第4章 十年以上前の私を探す
障害年金を申請しよう。
そう決めた私は、まず制度について調べ始めた。
そして、かなり早い段階で、ひとつの言葉にぶつかった。
初診日。
障害年金では、その病気やけがについて、初めて医師の診療を受けた日がとても重要になるという。
今通っている心療内科へ初めて行った日ではない。
今回、症状が悪化して通院を始めた日でもない。
その症状について、最初に医療機関を受診した日。
私の場合、それはずっと昔だった。
記憶をたどる。
確かに、病院へ行った。
薬も処方された。
けれど、それはもう十年以上前のことだった。
2014年6月。
嫌な予感がした。
当時通った病院に問い合わせてみた。
そして、その予感は当たった。
カルテが残っていなかった。
そりゃそうか、とも思った。
十年以上前だ。
私自身、当時のことを事細かに覚えているわけではない。
医療機関だって、いつまでもすべての記録を保管しているわけではない。
けれど、こちらにしてみれば困る。
確かに私は、そこへ行った。
確かに診察を受けた。
薬ももらった。
それなのに、
「確かに行きました」だけでは証明にならない。
制度というものは、当然ながら記憶だけでは動いてくれない。
では、どうすればいいのか。
調べた。
年金事務所にも相談した。
カルテが残っていなくても、初診日を確認する方法がまったくないわけではないことを知った。
当時の診察券。
お薬手帳。
領収書。
健康保険の記録。
受診したことが分かる当時の記録。
そして場合によっては、その事実を知っている第三者による証明。
探せるものは、探してみようと思った。
とはいえ、十年以上前である。
診察券なんて、とっくにどこへ行ったか分からない。
領収書もない。
お薬手帳だって残っていない。
さて、どうしたものか。
そこで思い出した。
私は、昔からよくインターネットにものを書いていた。
嬉しかったこと。
腹が立ったこと。
どうでもいいこと。
そして、つらかったことも。
当時の自分が、何か残していないだろうか。
私は昔の投稿を遡り始めた。
十年以上前の自分の言葉を探す。
それは少し、不思議な作業だった。
今の私なら忘れてしまっているような一日を、昔の私はその日のうちに書き残している。
天気のこと。
仕事のこと。
家族のこと。
どうでもいい愚痴。
そんなものを、ひとつずつ遡っていく。
そして――見つけた。
「とうとう、心療内科へ。薬の力を借りて、久しぶりに眠れた。」
2014年6月。
間違いなく、あのころの私が書いた言葉だった。
しばらく、その短い文章を眺めた。
――いた。
そう思った。
十年以上前の私が、そこにいた。
「とうとう」という言葉に、それまで受診をためらっていた私がいる。
「薬の力を借りて」という言葉には、実際に診察を受け、薬を処方されたことが残っている。
そして、
「久しぶりに眠れた」
そのひと言には、当時の私がどんな状態だったのかまで残っていた。
たった一行だった。
書いた本人は、十年以上たった自分が、この一行を必死に探すことになるなんて想像もしていなかっただろう。
ましてや、その一行が障害年金を申請するとき、自分を助ける材料になるなんて。
けれど、これで少なくとも、
「十年以上前に、確かに心療内科を受診したと思います」
という、私の記憶だけではなくなった。
そのときの私自身が、その日のことを書き残していた。
昔の私に言ってやりたくなった。
よく書いておいた。
あなたが何気なく残したその一行を、十年以上あとの私が見つけたよ、と。
そして、もうひとつ。
当時の私の状態を知っている人に、第三者として証明してもらう方法があることも分かった。
私は二人にお願いすることにした。
自分の過去を、誰かに証明してもらう。
考えてみれば、少し妙な話だ。
けれど、それだけ長い時間が経っているのだ。
私一人の記憶だけでは足りない。
助けを受けるために、今度は周りの人にも助けを求めることになった。
ここでも、以前の私なら躊躇したかもしれない。
迷惑じゃないだろうか。
こんなことを頼んでいいのだろうか。
そこまでして申請する必要があるのだろうか。
けれど、もう決めていた。
使える制度は、使おう。
そのために必要な助けなら、お願いしよう。
少しずつ、私はそれができるようになっていた。
初診日を証明するための材料が、少しずつ揃っていった。
けれど、それで申請の準備が終わるわけではなかった。
次に私を待っていたのは、一枚の書類だった。
病歴・就労状況等申立書。
これまで自分がどんな状態で生きてきたのか。
どう働いてきたのか。
日常生活の何に困ってきたのか。
それを、自分自身の言葉で書かなければならない。
書類を書く。
ただ、それだけのことだと思っていた。
けれど、実際に向き合ってみると、それはまったく違った。
私はこれまで、苦しいときほど「できること」を探してきた。
まだ働ける。
まだ家事ができる。
まだ笑える。
だから大丈夫。
そうやって、自分を支えてきた。
ところが今度は、その反対だった。
何ができないのか。
何に困っているのか。
どんな助けが必要なのか。
それを、自分の手で書かなければならない。
助けを受け取るためには、まず、
「私は困っている」
と、自分自身が認めなければならなかった。
それは、思っていたよりずっと難しいことだった。




