#34 第六十八噺
当代きっての人気声優、小山内 囲炉理は、
声が出なくなってから4週間が経ったある日、忘れてしまった自分の声を思い出す為に、昔出たアニメを見返していた。
……デビュー作であり、代表作であるアイドルアニメも、異世界転生ものも、バトルアニメのヒロインも、ハーレムものの人気負けヒロインも、
今となっては全部おちゃっぴーが声を当てているように聞こえてしまう。
唯一無二だった囲炉理のロリ声帯は、今では一番ありふれた、誰もが使えるフリー素材と化していた。
『私がコエを出すイミは、なくなってしまったのです。』とメモ用紙に丸文字で書いた囲炉理は、
正面に座る木守龍治に向かって、ス……と紙を滑らせた。
午後一杯、彼女のアニメ視聴に付き合わされた龍治は、「私も正直、肥えを出す意味などは考えたことはないですが……浣腸は駄目でしたか?」と静かに聞いた。
それを受けて囲炉理はメモ帳を破り、次のページに「かんちょうさんは、優しい方でしたが、物足りません。やはり私はキモリさんに担当してもらいたいんです。VIP待遇はアリガタイですが、安易な責任者さんクラスの対応は結構です。」と書き込んだ。
続けて、このアルミホイルの王冠を被った、おでこを出したプリンセスは『色々とシンパイしてくださっているようでありがとうございます。でも、正直私自身、再びコエを出したいのかどうかすら、もうわからなくなってしまいました。』と長文をしたためた。
龍治は、アニメ連続視聴の後に流れ出した声優フェスの映像を見つめながら、「おや?ここで歌っているのは、ひょっとして………。まさか小山内さま?貴女もアイドルもやられているのですか?もしかして、さっき見たアニメキャラの衣装を着て歌い踊るのが貴女のお仕事とか?」と言った。
『はい。一応。2.5次元もやってました』と囲炉理が紙に書く。
木守龍治は、「なるほど。」と独り言を言い、その後にすぐ「小山内さまの問題がわかったように思います。」と彼女の目をまっすぐ見つめながら言った。
囲炉理は、期待と不安に満ちた表情で彼を見つめ返し、背筋を伸ばしてベテラン療法士に向き合う。
「……少し厳しいことを言いますが、我慢してお聞きください。」
囲炉理が無言で、ん、と頷いた。
「人間が、まともな健康状態のまま、1ヶ月以上、肥えが出ないことなどあり得ません。
でも小山内さまはといえば、そう。健康そのものに見える。……と、いうことは貴女さまは嘘をついているのです……。悲しいことにアイドルにありがちな虚言です。
……そう、『アイドルはトイレに行かない』」
『はい??』と囲炉理は紙の上に大きな文字で強く書き込み、最後の一文字のところで鉛筆の芯が引っ掛かって破けた。
「ファンの夢を壊さないように…、または美しい自己像を守る為に…貴女はまるでアニメの中の住人のように振る舞う必要があったのでしょう。きっと公人の貴女は、人のいる所では決してトイレに行かず、潔癖で、穢れのない女神を演じ、本当は動物である貴女の汚い本性を隠してきた。……その反動のせいで、最終的に逆張りで『ラんちが食べたい』などの極端な思想に囚われてしまった……。違いますか?……きっと小山内さんが喋れなくなったのも、その副次的な症状なのだと思います。」
『違います!!!』と囲炉理は真っ赤な顔をして紙を鉛筆で引っ掻いた。
『本当にワタシはコエが出ないんです!ウソなんてついてない!』
「……自分が動物でしかないのを認めたくないのは理解出来ます。貴女のような可愛らしく、綺麗な方なら尚更です。」ふえぇぇ……と、唐突に褒められた囲炉理の表情筋が緩くなったが、すぐに首を振り、龍治のことを睨む。
「どうやら小山内さまは世間に戻られれば、かなりの有名人として名が通っておいでのようですし、今、流れている何かの式典でのスピーチを見る限り、そこらへんのアイドルや女優さんなんかとは神格化の度合いが違うのでしょう。でも、小山内さん。………ここでは嘘をつく必要などないんですよ。貴女さまが毎日トイレをお使いなのは判っております。他言は致しません。………認めておしまいなさい。そうすれば楽になりますよ。国民的アイドルだってオナラくらいするのです。」
『待ってください。ワタシはアイドルが本業というわけではありません。ワタシは声優です。元々ドル売りは本望ではないです』と本来、《有名人特有の他人の目を常に意識した佇まい》を崩さないはずの女性が、今は全くなりふり構わず髪を乱しながらメモ帳に文字を書きなぐった。
龍治はテーブルの上に指を交差させながら両拳を置くと、「……わかりました。今すぐ認めなさい、とは言いません。ですが、私は予言します。そうやって本当の自分を隠し続けていると、いつか爆発し、公衆の面前やテレビカメラの前などで、大公開小などの暴挙に走ってしまう可能性がありますよ?
