボールと行きたいところだが、そこで千嶋が自ら親川と組もうと立候補。
「じゃあ、お願い。相手は決まったけど、グローブは僕が貸して――」
「いい。持ってる」
赤羽が予備のグローブを出すのを遮り、親川が自らのカバンからグローブを取り出す。ボロボロのグローブは使い込まれているのもそうだが、型ができているあたりしっかりメンテナンスもできているようで。
「な~んだ。野球嫌いって言うわりに、自分の持ってるんじゃん。それほど嫌いってわけでもなかったんだなぁ」
「親父のグラブ。借りてきた」
「親父さんは野球経験が?」
「多少は、な」
それだけの短い返しをして箱から適当なボールを手にする。掴んだ軟式球は薄汚れてこそいるものの、すり減ることなくまだしっかり縫目がある。外野後方やファールグラウンドの草むらや水たまりなど、汚れやすい環境である一方、それほど使い込んでいるわけではないことがよく分かる。
「雄太さ~ん。準備はいいですよ。好きに投げてください」
彼がボールに視線を降ろしていると、20メートル弱程度、おそらくはマウンド~ホームと同じくらい離れた場所にいる千嶋がアピール。相手が見当たらなくて困っているとでも思っているのだろう。
彼は無意識的に縫目へと指をかけると、軽く2度ほどステップして投球。適当なモーションから投げ出されたボールの割には、低く速い球筋にて胸元へのストライク送球となる。
「「「おぉぉぉぉ」」」
その少年野球でもザラにいるレベルであっても、チームのメンバーからは歓声が上がる。曰く野球嫌いの人間がいきなりそんな送球をしたのだから当然と言えば当然であるが、ということは彼が野球経験者であることは皆知らないらしい。知っているはずの千嶋も忘れているのか、あえてなのか、いずれにせよ話していないのだろう。
「親川氏、すごいな。さて自分も、っと」
手にしていたグローブをしまいつつ、自らもキャッチボールを始めようとした赤羽。そこでバックネット裏にて日傘片手に見ていた織田を思い出す。
「織田氏もやる?」
「私はいいよ。ケガ持ちだし」
「むっ、織田氏はケガをして?」
「ある種の持病でね」
それならば無理して誘う必要もないであろう。
親川の参加で11人になったため、キャッチボールに奇数人数の組ができてしまう。2人1組をきれいに作るためにも、可能であれば織田に参加してもらいたかったのだが。
「雄太さん。やっぱり上手いですよね」
今までは初心者相手にキャッチボールしていた千嶋。しかし今回は皆にはさも経験がないような言い回しをしながらも、実際にはそれなりの経験がある相手。彼女も本気で投げることができる。
親川からの投球は多少のぶれこそあるものの、ほとんどが構えた胸元へ来る。比較的荒れ気味の彼女の球は、片っ端から上手く処理してしまう。投げる分にも受ける分にも初心者離れしたそれであるも、周りには「初心者にしては凄い」程度にしか思われていない様子。そもそも彼がここに呼ばれるに至った経緯が、千嶋に見せた素手キャッチであるため、捕球については前評判通りと思われて当然であろうか。
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
キャッチボール後は少しの休憩を挟んで守備へ。
「それじゃあ、次は守備練習。親川氏は……」
「外野に行ってくる」
「う、うん」
守備位置を指定される前に自ら外野へ。彼の本職が外野であることもそうだが、あまり動きの多い内野に行きたくない理由にある。今の彼は積極的に野球へ関わりたくはないのである。
体に染みついたクセでセンターに行こうとしたが、彼はマウンドあたりですぐに向きを変える。向かう先はライトである。
皆がゆっくりと守備につき始めると、先んじてライトのポジションにいた親川へと2人が走り寄ってくる。
「はっじめましてぇぇ。米子第三中学2年生の野里八恵です。よろしくぅぅ」
「皆生小学校6年生の、長谷崎冬美です。よろしくおねがいします」
