#43 第五十九噺
「えーーー、なんでよツムちゃん~?一緒に入りましょーよー」
三々賀村の巫女宮代蛍は、居候木守紬の腕を引っ張りながら、唇を尖らせてブーたれた。
「え?イヤよ、ホタル、アナタ昔みたいに私に体を洗ってもらうつもりなんでしょ?!悪いけど私、あの頃よりも髪が長くなってるから毎日洗うの大変なんだからね?小さい頃みたく、アナタの脇の下まで洗ってあげる余裕はないから!そんなことしてたら風邪ひくわ」と紬が言う。
「し、心外ね!ナニをもってこの有能な巫女ホタルが、人様に体を洗ってもらおうとしてるなんて思い至ったのよ??」
「いや、手に持ったそれ……」と言って紬は、蛍が抱えるピンク色のシャンプーハットを指差した。
「アナタ……、その様子だとまだそれがないと髪が洗えないんでしょ?……どこの幼稚園生よ……」
「だって目に沁みるんだもん……」
「目を閉じなさいよ!?」と紬は言って、奪い取ったシャンプーハットで蛍の頭をはたいた。
幅広のピンクのリングは、そのままシュポん!と彼女の頭に嵌まり、「そんな意地悪言わないで洗ってよ~~疲れた~~」と宮代の巫女は、紬の腰に纏わり付いてきた。
「なんでよ??アナタどこのメイカ・エル・ターナーよ??いつもは1人でお風呂に入ってるんでしょ?!」
「え~ツムちゃんはいつも髪が綺麗だからさ~、そのプロの技でホタルのも洗ってよ~。いいじゃん。蟲姫様の穢れから紬を守ってあげてるじゃん!うちに泊めてあげるんだから、ちょっとくらい洗ってくれてもいーじゃん!」
「…わかったわかった!わかったわよ!それにしても『保護してやってるんだから好きにさせろ』だなんて、ホタル………控え目に言ってアナタ最低夫みたいよ。」
てへ♡と蛍は照れたように笑い、「夫って……なんか照れるわね」と言って再び頭を叩かれた。
**************
先に風呂場に入り準備万端でシャンプーハットを被る蛍は、膝をピチッと合わせた姿勢でどこかソワソワとしながら背中を向けて、木の腰掛けに座っていた。
かつて宮代の男性達も使っていたこの椅子は、中央の部分が凹形にへこんでいて、全体が雅な黄金色に塗られている。
ガラガラガラ……
「おまたせ。」
「ツ、ツムちゃん……よろしく……」蛍がゆっくり振り返ると、
そこにはジャージ姿の木守紬が、袖と脚を捲って立っていた。
「……あれ?ツムちゃん?その格好……一緒に入らないの?」
「だから風邪をひくって言ったでしょ?洗ってあげるから、文句言わない!……私は後でゆっくりお風呂をいただかせてもらうわ。それでいいでしょ??」と、自分の長い髪をたすき掛けにした紬が、蛍の首をくいっと前に向かせると、「じっとしてて。すぐ終わらせるから」と言った。
「え~なんか私だけハダカなの変じゃない??」「変よ」
「……じゃあ紬も一緒に入ろうよー。」「遠慮します。」と紬はキッパリと言い、
友人のボサボサめの髪を軽くブラッシングし始めた。
「痛い痛い……」と蛍が呟く声と共に、ブチブチ…!と何本かの毛が、紬の握った鼈甲のブラシに巻き取られていく。
「すこい埃よ……これじゃ髪が傷むわけね…」
紬は2つのダイヤルのついた蛇口を熟練の技(?)で絶妙な割合で捻り、
手のひらで温度を確かめると、1分以上かけてぬるま湯で頭皮に染み渡るように髪全体を濡らしていった。
「先にこうやって汚れを落としてから洗い始めるのよ?お湯で流すだけでだいたいは綺麗になるから。」そう言うと、紬は檜の簀の子に置かれたプラスチック容器のラベルを確認した。
「結構いいの使ってるのね」
シュコシュコシュコ……と手を動かし、手のひらの上に垂らしたシャンプーをくしゃくしゃ!と揉んで泡を立て始める。
薄目を開けた蛍が「ツムちゃんみたくサラサラヘアになりたいの。兄貴達はめっちゃ時間かけて髪洗ってたけど、基本お風呂の世話はしてくんなかったし。ほら、今思えば小さい頃、週に一回龍神の湯でツムギに洗ってもらう機会があったじゃない?次の日は髪が超サラサラになって……。指通りが違ったのよねー」と言った。
「逆に今までどう洗ってたのよ?こんなにいいシャンプー使ってるくせに……」
