#37 第六十五噺
宮代の杜へと続く道を急ぐ紬は、田園風景の向こうに見慣れた金髪の少女が歩いているのを見つけて、
「おお~い!メイカちゃ~~ん」と大きな声で叫びながら手を振っていた。
こちらに気付いた愛衣花・エル・ターナーが、避暑地の麦わら帽子の影に半分隠れた顔をほころばせながら、ブンブンと手を振り返す。
「ツムちゃ~ん」嬉しそうに小走りで駆けよってきた高原の白人女子が、立ち止まると急に力尽きて気だるそうに、肩に掛けたプールバッグを土の上に下ろした。
「あ、そういえば今日はプール解放だったっけ?」
と紬が言う。
「そうですよ、ツムギ。アナタは水着がないものだから誘えなかったんじゃないですか。仕方なく一人で遊んできました……」
「いや、一人でって……。蛍はどうしたのよ?」
「蛍は、なんか今日はダメな日だって言ってましたよ?」と愛衣花がブーたれた顔をして言う。
湿ったタオルや水着が入った重たそうなプールバッグから視線を外し、ん?と紬が顔を上げて愛衣花の方を見る。
「え……ひょっとして、蛍は生理(死語)?……あれ?そういう時って、巫女のお仕事は出来るのかしら……」
紬は、思案げな表情で金魚の絵が描かれた巾着の紐を握り締め、
「ひょっとして、今日は百蟻さまの駆除は難しいのでは……」と独り言を言った。
「でね、ナンカ今日はクラスの女子達もあまり来ていなくてですね、小学校低学年みたいな子達が多かったんですよ……」「え?何か言った?」と紬が聞き返す。
「もう!above the sky(上の空)でナニ考えてたんですか!」
「above」と頬を膨らませた金髪碧眼の少女が腕を胸の前で組んで、こちらを睨んだ。
「ゴメンなさい。それで?小学校低学年の子達がどうしたって??」と紬が言う。
「今日のプール解放は小さい子バッカりでした。」
「……ふうん。……そうだったんだ。それは残念だったね。私も、小さい子と一緒にプール入るのあんまり好きじゃないから。」と紬が、これ以上立ち話が長くならないように、愛衣花のプールバッグを拾い上げ、宮代の杜の方角に歩き出しながら言う。
荷物を持ってもらうことが当然のように手ぶらで歩き始めた金髪女児は、
身軽な腕で意味不明なダンスの振り付けを編み出しながら友人の後ろについていった。「……ちなみにメイカは小さい女の子達と遊ぶの好きですけど……」
「でもさ……小さい子達とプール入ると、たまに中でする子とかいるじゃない。……そのことを知ってから、私、小さい子がいる時はプールに行かなくなったんだ。それなら今日は水着があっても行かなかったかなあ……」
「え……」と背後で愛衣花が立ち止まる気配がして、紬も振り返る。
「……もしかしてメイカちゃん知らなかった?メイカちゃんにとってプールは聖域だもんね。知りたくなかった?なんかごめんね……」と済まなそうに紬が呟いた。
愛衣花・エル・ターナーは心底驚いたような顔をして、
「…………………。ツムちゃん?……プールに入ったら、……大抵、普通、中でしますよね………」と言った。
…………。
「はあぁぁぁあ??!?」
紬が大声を出して、半歩後ろへ飛び退く。
「ちょっと待ってよ、メ以下ちゃん?!それ本気で言ってる??他の人が大勢入ってるのよ!?ダメでしょ?それ!!汚いでしょ??て言うか自分自身もイヤじゃないの?それ!!」
「えー、でもあれだけのお水の量ですよ~。ほら、あの白い消毒のお薬も入れてありますし、…何よりプールは水を出しっ放しにしていて、ちゃんと常に排水してるんですよ~。何なら川や池の水の方が雑菌や寄生虫が一杯いるくらいなんですからね?」と金髪の夏少女は八重歯を覗かせながら微笑んだ。
「ちょっと待ってよ、メイカちゃん??いつからよ!いつからなのよ!アナタが……その……中でするようになったのは??!」
紬はガシッ!と、愛衣花の薄く狭い肩を鷲掴みにして、脳がずれるくらい彼女を揺さぶった。
目をくるくると回した赤ちゃんは、酔っ払ったように軽く涎を垂らすと、慌ててラッパ水仙状の袖でそれを拭き、「え?そんなの覚えてませんよ……小1くらいから??」と言った。
「まじか………」と紬はがっくりと肩を落とし、近くに生えた小さめのケヤキの木に手をかかける。
「泳いでたら口とかにも入るでしょ?!……アナタ、人の迷惑とか考えたことないの??」
「えー、ほぼほぼ薄まってますし、それって汗とナニが違うんですか?…あ!あと知ってます?泳いでいる最中に放出すると、記録が伸びるんですよ!しかも沢山我慢してた方がジェット噴射みたいに勢いが付きますし、体も軽くなります。こう、ピューーーっと!」
水平にした手のひらをライダー変身のように、紬の顔の前で横切らせた後、クラスで一番クロールが速いアングロサクソン少女は、ビート板のように平らな胸を張って「この泳法はオリンピック選手もやってます。合法です。」言った。
