第2章 「普通」ということ
精神障害者保健福祉手帳。
その制度を知ったとき、最初に思ったのは、
――私が?
ということだった。
仕事には行っている。
一人で電車にも乗る。
買い物もできるし、料理もする。
友達と会えば笑うことだってできる。
私の中には、「障害者手帳」というものに対する勝手なイメージがあった。
もっと日常生活が難しい人。
働くことのできない人。
誰かの助けがなければ生活できない人。
そういう人のための制度なのではないか。
だから、私には関係がない。
――また、自分で自分を審査しようとしていた。
けれど、調べてみるとそうではなかった。
精神障害者保健福祉手帳には等級があり、働いているから申請できないというものでもない。
そして、申請に診断書を使う場合、その精神疾患について初めて医師の診療を受けた日から、6か月以上経過している必要があった。
私は決めた。
半年、ちゃんと通院しよう。
そして半年経ったら、先生に相談してみよう。
それまでは治療を続けよう。
薬を飲んで、診察を受けて、自分がどう変わっていくのかを見てみよう。
そのころには、治療を始めたばかりの私とは、少し変わっていた。
ある日の診察で、先生に近況を聞かれた。
私は答えた。
「死にたくなくなりました」
自分でも、不思議な言葉だった。
少し前まで、死ぬことを考えるのは、私にとって珍しいことではなくなっていた。
朝起きても。
仕事をしていても。
家へ帰っても。
頭のどこかに、それがあった。
だから、それを考えなくなったことを、私は「良くなったこと」として先生に報告した。
先生は、少し微笑んだ。
そして言った。
「それが、普通なんですよ」
ああ。
そうなのか。
私はそのとき、初めて気づいたような気がする。
死にたいと思わずに一日を過ごすことは、特別に調子のいい日の状態ではない。
それが、普通なのだ。
私はいつの間にか、その「普通」からずいぶん遠いところまで来ていた。
それなのに、
まだ働けるから。
笑えるから。
家事ができるから。
もっと大変な人がいるから。
そんな理由を並べて、自分は大丈夫なのだと思おうとしていた。
半年が過ぎた。
私は、決めていたとおり先生に相談した。
精神障害者保健福祉手帳を申請してみたい、と。
診断書を書いてもらい、必要な書類を揃えて、申請した。
やることだけを書けば、それだけだ。
けれど私にとって、申請書を出すということには、もう少し別の意味があった。
「私は助けを必要としている」
そう認めることだった。
以前の私なら、できなかったかもしれない。
苦しくても働けるなら大丈夫。
眠れなくても翌朝起きられたなら大丈夫。
死にたいと思っても、本当に死ななかったのだから大丈夫。
私はいつも「まだできること」を数えて、自分が苦しいことを打ち消してきた。
でも。
できることが残っていることと、困っていないことは同じではない。
働いていても、助けを必要とする人はいる。
笑っていても、助けを必要とする人はいる。
そして、その中に私もいた。
申請を終えると、今度は結果を待った。
待っている間にも、ときどき思った。
やっぱり私は対象にならないんじゃないか。
大げさだったんじゃないか。
けれど、もう申請はした。
対象になるかどうかを決めるのは、私ではない。
そしてある日。
マイナポータルを確認すると、結果が出ていた。
3級。
しばらく、その文字を見た。
単純に「よかった」と喜んだわけではない。
それは同時に、私が抱えてきたものが、制度上も支援を必要とする状態だったと認められたということだから。
それでも私は、ほっとした。
気のせいじゃなかった。
その思いが、一番近かった。
私が弱いからでもない。
気にしすぎるからでもない。
頑張りが足りなかったからでもない。
私が抱えていた困難は、「気の持ちよう」の一言で片づけていいものではなかった。
小さな一枚の手帳だった。
けれど私にとって、それは単なる証明書ではなかった。
助けを受けてもいい。
そう言われたような気がした。
そして、一度そう思えるようになると、それまでなら「私には関係ない」と通り過ぎていた制度にも目が向くようになった。
使える制度は、ほかにもあるのではないか。
調べていくうちに、ひとつの言葉に行き着いた。
障害年金。
けれど、それを見た私はまた思った。
――いやいや。
さすがに、これは私じゃないだろう。




