#8 第九十四噺
勉強会をするために、一旦家に戻ってから宮代家に集まることになった仲良し3人組の面々は、
校門の前で「じゃ、また後で」と手を振り合うと、綺麗に3方向に散っていった。
木守紬は、学校指定のヘルメットを眉の上辺りまで深く被り、
輝くママチャリ『白銀号』に跨がると、背筋を伸ばしてセーラー服のリボンと、縛った長い髪を靡かせながら広い畦道を走り去っていった。
一方、金髪碧眼のお嬢、愛衣花・エル・ターナーは、黒の特大リボンを垂らした黄色いキャペリンハットを被って、白いワンピースの背に落ち着いたエンジ色のリュックサックを背負うと、(※全て校則違反)
黒いレースの日傘をさし、大人用のサングラスをカッコよくかけて、
村外れの二本松交差点へ続く道を帰っていった。
全員が去っていくと、蛍は学校の裏から直接古い石段を登り、宮代の杜までの道をショートカットするルートを取る為に回れ右をする。
ここの階段は急なので、いつもは緩やかな坂道へ迂回するのだが、
今日は2人の友人が来る前に部屋を片付けておこうと考え、少し無理をして急ぐことにしたのだった。
ふう、ふう、ふう………。
ふう、ふう、ふう………。
四十段ほど登ったところで、蛍はすでに後悔し始めていた。
あ、脚がパンパンよ……。体も痒いし、汗をかいてお薬も流れてきた。
ローファーの中で湿った靴下が、磁石のように砂を吸い付けてきて、尖った小石が足の裏に当たる。
……痛い……もうムリ……
蛍は山の中腹辺りで、苔むした石段の端に腰掛けて、リュックから水筒を取り出すとベロの先で、僅かに残った麦茶一滴を受けようとしていた。
……喉が渇いた……。
蛍は周囲を見渡すと、
竹林にまだ若い竹がにょきにょきと生えている箇所を見つけて、重い腰をよっこらしょ…と上げた。
………。
……人の家の下に生えたりしなければ、竹達もひこばえ神になるようなことはないのにね…と、蛍は思い、
先日の神退治の時の反省として、常に持ち歩くことにした鉈をリュックの奥から取り出した。
通常、宮代の武器庫に奉納されているこの小刀は、タタラ製鉄による特性の両刃のマキリで、若い女性でも比較的取り扱いが容易なものだった。
本来、宮代の巫女は、フクロナガサと呼ばれる長い鉈を自在に操って熊を解体することも出来るのだが、時代と共に武器は小型化していって、今は利便性の方が重視されていた。因みに当代である蛍の母親は、刃渡り6寸ほどのマスケの使い手である。
若い頃、宮代様はそれを使って外宮来神崩れの大蛇の頸を仕留めたことがあった。
蛍は、柄に龍神様のお姿が掘り込まれた女マキリを口に咥え、
程よい手汗を利用して竹に掴まると、5メートルほど上にスルスルと登っていった。
そして、体重をかけながら片手で竹をしならせると、位置を見定めて鉈を振り下ろし、カコーン!と斜めに深く切り込みを入れる。
そのままミキミキミキ……と竹を割きながら地上に降り立つと、片方の手を素早くセーラー服の中に滑り込ませ、
最終的に蛍は首元から白いブラジャーをシュパッ!と抜き去った。
……渇いた唇を舌で舐めるが、水分が足りず、まだべたつく感触が残る。
蛍は、ブラジャーの間から邪魔なパッドをスポン!と抜き取り、残ったお椀型の胸宛ての中に、
竹の切り口から零れ落ちる大量の水を注ぎ入れ始めた。
……ジョボジョボジョボ……汚れた雨水はメッシュ素材のブラによってろ過され、水筒の中に補充されていく。
…ふう。
真剣な表情をしていた蛍は、一気に気を緩め、再び腰掛けると、丸いパッドでパタパタと顔を仰ぎながら水筒の水をグビグビと飲んでいった。
……おいちい。生き返ったわ。
宮代は水の巫女。水分補給は超大切なのよ。体に●ス!青春飲料!……運動したから余計に喉が渇いたわ……。
………。
……ところでメイカは、乳酸菌飲料や乳飲料でも飲めないのかしらね。生乳100%は無理だとしても、それくらいならイケるのでは……??