「だから『これだから移民は…』って言われるのよ!お祖母ちゃんが聞いたらアナタの家、火つけられるわよ?!」と紬は、ほとんど目を血走らせながら叫んだ。
「怒らないでよ、ツムちゃん……いつもというわけではないです。ほら、プールの時にしたくなった場合、する時に全部脱がないといけないでしょ?ご存知の通り濡れてるとあれ、もう一度着直すのが大変なのです……。面倒だからいっそ、そのままプールに戻りたくなりますから……」「それ、もっとダメ!」と紬は言って「ここは日本よ??アナタの母国アメリカは野蛮な国なのかも知れないけど、ここではここのルールに従って!」と再び叫んだ。
「……メイカは日本が好きです。……生まれも育ちも三々賀村。四国山病院の産湯に浸かり、姓はターナー、ミドルネームはエル♡…人呼んでLのロリターナーと発します。」
「……半分、外国語……」
右手の親指と人差し指でLの文字を作るメイカに向かって、紬が諦めたように背を丸めながら義務的に突っ込んだ。
愛衣花・エル・ターナーはそのまま調子に乗った様子で、突っ込みをものともせず意気揚々と喋り続ける。
「…三々賀、三神、弁天堂、チョロチョロ流れる蛇腹川、イキな姐さん立ち小●……大したもんだよカエルのション●」
「メイカちゃん!もうやめて!それ以上言ったら謎の組織からBAN-Die-南無っ殺されるわよ!?……ちなみに、今の口上を聞いて思ったんだけど……アナタが公共のプールでしていること、別な視点からこう考えられない?」
ん?と愛衣花が顔をこちらに向ける。
「プールの中でするのは、周りが水だらけだから気にならない(?)のかも知れないけどさ……、例えば、メイカちゃんが飛び込み台からプールに向かって、それを注ぎ入れているシチュエーしょんを想像してみて??……プールに入っている人達がそれを見たらどう感じると思う?……メイカちゃんがやっているのはそれと同じことよ?」
2人の少女の心に、夏の青空と、白い飛び込み台、そしてプールから首を出した水泳帽の子供達が、キラキラと降り注ぐ水流に重なった虹の架け橋を、わあ……と見上げている映像がよぎっていった。
「……………。か、考えたこともなかったです。以後気を付けます。」
「……良かった。分かればいいのよ、分かれば……。」紬がそう言って、プールバッグを金髪女児に返そうとすると、
愛衣花・エル・ターナーは「今の話で思い出したんですけど……」と話を切り出してきた。
紬は嫌な予感がしつつ、「で?」と続きを促す。
「……小さい頃、蛇腹川の大岩の上で、ホタルが立ったまましようとして転落したことがありましたよね……」
「……あ、あったわね……そんなこと。」
「あれって今思えばホタルのお兄さん達の影響だったんですかね……女の子の格好をしてるとは言え、男兄弟が3人もいるから、……見よう見まねで……」
「いや、ホタルのお兄さん達は立ってしなかったんじゃないかしら……。だってあの見た目よ……」
紬は、……私は何を言っているのだろう……と首を振り、
愛衣花が「そもそも男の人って、体の構造的に座って出来るんでしたっけ?座ってすると顔にかかったりしないんですか??」と言うのを聞いていた。
「え………知らないわよ……私に聞かないで。」
「ツムギはパパとお風呂に入ったりしないんですか?」
「お、お父さんはそんなことしないわ」……あれ?お父さんは昔お姉ちゃんとは入っていなかったっけ………。紬は胸がズキン、と痛むのを感じた。
「メ、メイカちゃんこそ、お父さんと一緒に入って…その……見たことないの?あ、あれを?」
「やめてください。メイカの家族は湯船に浸かる文化がありませんので、一緒に入ったら体を突き合わせてシャワーを浴びることになります。……それはナンカ嫌です。」
「……なるほど。メイカちゃんは家で湯船に浸かる習慣がないからプールが大好きなのね……。言っとくけど、メイカちゃん?ちなみに日本ではお風呂の中でもしちゃ駄目なんだからね?外人の家にはユニットバスというお風呂とトイレが一体型になった部屋があるそうだけど、メイカちゃんは日本が好きだから、それを使ってないと思っていたんだけど……まさか、そこは外人文化にどっぷり浸かっていたとは……。
……トイレの水で体を洗うとか……ちょっとそこは受け入れられないかな……」
「メイカだってイヤですよ。異文化は、時に常識の概念そのものが通用しないことがあります。Goに入ればGoに従え、と言いますが、ターナー家のその風習だけは、メイカも受け入れられません。」
「いや、アナタがプールにしてるのと変わらないから、それ。」と紬が静かに突っ込む。
「いえ、それは別物です。(キッパリ。)水の量がヤッパリ違いますから……学校の25メートルプールに入っている水は約30万リットルだと聞いたことがあります。これは家庭用の浴槽で言うと、約4年分に相当します。」
