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#39 第六十三噺


本殿の畳の部屋で座布団に埋もれる宮代(みやしろ)蛍(ほたる)が、すうすうと寝息を立てている中、

正面玄関に痩せた人影が忍び寄っていた。


その影は注意深く周囲の様子を伺うと、足元に走ってきた黒い虫を軽く爪先で蹴り、踏み潰さないように脇によける。


………今日は目に見えて宮代の結界の力が弱まっているな…。


さて。どうしたものか。


前髪さらさらの高校生、稲田(いなだ)創士(そうじ)は、静かに鍵の掛かっていない引き戸を開け、「……おじゃましま~す……」と小さな声で呟(つぶや)きながら中へ入っていった。


一応靴を脱いで上がり、背中を向けて土間に靴を揃えると、創士(そうじ)は目を閉じて静かに意識を集中する。

彼には、板壁を挟んですぐ隣の部屋で、宮代の次代巫女がぐっすりと眠っているのが気配で判(わか)った。


……今なら楽に宮代蛍を葬り去ることが出来るかもしれない……。

彼は、靴下を履いた足を垂直に爪先立たせながら、ふくらはぎを蛇のようにしならせて、暗い部屋に素早く侵入していった。


すぐに三角形に積まれた座布団の山が目に入る。

それは宮代蛍の寝息に合わせて、静かに上下運動を繰り返していた。

創士(そうじ)は、極度に集中している証拠に、閉じた唇の中央から二股に分かれた細い舌をチロチロと覗かせて、

暗闇でも光を取り込めるよう瞳孔を縦長に変化させながら、這うようにして巫女に近付いていった。


首に噛み付けば、それで終了だ。


いくら宮代(みやしろ)の巫女と言えども、外宮来(とぐらい)の毒をまともに受けたら、10秒と持たないだろう。


……シャァァァァァァ……

創士(そうじ)は牙を剥き、顎の関節を外して座布団の山に迫っていった。


さらばだ。宮代ほた(▪▪)……


シュパ…る(▪)ん??!ドサッ!


……………???あれ??


創士(そうじ)は何が起こったか分からず、いつの間にか畳の上に尻餅を付いてひっくり返っている自分に気付いていた。


座布団の端から青白い刀身が飛び出しており、妖しい光を放っている。

創士(そうじ)は慌てて、自分の首に手を回し、……それがまだ繋がっているのを確認すると、ホッと胸を撫で下ろした。

首に巻いていたチョーカーは水平方向に切れ、ぱっくりと口を開けている。


………あ、危なかった………。


なんなんだコイツは………。眠っているんじゃなかったのかよ。


ま、待てよ、コイツ、もしや……生理中(▪▪▪)か……?


……下手に踏み込み過ぎなくて良かった……。

寝ていても狂いなく首を狙ってくる腕。そしてこの魔剣の切れ味は……まさか研いだばっかりか??…くわばらくわばら。生理中の巫女には不用意に近付くべきでないな……。

起きている時に怒らせたらもっとヤバいぞ……。


稲田(いなだ)創士(そうじ)は冷や汗をかきながら後退し、

……今日は寝首をかくのは諦(あきら)めよう。と考えていた。……でも宮代蛍は完全に寝ているようだし……、この機会にちょっと家捜しくらいはさせてもらおうかな。


彼は蛍の枕元に布の固まりが置かれているのを見て、そのハイカラな服と、使用済のおしめ縄が蟲姫のものであることを確認していた。

…純日本製天然コットンのドビー織り……やはり外宮来(とぐらい)印の神おむつとはクォリティが違うな。念のためこれは資料として持ち帰らせてもらおう。


創士(そうじ)はもう一度部屋を見渡し、隅にある質素な文机(ふみつくえ)に乗った和綴じの本を見つけた。

裏返っていた表紙を慎重に戻し、『退魔大全』というタイトルを読むと、彼は20ページ以上を割かれている外宮来(とぐらい)神の項目に目を通し始めた。そして最後にそのページを綺麗に破り取り、ぐちゃぐちゃに丸めて懐(ふところ)に入れる。

……フフフ。これで、若い宮代は外宮来への対処に苦労するはず。…不明点はおちゃっぴーにでも聞くといいさ。

創士(そうじ)は、そっと元通りに本を戻し、揺れる行灯の明かりに瞳孔を細くした。


そのまま彼は、よっこいしょ……と立ち上がり、今度は鼻をクンクンといわせ始める。

しばらく外宮来(とぐらい)神は首を左右に振った後、部屋の先にある暗い廊下の方向を、薄目を開けて睨んだ。


なんだ?……これは………生け贄金髪女子の…匂いか……?


