#33 第六十九噺
温泉スパリゾート『龍神の湯』に日帰りで来るような子供達は、主に小学校高学年くらいであることが多いが、
その日の午前中は、比較的近隣の小学校からバスで来た二年生の児童がやってきていた。
施設の主役である大部分のアトラクションを遊ぶことは出来ないが、それでも子供達は浅い温水プールで楽しく水浴びをすることが出来た。
温泉を出た後、お昼寝休憩をし、昼飯までの時間、二年生総勢45名は、療養所の外壁が見える比較的大きなアスレチック公園で、ブランコや滑り台といった遊具に群がって遊んでいた。
引率の先生は3名。ベテランの女性教員2名。男性体育教師1名。大人達は木陰で休み、児童達が水分補給出来ているかを談笑しながら見張っていた。
「……無理です………」と、雨之内みぞれが強い口調で言った。
「木守様は、外の様子に疎いようですから、お分かりではないんです……」と、トレードマークの柔らかな茶色めのツインテールを揺らしながら、整った顔を微かに歪めて、みぞれは「……私は結構知られたアイドルなんです。町を歩けば人だかりが出来るくらい……人気もあるんです。」と言った。
「そうですか。確かに貴女はお綺麗ですし、本当にそうなのかもしれませんね。」と療養所のスタッフ、木守龍治が言う。
「なのかも、ではなく、ほ、本当にそうなんです。」
「……ですが雨之内さん、だからと言って、あの犬ちゃんをお散歩に連れていってあげないのは、やはり可哀想ではないですか?人目が気になるのでしたらサングラスをして行かれるのはどうでしょう?」「そ、それだけではきっとバレます……。やはり木守様が夜に連れていってあげてください……」そう言うと、みぞれは普段着のチェック柄のブラウスの、襟のボタンを意味もなく触った。
「木守様だけで行ってください……私は……部屋に残っています……」
「それでは意味がありません。貴女が行くべきです。…貴女も分かっているはずです。あの子は、明るい日の下の、賑やかな場所に連れていってもらいたいんだと。」「……でも……私は芸能人です。日々人の目を避けて生活しているんです……それを今さら……」左右対称に近い綺麗な顔に、大きな瞳を潤ませて、お人形かぬいぐるみのようなあどけなさの中にも、芯の強い女性らしさを感じさせるアイドルが、膝の上でスカートをギュッと掴み唇を噛んでいる。
龍治は、ツインテールで両側に引っ張られて真っ直ぐに覗く若い女性の白い頭皮を見下ろしながら、「……多分、そんな風に隠れて暮らす生活は、雨之内さんには、もう限界なんですよ。」と優しく言った。「……貴女はアイドルだと言いましたよね?……多分、貴女は人前に立つことが、本当に好きなんだと思います。そうでないと人はそんな職業につこうとは思わないでしょう。
あの犬ちゃんの願望を犠牲にしないであげてください。あの子は……貴女が決心することを望んでいる。私も一緒に行きますから。安心してください。私といることで例え好奇な目で見られたり、はたまた人に囲まれてサインをねだられたりしても、私がついています。貴女は心配しないでお散歩を楽しんでくれればいい。」「でも……しゃ、写真を撮られたりしたら……私はもう終わりです。アイドル生命が終了します……。」
「『龍神の湯』は完全撮影禁止です。カメラは持ち込めません。それに今日外にいるのは小さな子供達です。ひょっとしたら貴女の顔をそこまでハッキリとは分からないかも。」
「……スマホまで禁止出来ませんよね……」
「スマホ?」
龍治は改めて、みぞれの顔を見つめながら「とにかく、ここではゲートをくぐる時にペースメーカ等を覗く全ての機械類は一度没収されます。腕時計でさえもです。この施設の性質上、隠しカメラのようなものは警戒していますからね。」
「……でも私はスマホ持ち込めましたけど……?」「その鉄の板がなにか?まあ、療養所のお客様は別です。危険物以外の持ち込みは自由です。これはあくまで温泉リゾートの方でのルールですから。」
「……でも木守様……あの子、知らない人を見ると……か、噛むんです。噛まなかったのは木守様くらい。あの子、人見知りが凄いんです。」
「そうだったんですね。…それは躾が必要ですね。でもいいものがあります。」と言って龍治は立ち上がり、
背後の棚からビニール袋に入ったものを持って戻ってくる。
「これをつけてお散歩しましょう。」
