#40 第六十二噺
「まず、百蟻神というものはな…。可能ならばまだ白蟻とか九十九蟻とか呼ばれる状態の時に駆除することが望ましいのじゃ。」と蟲姫は白い髪を赤いリボンで縛りながら言った。
「ヤマトシロアリは湿った木が大好物じゃ。」
紬は、セーラー服の蟲姫が廊下の板や壁の柱部分に触れながら、あちこちを指でコンコン…と叩くのを見ていた。
「……日が当たらなくて、ジメジメとしていて、更に風通しの悪い場所が危ない。」「………」
「まずは風呂場に案内せい。」
紬は「はい」と短く返事をすると、姫を案内する為に先に立って歩き出した。
「……ふむ。」
ガス栓を回して沸かすタイプの風呂を見渡した蟲姫は、浴槽の蓋に使われている木の板を持ち上げ、内壁のぬめりを指で確認した。
次に白髪の少女は浴室の敷き板をひっくり返し、タイル張りの床の目地に指を這わせ、浴槽の下を覗き込み、一通り綺麗に再生していくと、最後に換気の為に設置してある小窓の枠を揺らしてみた。
ガタガタと何回か揺すってみた後、蟲姫は頭上にある換気扇を見上げる。
「黒の髪、ちょっと肩車をしろ。」
「え?」
「肩車じゃ。知っておるじゃろ?おぬしの後頭部を、妾の下腹部で挟んで一体化する、あの秘技じゃ。縦二人羽織りとも呼ばれておるな。」
「…だ、大丈夫なのでしょうか……その、つまり……おしめが……」と紬がモゴモゴと口の中で呟くと、
蟲姫が「なにか?おぬしは、妾のお股が汚いと申すか??今はまだ使用しておらぬぞ!綺麗なままじゃ。ほれ、早く跪け。」と言って、紬の背後から膝カックンをし、肩を上からギュッと押した。
堪らず紬は湿った浴室に膝をつき、その上から有無を言わせず蟲姫がスカートを翻しながら跨がってくる。
そのまま姫は、セーラー服のスカートを紬の顔に被せ、彼女の頭部を完全に覆ってしまった。
「ちょ!む、蟲姫様!顔にスカートを被せる必要はないのでは!??」
首すじに当たるマシュマロのようなふわふわの肌触りと、むわぁぁぁぁん………とした酸っぱい臭いに、
紬は「蟲姫様!!た、助けて!息が出来ない!!」と叫んだ。
「失礼な!」と蟲姫は呟き「ほら!立て!立つのじゃ!立たぬとこのままおしめ縄を濡らすぞ!」と低い声を出す。
「そ、それだけはご勘弁を……」
紬は紺色のスカートの薄闇の中で息を止め、ふんぬ!と膝を震わせながら立ち上がった。
ぷるぷると脚を痙攣させながら、紬が「吐きそう……」と言っているのを無視して、
白髪の美少女は天井に嵌め込まれた換気扇の枠を引っ張って下におろしていった。
そして「やはりな………」と、呆れたような声で、股下の少女に向かって話しかける。
蟲姫の太ももを握る手に、より一層力を込めながら紬は「な、なにか分かりましたか……」と辛うじて言った。
「思った通りじゃ。おぬし、ここから風呂を覗かれておるぞ。」
「ホワッ??!」と紬が鋭く叫ぶ。
「これは間違いなく百蟻じゃな。奴は湿った所を好み、こういった場所から若い女の行水等を眺めるのが趣味じゃ。風呂場の天井裏はもうボロボロに食い荒らされておるぞ。見たところ二週間前くらいから、おぬしの入浴中はここに寝そべっておったようじゃな。キノコがいっぱい生えておるぞ。あぁ、あぁ、こんなに汚しっぱなしにしてからに……」
「…ま、待ってください!百蟻様って、そういう神なんですか?!?」紬は膝をガクッと折り、蟲姫のスカートの中から抜け出しながら叫んだ。
「なにを今更……」と蟲姫が言う。「……この分じゃと、もう一つの水場の方も怪しいの。あの湿気たっぷりの部屋こそ、百蟻の奴が最も好む場所だからな。後でそちらも案内せい。」
「ま、まさか………」と紬が青ざめながら言った。
「おぬしの所は水洗か?それとも汲み取り式か?」「ヒッ??」と紬は叫んで思わず体の前を押さえた。
「姫様??!い、一刻も早く、その不届きな神を退治してもらえませぬか??」
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「まあ、慌てるでない。」と蟲姫が言った。
「まずは、換気を良くすることじゃな。さすれば百蟻は発生せぬ。」そう言うと、姫は美しい透明な髪を煌めかせ、
「浴室の壁は全部ぶち抜くが良い。」と続けた。
……………。
…………。
「………いや、おうちを壊してしまったら元も子もないのでは……それを防ぐために駆除をお願いするわけですし……」
