明治【2】
(1)自由民権運動
土佐人・板垣退助は、突進力あり、運動の端緒を作っただけでなく、自由党を結成し運動を大いに盛り上げた。運動の巨大指導者として支持を集めた。
土佐人・後藤象二郎は、向上心に富み、薩長独裁政府に対抗した。
運動のメンバーは、
外交力ある土佐人・片岡健吉、突進力ある土佐人・林有造、異彩力ある三春(福島県)人・河野広中、異彩力ある土佐人・植木枝盛、知略に秀でた土佐人・中江兆民。
外交力ある大久保利通は、木戸孝允の知略により、いったん板垣退助を運動から退かせることに成功している。
政府に留まっていた肥前人・大隈重信は、正義力あり、運動に味方して議会開設を主張し、自分のクビと引き換えに勝ち取った。
このとき政府の中心だった長州人・伊藤博文は、突進力により、運動に譲歩して議会開設を認めた。薩長独裁政権からするとあり得ない行動だったが意外と支持を集め、これにより伊藤は日本史の偉人の一人となった。
(2)政党結成
突進力ある板垣退助の自由党は、全国的に支持を集め運動を激化させた。
正義力ある大隈重信の立憲改進党は、運動の激化を抑えたが、支持が集まらず分裂した。
向上心に富む旧幕臣・福地源一郎の立憲帝政党は、政府側に立ったため目標がなく衰退した。
自由党に参加した旧皇后付き女官・岸田(中島)俊子は、人望あり、女子の政治運動の最初となった。ただ活動はあまり出来なかった。
旧幕臣・大井憲太郎は、異彩力あり、運動を国粋運動(右翼の初期)へ発展(歪曲かも)させた。
大井の妻だったこともある岡山人・景山(福田)英子は、知略に秀で、婦人解放運動を起こした。
運動が衰退したとき、向上心に富む後藤象二郎は、各勢力を結集する大同団結運動を起こした。しかし政府から大臣に任命されると、目標を失い運動をやめてしまった。
(3)明治憲法制定
突進力ある伊藤博文は、議会開設を約束しただけでなく、憲法制定も自ら先頭に立って実現した。近代国家はみな憲法を持っていたから。
憲法制定メンバーは、基礎力ある熊本人・井上毅、組織指導力ある福岡人・金子堅太郎、突進力ある長崎人・伊東巳代治。
長州人・品川弥二郎(吉田松陰の弟子)は、異彩力により、1892年憲政史上最悪の総選挙に対する警察と憲兵による暴力的な大干渉をやってしまい、25人を殺害し388人に重傷を負わせた。