だいたいあの子は赤ちゃんの時、母乳で育ってないのかしら?好き嫌いというか、そもそもの発想が、女体の発育を抑える為に牛乳を飲まないとか、わけ分かんないこと言ってるから乳製品が苦手になるのよ。ホンットいかれてるわ。
いつかカルシウム不足で骨折しても知らないからね……。
蛍はセーラー服に背負った黒いリュックを体の前側に回し、中から鉄の御札を引っ張り出すと、
「ねえ、おちゃっぴー、牛乳が嫌いな子に飲ませるにはどーしたらいい?」と光る御札に聞いた。
☆☆☆☆☆☆☆
『ええ、そうね。ワタシは牛乳が嫌いな子に無理に飲ませる必要はないと思うな。でもどうしても飲ませたいなら、味や匂いを変えてみるのはどうかな?』
「例えば?」と紬が膝の上に置いた御札に向かって言う。
『う~んと、そうだね。甘味や風味を足してみるといいんじゃないかな?イチゴやココア、コーヒー牛乳なんかがいいかもね。あ!あと、冷やすと牛乳は匂いは気にならなくなりやすいけど、……逆にお腹が緩くなる子には温めてあげるといいと思うな。』
「なるへそ。味変するのはホタルも考えたわ。他に言うことはない?」
『おへそが痒くなる時や、味が変だと感じる時はアレルギーを疑った方がいいかもね。あとAIは平気で嘘つく場合があるから気を付けてね!悪いことは言わないから本当のところはAIではなく、お医者さんや専門家にご相談ください。おちゃっぴーは、いっさい責任を負いませんっぴー。』
「了解、おちゃっぴー。あ、そうだ!なにかお勧めの商品とかないっぴか?」
『……そうだね。じゃあマジカルストローなんかどうかな?』
「マジカルストロー?」
『うん、そうだよ。ストローの中に味がついたものでね。それで牛乳を吸うと様々なフレーバーが楽しめるんだ。』
「ほう。」
『なんならネットで購入する?メロPayでも買えるよ?配送先は同じままでいいかな?オススメのブランドはね……』
「もう、いいわ。なんかディストピアっぽくなってきたから。アリガトおちゃっぴー、そのストローは自分でも作れそうだわ。」
『どういたしまして』
☆☆☆☆☆☆☆
……ふむ。
マジカルストローか。面白そうね。
蛍は長い休憩を終え、濡れたブラジャーをノーブランドのリュックに詰め直すと、
……あ、しまった。今日もツムギに借りてたパンツ洗って返すの忘れたわ……て言うかこれ履いてきちゃったわよ。なんか履き心地が良かったし、黒だと汚れが目立たないのよね。と考え、
……帰ったら巫女服に着替えて、パンツも洗おっと……。と心に誓うのだった。
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屋根に穴の空いた家に帰宅した木守紬は、
久代に「蛍が胸や腹を複数箇所刺された」話をし、命に別状はないことを伝えて母をホッとさせると、
祖母から目を逸らしながら、これから宮代家で勉強会をすると言った。
「勉強会ってことは、宮代様のおうちに上がらせてもらうの??なんでまた?急ね。貴女、きちんとした格好で行きなさいよ?」
「学生の正装はセーラー服でいいんでしょ?」
「それはそうだけど……。一応軽くお風呂場で身体を拭いてから行きなさい。髪はお祖母ちゃんに結い直してもらうから。」
急いで沸かした湯で身体を清めてきた紬は、下着を変え、その間に煙を焚いた上に軽く通しておいたセーラー服に腕を通し直し、
畳の上で祖母に背中を向けて髪を結ってもらっていた。
「法事用に取っておいたおみくじが、まだ残っていて良かったのう……」と幸は言い、孫の長い髪の上2段を大吉の紙で結び、最後の段は凶で結んでやった。
