第1話「境界線を歩く少女」
続きです!不定期ですが、少しずつ投稿していきたいなって思うところ。
はじめましての方々は、プロローグもぜひ読んでみてくださいね。
今日も瑠璃は、いつも通りに学校生活を送っている。服装もメイクも髪型も、校則違反の塊とはよく言ったものだ。教師や学級委員たちからは、もはや何も言われなくなった。これも一種の諦めの境地なのだろうか?
4時限目の前の休み時間。次の授業は数学で、移動教室だ。瑠璃は一人で混雑する廊下を歩いている。別にクラスの中で特段に仲の良い友達はいないし、作ろうとも思わなかった。
瑠璃はその外見から周りに疎まれることが多い。それもそのはず、ここ聖凪女子学院では瑠璃や亜香里などのごく一部の生徒しか校則違反の常習者が存在しない。それどころか周りの生徒たちは一般の家庭よりも裕福である場合が殆どだ。瑠璃のように学力の不足によってここに進学する生徒はあまりいない。要するにお嬢様学校なのだが、瑠璃たちをはじめとした問題児派閥も存在する。高い学力があることにものを言わせて、公立校や進学校に通う連中と顔を合わせたくない、ほんの一部のイレギュラーたちが聖凪女子学院に来ることもあるのだ。
そんな瑠璃が、昼前の最後の授業の移動先である視聴覚室へと歩いているときだった。聖凪女子学院の視聴覚室は、今の校舎の横に残されるように建っている旧校舎の中にある。旧校舎の中に入れば、今は使われていない教室も幾つかある。そして、そのうちのひとつを瑠璃が通り過ぎたとき。教室のドアの窓越しに、見えた。
誰かがいる。誰かが教室の中にいる。彼女はその藍色の瞳で、瑠璃をじっと見つめている。
「……誰?」
瑠璃は思わず、その教室のドアを開けて中に入ろうとした。けれど、開いたドアから中を見ても誰の姿も無かった。
(私の見間違い?それとも私が疲れてるだけ?)
瑠璃は首をかしげながら教室の外へと戻る。透き通るような、深淵を覗いているような藍色の瞳。肩のあたりで切りそろえた、さらりとした髪。何年も前に変更されたはずの、一世代前の純白のセーラー服。どこか冷たそうな白い肌。そしてこちらを見て、少しだけ、ほんの少しだけ微笑んだその表情。
全てが現実離れしているように瑠璃には感じられた。
そして瑠璃はそのことばかり考えていたから、教室を出た瞬間に、廊下を歩いていた亜香里にぶつかった。
「おい神城、少しは前見て歩けよ」
不機嫌そうに亜香里が瑠璃を小突く。普段なら、うるさいな、と一蹴する瑠璃だったが、今回は先程の少女のことばかりを考えていたせいで亜香里に言い返すことは無かった。
「ああ、ぶつかっちゃった?ごめん」
瑠璃は亜香里に素直に頭を下げる。亜香里はそんな瑠璃の様子に怪訝そうな表情をした。
「なんでこの教室の中にいるんだよ。誰かいたのか?」
「ううん、なんでもない」
「はあ、変なやつ」
瑠璃はそう返すのが精一杯だった。頭の中で、先程の少女の顔を必死に思い出す。どこかで見たような、懐かしい表情だったような気がする。けれど、なぜか明確に彼女の表情を思い出すことが出来ない。一歩一歩、歩いていくごとに少女のことを忘れていくような、不思議な感覚だった。そして瑠璃が視聴覚室に到着する頃には、少女のことは瑠璃の頭の中には残っていなかった。
「瑠璃ちゃん、今でも驚いたときには同じ表情をするのね」
先程の少女が、教室の中でくすりと笑う。その笑顔はあまりにも冷たくて。そして、どこか懐かしむような表情だった。
「もう貴女も十分に大きくなった。そろそろ良い頃合いでしょう」
彼女はそう言うと、背中の細長い背負いものを取り出す。くるんでいる布を取り外すと、中からは銀色に光る巨大な万年筆が現れた。いや、正確には万年筆の先端のニブというべきだろう。少女の背丈ほどもあるそれは、もはや文房具としての原型は保っていない。端の部分はまるで刀身のように研がれている。
少女はその大剣で、おもむろに目の前の空間を切り裂いた。何もなかったはずの空中に切断面が現れる。いや、裂け目とでも呼ぶべきだろうか。その少女はぽっかりと空いたその空間に足を踏み入れる。次の瞬間には、教室には誰の姿も無かった。
放課後。瑠璃は教室の机に突っ伏していた。昼前に、何かとても重要な出来事があったような気がする。でもそれが何かは、はっきりとは思い出せなかった。別に怖いという感情はない。どこか懐かしいような気がしていた。長い間会えなかった人と再会できたような、そんな感覚に似ていた。けれど、その原因は何だろう。
誰かにこのことを話そうと瑠璃は思わなかったが、あいにくこの日の放課後は暇人を見つけられなかった。日和は美術部の部活動、綾は生徒会の会議、そして亜香里はいつものごとく既に帰ってしまっていた。