創士(そうじ)は、赤外線も探知出来る蛇の目になり、再び廊下の先を凝視する。


ふむ。


彼は柱の数をかぞえながらヒタヒタとゆっくりと進み、ある場所で、今は乾いてしまった水の跡を見つけて立ち止まった。

それがもっと良く見えるように這いつくばり、匂いを嗅ぎながら水の流れた跡を追っていく。


意思を持って流れていったように見える水の跡は、廊下の角を何回か曲がり、

やがて一つの部屋の前で途切れて終わった。


……この樟脳の匂いと桐の匂い……………ここは衣装部屋か?


創士(そうじ)は明かりを点けず、真っ暗なままのその部屋に入り、

天井まで積まれた桐の箱を見上げていた。


……こういった部屋はかなり昔にも見たことがあるぞ………。

多分、これらは宮代家の男共の衣装だろう。

直近で、自分が死んでいた間のことは分からないが、

多分今の宮代(みやしろ)蛍(ほたる)にも、歴代の巫女と同じく男兄弟がいたのだな。

2人…………、いや、3人か……。村を出て何年くらい経っているのだろう。

創士(そうじ)は、棚の上に乗せられた写真立てに気付き、迷わずそれを手に取ると女装した男達の顔をじっくりと観察した。


……………。


…………。


………。


……最近、恐ろしく強い力が三々賀(みさんが)村に接近している気配があった。ほんの一瞬だけそれを感じたのだが、すぐに消えてしまったので気のせいかとも思っていた。


最初は当代の宮代(みやしろ)が東京から戻ってきたのかと思ってひやひやしたが、どうやらそうではないらしい。


気のせいではない。


あれはこの宮代の男のものだったのか。


………兄弟の中で最も力が強いのは…………多分こいつだ。


創士(そうじ)は、写真の中で椅子に座った白い顔の女(▪)に焦点を合わせ、分かりづらいが、その頭にちょこんと乗せられた狐の面を見つめた。


……ああ間違いない。こいつが(▪▪▪▪)三々賀村に(▪▪▪▪▪)向かって(▪▪▪▪)きている(▪▪▪▪)。

……宮代家は女子が7歳を過ぎたら跡取り確定だろうに。こいつはいったい何をしに戻ってくるんだ……?


稲田(いなだ)創士(そうじ)は、宮代の男達の衣装が入った桐箱を一つずつ開けて確かめ始め、

やがて長兄の物と思われる箱の中から、一冊の手帳を見つけ出してきた。


……ふむ。こいつは宮代(みやしろ)清一郎(せいいちろう)という名前なのか。ん?この男は、狐の面の化け物とはまた別な奴なのか?神通力は劣るようだが、どうやら順番的に跡取りの男はこっちの方だったみたいだな。


必要とあればアレをちょんぎってまで政(まつりごと)を途絶えさせてはならない家系の長男……バカな一族だ。


創士(そうじ)は清一郎の手帳をパラパラと捲り、中から1枚の写真が落ちてきたところを、床に落ちる前に素早く足で受け止めた。


これは…………。


光沢紙にプリントされたサービスサイズの写真。それはまだ昨日プリントされてきたばかりのような薬品の匂いがする。

創士(そうじ)は表面に指紋を残さないように角をそっと摘まみ、

写真に写った少女の顔を確認した。


長い黒髪を後ろで纏め、少し毛先のカールした後(おく)れ髪が、ピンク色の唇にかかる一人の可憐な少女。


誰だ、この女は? もしやこれが俗にいう『宮代の器(うつわ)』というやつか?

