第50話 死者の声は竪琴の音色に乗せて(後編)
〔ジェラルド〕
透明感のあるやわらかくやさしい声――聞き間違えようもなく、イザベルのものだった。生まれてから何度こうして呼びかけられたことか。
「母上……?」
〔このようにあなたと言葉を交わせる日が来るなんて。なんだか不思議だわ〕
どこから聞こえるのか分からない。竪琴の音色に混じって、周りの空気そのものが震えているように感じる。おかげで、ジェラルドはどこに向かって話しかけていいのか分からない。黙って竪琴を弾いているアメリーに向かって声をかけるのが、一番自然に思えた。
「母上は八年前も私を呼んでいました。何を伝えたかったのか、ずっと気になっていたのです。改めて聞いてもよろしいでしょうか?」
ほんの束の間の沈黙が走る。何か考えているのか、それとも口にするのをためらっているのか――。
〔あまりに昔のことで、忘れてしまったわ。何を言おうとしていたのかしら〕
嘘だろうと思ったが、ジェラルドはあえて問いただしはしなかった。魂となったイザベルが伝える必要のないことだと思うなら、生きている自分から問うのは間違っている気がしたのだ。
「それなら良いのです。私もただ母上にひと言伝えたくて、こうして話をさせてもらっているだけですから」
〔あなたの言いたいことは知っているけれど、せっかくだから直接聞いた方がいいかしらね〕
かすかに笑みの含まれる声が返ってくる。ジェラルドも今更ながらそれがおかしくて、声をもらして笑いそうになっていた。
魂となってジェラルドのそばに居続けたイザベルは、すべてを見てきたのだ。何を考え、何をしてきたのか。どうしてアメリーに頼んでまで、イザベルと話したがっていたのか。
本当はこうして話をする前に、イザベルはすべて知っていたのだ。
「アメリーから聞きました。母上が悪霊たちから私を守ってくれていたと。今こうして私が生きているのは、母上のおかげです。直接、感謝の意を伝えたかった」
〔その感謝を素直にうれしく受け取れる日が来るとは、思っていなかったわ〕
「それはどういう……?」
〔少し前のあなたは、生きることに喜びを感じていなかったから。あなたを生かそうとしていることは、わたしの我がままでしかないと何度も思ったわ〕
いつ死んでもかまわないと思っていたことも、イザベルは知っていたのだ。そんな息子でも、生きていてほしいと守り続けてくれた。
おかげで、ジェラルドはアメリーと再会することができた。
〔でも、今は違うのでしょう? 生きていてよかったと思ってくれるのでしょう? わたしのやってきたことが無意味ではなくなったのよ。だから、うれしいの〕
言葉通り、嬉々とした想いが声に混じるのが分かって、ジェラルドも自然に笑みを浮かべていた。
「ご心配をおかけしました。母上に守っていただいたこの命、最期の時まで大切にするとお約束します」
〔ジェラルド、どうか幸せな人生を歩んで。あなたが生まれた時から、その願いだけは変わらないわ。どうか忘れないで〕
イザベルの声が急に遠ざかる気配がして、ジェラルドは慌てて辺りを見回しながら声を上げた。
「母上、天に昇られるのですか? 心残りはもうないのですか?」
部屋の中に竪琴の音だけが響いている。
アメリーを見たが、彼女は穏やかな表情のまま、竪琴を弾く手を止めることはなかった。
〔不思議だわ〕
再びイザベルの声が聞こえて、ジェラルドは安堵とともに全身から力を抜いた。
「まだいらしたのですね」
〔いえ、天に昇ろうと思ったのよ。あなたの笑顔も見られたし、こうして言葉を交わせたわ。死んだ身として、これ以上の贅沢はないでしょう。これからはアメリー様がそばにいらっしゃれば、何の心配もないし――〕
「何かまだ心残りがあるということですか?」
ジェラルドが尋ねると、クスクス笑う声が耳を震わせた。
〔人間というのは、どこまで欲張りなのかしらね〕
「母上?」
〔あなたが愛する人を見つけた今、孫の顔を見たくなってしまったわ。アメリー様も後継者を望んでいらっしゃることですし〕
一瞬、乱れた竪琴の音が聞こえた。ジェラルドがアメリーを見やると、彼女は頬を真っ赤に染めて、目を泳がせていた。
〔そういうわけでアメリー様、もう少しジェラルドのそばにいさせていただきますね〕
「はい」とささやくように答えるアメリーは、どこまでも愛らしかった。




