大正
(1)第一次世界大戦
薩摩人陸軍大臣・上原勇作は、突進力あり、憲法を無視して陸軍大臣後任を出さないで辞職し西園寺内閣を倒してしまった。とんでもない行動だったが、政党に嫌気がさしていた薩長藩閥から大歓迎された。
立憲政友会の尾崎行雄は、正義力あり、憲法無視の蛮行を厳しく非難する護憲運動を徹底的に指導し帝国議会を包囲する大規模デモにより桂太郎内閣を倒した。これにより尾崎は、憲政の神様と呼ばれるほどの超人的な指導だった。ただ本人にはシンパが集まらず、孤高の存在だった。
後継の薩摩人海軍大将山本権兵衛首相は、正義力があり、政党に譲歩したが支持は少なかった。
その後継の肥前人大隈重信首相は、正義力あり、第一次世界大戦に参戦しどさくさ紛れに中国の重要産業を奪い取り国際的な支持を失った。
その後継の長州人寺内正毅首相は、陰謀力あり、中国の民主革命を阻止するため軍閥政府に巨額援助。しかし米騒動をマスコミ弾圧で抑えるなど悪辣を恨まれ、退陣。
(2)
大正デモクラシー
東大教授吉野作造は、外交力あり、天皇象徴民主主義つまり民本主義を唱え国民世論を統合し政党政治実現に貢献した。
最初の政党内閣首相・盛岡人原敬は、人望あり、薩長藩閥と妥協して政権をとった。ただ人望力が老成していなかったため、妥協を重ね支持を失った。
後継高橋是清首相は、陰謀力あり、しかしそのために立憲政友会内部は対立抗争になってしまった。国民から選挙で選ばれた政党政治においては、陰謀力は無用の長物である。現代に至るまで、政治に無用の混乱をもたらしている。
結果、政党政治は終わり、関東大震災処理山本権兵衛首相は、困難を乗り切る正義力を期待されて登場した。
政党に政権担当能力がないことを見越して登場した清浦奎吾首相は、突進力あり、帝国議会を完全に無視する蛮行に出て薩長藩閥から喝采を浴びた。
憲政会総裁(三菱財閥の利益代表)加藤高明(岩崎弥太郎の娘婿)は、正義力あり、高橋是清の陰謀力、犬養毅の基礎力の協力を得て、第二次護憲運動を起こし議会無視・立憲無視の清浦内閣を倒し25才以上男子普通選挙を実現したが、労働運動婦人解放運動弾圧を合法化し国民から反発を受けた。
加藤・高橋・犬養を連合させた長州人三浦梧楼は、組織指導力があった。この三浦は、朝鮮王妃ミン氏(明成皇后)を殺害した犯人でもある。
(3)大正労働運動
大杉栄は、異彩力あり、無政府主義で大波乱を巻き起こすはずだったが、それを察知した組織指導力ある憲兵大尉甘粕正彦により関東大震災のどさくさ紛れに殺された。
鈴木文治は、人望あり、資本家と協調する路線の労働運動を起こした。
山川均は、外交力あり、労働運動を社会主義路線に統合した。
河上肇は、組織指導力あり、社会主義理論を確立した。
外交力ある山本宣治が右翼のテロで殺されると、労働運動は分裂し混迷へと向かった。