ハイテンションで年齢の壁も飛び越え、親川の作っている殻も容赦なくぶち破ってくる野里。右手にグローブを付けていることから、左利きであることは安易に想像できる。また身長は同世代の千嶋よりもやや高めで、その印象からはスポーツ少女っぽさがにじみ出している。
対して千嶋・野里と比べても小柄な体。赤羽曰く最年少の長谷崎。話しかけるのにためらいを覚えているような、どことなく落ち着きが感じられないような。いわば弱気だとか、人見知りだとか、そうした印象を与えられる。
「よろしく」
話しかけてきたのが同世代の野郎ならば、多少は突っぱねる反応でも悪くなかった。が、野里から自分の心の隙に強襲攻撃を仕掛けられ、長谷崎からは弱弱しい表情を向けられ。そんな子たちに冷たい態度をとれなかった親川はほんのり笑顔を浮かべて返す。
「じゃあ、守備練習はじめま~す」
10人がピッチャー・キャッチャー以外の守備位置につき、千嶋がホームにてグローブを持って待機。
「じゃあ、親川先輩。私が先にやりますねぇ。先輩が先にしますか?」
「お先にどうぞ」
ライトはかれこれ3人集まったことで、ローテーションしながら守備練習を受けることに。
『(久しぶりに雄太の守備が見られるかな。あれ? でも千嶋さん、バット持ってないけど……)』
親川はライトで興味なさそうに流しているようだが、割としっかり見ている織田は気付く。守備練習と言えばノッカーがいるものだが、誰もバットを持っていないのである。
「じゃあ、まずはサードっ」
「あっ、投げた」
ノックをできる人がいないのだろう。千嶋が手投げで各ポジションにボールを投げ、受けた内野手が一塁へと送球する。
『(みんな下手すぎ……)』
野球経験者の織田だからではない。きっと少し野球を知っている者ならばそう思うだろ。事あるごとにボールを弾き、送球は暴投ばかりで捕れるところに行く方が珍しい。そして捕れるところにいった送球も、きれいにファーストが弾いてしまう。弱小少年野球チームでももっと上手いのではないかと思わせるチーム状況だ。
ただ織田は違和感を覚えていた。みんなエラーに次ぐエラー。きっと部活であれば指導者から鋭い声が飛ぶところだが、和気あいあいとみんなが楽しんでいたのである。お互いに「下手くそ」だの「お前もな」だの悪口を言い合ったり、たまに見せる普通のプレーに「ナイスプレー」の声が飛んだり。
織田の知る野球と同じ野球でありながら、違う野球でもあった。
エラーなんて気にしない。「正面で捕れ」「体で止めろ」そんな『形』など誰も持ちえず指図しない。皆がただ自由に、好きなように野球を楽しんでいる。
「次、外野行きま~す」
内野守備が一巡し、次は外野の順番。わずかに後ろに下がった千嶋が、レフトへと大遠投。外野フライには届かずレフト前ヒットのような形となるも、これを問題なく処理したレフトが中継のショートへ。そのショートも案の定エラーしてしまう。
「じゃあ、ライトです。私がやりますね」
センターの番を挟んで次はライト。前に出た野里が手を挙げると、千嶋がまたもライトへと遠投。ライト前ヒット風の投球に全力ダッシュで前進していく。ただ寸前でバウンドが大きく変わってしまい弾くも、前に落としてすぐに拾い上げる。
「えっと、次は……」
「どうぞ」
野里の番が終わると次はどちらか。長谷崎が挙動不審に親川の表情を伺うと、彼は彼女を先にやらせる。
長谷崎に対しても同じような投球。しかし長谷崎は野里と異なり、待って捕球。手堅く処理して中継のセカンドに送球。お互いの対極的なプレースタイルがはっきり分かる処理方法である。
「次は親川先輩。どうぞです」
「じゃあ、雄太さん。いきますよ~」
「へ~い」
野里に勧められ、千嶋からも確認が飛ぶ。無言も気が引けた親川は軽く手を挙げて、小さめの声を出しておく。
「雄太。ボールバックよぉ。思いっきり投げちゃって」
グラウンドを織田からの声が切り裂く。