「ではせめて今日からは窓も扉も全開で風呂に入るとよい。湿気は大敵じゃ。そうすれば百蟻は出ぬぞ。」
「も、百蟻様に覗かれなくても、それじゃ丸見えやろがーーい!!」と紬は体を45度捻ってから思い切り蟲姫の白い頭を後ろからはたいた。
よろけた蟲姫が「……ぅおっと??」と叫んで、浴槽の中に頭から突っ込み、スカートを頭に被って白いおしめ縄を剥き出しにして倒れた。
「す、すみません!!」と言って、急いで紬は蟲姫の体を引っ張り上げる。
「なんじゃ、開け放しはイヤか?」
突き飛ばされたことを気にする様子もなく、蟲姫は立ち上がるとリボンを縛り直し、「そんなに丸見えが気になるなら、風呂キャンすれば良い」と言った。
「フロキャン?……なんかそういう言葉、ホタルも使ってた気がするけど……」
「イマドキ女子の使う言葉かと思っていたが、もう古いのかの?まあ良い。次はもう一つの湿気ポイントに案内せい。より深く百蟻の情報が掴めるやもしれん。」
蟲姫は紬を促し、くれぐれも浴室の扉を開け放したままにするようにと注意すると一旦廊下へ出た。
「………」
しばらく考え込むような様子の蟲姫を見つめ、紬は「……ど、どうかされましたか?」と聞く。
「のう、黒の髪?」「……な、なんでしょう?」「……いっそ、今日この場で百蟻を一網打尽にしてしまうのはどうじゃ?面倒な調査見積りや、床下の薬品散布等はどうも気が進まん。…そういったややこしいことは抜きにして、とっとと退治してしまった方が早いと思うのじゃ。」
「は、はい。ごもっともです。私もそれを望んでいます。」と言うと、紬はゴクリと唾を呑み込んだ。
「では、こうしよう。」と蟲姫が笑顔でこちらを向く。
「おぬしが厠に入って待ち伏せをするのじゃ。なるべく制服かブルマのような服装が良いぞ。で、百石神が現れたところを妾が成敗する。」
「はいぃぃぃぃぃぃぃ??」
「先ほど聞きそびれたが、おぬしの所は汲み取り式か?」「きょ、去年水洗になりました……!!だ、だからうちの御手洗いには百石様が潜むような場所はないと思いますよ??!」
蟲姫はまだ納得いかないような表情をして「では洋風か?和風か?」と聞いてきた。
紬は少し悔しそうな顔をして、「わ、和風です……お祖母ちゃんが洋風にするのに反対したから……」と目を逸らしながら言った。
「和風か……。ヤレヤレ…せめて洋風に工事しておれば九十九蟻くらいで済んだのかもしれぬのにな………。和風は百蟻が好む形状じゃ。小型写真機が設置されている可能性も考えた方がよいの。最悪、活動写真が録られていることも疑わなければならぬぞ。」
「しゃ、写真って?!ど、どーいうことですか?!む、蟲姫様お願いでございます!い、今すぐ百蟻様をぶっ転がしてください!!でも囮はイヤです!」紬が赤い顔をして、ガバッ!とセーラー服の肩にしがみつく。
「……しかしな、この神はそう簡単には人前に姿を見せぬからな。」と蟲姫が、うら若き乙女に抱き付かれて満更でもない様子で言う。
「そこをなんとか!!」と紬が涙ぐみながら叫ぶ。
「……致し方ないの……。妾もあまり気が進まぬが、囮になるのは、この蟲姫が引き受けよう。」
「ほ、本当ですか?!蟲姫様…ありがとうございます!!」
紬はグシュン……と鼻をすすり、恥ずかしそうに姫の体から離れた。
やがて台所の方から酢飯の良い匂いが漂ってきて、少女達の鼻腔をくすぐる。廊下を歩く紬と、セーラー服の少女は、お腹がぐぅ……と鳴るのを感じた。
壁を挟んで人の気配を感じた久代が、「紬~、どお?お見積もりは順調?終わったら教えてねー」と敷居の向こうから声を張り上げる。
紬は「じゅ、順調だから!こ、こっちを覗かないでね!!」と鋭く言い返した。
「……蟲姫様?お、お腹が空いておいでのようですが……終わったらお稲荷さんを食べますか?」
廊下を先に歩きながら紬が言う。
「いや、結構じゃ。携帯食は持っておるからの。仕事を終えたらそれを食べることにする。」と蟲姫が答える。
紬は、先ほど見たタッパーの中身を、必死に記憶から消し去ろうとしながら「……こ、ここが御手洗いです……」と言って小さな木の扉の前で立ち止まった。
「さて。九十九蟻に木を喰われている場合、こうやって叩くと中で空洞音がするのじゃ。」
白髪の美少女はそう言うと、扉を人差し指の第2関節でコンコンと叩く。