「……」
瑠璃は考える。そしてしばらく思考を続けたところで、ようやく思い出せた。少女だ。あの少女はこの学校の生徒だろうか。制服から考察するに、その可能性は限りなく低そうだと瑠璃でも分かった。であれば、あの少女は真っ昼間からこの学校で何をしていたのか、ということになる。自らの学校をサボってまで、ここまで来たのだろうか。学校をサボって、別の学校に来る者があるか。何のためだろう。別に瑠璃は、普段から他人に対して深掘りして考えるということはしないが、今回だけはどうしてかあの少女のことが頭から離れないのだった。
「もう一度だけ会えたりしないかな」
瑠璃は気まぐれに呟いてみる。教室には誰もいないからその言葉を聞くものもいないし、返事があろうはずがない。そう思っていた。
「あら、すぐ傍にいるからいつでも会えるわよ」
耳元で、あの声がした。瑠璃は反射的に振り返る。誰もいない。気のせいか、と安心しきった瑠璃がもう一度正面を見ると。
いた。目の前に、昼前に会ったあの少女。柔らかい微笑みを浮かべて、じっと瑠璃の目を見つめている。
「きゃあっ」
思わず瑠璃は少しだけ叫んでしまう。そんな彼女の姿を見て、目の前の少女はくすりと笑った。
「だ、誰?名前は?どこから来たの?何をしに……?」
「質問攻めにされても困るわ」
少女は困ったような顔を見せた。けれどすぐにさっきのような笑顔に戻る。
「お昼に会ったときはちゃんと挨拶できなかった……だからここで自己紹介させてね。私は叶姫。貴女を守ってきた、いわば『守護霊』役の仄よ」
その言葉を聴いた瑠璃はますます首をすくめる。ここ、細波市では、「仄」は人に取り憑いて命を奪う存在。そんなやつが目の前にいるのだ。恐怖しないわけがない。
「どっか行って、私に近づかないで!」
瑠璃は椅子を掴んで身体の前に構え、叶姫と間合いを取る。警戒心がむき出しの瑠璃の様子を見て、叶姫はどうやら悲しく思ったようだ。さっきまでの微笑みに少しだけ影がさす。
「何もそんなに邪険にしなくてもいいでしょう?貴女を殺そうという意思が私にあれば、とっくに殺せているのよ」
叶姫は背中の背負いものを取り出すと、目の前の机にそっと置く。そして、何もない両手を瑠璃に向かってひらひらと振ってみせた。
「瑠璃ちゃん、敵意はないの。信じてとは言わないけれど、もう少し話してから信じるか決めてもいいんじゃない?」
考えてみればそうだな、と瑠璃は思った。目の前の少女の言葉に乗せられている気はしないでもないが、少なくとも今は、この仄は自分に対して悪意を持って近づこうとはしていない。少しだけ言うことに耳を傾けてみることにするか。
「……分かった、じゃあ少しだけ信じてあげる。私は神城瑠璃。叶姫って言ったっけ、私に何をしに来たの?」
そんな瑠璃の反応で警戒を解き始めたのが伝わったのか、叶姫は少しだけ表情を柔らかく戻した。
「ええ、話を聴いてくれてありがとう、瑠璃ちゃん。単刀直入に言うと、実はね、貴女に頼みがあるの」
「そろそろ瑠璃も帰ってくる頃じゃないかしら」
同じ頃、瑠璃の自宅では、翠が夕食の支度を始めたところだった。時刻は午後5時過ぎ。ちょうど仕掛けてあった炊飯器の炊き上がりのブザーが鳴った。
「それじゃ、仏様にご飯をあげましょうか」
翠は棚から白塗りの器を取り出して、炊飯器の蓋を開ける。湯気の立ち上る白飯を器に盛った翠は床の間の奥にある祖霊舎に、お茶の入った茶碗と一緒に白飯を供え、手を合わせた。
「もう長らく外に出てきてないわね、少しだけ顔を見せてくれてもいいんじゃない?」
そんな翠の言葉に反応はない。翠は困ったように息を吐いて立ち上がった。
「……翠様、お待ちください」
そんな翠の肩に、背後から誰かがそっと手を乗せる。翠は振り向いて、祖霊舎から出てきた女性の背中にそっと両手を回した。
「久しぶりね、賽衛。寂しかった」
「申し訳ありません、翠様。この祖霊舎の外に出るのにも体力を使うものですから」
「無理しなくてもよかったのに……」
神城家の祖霊舎から出てきた彼女、賽衛。見た目は人間そのものだ。古めかしい旅の装束を身にまとい、小脇には頭に被る笠を抱えている。そう、彼女は渡り巫女の姿をかたどる仄。ただ、その服装はところどころ破れたり汚れたりしていて、お世辞にも綺麗とは呼べない。しかし彼女の表情はどこか気品があり、それでいて謎めいている雰囲気が感じられる。
「翠様、こうして目の前にいることができる時間には限りがあります。せめて必要なことだけでも先に伝えさせてください」
