第8話:異世界のビーチと、消えかけの彼女。
第8話:異世界のビーチと、消えかけの彼女
ザー、ザー……と、静かな波の音が耳に心地よく響く。
フロントガラスの向こうに広がっているのは、どこまでも青い海と、真っ白な砂浜だった。宇宙警察の包囲網を突破し、崖から飛び降りる瞬間の無重力を利用した限界突破のハイパーワープ。
なんとか逃げ切ることはできたが、たどり着いたのは地球ではなく、エマ曰く『地球によく似た、パラレルワールドの南の島』だった。
「……エマ? おい、エマ」
拓海は、自分の左肩にコテンと頭を預けて眠り込んでいる少女に、恐る恐る声をかけた。エメラルドグリーンの美しい髪が、拓海の首筋に触れてくすぐったい。
だが、そんな甘酸っぱい感触に浸っている余裕はなかった。
彼女の肩や二の腕のあたりが、まるでプロジェクターの映像が乱れた時のように、時折チカチカと不自然に透けて、後ろのシートの模様が見えてしまっているのだ。
「エネルギーがもう限界って言ってたな……。パフェの半分じゃ、やっぱり実体化を維持するだけで精一杯だったのか」
拓海がそっとエマの身体を助手席のシートへと横たえ、ダッシュボードの液晶画面を確認する。
画面には『システム休止中・残量〇・〇一%』と、絶望的な数字が消え入りそうな光で表示されていた。
「これじゃ、車を動かすことも、エマを起こすこともできない……。とにかく、何かエネルギーになるものを探さないと」
拓海は車のドアを開け、外に出た。
どこか懐かしい磯の香りと、暖かい南国の風が全身を包み込む。太陽の光が眩しい。
空を見上げると、地球のそれよりも一回り大きな、うっすらとリングのある太陽が二つ並んで輝いていた。
「やっぱり、地球じゃないんだな……」
改めてここが異世界であることを実感し、拓海はゴクリと唾を飲み込んだ。だが、立ち止まっている暇はない。
拓海は砂に足を取られながらも、ビーチのすぐ裏手に広がっている、ジャングルのような南国の森へと歩みを進めた。
ガサゴソと生い茂るヤシの木のような植物をかき分けて進むと、少し開けた場所に、奇妙な果実が実っているのを見つけた。
それは、地球のマンゴーに似ているが、果皮がまるでネオンサインのようにピカピカと蛍光色のピンクに発光している実だった。
「なんだこれ、光ってる……。宇宙のパフェが七色に光ってたんだから、これももしかして、宇宙的なエネルギー(糖分)が詰まってるんじゃないか?」
拓海は背伸びをして、その光る果実を一つ、木から捥ぎ取った。
ずっしりと重く、皮越しにも驚くほど濃厚な、甘いいちご(・・・・)のような香りが漂ってくる。
「いちごの匂い……! これなら、高級いちごオイルが好きだったエマのシステムに合うかもしれない!」
確信めいた予感を抱き、拓海はその果実を抱えて全力で車へと走り出した。
砂浜を駆け抜け、コンパクトカーの助手席のドアを開ける。
エマは相変わらず、少し身体を透けさせたまま、苦しそうに眉をひそめて眠っていた。
「エマ、待たせてごめん。これを食べてくれ」
拓海は車載の工具箱から小さなナイフを取り出し、光る果実を丁寧に切り分けた。
中からは、信じられないほど鮮やかな、輝く果汁がじゅわりと溢れ出す。
「おーい、エマ、口を開けてくれ」
拓海はエマの頭を優しく起こし、自分の膝の上に頭を乗せた。
いわゆる膝枕の体勢だ。心臓がうるさいほどバクバクと鳴ったが、今はそれどころではない。
果実のひと切れを、彼女の小さな唇へとそっと押し当てる。
果汁が唇を濡らした、その瞬間だった。
「……んむ」
エマの喉が小さく鳴り、反射的に果実をハムりと噛み砕いた。
その瞬間、彼女のエメラルドグリーンの髪が、一気にブワッと眩いピンク色の光を放った。
