#38 第六十四噺
例年、宮代の境内に咲き誇る紫陽花の花壇は、
大量発生したアジサイチョッキリ(正式名シロオビアカアシナガゾウムシ)による被害を受けて、全て首から上を切断されていた。
木守紬は、後ろ髪を三段結びにしているそれぞれのおみくじ紐を指で確認し、
汗でこめかみに張り付いた遅れ髪を耳の後ろに搔き上げた。
杜は熱帯のようにじっとりと湿り気を帯びた暑さに覆われ、聞いたことのない鳴き声の野鳥が、何処か遠くで鳴いている音が聞こえる。
「ごめんください。ホタル~、いる~?体調はどぉ?」
紬は玄関の曇りガラスの引戸を軽くパンパン…と叩いて、金魚の描かれた巾着袋を肩の前に掲げ、
「お祖母ちゃんの飴玉持ってきたよ~」と言った。
しばらく沈黙が続いた後、ゆっくりと白い飾り模様が入ったガラスの向こうに、人影が近付いてきて、
ガラガラガラ………と無言でジャージ姿の宮代蛍が扉を開ける。
「………調子悪そうね……」と、紬は友人の青い顔を見ながら言った。
「……お腹痛い……」と蛍が呟き、「飴ちょうだい」と手を伸ばしてくる。
紬は巾着の口を開き、赤い色のドロップを取り出した。
蛍が「個包装を開けて」と言うので、紬は丁寧に袋を破き、ひな鳥のように口を開けた巫女にそれを放り込んでやる。
そのまま蛍は、ペタリと玄関の式台に座り込み「……紬……心配して来てくれたの……」と、涙ながらに彼女のことを見上げた。
「……いえ、そういうわけではないんだけど………大丈夫?お腹とかあっためた方が良くない?横になる?」
「ありがとうツムちゃん……」
有無を言わさず蛍は、横に寄り添う紬の太ももの上にボフッ!と頭を乗せると、
ピシッ……と真っ直ぐな姿勢で框の向こうに横たわった。
「ポンポンして……」「はいはい。」
ぽんぽんぽん………
しばらくそうやって時を過ごし、
家の奥からボ~ンボ~ン……と柱時計の音が聞こえてきたところで、
紬は「……実はねホタル………うちに百蟻さま?が出たみたいなの……。もし、良かったら……ちょっと見にきてくれないかな……」と言った。
「無理。」と蛍が即答する。
「そ、そっか……。や、やっぱり生理(死語)の時は、 巫女の力が出なかったりするの?」
「……いや、必ずしもそういうわけじゃないんだけど……」と明らかに不機嫌になりながら蛍が返事をする。
「むしろ、High-Run-期から生理(死語)の終わりにかけて、 巫女の力が暴走して危険なくらいだから。シロアリ退治のつもりが、家の柱ごと吹っ飛ばすかも知れないわよ?……アンネの時くらい休ませてよ……(グスン。)」
言い終わると同時に、ぷい!と横を向いてしまった蛍は、紬のお腹に向かって熱い鼻息をかけながら黙ってしまった。
「……ごめんね?」と言って、紬が暴走する巫女のボソボソめの髪を撫で撫で…と櫛ってやる。
………困ったわね。
これじゃ、今日は無理かな……。
でも大丈夫なんだろうか……。今夜中に家が傾いたりしたらどうしよう……。
「…………る。」紬のお腹に湿った息を吐きながら、蛍が何かを言ったように思った。
「なあに、ホタル?どうしたの?」
「……遥兄ちゃんの匂いがする……」
紬は髪を撫でる手をピタリと止め、「ん?あ、ああ、そうか。この服って宮代遥さんの着ていたものだったんだよね?やっぱり匂いとかで分かるものなの?」
「……お兄ちゃん……」と蛍は言うと、いつの間にか、スウスウと寝息を立て始めていた。
……ホタル……、なんか最近は夜なべしてオムツを縫ったり、鉈を砥ぎ直していたようだし……寝不足なのかな………。
休ませてあげた方がいいのかな………。
紬は、彼女を起こさないようにそっと膝を抜き取ると、
迷った挙げ句、眠る友人の両手首を掴むと、死体のようにズルズルと、仰向けの体を一番近い部屋まで引き摺っていった。
それでも蛍が起きる様子はない。
紬は薄暗い畳の部屋に入ると、神棚に置かれた3個の瓢箪を見上げ、
後ろ髪でおみくじが切れていないのを確認すると、
押し入れから勝手に座布団や足掛けなどを引っ張り出してきて、蛍の体にピラミッドのように重ねてやった。
……お祖母ちゃんには、今日は蛍が働くのは無理だと説明して、殺虫剤でも撒いておけばいいんじゃないかしら………※。