そんな彼女は完全無視してボールを待ち受ける。千嶋は今度もしっかり助走をつけてライトへ投球。投球後に体が振られたことからして、外野フライを投げたかったもよう。ただまったく距離が届かず。
『(まったく。なんで、手投げのノックなんか)』
ほんのり不満げに投球処理しようとするも、急なイレギュラーバウンドに処理を誤ってしまう。
「あぁ、やっぱり大変だよねぇ、河川敷って。グラウンドボコボコで変な方にバウンドしちゃうもん」
フォローしてくれる野里の一方、バックネットからは。
「雄太。下手くそぉ」
ヤジが飛ぶ。
「ねぇ、千嶋さん。残念だけど、雄太なんてあんなもんよ。正直、あいつが野球をしないのは下手だからだもん。上手いなら、野球部からスカウトされてるし~」
千嶋に声掛けしているようで、みんなに聞こえるような大声。どう見ても親川を徴発しているように思えるのだが、さすがの彼でもこれほど露骨に言われてはプライドが許さないのである。
セカンドが近い位置で中継に待機。ホームではボールバックに備えて千嶋が待っている。本来ならばセカンドに中継するはずだが、彼の目には千嶋しか入っていない。
「ほら。しっかりしなさい。へたくそ~」
大騒ぎする幼馴染に堪忍袋の緒が切れた親川は、走りながらに弾いた球を拾い上げる。そして思いっきり右手を後ろに引きながら左足を勢いよく踏み込んだ。
『(黙ってろ、雪――)』
歯を食いしばり、右手を振り上げる。さらに投げる側に向けていた左手を勢いよく体の方へと引く。助走に加えて、引いた左手の反動を得た腰の回転。肩・肘だけではない。身体全体を使った送球モーション。
『(少なくともお前なんかよりも――)』
すべての力を右手の人差し指・中指の2本に集める。
『(野球はうめぇんだよっ)』
鋭い腕の振りから投げ出された送球。中継のセカンドはあまりのボールに恐怖心を覚えて飛び避ける。
「え? え? え?」
ホームで待ち受ける千嶋も、まさかこんな送球が返ってくるなんて思わなかった。なにせキャッチボールでもこんな球を投げてくることはなかったのだ。
ストライク送球に見えた球は、ホーム寸前で急激に伸びて彼女の頭の上を襲う。さすがに経験者の彼女でもそれは捕球できず、バックネットに叩きつけられた球は地面に落ち転々とする。
「ふふ。ナイス送球」
それをただ1人予想していた織田はライトに向けて声掛け。
「さっさと死ね、雪」
「残念。私は天寿を全うしてやりま~す」
距離にして40メートル程度の距離で声を張り合った激しい煽り合い。
「あとで絶対殴って――」
なおも煽りを続けているわけだが、先ほどの素人ばなれした送球に皆が反応しないわけがない。千嶋こそ後ろに逸れたボールをただ拾いに行っているが、他のメンバーは「すごいルーキーが来た」と口々にして嬉々としている。
「すご~い。すご~い。親川先輩、すご~いです」
「はわぁ。すごいです」
特にもっとも近い位置にいた野里、長谷崎の女子コンビには至近距離で声をかけられる。
「いや、今のはただの暴投だし」
どうみても挑発された親川が怒って遠投した結果、ホームの千嶋を越える送球になってしまっただけ。彼の言うようにただの大暴投であり、野球部ではしばき倒されるような凡ミスである。ただ彼女たち初心者にしてみれば、コントロールはまだしもあれだけの距離を投げた分だけ十分にすごいのだ。
「千嶋氏。親川氏って野球経験あるんじゃ……」
あまり深い事情に踏み込んでいなかった赤羽は今更になって気付く。千嶋に対して聞いてみると、彼女はバックネット裏の織田へと目を向ける。
なにせ千嶋は親川が『野球をしたことがある』ということは知っているものの、部活をやっていたのか、子供会や遊び程度でやっていたのか。さらには何年程度やっていたのか、守備位置やどういった選手だったのかなど、どの程度の経験者かは知らされていないのである。この場でそれを知るのは当人と織田のみなのである。
さて、その視線を向けられた織田だったが、彼女も悩み気味に視線を逸らす。我関せずということか。