「アナタ、何を調べているのよ……プール博士にでもなるつもり……?」
「うちのパパは、三々賀村に伝わる水の伝承と現代に生きる龍神様や玄武様、御白虎子様の儀式を専門で研究していますからね。水関係には詳しいのです。今度、弁天様のこともパパに聞くつもりです。ちなみに子供の体は約70パーセントが水分で出来ていて、ツムちゃんみたく成人女性の体に近付いた人は約55パーセントが水になるそうです。成人男性の体に占める水分の割合は約60パーセント。……悲しいことに脂肪が付くことで、女性は男性より水分の割合が少なくなるのです……」
と愛衣花は、友人のことを憐れむような、慈悲深い目で見つめながら言った。
「あ、メイカは赤ちゃん肌ですから、いまだ80パーセントくらいが水分ですかね?水の聖域に愛される美少女、愛衣花・エル・ターナーとは私のことデス!!あ!あと、ツムがさっきから問題にしている排出物の話ですが……あれに含まれる水分の割合は約95%。残りの約5%が老廃物や塩分となっております。ほぼ水ですよ、水!黄色い色素だって、元々は血液から変化したものDeath死!ほぼ地球の海水の塩分量と同じ割合です!……メイカ、海は見たことありませんけど。」
「三々賀村の住人は誰も海を見たことがないでしょ。」
「いえ、いえ、実はうちのパパは移住してくる前に海を見たことがあるそーなんですよ!」と愛衣花が興奮して唾を飛ばしながら言う。
「へえ……そうなんだ!」と紬も思わず驚いて大きな声を出していた。
「いいなあ……海。メイカも一度でEから見てみたい。あと海外にはヌーディスト・ビーチというものがあるらしくてですね、なんと、そこでは水着の着用が禁止されているそうなんですよ!でも、どうやら男性もいるらしく……それは流石にメイカもイヤですかね。あ、でも日本にだって古来から混浴という文化がありますよね?ホタルのお兄さん達と一緒なら、まだいいかなあ………なんて思ったりして……いや、ヤッパリ嫌かなあ………」と腕を組んで、金色の頭を右に左に傾けて悩む友人を見て、
紬は、………………ん……?あれ……?混浴?昔……、お父さんに連れていってもらった『龍神の湯』で………、と考えていた。
……………。
……大きなお風呂に、凄く綺麗な人と一緒に入らなかったっけ………
脱衣場の籠に畳まれた白い着物と、……その上に置かれた狐の面。
記憶が………曖昧な気がする。
のぼせたせい?
本当にそこに狐のお面があった??
最近見たあのお面の記憶と思い出を混同してない?
……よく覚えていない………。
大浴場に一人で入ってきた8歳の木守紬は、
長い髪で体の前を隠す遊びをしながら、湯気の向こうに真っ白な肌の人影があることに気付いていた。
その女性は、桐で出来た湯船のへりに畳んだタオルを置いており、その上に青白く光る短剣を乗せたまま背中を向けていた。
「やあ。また会ったね。」
とその女性が、背中を向いたまま優しい声で話しかけてくる。
「今もう出るところだから。……見たくなかったら目を閉じるといいよ。」
「?」と紬は首を傾げ、胸に巻いた黒髪の先端でおへその、そのまた下辺りを覆いながら「目を閉じるの?」と聞いた。
「ああ、そうだよ。」と女性が言う。
紬は髪の毛から両手を離し、黒い房をパサッと肩から体の両側へ向かって真っ直ぐ垂らすと、前側をこちらに見せた体勢で小さな両手を、ギュッと瞑った目にあてた。
「アハハ……じゃあ20数えて。」と女性の声が聞こえる。
「い~ち、に~ぃ………」
ザバァァァ……とお湯が跳ねる音がして、ヒタヒタと足音がこちらへ近付いてくる。
「し~ち、はぁ~ち……」
ピタリと紬の前で女性が立ち止まるのが気配で分かった。
「……ん?」と幼い紬が目を閉じたまま小さな声を出す。
「……君のお姉さんはさ、うちの長男と付き合ってるの?」
「え?」
「いや、別にいいんだけど、あの子は器ではないでしょ?万一、彼女が身籠るようなことでもあれば……とても大変なことになるよ。」と女性は何でもなさそうな言い方で、紬の耳元で囁いた。
「お風呂にお薬を入れておいたからね。あんまり長湯をすると記憶障害になるから、ほどほどにして出るんだよ。あと…薄目を開けて見たら駄目じゃないか。恥ずかしいよ。」
紬は椿の匂いを鼻に吸い込み、「にぃ~じゅ!」と言って目を開けた。
…………目の前には不思議そうな顔をした愛衣花・エル・ターナーが立っていて、紬の顔を覗き込んでいた。
「どうしたんですか、ツム?……じゃあメイカは帰りますので……あれ?今からホタルの所へ行くんですか?あの子なんかイライラしてたみたいだから気を付けてくださいね~」
そう言うと金髪碧眼女子は、ばいば~い、と手を振って細い畦道の方へ曲がっていった。