紬は、シャンプーハットから飛び出した頭部に対して、爪を立てないように優しく指の腹を使って泡を馴染ませていった。
「むふ……」と蛍がぞくぞくぞく……と背筋を震わせて身悶える。
円を描くようにして右脳と左脳をかき混ぜられた蛍は「や、やば……」と言いながら、ほとんど涎を垂らしそうになって「や、やめて……いや、続けて……うへ……気持ちいぃぃ…」と言うと、座ったまま踵を立ててふくらはぎを緊張させた。
ふわふわふわ………しゅわしゅわしゅわ………もみもみ……ちゅるちゅる……
蛍は、自分の耳と鼻の穴から髄液がだらだら流れ出すのを感じ、やがてほぼ人の形を保つことが出来なくなってくると、黄金の崇敬平椅子の上でだらしなく脚を開き、スライムのように溶け始めていた。
「うへぇ……ぎもぢぃぃぃぃぃ……」
「ほら、真っ直ぐして!」と紬がシャコシャコシャコ……と指の速度を少し早めながら言う。
「ん……んん………」と蛍が変な声を出し、背中を丸めて背骨の凹凸をくっきりと見せた。
紬は木の手桶にぬるま湯を入れて、ジャバー……とシャンプーハットの中央に流し入れる。「ウヒャ??」
それを何度も繰り返し、今度は洗っていた時間の2倍かけて、髪と頭皮からヌメリがなくなるまで丁寧にすすいでいった。
「お、終わった………の?」と、満足そうに蛍が呟く。
「まだでしょ?いつもリンスはどうしてるのよ?」
紬は足元に置かれた複数のボトルからリンスを探し、『コンディショナー』と書かれた物を手に取ると、
「……見たことない銘柄ね。外国製?……これがリンスよね??」と言った。
「失礼」と紬は試しに手の甲にヌメェ……とそれを出してみる。そしてクンクンと匂い嗅ぎ「うん…リンスね」と呟いた。
彼女は一度手を洗うと、蛍のシャンプーハットを外し、軽く蛍の髪の毛の水気を握るように絞り取り始めた。
「リンスは頭皮や毛根に付けちゃタメだからね。」と紬が言う。「真ん中から毛先にかけて、傷んでるところをカバーするようなイメージで塗るの。」
「はい。」と蛍が大人しく返事をする。
「頭皮に残ると毛穴が詰まって、臭いの原因にもなるからね。」紬は粗い手櫛で、柔らかく毛先に行き渡るように、ドロリとした液体を塗り付けていった。
蛍が「ねえ、これってしばらく浸透するまで放置したりする必要があるの?」と聞く。
「いいえ、コーティングしたらすぐ洗い流していいのよ。」と紬は答え、ボフ!とピンク色のシャンプーハットを頭に真っ直ぐ被せ直すと、「目をつぶってて」と言って手桶からお湯をザバァ~と蛍の竜巻つむじの上にかけた。
「……どう?やり方わかった?」
とうっすら額に汗をかいた紬が、溜め息混じりに囁く。
「うん……わかった……ツムちゃん大好き……」と蛍が濡れた背中を親友に預けてくる。無言で紬は蛍の頭をはたき、「体は自分で洗うのよ!」と言った。
「…………」
「…………」
「……なによ?」
と、紬が眉をしかめながら言う。
「……いや、あのね?……もう一つ聞きたいんだけどさ?」
「……だからナニよ?」紬は悪い予感を感じ、背後の避難経路を確認しながら手拭いで指の間を拭いていた。
「……前々から誰かに聞きたかったんだけどさ?……こっちの毛もみんなシャンプーしてるの?」
黄金の腰掛けの溝に乗った、ぷにぷにお腹の下部分を指差しながら、宮代の巫女は縋るような目でクラスメイトの少女を見上げた。
「なんか、ここ、髪よりも更にチリチリでさ……髪質のせいか知らないけど広がっちゃって、ちっとも纏まらないの。ねえツムちゃんのも見せてよ。やっぱり紬のは綺麗な直毛でサラサラなの?キューティクルも傷んでない?横分け?それとも結んだりしてるの?」
「ナニを言い出すかと思えば……ちょっと見せてごらんなさい……」ヤレヤレ…と紬は濡れた手拭いを浴槽の縁に引っ掛けながら言った。
紬はシャンプーハットの頭をダイヤルのようにクルリと回転させ、蛍の日に焼けた肌色の体をこちらに向ける。
「た、確かに……えらくチリチリね……。傷んでいるどころの騒ぎじゃないわ。毎日何で洗っていたの?」
「せ、石鹸………」と蛍は小さな声で答える。
