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わたしが、助けを受け取るまで。───続「いのち」  作者: 水瀬 悠里


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第1章 戻ったはずの日常

 私は一度、心を壊した。


 そのことについては、以前の手記に書いた。


 何があったのか。

 どうして死ぬことまで考えるようになったのか。

 そして、そこからどうやって戻ってきたのか。


 だから今回は、そこを詳しく書くつもりはない。


 これは、その後の話だ。


 私は仕事に戻った。


 朝になれば起きて、電車に乗って、働いて、家に帰る。


 家族とくだらないことで笑う。

 友達と会って、何時間も喋る。

 好きなものを見つけて夢中になったり、物語を書いたりもする。


 傍から見れば、たぶん普通だったと思う。


 私自身も、そう思っていた。


 もう大丈夫なのだ、と。


 けれど、心というものは、そんなに都合よく「元通り」にはならないらしい。


 職場が変わった。


 仕事内容が変わった。


 人間関係が変わった。


 働いていれば、誰にでも起こることだ。


 けれど私の中では、その変化をきっかけに、ずっと奥へ押し込めていたものが少しずつ顔を出し始めた。


 誰かの声色が気になる。


 表情が気になる。


 何気ない一言を、何度も頭の中で反芻する。


 私が何か間違えたのではないか。


 迷惑をかけているのではないか。


 役に立っていないのではないか。


 そして、あの言葉がまた出てくる。


 ――私なんか。


 最初は、それほど深刻には考えていなかった。


 疲れているだけ。


 新しい環境に慣れていないだけ。


 もう少し頑張れば大丈夫。


 以前と同じように、そう自分に言い聞かせた。


 けれど、眠れなくなった。


 突然、心臓が速くなる。


 冷たい汗が出る。


 息を吸っているはずなのに、うまく吸えていないような気がする。


 そして何より怖かったのは、せっかく遠ざかっていたはずの「死」が、再び頭の中に現れるようになったことだった。


 せっかく取り戻したはずのものが、また指の間からこぼれていく。


 これは、まずい。


 ようやく、そう思った。


 これは、気合いでどうにかするものではないのかもしれない。


 病院へ行こう。


 今となっては、たったそれだけのことだ。


 けれど当時の私には、その決断にも少し勇気が必要だった。


 心療内科に通うほどなのだろうか。


 もっと大変な人がいるのではないか。


 この程度で助けを求めていいのだろうか。


 私はいつも、助けを求める前に自分で自分を審査していた。


 そして決まって、


 ――まだ頑張れる。


 そう判定していた。


 病院へ行った。


 治療が始まった。


 薬を飲み始めた。


 すると、少しずつ変化が現れた。


 頭の中を占めていた「消えてしまいたい」という考えが、薄れていった。


 職場にも相談した。


 診断書を書いてもらい、働き方について配慮を受けるようになった。


 そこで初めて、私は自分がずっと「根性」や「性格」の問題として片づけようとしていたものを、違う角度から見るようになった。


 これは、気のせいではないのかもしれない。


 私が弱いからでもないのかもしれない。


 そんなある日、調べものをしていて、ひとつの制度を知った。


 精神障害者保健福祉手帳。


 文字を見た瞬間、私は思った。


 ――いやいや。


 私が?


 仕事にも行っている。


 買い物にも行ける。


 友達と会えば笑うことだってできる。


 「障害者手帳」という言葉は、当時の私にはあまりにも重かった。


 当然のように、いつもの言葉も出てきた。


 もっと大変な人がいる。


 けれど。


 そのころの私は、以前の私とは少しだけ違っていた。


 病院へ行ってもいいと思えた。


 薬に助けてもらってもいいと思えた。


 職場に配慮を求めてもいいと思えた。


 だったら。


 これも、私が勝手に「対象外」と決める必要はないのではないか。


 制度には、制度の基準がある。


 対象になるかどうかを決めるのは、私ではない。


 申請できるのなら、申請してみよう。


 今振り返れば、それは小さな決断だったのかもしれない。


 けれど私にとっては、


 「助けてもらってもいい」


 と、自分自身に許可を出すための、最初の一歩だった。




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