みぞれが恐る恐るといった様子で顔を上げると、龍治の手には、ピンクのシリコンで出来た犬用の口輪が握られていた。
「……可愛い……。木守様は何でも持っていらっしゃるんですね。」とみぞれは、口輪の先端にプリントされた赤いハートを見ながら言った。
「これに加えて、雨之内さんもサングラスをすれば安心してお散歩が出来ますよ。ほら、これなんかどうです?」と言って龍治が同じ引き出しから、細い金縁の大きめの丸いサングラスを出してきて、「かけてみますか?」と笑顔で言う。
みぞれは赤くなりながら、薄いブラウンのレンズを見つめ、サッと素早く鼻の上に乗せた。
「それなら顔も隠せますし、何より可愛らしいんじゃないですか?」
みぞれは耳まで真っ赤になりながら、「……はい。」と俯き、「……で、では……、あの子を連れてまいります………でも、木守様?あの子が怖がるようなことがあったら……すぐにでも帰りましょう……念のため雨が降ったりしてはいけないので……レインコートだけは持っていってはダメでしょうか………すぐに体を覆ってあげられるように……」
「駄目です。」と龍治はピシャリと言った。「甘やかしてはいけません。それに本来、犬というものは洋服を着ないものなのです。まあ、この前みたくリボンなんかは付けてあげて構いませんよ。でもコートはいけません。自然な体温調整機能を狂わせる可能性があります。」
「……はい。申し訳ございません……」とアイドルは犬のようにションボリと項垂れた。「少し、気持ちの整理をさせてください。」「はい。分かりました。……30分後にまたまいりすね。それまでにあの子の口に口輪を付けておいてください。」
****************
増田莉冬は、部屋の姿鏡に向かって、何度も身体を回転させてみて、首を捻りながら背中側を確認していた。
……コンコン
扉からノック音が聞こえ、莉冬は「どうぞ!開いてます!」と声を張り上げて叫んだ。
「……お呼びでしたか?」と療養所スタッフの木守龍治が入ってくる。
そして「おや。」と軽く驚いたような声を上げた。
彼の正面には、ふんわりとしたA型のワンピースを着た肌の焼けた髪の短い女性が立っていて、
彼女は頭のてっべんに服とお揃いの、大きな水色のストライプのリボンを付けてこちらを見ていた。
「……どう……でしょうか?」と莉冬が恥ずかしそうに言う。
「その服……うちが、お客様のご要望にお応えして貸し出している衣装ですよね。突然どうされたんですか?」
感想を言われなかったことで、少しムッとした様子の莉冬は、「やっぱり変ですか…今すぐ着替えます!」と言ってスカートをふわりと開きながら旋回して歩き去ろうとする。
龍治が慌てて「いえ、いえ、とても似合ってますよ。可愛いです。」と呼び止める。
「……そ、そうですか?」と言って莉冬は、体を捻り、背中側についた腰の大きなリボンを軽く引っ張ってみせた。
「ところで、その格好はどうされたんですか?どういった心境のご変化ですか?」と言った後、龍治は天井を見上げ、回るファンから落ちてきた埃を手で受け止めると、一瞬怒ったような顔をした。
「……いや、その、あれですね……」と日焼けした女性はしきりに髪のリボンを触りながら「……メ(旧ツイスター)を見てたらですね……、男にしか出来ないことの一つに、『女装』というのがあったんですよ。つまり、女は女装が出来ない、と。女装は男だけの楽しみ、だとかなんとか……」
「トンチみたいな話ですね……なぞなぞか何かですか?」と龍治が微笑みながら言う。
「で、いつもの如く私は『女には出来ない』?……ふざけるな……となってしまって……こうして衣装を借りてきて着てみた次第です…………ど、どうでしょう?私は女装が出来てますか?」
龍治から笑顔が消え、急に真剣な表情になると、「う~ん」と腕を組んで首を傾げてみせた。
「……私もよくは知りませんが、女装というのは……多分、見た目だけでなく、喋り方や考え方、そして所作等も含めて、女性を演じ切ることなのではないかと思います。確かに増田さんはパッと見、女性らしくはなっていますが、仕草や言葉使いを見ますと、いつもの感じで……男っぽいと言わないまでも、まだ中性的なのではないかと……」
「そ、そうですか……」と莉冬はガッカリして肩を落とす。
その様子を見た龍治は「では試してみましょう」と言った。