「ふぁ……!? ん、んんーっ……!」
エマがカッと目を見開き、勢いよく上半身を跳ね起こした。
「エマ! 気がついたか!?」
「な、何ですかこれ!? 頭の回路が、すごい勢いで再起動してます! 甘い、甘すぎます! データの情報密度が濃すぎて、脳内がショートしそうですぅ!」
エマは拓海の膝の上でバタバタと暴れながら、残りの果実を拓海の手からひったくり、野生のリスのような勢いで次々と口に放り込んでいった。
もぐもぐ、ごっくん。最後の一切れを飲み込んだ瞬間、プシューという心地よい音(エアコンの作動音に似ていた)とともに、エマの身体の透けていた部分が完全に消え去り、元の健康的な、白く瑞々しい人間の肌へと完全に戻った。
ダッシュボードの画面がピカッと点灯し、『エネルギー一二〇%・限界突破』の文字が躍る。
「ぷはぁーっ! 助かりました……! 死ぬかと思いました、本当に……」
エマは胸に手を当てて大きく息を吐き出すと、ふと、自分が今どんな状況にあるか(・・・・・・・・・)に気がついた。
彼女は今、拓海の運転席側のシートにまたがるようにして、拓海の胸ぐらを掴み、至近距離で見つめ合っている形になっていたのだ。
「あ……」
「あ……」
静かな波の音だけが、車内に響く。
エマの大きな瞳が、みるみるうちに沸騰したかのように真っ赤に染まっていく。
「な、ななな、何に私のことを膝枕して、どさくさに紛れてこんなハレンチな体勢にさせてるんですかバカ拓海!! セクハラです! 違法ダウンロードです! 今すぐ車外へ強制終了させますよ!」
エマは拓海の胸を思い切り突き放し、助手席の隅へと縮こまって、シートベルトを盾にするように抱え込んだ。
「違うって! お前の身体が透けかけて消えそうだったから、慌ててその辺の光るフルーツを食べさせただけだよ!」
「ふ、フルーツ……? あ、そういえば、今の果実、すっごく美味しかったです。ストロベリーオイルの百倍くらい、ビタミンとデータが詰まってました……」
エマは照れ隠しに唇を尖らせながらも、自分の手が完全に実体化しているのを見て、嬉しそうに何度も握ったり開いたりしている。
「まぁ、拓海が必死に私を助けようとしてくれたのは、データとして保存しておいてあげます。……ありがと、ございました」
消え入りそうな声で、エマが小さくお礼を呟いた。
そんな彼女が愛おしくて、拓海がふっと微笑んだ、その時。
ザクッ、ザクッ、
と、車の外の砂浜を踏みしめる、複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。
「おい、エマ。誰か来るぞ」
「え? 宇宙警察ですか!?」
「いや、違う。足音が……人間っぽい」
拓海が警戒しながら窓の外を見ると、ヤシの木の陰から現れたのは、見慣れない服装をした集団だった。
中世のヨーロッパのような革の鎧を身にまとい、腰には本物の剣を帯びている。
そしてその先頭に立つ、金髪の美しい女騎士のような女性が、拓海のコンパクトカーを信じられないものを見るような目で凝視していた。
「な、何だ、あの鉄の魔獣は……!? 眷属を体内に取り込んでいるのか!?」
女騎士が剣を抜き、車に向けて構える。
「ちょっと拓海! あのお堅そうな女、私を『魔獣』って言いましたよ! 失礼しちゃいます、私は最新鋭のツンデレナビなのに!」
「そこ怒るところじゃないから! 剣持ってるよあいつら! 完全に異世界の住人だ!」
地球への帰り道を探すはずが、たどり着いたのは、剣と魔法が支配するガチのファンタジー異世界。
人間の姿になったエマと、愛車と共に、拓海の本当の「異世界ドライブ」が、今度こそ幕を開けようとしていた――。
(第8話・終わり)