(※シロアリの羽蟻を見つけた際は、殺虫剤を撒くことはお勧め出来ません。特にスプレータイプだと、逃げたシロアリが更に他の場所に移ってしまい、下手したら家全体に被害が拡がる可能性があるっぴ。)
部屋の隅にある、こじんまりとした文机の上に、細い花瓶に生けられた花菖蒲が置いてあり、同じく紫の菖蒲が描かれた行灯が柔らかく焔を揺らしていた。
紬は机の上に開かれた紐閉じの和本を見つけ、そちらに近寄っていく。
……あ、これ、蛍がよく見ている『退魔大全』とかいう本じゃないかしら……。
和紙に墨と筆による手書きの百科事典を、紬は指先でそっと捲り、防虫香の白檀の匂いを鼻に吸い込んだ。
しばらくページを捲り、『百蟻』の項目を見つけると、紬はその1ページ手前にある『九十九蟻』と『白蟻』の見分け方の説明を読んでみた。更に黒蟻の羽蟻との羽の形の違いを描いた図や、白蟻は蟻ではなく、ゴキブリの仲間に属する等の記述を読み、
……そこから先は専門的な祓詞や薬の調合法の一覧表になり、ちんぷんかんぷんになってしまった。
…………。
諦めた紬が、飴の袋を蛍の枕元に起き、立ち上がって部屋を出ようとすると、
一気にブチブチッ…と音がして、髪のおみくじが3本とも切れて畳の上に落ちた。
「……え」と振り返りながら、おみくじの破片を拾おうとして屈むと、
背後から「なんじゃ、おぬしも来ておったのか。」と声がした。
「うわぁぁ??!」
「久しぶりじゃの、黒い髪。そのリアクションは百点満点じゃ。恥微ったか?うふふ……今日はあの黄色い髪は一緒ではないのか?」
白髪の髪によく映える矢絣の赤いリボン。
卍崩れが可愛い、黄色の紗綾形の着物に、紫色の袴を合わせたハイカラな少女が、「宮代は寝ておるのか?」と部屋を覗き込みながら言った。
「蟲姫様??ど、どうしてここに??……外に出てきて平気なんですか??」と紬が早口で言う。
「くんくん……なんじゃ、恥微っておらぬのか。つまらん。あの黄色い髪なら今頃大洪水になっておるだろうに。今日はな、調子がいいから遠出してみたのじゃ。最近過ごしやすい気候になったおかげでな、夜になるまで、までまる1日近く出歩けるようになったこともあって、こうして宮代の所まで、また足を伸ばしてみた次第じゃ。」
「ま、また倒れたりしませんか……。」
蟲姫は何でもなさげに首の辺りから、さらさらの白髪をふわさっ!と搔き上げると、「この前は恥ずかしいところを見せてしもうたの。ここ数日はすこぶる体調が良いのじゃ。」と言って笑った。
「……宮代からもろうたこれのおかげかの……」
そう言うと蟲姫は、手に提げていた男物のようにマチが広い信玄袋から、水色の蓋のついた半透明のタッパーを取り出した。
それは黄色い液体で充たされていて、所々黒く細いものが透けて見えている。
蟲姫は、おもむろにその蓋を開けると、中から折り畳まれた大きなナナフシを出し、しっぽを持って搔き混ぜるようにして念入りに液に浸し直すと、薄い唇の小さなお口にパクッと咥えた。
そして美味しそうにムニュムニュと顎を動かした後、しゃぶった胴体を途中で口から出し、
「おぬしもいるか?」と蟲が聞いてくる。
「ほどよい酸味とえぐ味が癖になるぞよ。」
「……い、いえ……今、お腹いっぱいですから……オエ」「……そうか?まあ、今の若い女は、チョコレートでコートしたようなやつが好みなのだろうな…今度作ってやろう。」
紬はそのタッパーに見覚えがあるような気がして、青ざめながら蛍の方に助けを求めるような目を向けた。
「宮代は何か疲れておるようじゃの。……寝かせておいてやれ。妾は今日はおぬしと遊ぶことにしようかの?」
「……い、いえ……きょ、今日は家のことで、すぐに帰らないといけないので……」
「そうなのか?」
蟲姫はタッパーに蓋をして、大切そうにそれを袋にしまい直しながら、歯に挟まったものを舌で掃除していた。
紬は、「は、はい。では、私……そろそろお暇させていただきます……」と顔を伏せながら背中を向けないように後退りし、バラけた髪を素早く予備のおみくじでサササ……と結び直した。
「……そうか。残念じゃの。では気を付けて帰るのじゃぞ。」
蟲姫がそう言うのを聞くと、紬はホッとして玄関に横歩きで移動していく。
その時、「ん?」と蟲姫の低い声がした。
びくっ、として、紬が履きかけていたスニーカーの踵に差した指の動きを止めると、
