第7話 街道の空の下で
はじめまして。鉄菊と申します。
本作は「机上の空論」と嗤われ続けた経営学者が、異世界の弱小領地に転生し、誰も知らない”理屈”だけで成り上がっていく物語です。
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村を出て、三日が過ぎた。
街道は、ロゴスが思っていたよりずっと広く、そして寂しかった。舗装などされていない土の道が、丘を越え、林を抜け、どこまでも続いている。行き交う旅人や商隊の姿は、村を離れるほどにまばらになっていった。近ごろは魔物が出る、という噂のせいだ。
「坊やは、歩くのが遅いわね」
先を行くセレナが、振り返らずに言った。フードを下ろした彼女の足取りは、軽い。
「これでも急いでるんだ」
「知ってる。だから休憩を増やしてあげてるの」
セレナの一党は、全員が魔導師だった。無口な壮年の男が二人、寡黙な女が一人、そして――あの夜、キメラに弾き飛ばされて岩壁に叩きつけられた、若い魔導師。名を、リノといった。傷はもう癒えている。
「ロゴス、これ食えよ。干し杏。甘くて力が出る」
リノは、事あるごとにロゴスに話しかけてきた。歳が近いこともあるが、それだけではない。
「……あの夜、俺を庇って前に出てくれただろ。あのとき、お前が『散るな、一点に集めろ』って叫んでくれなかったら、俺は死んでた。だから、その、なんだ。ありがとうな」
「礼を言うのは、こっちの方だよ」ロゴスは苦笑した。「俺の作戦で、君を危ない目に遭わせたんだから」
「バカ。作戦がなけりゃ、全員死んでた。――変な奴だな、お前。子供のくせに、俺たちより肝が据わってる」
焚き火を囲む夜は、存外、賑やかだった。魔法のこと、村のこと、前世で読んだ知識をそれとなく混ぜた雑談。セレナたちは、ロゴスの語る"理屈"を、面白がって聞いた。
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だが、旅は、のどかなだけでは終わらなかった。
四日目の朝、街道を塞ぐように、太い倒木と崩れた土砂が道を埋めていた。少し前の長雨で、崖が崩れたらしい。
「参ったな。この先の橋へ抜ける道は、ここしかない……はずだ」
壮年の魔導師が、渋い顔で言う。街道を大きく迂回すれば、丸二日は余計にかかる。しかも、迂回路は魔物の出没地帯を通る。
一党に、重い空気が流れた。だが、ロゴスは、荷袋から一枚の紙を取り出した。村を出る前に、ノルドや行商人から聞いた話を書き留めた、手描きの略図だった。
「大丈夫。抜け道が、もう一本ある」
「……なんだと?」
「街道が一本しかないと、こういうときに詰む。だから村を出るとき、念のため、遠回りでも使える裏道を、二本、聞いておいたんだ。一本は今の迂回路。でも、もう一本――猟師が使う、川沿いの細道がある」
セレナが、片眉を上げた。
「用意周到ね。……でも、その細道が今も通れる保証は?」
「ない。だから"二本"用意した。片方が駄目でも、もう片方が残る。一本の道に全部を賭けなければ、道が一本塞がっても、旅は終わらない」
――前世で、幾度も痛感した理屈だった。計画は、必ずどこかで崩れる。だから、崩れることを前提に、逃げ道を二重に持っておく。備えとは、うまくいく前提を積むことではなく、うまくいかない前提を、あらかじめ用意しておくことだ。
「……ついていくわ。案内なさい、坊や」
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川沿いの細道は、狭く、足場も悪かったが、確かに通れた。
だが、その途中で――一党は、魔物の群れと出くわした。
狼のような、しかし二回りは大きい魔獣が、数頭。川と崖に挟まれた細道は、まさにあのキメラ戦の隘路を思い起こさせた。
「リノ、下がって! ロゴスを真ん中に!」
セレナの号令一下、魔導師たちが陣形を組む。だが、ロゴスも、ただ守られてはいなかった。
「セレナさん、ここは道が細い。奴らは一度に二頭までしか並べない。無理に散らず、先頭の一頭に、火力を集めて!」
「――言われなくても、わかってるわよ!」
セレナが不敵に笑い、杖を掲げた。狭い道に押し込まれた魔獣へ、光の矢と炎が殺到する。隘路の理屈は、キメラのときと、まるで同じだった。数で勝る群れも、細道の中では、一度に一頭ずつしか戦えない。