そう言った賽衛は、祖霊舎の手前に置かれてある遺影を手に取る。長めに伸ばした艶のある黒髪と、深い藍色の瞳がひと目見たら忘れられなくなるような、そんな少女がぎこちない笑顔で写っている。
「奏芽がどうかしたの?」
「奏芽様は……彼女は、戻ってきます。必ず、ね」
「でも、あの子は7年前に私たち家族の前からいなくなったきりでしょう?諦めたつもりは無いけれど、賽衛に分かる特別なことってあれ以上にあったかしら?」
賽衛は持っていた遺影をそっと戻すと、翠へと向き直る。そして、翠の両手を自分の手で優しく包みこんだ。
「私には分かります。奏芽様はすぐそこまで帰ってきています。そして、神城家を護る役目を持つ仄である私は、彼女がどんな姿であろうと守る義務がある。それだけのことです」
翠はその言葉に頷くと、賽衛の前髪をどかして両目を見つめる。優しく微笑む左目。傷が癒えず骨が剥き出しになり、もう失われた右目。翠には、賽衛が人間の姿をしたがらないのは傷を隠したいからというのが痛いほど分かる。右目や腕の一部など、白骨化が進んでいるところを人には見せたくないようだ。けれど、翠の前だけで本当の姿を見せてくれるのは、賽衛が心を開いてくれている証拠かもしれない。
「……で、なんで私の家まで付いてくるの」
もうすっかり暗くなった頃、瑠璃の家の玄関の前。瑠璃は叶姫に不満顔だった。
「仄ごときに私の家に入られたくない」
「そんな堅いこと言わないで。貴女に見えるように傍にいさせてほしいってお願いを聞き入れたのは貴女よ?ほら、お母さんが待ってるんじゃなくって?」
一方の叶姫は楽しそうである。それもそうかも知れない。瑠璃の目には脅迫のように映っても、叶姫にとってはただの「お願い」なのだ。
「あんたみたいな性格、好きじゃないなあ」
そう言いつつも、瑠璃は玄関の扉を開いた。
「ただいまー」
「あら瑠璃、お帰りなさい」
翠が奥のキッチンから出てくる。瑠璃は笑顔を必死に貼り付けて、翠を見た。こういうときの翠は、なぜか勘が鋭い。何か怪しいことや心配事が瑠璃にないかと必ず訊いてくる。もし尋ねられたとしても、平静を装って返答しなければならない。というより、翠に叶姫の姿が見えたら努力も何も無いのだが。
「ねー、お母さん?私の後ろに何か付いてない?」
とりあえず、質問で誘導してみる。
「ゴミも何も無いわよ。強いて言えば、綺麗な髪が垂れてるわね」
「……そういうのいいから」
照れる。とりあえず翠には叶姫の姿は見えていないようだ。安心した。
「瑠璃、早く手を洗って、お風呂に入ってきなさい?もうご飯の支度ができるわよ」
「はーい」
叶姫は瑠璃と翠の間に現れるつもりは無いらしい。どうやって隠れたのかは知らないが、その配慮はありがたく思う瑠璃だった。
しかし、事件や事故は突然起こるものだ。それは、瑠璃にとっても例外など無い。
「きゃあっ」
瑠璃は腰を抜かした。浴槽の中で。
「そんなに驚かなくてもいいんじゃない?」
「出てって、出てって!この変態女!」
瑠璃は持っていたタオルで、必死に叶姫を叩く。けれど叶姫は面白がるばかりで、浴室から全く出ていく気配が無い。しかも、品定めするように瑠璃を見てくるのが気に食わないし気持ち悪い。
「そこまで言わないでよ。別にナニかしようってわけじゃないのに」
「わー、絶対下心あるやつの台詞。ただで私の身体を拝もうったって、そうはいくもんか」
瑠璃は湯船の中にこもってしまった。叶姫は相変わらず、湯船の外で瑠璃が出てくるのを笑顔で待っている。
この不毛なチキンレースから先に脱落したのは、瑠璃の方だった。そう、のぼせたのだ。
「くー」
無理をしすぎたようだ。伸びた瑠璃を見た叶姫は、苦笑する。
「ちょっといじめすぎたかな?可哀想なことをしちゃった」
叶姫は瑠璃の身体を湯船から持ち上げると、浴室の外まで運び出す。扇風機で身体を冷やして、寝間着を着せて。
「ちょうど、貴女がすごく小さかった頃を思い出すみたい」
叶姫は瑠璃に聞こえないように呟いた。
「瑠璃、相当お風呂が長かったわね」
食卓についた瑠璃に翠が尋ねる。
「ごめん、長く入りすぎて少しのぼせたみたい」
気をつけるよ、と両手を合わせる瑠璃。あのあと、意識がはっきりとしてから叶姫に謝られた。必死に頭を下げる叶姫が可哀想だったから許して上げた瑠璃だったけれど、正直、浴室に勝手に入ってくるのはやめてほしいものだ。
「今日のお献立は……クリームシチューにサラダに、これ、もしかして翠さんの家庭菜園で育ったブロッコリーじゃない?春に種を蒔いたのね」
瑠璃の横で、叶姫はもういつもの調子に戻っている。しかも、翠の作った夕食を覗いてくる。そして、どうして翠が家庭菜園をしていることを知っているんだろう?