部屋から戻ってきた蟲姫の手に『退魔大全』が握られているのを見て、表情を一気に強張らせた。
「……もしや、……おぬしの処に…百蟻が出たのか?」
白檀の香りを臭そうに顔から遠ざけつつ、開いてあったページをこちらに見せる白髪の美少女が、赤い目をしてこちらを睨む。
「ひっ……」と紬は小さく叫んで首を竦め、「いえ、あの、その、……ま、まだ百蟻様と決まったわけでは……」と急激に背中に汗をかきながら言った。
蟲姫が一歩一歩こちらに近付いてくる。
お、お許しください…………!!と、紬が土下座しようとした刹那、
蟲姫がニコリと微笑みながら「……なんじゃ、それならそうと言ってくれれば良かったのに。」と言って紬の肩を優しく叩いた。「…おぬしには、お洋服の虫喰いの件で迷惑をかけてしまったと聞いておったからな。……罪滅ぼしじゃ。家に百蟻が出ておると言うのなら、妾が今から駆除に行ってやろう。…アレは、プリプリした歯ごたえで、脂も乗ってジューシーなコクがあるからの。スープなんかにするのもお勧めじゃ。よおし、案内せい。妾が根こそぎ殺してやるからな。まずは状況を見せてみい。……まあ手遅れなら引っ越せばよい。そうじゃ!たんぽぽ屋敷に来ぬか?おぬしなら住まわせてやってもよいぞ。なんなら金の髪も連れてこい。さすればあと60年くらいは一緒に夏休みが過ごせるからの…。おぬしらの寿命は今どのくらいじゃ?平均寿命は随分伸びたと、おちゃっぴーは言っておったぞ。」
紬は震えながら、隣室で寝ている蛍の方をじっと見つめた。
「宮代は休ませてやれ。」と蟲姫が言う。「それに、虫のことなら妾の方が得意じゃ。悪いようにはせん。………それともナニか??妾の好意が受けられないとでも言うのか………?」
姫の瞳が再び赤く光る。
「いえいえ!滅相もない!!」と紬はぶんぶんた首を振り、「ぜ、是非お願いいたします……」と、聞き取れないような微かな声で言った。
「よし。」と蟲姫が楽しそうに頷く。
「善は急げじゃ。」
ブルッ……と白髪の少女は体を震わせ、しばらく宙を見つめながら、軽く足を開いて立っていた。
「ひ、姫様………お、お着替えは大丈夫ですか……」と紬が聞く。
「ん……ありゃ、ちょっとばかり溢れて…濡れてしもうたかも知れぬな………」「やはり今日はおやめになった方が………」
姫の袴の右足側が濡れているのを見て、紬は「……お、お着替えはありますか?」と言った。
「ああ。おしめ縄の替えはあるが、この汚れた服はどうしようかの……」と言って蟲姫はペタペタと足の裏を廊下につけながら、蛍の寝る部屋に戻っていった。
「お、ここにいいものがあるぞよ。」
嬉しそうな声を聞き、紬は返事をせずそのまま玄関で待っていた。
「黒の髪、そこで少し待っておれ。宮代は起こせないから、妾は1人でおしめ縄を変えようと思う。
……………………………ん………ふう………よし………………うん、完璧じゃ。……やはり替えたては肌触りが最高じゃな。あと、この切れたしめ縄と濡れた服は、どうするか…………まあ、そうじゃな。宮代の枕元に置いておこう………。」
数分後、部屋から出てきた蟲姫は、セーラー服姿になっていた。
「ど、どうしたんですか、その格好は?!それ?ま、まさかホタルの制服ですか??」
「ああ、そのようじゃな。奥の壁に掛かっておったから無断で借りさせてもろうた。懐かしいの……ほら、見てみ、妾の身長にもピッタリじゃ。女学生時代を思い出すな……いや、妾は今も女学生か………お、微かに宮代の汗の匂いも残っておるの。」
そう言うと蟲姫は嬉しそうに自分の身体を抱き締めた。
紺色のセーラー服を着た白髪の綿毛姫は、「さ、黒の髪。行こうぞ。」と言って玄関に脱いであったブーツを履き、「ところでおぬし名はなんと申すのじゃ?」と聞いてきた。
「木守……紬…と申します……」紬がそう答えると、蟲姫は
「……電々ムーシムシかーたつむぎー♪」と歌い出し、
スカートの中からボトボトと、6cmほどの黒いマイマイカブリを数匹落としながら、そのまま首の切れた紫陽花の花壇の前を歩いていった。
虫達は、細長い瓢箪型の体を照からせて、すぐにカサカサと移動を開始し、
殻に籠った柔らかいカタツムリを捕食する為に、杜の四方へと散らばっていった。