「……真面目に答えるとね」と紬は手拭いを蛍の腿に伸せ直して、該当部分を一度隠すと、
「こっちの方は、普通のシャンプーや石鹸を使っちゃダメなの。洗う力も強いし、pHバランス的に出リ毛糸ゾーンが乾燥して、肌荒れやかぶれの原因になることがあるから。専用のシャンプーを買った方がいいわ。」と言った。
「え、ツムちゃん?そうすればホタルも直毛になれる?」
「……いや、アナタの髪質的に直毛は難しいかな……」
「……だよね……生まれもっての毛質は変えられないよね……大人になったらストレートパーマかけてもらおうかな。」
「まあ、好きになさい。」「……で?参考にツムちゃんの綺麗なヘアは見せてくれないの?」蛍が指をくわえたあどけないポーズで聞いてくる。「ダメよ。そういうのは結婚した人にしか見せちゃいけないってお祖母ちゃんが言ってたから。」
「ツムちゃん!結婚して!」
「アホか!」と紬は水を含んだ手拭いを凶器にして、三々賀村の巫女の頭をぶち抜いた。
蛍は前のめりに椅子から吹っ飛び、うつ伏せのまま、檜の簀の子の上をスライディングしていった。
**************
「ごめんね……痛かった?」
座敷で、蛍の膝に絆創膏を貼ってやると、紬は片手で彼女の肩から掛かったバスタオルの上から背中を擦ってあげた。
「ぐすん……痛いよお……」
と、額に付けた四角い絆創膏から血を滲ませ、鼻の穴に突っ込まれた脱脂綿を赤く染めた蛍が甘えた声を出す。
「ごめんね……歯、折れてない?強く叩き過ぎたわ……唇も切れちゃったね……ホントごめん……ほら、風邪ひいちゃうから乾かしてあげるわ。」
「……うん。死ぬ前にサラサラヘアにしてね。……オ、ネ、ガ、イ♡」
はぁぁぁぁぁ……と大きな溜め息を吐き、紬は延長コードを使ってドライヤーを引っ張ってきて、
「ほら、じゃあこっち向いて。……その姿勢じゃうまく乾かせないから。そう、こっちに向けて。ちゃんとやり方を教えてあげるから。明日からは自分でやるのよ?」と言った。
「は~い!」
紬は乾いたタオルに手を差し込み、蛍の濡れたヘアの根元を摘まむようにして、そっと挟みながら水気を吸い取っていった。
「力を抜いて。やりにくいから。」と紬が囁く。
「ん。」と蛍は湯上がりの赤い頬で返事をし、畳にお尻をついて、タオルの前をはだける。
紬は自分が持ってきたリュックから『椿配合』と書かれた小さなボトルを出してきて、それを逆さまにすると、手のひらにトロォリ…と透明な液体を垂らした。
「あ、それラテナのオイル?」と蛍が言う。
「そうよ。お祖母ちゃんが買ってくれたの。高級品なんだからね。」
長い髪を背中側に垂らした紬は膝で立ちながら手を擦り合わせると、まだ半乾きのウェーブヘアに、それを優しく塗布していく。
「ふわぁぁぁ…冷たい……」と蛍が変な声を上げた。
「じゃ、乾かすね」
ドライヤーが温風を吐き出し始める。
ゴォォォォォォォォォ……………
紬は、友人の絡まった硬い毛を指でほぐしてやりながら、あちこちの縮れ毛を捲り上げ地肌に風を当てた。蛍が「熱っ……」と言って若干身体を引く。
「ごめん」と紬がドライヤーを少し遠ざけ、ふわっ…ふわっ……と手櫛で下に向かって毛の流れを整えていく。
「ずっと熱いままだと毛先が傷むから」
紬はそう言うと、ドライヤーを冷風に切り替え、リュックからゲジゲジのように複雑な形をした鼈甲のコームを出してきて、
それを使って下へ下へと真っ直ぐ梳かし付けていった。
「うわ……ツムちゃんスゴい……なんかもう私の毛質じゃないみたい。ツヤツヤで真っ直ぐになってく……」
「後、寝る時はこれでくるんでおくのよ。乾燥を防げるし、変な癖もつかないから。」
紬は再び、七つ道具の入った緑色のリュックを漁り、今度は個包装の小さな袋から、平たいコットンのシートを取り出した。
「え、ちょっと前に終わったばっかりなのに、またそれを付けなきゃいけないの?」
「そうよ。綺麗なサラサラストレートヘアにする為には毎晩付けて寝ないと駄目よ。」
「うへ……めんどくさ……」
「美は1日にしてならず、よ。」と紬は真剣な表情をして言った。