いつも宮代蛍とつるんでいる木守(きもり)紬(つむぎ)の顔とよく似ているな…………姉妹だろうか。しかしなんでこの女は今、村にいないんだ………??


創士(そうじ)は写真を懐(ふところ)にしまい、

……これは調べてみる価値がありそうだな。と考えていた。


まあ、とりあえずは。


外宮来(とぐらい)神の少年は、ニヤリと笑い

「お前らの跡取り問題をひっ掻き回してやるからな。」と、兄弟達の写った写真立てを見ながら、口に出して言った。


……計画はこうだ。

一、まず宮代(みやしろ)蛍(ほたる)には、弁天の蛇として近づき、敵ではないと油断させる。

二、蟲姫には、おちゃっぴーアプリをハックしてデタラメを吹き込みつつ、AIへの依存度を高め、宮代の支配から遠ざけていく。

三、同時に、宮代の兄弟を利用してドロドロのお家騒動に持ち込む。この件では写真の女がキーパーソンになりそうだ。

四、宮代家が仲間割れで弱体化したところで、最後に木守龍治の浮気を利用して、5人の封印されしエクソダスを発動させる……。


完璧じゃないか。そして全てを破壊し尽くした暁(あかつき)にはあの金髪碧眼□リと結婚だ。

純真な処女(しかも洋□リ)を生け贄として貰い受けるなど、祟り神冥利に尽きるな……ムフフ。

丸呑みにして腸液30年かけて消化してやる。


今は14歳くらいか?あのとっくり型のお腹が、粘膜を刺激しながら食道に堕ちていく時の喉ごしを想像すると…たまらんな………反芻を繰り返して、しゃぶりつくしてやる。消化が終わる頃には44歳。女として一番いい花の時期を全て無駄にして、あの金髪少女は絶望しながら、ボクの腹液(ふくえき)中で年老いていくのだ。

ああ……楽しみだ。今から涎が止まらないよ。昆虫食を逃れる為に交わした契約だって活きているしな。色々と遊ばせてもらうぞ。


………おっと。長居は無用だ。ここは敵地。

有益な情報をいくつか入手出来たし、下準備に移行するとしよう。

だがまだ派手な動きは出来ないな……。

創士(そうじ)は、フラメンコのように片腕を捻りながら頭上に挙げると、……シュルン!と体を二重螺旋に分裂させながら紐状にほどけ、暗闇の向こうに消えていった。


****************


セーラー服姿の蟲姫が、紬《つむぎ》の後ろをついてくる。


………蟲姫様を連れていったら、お祖母ちゃん、卒倒してしまうんじゃないかしら……。

紬はゴクリと唾を呑み込み、段々と見えてくる自宅の外観を見据えながら歩いていた。


「姫さま?…お、おからだの調子は悪くありませんか……?」「おう、妾(わらわ)のことを心配してくれるのか?大丈夫じゃ、すこぶる元気じゃ。」

蟲姫は頭上に3メートルほどの蚊柱を従えて、時折突進してくる蝙蝠に向かって前歯の間から超音波を出して墜落させながら歩いている。


「……本当にうちに来るんですか?」

と紬が言う。

「なんじゃ?百蟻(ももあり)が出たのじゃろ?妾(わらわ)が見てやるから安心せい。勿論全て無料(ただ)で見てやるぞ。……ところで宮代の場合はこういう時、謝礼を受け止ったりしておるのか?」と蟲姫が立ち止まりながら言った。


「……み、見積りは基本無料だと思いますが……お稲荷さんを食べます。それも結構酸っぱいやつ。ホタルはあれが大好物です。」

「ああ、あれか、知っておるぞ。随分昔に宮代の男は、まずはお稲荷さんを2つ奉納してから、最終的に恵方巻を丸かじりされると聞いたことがある。見たことはないが、60年くらい前に宮代から聞いた気がする。この場合はおぬしの家の男が差し出すのか?」