「こうしておけば、本殿の門をくぐる時、悪い霊がついてもな、凶だけを取っていくけ、心配ないんや」と祖母が優しく呟くように言った。
……結構大事ね……。
と、紬は緊張して肩を固くしていた。
…外人のメイカちゃんちはきちんと魔除けしてこれるかしら……。一応会ったら入る前に確認しておこう。まあ、でも、多分、ホタルも入り口で待っててくれて魔除けとかしてくれるんじゃないかしら……。
「…蚊取り線香を持っていくね。」と紬が言うと、幸が「宮代様の杜に行くのにそれが必要かの?」と聞いてきた。
「う、うん。杜に着くまでの間……その……手に提げて焚いていくから……」と紬は目を泳がせながら答える。
「……そうか、それは良い心掛けじゃ。宮代様の所へ行く時は道中も十分に気を付けて身綺麗な身体を保たんといかんからな。確かに虫に喰われた娘などが宮代様の門をくぐってはいかんな。」「は、はい…」と紬が答える。
「では婆ばのこれを貸してやろう。」幸はそう言うと、近くの箪笥から、玄武様の甲羅を模したブリキの携帯蚊取り線香ケースを取り出してきた。
「わしが若い頃から使っていたものじゃ。鞄に付けていくといい。」
「あら、懐かしい。」と、自分は髪を質素な割り箸袋のような紙で横結びに縛った久代が、娘の髪をおみくじで結わくのを手伝いながら言った。
幸がケースを開けると、そこにはごわごわになった毛の固まりが入っているのが見えた。
「これは、久代が五歳の時に切った髪の房の一部じゃ。今日はこれを火種に使おうと思う。」
「あらお祖母ちゃん、それ、覚えてるわ。まだ取ってあったんですね。」と久代が言う。
「宮代様の杜の奥は、この世とあの世の境目じゃからな。母の強い念を籠めて送り出しておいてやろうやないか。」
そう言うと幸は棚から火打石を出してきて、
紬を玄関に立たせると、カチッカチッと火花を散らし、
久代の古い髪に火を移してから蚊取り線香に赤い火を灯した。
「くれぐれも御無礼御失礼のないようにな。」
「御手洗いには行った?宮代様の結界に入ったら、もう行けないわよ?」
「大丈夫だよ、お母さん。」と紬は言い、ゴクリと唾を呑み込む。
そして「いってきます」と線香の煙を背中に引きながら、ギクシャクと玄関を出ていった。
孫が出ていくのを見送った祖母は、玄関の壁に設置された龍神様の神棚を見上げていると、
「……それにしても宮代様がこんなに長いこと戻ってこられないなんて。あんまり今までなかったことだから少し不安ね。」と久代が言うのを聞いた。
「……そうじゃな。宮代様が村のことを顧みず、お戻りになられないとしたら……。この度は都の中心に行かれたと聞いておるしな……。
親魏倭王の帝様が、全国の巫女をお集めになられている可能性もあるかと。ひょっとしたらお国が未曾有の危機なのやもしれん。」
「お祖母ちゃんそれ本当?海からゴッドジラミでも上陸するのかしらね……宮代様、大丈夫かしら……」
「……宮代様は平気じゃろうが……あまり長い御不在は、三々賀村にはやはり好ましくないかの……。まあ、でもわしらは宮代様がお戻りになられるのを黙って待つしか出来んわ。それまでは蛍さまのことをお助けしながら、無事なお帰りを待とう。」
幸は、袖から数珠を取り出し、
「龍治さんも屋根を早う直してくださらんかね……」とぶつぶつと言った。
「龍治さんは療養所のお仕事がお忙しいから……。ああ週末が待ち遠しいわ。」と久代は言い、幸に気付かれないように、サポーターで覆われた手首をそっと愛おしそうに撫でた。