「……ツムちゃん…やっぱりホタルにはこういうの向いてないかなあ……寝る時まで気にしなきゃいけないなんてメンドクサイから…いっそ剃っちゃおうかなあ……。」
「面倒だからって尼僧になる人がどこにいるのよ?アナタの言ってるのってそれと同じだから。きちんとケアしないと、またボサボサに戻っちゃうわよ。」
蛍は返事をせずに、「このヘアスタイル、刀名兄ちゃんみたいでちょっと嫌なのよねー。清一郎兄さんみたいなストレートに生まれたかったわぁ。そうしたらツムギみたくホタルも伸ばしたのに……」と独りごとを言った。
「……でも、まあ、今夜はス、ベ、ス、ベ…♡」と、蛍はふわっと自分のヘアに手櫛を通してみせ、キラキラキラ…☆と光を散らしてみせる。
「じゃあツムりん!これからは毎日洗ってね!」
「……いやよ。自分で洗いなさいよ。やり方は教えたでしょ…」
「ところで紬?」「なによ?」
「前から気になってたんだけどさ、貴女のその腰よりも長い髪……、御手洗いの時はどーしてんの?ほら、ツムギのおうちは和風だったじゃん?水壺の中にポチャン……とかならないの?教えて、教えて~!」
紬は素早く龍のように長い髪の毛を、蛍の首に回し、ギュッと左右に絞め上げた。
……ぐへ♡と蛍が舌を出してひっくり返る。
紬は親友の息の根を止める前に、しゅるるるるる……と髪を緩め、(………私が一生のうち何度、髪を水没させたかは内緒よ……。)と考えていた。
……気付かぬうちにかみでお尻を拭いてしまった回数は数知れず。
昔、メイカちゃんが『なんか臭うね?』と私に向かって言った時、私は背中を振り返り、毛先に付いたものを確認した瞬間、
……ブワン!とそれをメイカちゃんの顔面に叩きつけ、意識を失わせることで事なきを得たのだ……。
それ以来私は、髪を洗うこと、ケアすることに命をかけるようになった。
「もう私、お風呂に入るから!!覗かないでよ!」と紬は捨て台詞を吐くと、
ドスドスドス!と足音を立てながら座敷を出ていってしまった。
蛍は畳の上に大の字で寝転んだまま、
部屋の角で首を振る扇風機の風に、サラサラヘアを上方に靡かせて、
………そういえば紬、トイレの後、たまに髪の一番下のおみくじが無くなってる時があるけど……ひょっとしてあれでお尻を拭いてるのかしらね?……便利ね……。
……………ツムちゃんとお泊まり…楽しいな……と考えていた。
さて。
お布団の用意をしましょうかね。
ぴょこん!と蛍は上半身を直角に立ち上げ、タオル姿から瞬時にパジャマに着替えると、押入れからそそくさと布団を引き出してきた。
彼女は枕を2つ綺麗に横並びに置いてみて、
最初は拳ひとつ分空けていた距離をじっくりと見つめた後、次にピッタリと寄せてみる。
そして、うんうん……と一人で頷き、枕元に、鞘に納められたメノコマキリを置いて正座をすると、布団の角を意味なく揃え始めた。
「なんじゃ?その枕の配置は?」
聞き覚えのある声が部屋に響き渡り、蛍は正座をしたまま20センチほど上に飛び上がった。
「ひ、姫様??!なんで??」
焦った蛍が、咄嗟にマキリを掴みながら叫ぶ。
部屋の入り口には、中学校の旧デザインのジャージを着た蟲姫が、興味深そうに枕が2つ並んだ1組の寝床を眺めていた。
「突然訪ねてきて悪かったな。先日、おぬしの所に汚れた服を忘れてしまっておったのでな。…ちっとも届けにこぬから代わりに取りにきてやったのじゃ。逆にセーラー服はもう受け取ったか?……ところで宮代よ?おぬしは眠る時、枕をふたつ使うのか?」
その言葉にタイミングを合わせるように、壁の向こうからジャバー……と水の流れる音が聞こえ、湯船に浸かりながらちゃぷちゃぷと波を立てる音が聞こえてきた。
「………宮代?」「は、はい!なんでしょうか??」「……風呂に誰かおるのか?」「え?お風呂にぃ?ですか??え、え、えっとあの、その……」
蟲姫は再度、2つ並んだ枕を見下ろすと「どういうことじゃ?………説明せい。」
と冷たい声で言った。
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