「もっと女の子らしくしましょう。」と、椅子に腰掛けた龍治が、前に立たせた増田莉冬に向かって言う。
「こ、こうですか?」とワンピースの女性が恥ずかしそうに胸の前で、指を使ってハートを作って不器用なウィンクをしてみせる。
「………」
「じゃ、じゃあこんな感じですか?」
「オホン。リ、リト……わかんな~い♡」
……上目遣いでアヒル口。
「お、今の感じ、なかなか良かったです。可愛いですよ」
「そ、そうですか?」と莉冬がどこか嬉しそうな顔をして言う。「カワイイかあ……ムフフ……いやあ、そんなこと初めて言われました……で、でも、ま、まあ、そうですね……こういうカワイイ格好?って言うんですか?この手の女ってホント、バカですよねー。頭悪い。こんなフリフリな格好して、そもそもスカートなんてメッチャ無防備じゃないですか??バッカみたい♪」と嬉しそうにクルクルと回りながら言った。
莉冬の話を、腕を組んで黙って聞いていた龍治が、おもむろに口を開く。
「そうですね。確かに増田さんのおっしゃる通りだと思います。……女の方は、こう……なんと言うか、頭が空っぽですよね………で、感情だけで物を考えるというか……何も考えていないというか……。あと基本、女の方は臭いですね。女臭い。」
増田莉冬は固まったまま、木守龍治のことを見つめていた。
「どうかされましたか?」と龍治が微笑む。
……こういう時は、相手を否定せずに話に乗ってあげるのが、会話療法の鉄則。増田さんは女性に対して変な偏見を持っていらっしゃるようだから、ここは話を合わせて……と。
莉冬は若干困惑したような様子から慌てて表情を作り「……リト、そんなことわかんな~い♡」とグーにした手を頬の横に当てて、後方にお尻を突き出してみせた。
「アハハハ……なかなかお上手ですよ。女性の特徴をよく捉えていると思います。そういう可愛いだけの女性というのは基本ぶりっ子ですからね。かわい子ぶりっ子。……多分、このぶりっ子という言葉は排泄する時の音からきているんでしょうね。……ぶりぶりぶりっ子……(笑)……頭の弱い感じがよく出ている表現ですよね。だいたいスカートというものも、元を辿れば、そのままで垂れ流しても大丈夫なように作られたものですよね?……スカートロという言葉もあるくらいです。『婦女』という単語は『不浄』と同義ですしね。
ホント、おっしゃる通りですよ。あ、勿論、増田さんは違いますよ。貴女は、そういった女性の弱さを克服してきた人だと理解しております。」
「そ、その通り!」と…半分納得いかないような表情の莉冬は、首をフルフルとして疑念を振り払うと、顎を上げ、精一杯背伸びをしながら、椅子に座る龍治を半目で見下ろそうとした。
「……でもちょっと待ってよ。さっきから女ばかりが悪いみたいな話をしてるけど、男だって大概でしょうが??なあに、偉そうに?!こっちだってね??男はみんな変態だって聞いてんだからね!?」
「ええ。その通りです。」と龍治が答える。「男は女性に迷惑ばかりをかけていますね。増田さんも女性であるがゆえに、痴漢等の被害を沢山お受けになってきたことでしょう。」とすまなそうな顔をして龍治は頭を下げた。
「……う、受けてませんけど……」と莉冬が目を逸らしながら言う。
「…………。」
「…………。」
「私って子供の頃から…ズボンしか履かなかった人ですし?………スカートめくりとかもされたことないんですからね……。」と莉冬は視線を泳がせながら、自分のワンピースの裾を触って言う。
「それは良かったですね。スカートめくりをする男子なんて、クソみたいなものですから。」
「……え?あ、あれはクソを見たいからやっていたのですか?めくったからと言ってクソが見れるわけではないのに……。男ってホント、バカですね。」
「ええ。男は馬鹿です。」と龍治は彼女に話を合わせた。「男は、好きな女の子に意地悪したくなるものなんですよ。スカートめくりもその一種です。」「……なんですかそれ。……好きなのにイジワルするなんて…それに加えて、女子の風紀残しもチェックしてくるなんて……余計なお世話!意味が分からない。」チラッ。
年上の落ち着いた男性のことを盗み見た増田莉冬は、後で一人になった時、おんなにー戻って鏡の前でする遊びのアイデアを色々と思い付いていた。
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「お姉ちゃん、お口くさ~い。」