「いいから、少しだけ黙っていてよ」
「えー、別にいいでしょう?翠さんにバレなければ大丈夫だと思うのだけれど」
勝手なものである。翠が勘づいていないことが唯一の救いかもしれない。
「瑠璃ちゃん、どうかな、美味しい?」
翠が尋ねる。
「うん、今日も美味しいね」
「いいなあ、私も仄じゃなければ食べてるところよ」
その日の深夜。2階の瑠璃の部屋では、話し声がかすかに聞こえる。
「ねえ、叶姫ってさ、私の姉さんと同じ名前だよね。顔も似てるし。何か関係あるの?」
瑠璃は気になったことを片っ端から質問してみる。考えてみれば、叶姫は瑠璃の姉である奏芽と名前の読みが同じだし、顔も奏芽が姿を消した頃のものとよく似ている。しかし、叶姫は首を振った。
「いいえ、何も貴女のお姉さんと関係は無い。名前が同じなのは偶然だけど、表情は貴女が親しみやすいものに変えたつもりよ。ほら、仄は姿かたちをある程度は自由に変えられる」
そう言って、叶姫は顔を瑠璃と似たものに変えてみる。
「なんか自分と話してるみたいで嫌だなあ」
そう瑠璃に嫌がられたので、すぐに奏芽の顔に戻したが。
「で、どうして私の横にずっと付き添ってるの?絶対に悪い理由あるでしょ」
瑠璃が目を細める。まだ完全に叶姫を信用していない証拠だ。
「理由?ひとつは貴女を守るため。貴女の知覚できない脅威からね」
「他には?」
瑠璃が急かした瞬間、叶姫の飄々とした表情が、すっと真顔になる。
「他の仄を狩るためよ。ひとつ残らず、ね」
1階の床の間。ここは翠の寝室代わりとなっている。ここ2年程は、夫が単身赴任中のために一人で寝ている。ただし、寂しくはない。正確には一人では無いからだった。
「ねえ、賽衛、起きてる?」
祖霊舎からの返事は無い。けれども翠はそれが無視だとは思わない。賽衛は話を聞いていないわけではなく、返事をするだけの体力が無いだけ。賽衛が外に出てきて返事をすることは、ここ5年間でほとんど無くなっていた。そう、奏芽がこの家からいなくなった頃からだ。
「今日、懐かしい人に出会ったわ」
翠は続ける。
「ちょうど、奏芽とそっくりな子。髪はあの子みたいに長くなかったけれど、帰ってきてくれたのかと思ったの」
その時だった。祖霊舎から、人影が姿を現した。
「……翠様、仄を見たのですね?」
「賽衛!話を横で聞いてくれるだけでよかったのに。お昼もそうだけど、無理してここまで出てこなくても大丈夫よ?」
「いいえ、大切なことです。翠様は、彼女が仄だと確信できますか?」
賽衛は翠の両腕を掴んで、消え入りそうな声で必死に訊いてくる。
「ええ、あの子は仄だった。でも、瑠璃と仲がいい感じだったから安心したわ」
しかし、翠の返事を聞いても、賽衛は厳しい表情を変えない。
「翠様に危害は加えないでしょう。瑠璃様も今日の時点で無事ならば、しばらくの間、問題は無いはずです。しかし私には分かる。あの仄は必ず誰かを殺します」
ここまでいかがだったでしょうか?面白いって思って頂けたら嬉しいです。
ぜひまた次の回も遊びに来てください!