すると、中から乾いた音でコンコン……と返事が返された。
紬がすかさずドアノブの鍵を確認すると、それは青のままで、ロックされていなかった。
「……だ、誰も入っていないと思いますが……」と紬が小さな声で言うと、
蟲姫も小さな声で「これは空洞音じゃ。木材が虫に喰われている証拠じゃ。」と答えた。
姫はコンコン…ともう一度ノックしてから、銀色のドアノブに手を掛けクイッと捻り、ギィィィィィィ………と軋む戸をゆっくり開けていく。
「やはり建て付けも悪くなっておるの。木屑も出ていて……、これは間違いなく……百蟻に祟られておるな。」
そう言って蟲姫は、扉の下で細かい砂粒が山になっている箇所を指差した。
戸を開けた先は、タイル張りの小さな玄関のようになっていて、手前にはパンジーの花がプリントされたビニールのスリッパが綺麗に揃えて並べられている。足元にはクチナシの一輪挿しが、とっくり型の花瓶に生けてあり、すでに花びらは黄ばみ始めていたが、まだふくよかなあまい香りを放っていた。
正面には格子のついた曇りガラスがあり、その場所は何回かの雨漏りの後、工事によって目地剤で埋められた形跡があり、開かなくなっている。
水洗タンクは天井付近に付いており、そこからチェーンが垂らしてある昔ながらのタイプのものだった。
向かって右側の壁についたトイレットペーパーホルダーには、久代の手作りによる色とりどりの花柄のオックス生地が掛かっていた。
「……なるほどな……」と蟲姫は言い、壁に顔を寄せ、タンクの裏をじっと覗き込んだ。
薄く開けたままにしてある扉の向こうから、紬が「なにかいましたか?」と尋ねる。
「いや、今のところ特に怪しい点はないようだな。もう少し調べてみるから待っておれ。」
蟲姫は、血管一つ浮き上がっていない白く薄い手のひらを、部屋の中央に嵌め込まれたスリッパ型の陶器の受け皿に突っ込み、
その濡れた表面を素手で優しく撫でていった。
瞬く間に取りきれなかった一年分の黄ばみや水垢が、綺麗に剥がれ落ちていき、エナメル質の光沢を取り戻していく。そのままセーラー服の少女は、奥の水壺の部分にまで手首を入れ、ガリガリと爪を立て始めると、見えないところで結晶化した汚れを取り除いていった。
そしてもう片方の手で、天井から下がったチェーン紐を引き、勢いよく流れ出した水を手に受けると、上品な所作でその水を口へと持っていく。
清涼な水で喉を潤した後、蟲姫は白い髪を耳の上に掻き上げ、その端正な輪郭が隠れるまで白い陶器に顔を埋めると、ピンク色の舌でペロペロと表面を舐め取ってみた。
「うむ。」
「ど、どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。こっちの話じゃ。……ちなみにここの水は浄化できたぞ。今日から飲み水として使用しても問題ない。」
「はい??」
何かに頭を突っ込んだようなくぐもった音でよく聞こえなかった紬は聞き返したが、蟲姫は答えなかった。
タオルで手を拭きながら出てきた姫に、紬は「どうでしたか?」ともう一度聞いた。
「見たところここの換気扇のネジは揺るんでいないようだったし、どうやら写真機等は取り付けられておらぬようじゃ。正面にあった3ミリほどの小さな穴から覗かれておったようじゃな。あの直径ではまだ殆ど見えていなかったと思うぞ。地道にここを齧って穴を広げていたらしいな……やはり、おぬしが囮になって、妾が外から百蟻を捕らえた方が良くないかの?……まあ、作戦は後でもう一度よく考えよう。ではちょっと休憩してから本格的な囮捜査に入ろうかの。」
「休憩?姫様はお疲れですか?大丈夫ですか?」囮の件に対してブンブンと手と首を左右に振りながら紬が言った。
「ああ、平気じゃ。タンポポ屋敷から離れて随分時間が経つが、まだピンピンしておるぞ。時間を空けるのはどちらかと言うと百蟻神を油断させる為じゃな。」
蟲姫はう~ん…と伸びをすると「いったん退却するか。おぬしの部屋はどこじゃ?案内せい」と言った。
紬は、チラッと台所の方向を見て「こ、こちらです……」と反対方向へ向かって歩き出す。
立ち去る前に蟲姫が、御手洗いの扉を半開きにすると「そもそも、湿気がこもるのがよくないな。白蟻や九十九蟻を呼び寄せない為に、用を足す時は鍵を掛けずに、出来たら完全に開け放しにして致すと良いぞよ。」と言いながら紬を追い掛けた。