砂場で遊ぶ二年生の女の子が、正面に座る、黒い服を着た色白の女性に向かって言った。
そう言われた女性は、「ごめんね。今お口ゆすいでくるから。」と言って、水飲み場に歩いていく。
途中、中年の女の先生と目を合わせ、軽く会釈をし、先生もこの子供好きそうな通りすがりの綺麗な女性に笑顔でお辞儀をした。
念入りに口をゆすぎ、耳の上に髪を一房かけながら、ゴクゴクと水を飲んできたセイレン 星葉は、
最近、母を亡くしたばかりの為、喪服のような清楚な黒いワンピースを着ていて、その白い襟に微かに汗沁みを覗かせながら、脇の下にかいた汗にハンカチを入れた。
一陣の風に長い黒髪を靡かせると、星葉は砂場で遊ぶ少女の元に戻ってくる。
そして「お水汲んできたから、遊ぼうか?」と言って、砂で作ったお山を挟んで向かい側に腰を下ろした。
「遊ぶ遊ぶ~」と少女は嬉しそうに言い、「私、こっちからトンネル掘るから、お姉ちゃん、そっちから掘って~!」と叫んだ。
「いいわよー」と、その大人びた雰囲気からは想像出来ないアニメ声で答えた星葉も、小さなシャベルを手に取り、ザックザックと山の麓から穴を掘り出す。
「まだなんか臭いよー」
少女が山の向こうから言うのを聞いて、
星葉は「あのね、そういうことは思っても口に出して言っちゃダメなの。失礼にあたるから。」と言った。
「だって~ホントなんだも~ん。」
「ほら、トンネル開通~」と肌が透き通るように白い女性が言った瞬間、その横穴を通って女の子の方に向かってジョロジョロと水が流れてきた。
「キャー♪」と少女は楽しそうに叫び、ピチャピチャとその生温かい水を手で触る。
お山の向こうに腰を下ろした綺麗な女性は、少女を見て微笑み、「あらあら、そんなにお手々を汚してしまって……ばっちいわねぇ……」と小さな声で囁いた。
……私は汚くない……臭くない……だってパパがそう言ってたもの……汚いのはこのガキよ……。私は…私は…生まれ変わったのよ………。
その時、ふと公園の外に目をやると、
療養所のスタッフ木守龍治が、
……サングラスをかけたツインテールの白いドレスの女性と歩いている姿が目に入った。
龍治の手には、赤い紐のリードが握られており、その先は何にも繋がっておらず、地面に引き摺られている。
……あの女の人……どこかで見たことがある……。
星葉は立ち上がると、スカートのよれを直し、垂れてきた水でレース付きの白い靴下を少し汚しながら、急いでそちらへ向かっていった。
……宿泊客同士が顔を合わせるのは推奨されてはいない。……でも、でも………パパと一緒にいるあの女は誰?
早足で公園の出入口を抜け、目の前の砂利道を通り過ぎようとする2人に気付かれないように、大きなコナラの木の陰に隠れた星葉は、
木守龍治と、ツインテールの女の会話を耳にした。
「………まだ勇気が出ないのなら仕方ありません。あの子は思ったよりも臆病な性格みたいですね。」
「はい……申し訳ございません。本当に、可哀想なくらい怯えてしまって……。お部屋の中をあんなに汚してしまうなんて……本当に申し訳ございません。私、恥ずかしいです。」
「雨之内さん。恥ずかしがることはないですよ。ほら、こうやって2人で歩くだけなら、何ともないですよね?」
「でも、やっぱり…昼間は怖いです。」とツインテールの女性が、龍治の腕を掴んだ。
……な、なによあの女?!
私のパパに、なんであんなに馴れ馴れしく触
わっているの??
その場で星葉は飛び出そうとして身構えていた。
「……では今晩、誰もいなくなってから、ここをお散歩しましょう。この公園は夜も照明がしっかりしています。誰もいませんが、明るい昼間にお散歩する練習にはなるでしょう。それなら大丈夫ですよね?」「………はい。お、お願い致します……」
寸でのところで踏みとどまった星葉は、硬い木の皮に指を立てながら、唇を噛んでいた。
………ここは人目も多い……。今はパパに詰め寄るのはやめておこう……今晩、ここで2人が会ってなにをしているのか確認させてもらうわ……。あの女……パパのなんなのよ………。状況によっては、許さないからね………。パパ………。なんでそんな女に優しい笑顔を向けているの……………??
星葉は、2人が通り過ぎていくのを見送り、長袖のベルスリーブから覗いた白い腕を歯形が残るくらいに強く噛んだ。
蛍達は夏休みでしょうか?
しばらく見てませんね。