「い、いえ……お母さんが作ってます。前の時は私も作るのを手伝いました。」

「?」と蟲姫はキョトンとした顔をし、「お母さん??お母さんにお稲荷さんが付いておるのか?ちなみにおぬしも女であろう?」と言った。


「は、はい。女ですが……」


「まあ、何でも良いか。どのみち妾(わらわ)は謝礼は受け取らぬ。今回の出張(▪▪)はおぬしの夏服を虫達に喰わせてしもうた罪滅ぼしじゃ。…さて。ここがおぬしのうちか?いやあ、久しぶりじゃな、こうやって他人(ひと)の家に上がるのは。ん?結界はこれだけか?なんと無用心な。」

と言って蟲姫は、軒先に置かれた蚊取り線香と、ホウ酸団子、最後に頭上からぶら下がるハエ取り紙を見て、言ったそばから綺麗な白髪にベタベタのテープを絡ませ、「……まあ、これは…それなりに効果があるようじゃの……」と言って、ブチブチッと髪ごと引き抜いた。


「だ、大丈夫ですか?」「平気じゃ。髪はまた生えるしの。」


「あら、おかえりなさい。」


閉じた玄関の向こうから母、久代(ひさよ)の声がする。


「今、開けちゃダメ!!」と紬が鋭く叫んだ。

曇りガラス越しに娘と、見慣れたセーラー服姿の影が見え、久代は立ち止まると、

…最近巫女らしくなってきた宮代蛍に対して今まで通り「蛍ちゃん、」と呼んでいいものかどうか少し迷っていた。

「……開けちゃダメってなあに?紬、もうお祓いが始まっているの?」

「と、とにかく開けちゃダメ!」と紬は、蟲姫の前に立って彼女の姿を隠しながら言った。


久代はエプロンで拭いていた手の動きを止め、戸惑いながら靴下を履いた足を上がり框(まち)に掛けたまま「……お見積もりの邪魔になるなら、…お母さんはお台所でお稲荷さんを作ってるからね。」と言った。「お父さんとお祖母ちゃんは畑に夜盗虫(よとうむし)を見にいってるから。……じゃあ、よろしくお願いしますね!」そう言うと久代は回れ右をして家の奥に消えていった。


白髪の美少女が、ゴホゴホ…と蚊取り線香の煙に咳き込みながら「では黒の髪?早速調べてやろうか。」と言って玄関の戸をガラガラ…と開ける。


蟲姫は頭上にある神棚を見上げ、

「妾(わらわ)の名は矢峰(やみね)日向子(ひなこ)。下界に降りてきたのは30年振りくらいかの。ここら辺はあまり変わらぬな。今日はお前らの住みかに巣食う百蟻(ももあり)の様子を見にきてやった。

稲荷はいらぬぞ。お構い無く。」と式神に一応形(かたち)ばかりの挨拶をした。


次に蟲姫は、大して興味無さそうに下駄箱の上に積もった埃に指を這わせると、

「……おい、ここの主婦はちゃんと掃除をしておるのか?」と言う。

姫の触れた場所は、ニスを塗ったばかりのようにピカピカになり、すでに新築の匂いを発散し始めていた。

「わあ……」と紬は声を上げ、「蟲姫様にはそのようなお掃除の力がおありなのですか?」と聞く。


「ん?」と姫はこちらを見た後、次に得意気な表情になって「まあな。」と言った。

「 なんならやり方さえ分かれば、この力は誰にでも使用できるぞ?ただしこの力を使うと寿命が1日ずつ縮まるのじゃ。妾(わらわ)には寿命がないから使い放題じゃが、おぬしが使いたいのなら、…家族の誰かの寿命でも捧げればよいかな。年老いた親族でもおれば、その辺りから余命を貰い受ければどうかの?どうせ後先短いだろうしな。」

紬は慌てて、蟲姫の掃除した棚板に、周囲から埃を集めて平らにならした。


「…それに、この能力は暴走すると、触れたものを原材料の姿にまで逆再生してしまうからな。家屋も、木と土と草に還ってしまうから注意が必要じゃ。」


紬は、最近三々賀村の山道が、原生林化してきているのを思い出して、

……ホタル……あなた、巫女の業務……ちゃんとこなせている……?

と心の中でそっと思った。


「……さて。では早速内見(ないけん)といこうかの。」

蟲姫はそう言うと、蛆のような白い指を擦(こす)り合わせ、

板間の上でパール色の足袋(たび)を滑らせながら歩き出した。


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