戦いは、長くはかからなかった。
最後の一頭が川へ沈んだとき、リノが荒い息のまま、呆れたように笑った。
「……お前、やっぱり変な奴だよ。剣も魔法も使えないのに、一番、戦い方をわかってる」
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そして、五日目の夕暮れ。
丘を越えたロゴスの目に、それは、飛び込んできた。
広い平野の中央に、夕陽を受けて赤金色に輝く、巨大な城壁。その内側から、無数の煙が細く立ちのぼっている。城壁の外にまで、家々と天幕がびっしりと連なり、街道は、そこへ吸い込まれるように、人と荷馬車の列で埋まっていた。
――エンポリア。
村しか知らなかったロゴスにとって、それは、想像の何倍もの規模だった。人が、物が、金が、ここに集まってくる。この地方一の商都。領主アウレリウスの、膝元。
「これが……街、か」
思わず漏らした言葉に、セレナが小さく笑った。
「圧倒された? まあ、無理もないわ。あそこには、村の何百倍の人間と、何百倍の欲望が渦巻いてる」
彼女は、ふと、真顔に戻った。
「ロゴス。ここでお別れよ。約束通り、あなたをエンポリアまで送り届けた。ここから先、私たちは街の中には入れない。……あの街には、魔法ギルドの支部がある。私たちにとっては、敵の懐だもの」
「――ギルドの、支部」
「ええ。あなたが領主に告げようとしている札の商売。その元締めは、あの城壁の中にいる。気をつけて。あなたが正しいことを言えば言うほど、それを都合の悪いと思う者が、必ず出てくる」
セレナは、フードを目深にかぶり直した。
「あなたのその舌と、その頭がどこまで通じるのか――遠くから、見ているわ」
「セレナさん。……ありがとう。必ず、届けてみせる」
「ええ。信じてる。――行きなさい、ロゴス。あなたの戦場は、剣の届かない、あの街の中よ」
リノが、最後にひとつ、干し杏の袋を投げてよこした。
「またな、変な奴。生きてたら、また会おうぜ」
彼らは、そう言い残して、街道の脇の林へと、音もなく消えていった。
一人になったロゴスは、赤金色に燃える城壁を、もう一度見上げた。
(ここからは、俺一人だ。剣も、魔法も、味方もいない。――でも、俺には、俺の武器がある)
夕陽を背に、少年は、人の波の中へと、一歩を踏み出した。
(続く)
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【今回の理論メモ】冗長性とリスク分散
計画は、必ずどこかで崩れます。だからこそ大切なのが「冗長性」――本命が駄目になったときのための"予備"を、あらかじめ持っておくという考え方です。道を一本しか用意していなければ、その道が塞がった時点で終わり。二本用意しておけば、片方が駄目でも旅は続けられます。備えとは、うまくいく前提をたくさん積むことではなく、"うまくいかない"前提をあらかじめ用意しておくこと。仕事でも、納期・仕入れ先・連絡手段などを一本に頼りきると、そこが切れた瞬間に全体が止まります。重要な一点ほど、二重・三重に備えを持たせておく。それが、不測の事態に強い設計です。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます! 村編が終わり、いよいよ商業都市エンポリア編の幕開けです。今回は旅路の日常と、道中のトラブルを描きました。
テーマは「冗長性(リスク分散)」。道を二本用意しておいたロゴスの用心深さが、そのまま実生活にも効く考え方かなと思います。剣も魔法も使えない主人公が、"備え"と"戦い方の理屈"だけで一党の役に立つ――この作品らしさを、旅の中でも出せていたら嬉しいです。
セレナやリノたちとは、ここで一旦お別れ。ですが「生きてたらまた会おう」の一言、回収する日が来ると思っていてください。次回からは、エンポリアの街の盛況ぶりと、そこで出会う人々を描いていきます。ロゴスの本当の戦場は、剣の届かない街の中。領主アウレリウスとの謁見も、もう間近です。
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