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明治【3】

(1)各勢力大連合

帝国主義国際競争のため、妥協した。


長州人・伊藤博文は、突進力あり、薩長独裁政権であり得ない自ら政党結成をしてしまいみな驚いたが、旧自由党・板垣退助は、突進力により、伊藤に加担しついに長州土佐大連合政党の立憲政友会を作り上げ、政界の支持を集めた。


伊藤と板垣は突進力同士の相乗効果が発揮されたが、松方正義と大隈重信の薩摩肥前大連合の試みは正義力同士が衝突してしまい瓦解した。


板垣・大隈の土佐肥前大連合政権は、突進力と正義力が衝突して4カ月で瓦解した。


長州人・山県有朋は、組織指導力あり、突進力の板垣と長州土佐大連合をした。けっこううまくいき、政権は2年続いた。山県が、板垣を包容したのである。


伊藤は、板垣と対等関係の大連合だった。板垣の腹心・星亨の外交力により、党内は統合された。


1901~1912年、長州人・桂太郎と旧公家・西園寺公望が、交代(たらい回し)で政権した。桂は向上心に富み、西園寺は基礎力があったが、双方名前だけの首相だった。


この時期の政友会を指導したのは、人望ある原敬と、正義力ある松田正久で、原が支持を集めた。ただ原は流されやすく時の政権と妥協を重ねたため、党内が混乱した。


この時期政治を事実上指導したのは、憲法を超越した存在7元老。

長州人3薩摩人4だったが、黒田清隆が死んだため3人ずつ。長州人が優勢。

長州人は、突進力の伊藤博文、組織指導力の山県有朋、陰謀力の井上馨。

薩摩人は、正義力の松方正義、人望力の西郷従道、陰謀力の大山巌。


(2)条約改正

幕末の不平等条約により、当時日本には法権と税権がなかった。



岩倉具視(公家)の異彩力をもってしても、ダメだった。


後任外務卿の副島種臣(肥前)は、陰謀力あり、外交活躍を期待されたが政変で去った。


後任寺島宗則(薩摩)は、外交力あり、英米と税権回復合意していたが、法権回復優先の世論のため、失敗した。


後任井上馨(長州)は、陰謀力により、欧化作戦をとったが反対が強まった。


後任大隈重信(肥前)は、正義力により、外国人裁判官登用を進めて不便を感じさせ法権を回復させようとしたが、独り善がりな進め方だったのでダメだった。


後任青木周蔵は、人望力あり、英米と合意に至っていたが、ロシア皇太子切りつけ事件で辞職してしまった。


後任榎本武揚は、陰謀力あり、期待されたが内閣倒壊により断念。


後任陸奥宗光は、組織指導力あり、前任青木の人望力を用いて法権を回復した。


小村寿太郎は、陰謀力あり、英米と渡り合って税権を回復した。


(3)日清日露戦争


陸軍の川上操六は、陰謀力により、宣戦布告しないで攻撃し日清戦争を優勢にした。


東大の戸水寛仁は、外交力により、国内世論を対ロシア開戦に統合した。


陸軍の大山巌は、陰謀力により、日露戦争を優勢にした。海軍の東郷平八郎は、突進力により、日本海でロシアバルチック艦隊を撃破した。


(4)社会運動激化

日露戦争の真実(政権と財閥の野望のため国民の命が犠牲に)に気づき平和を主張した人たち。


向上心に富む(無政府主義に向かう)幸徳秋水、突進力ある(共産党を創立)堺利彦、基礎力ある内村鑑三、異彩力ある(社会党と早慶戦を創始)安部磯雄、基礎力ある与謝野晶子、知略に秀でた平塚雷鳥。内村・与謝野は、思想界や文芸界に平和運動の基礎を作った。平塚は、外交力も兼ね備え婦人解放運動を統合した。

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