かつてそれに類することをして、社会から抹殺された人を、私は何人か知っております。彼女らは、この療養所で監禁されたのち、もっと大きな精神病院に移されていきました。
……そうならないうちに、他の宿泊客様と同様、貴女も自分を開放するべきだと思います。ここは現代社会による数々のプレッシャーに晒された女性達が逃げ込むシェルターです。」
『いや……なにをおっしゃっているんですか…?』と沈黙を表す点字込みで囲炉理が返事を書き返す。
龍治は溜め息をつき、「仕方ありませんね」と静かに言った。
「今から逆療法を行います。貴女が頑なに出ないと言い張るなら、それでも構いません。……ただしお部屋の水道は止めさせていただきます。」
囲炉理が不信を通り越して、キョトンとした顔をしてこちらを見る。
龍治は立ち上がると、下駄箱の方へ向かい、ここの主な客層である小柄な人間では手の届かない棚から、
大きな段ボール箱を取り出した。
「小山内さん。今から部屋の中央にこれを設置させていただきます。今後はこの場所にてこれを使用してください。」
そう言うと彼は、箱の蓋を留めていたガムテープを剥がし、中から巨大なアヒルの彫刻を引っ張り出してきた。
ドン!とピンク色の丸い絨毯の中央にそれを置き、アヒルの背中にある把手付きのプラスチックの蓋を開く。
「生理現象を隠すことは不自然です。この瞬間から隠すことは許しません。ここでやりなさい。」
アヒルの側頭部には左右に伸びたハンドルが付いていた。
「まあ、出ないのでしたら、特に問題ありませんよね?これはただのオブジェです。気にせずに今まで通り生活してください。あ、あと基本、プライバシーの観点から療養所には共用のものはありませんからね。それぞれのお部屋でお願い致します。」
龍治は手慣れた様子で、電動ドライバーを使って、アヒルを床にウィィィィィィィィン………と太いボルトで固定していった。
「あと、部屋の鍵はかからなくしておきますから。いつでもスタッフが出入り出来るようにさせていただきます。貴女が肥えなど出さない、出したこともない、と言うのなら、こちらも根比べです。あ、もし万一お洋服を汚すようなことがございましたら、洗濯はしませんからね?」と龍治が言った。
『血のほうは?』と囲炉理が怯えたように書く。
「皿……ですか?」と龍治が彼女の判読しづらい丸文字を睨みながら言う。
「お皿を使ってもいいですが……。貴女はラんちプレートにごだわりますね……出すのは嫌でも食べるのはいいんですか?」……よくわからない、といったように龍治は首を振り、「……とにかく。これらの荒治療は、貴女の肥えに対する強迫観念を払拭する為のものなのです。頑張りましょう。きっと……貴女は人の評判を気にせず肥えを出せるようになる。今は自分の肥えを認められないかもしれませんが………。まずは気を許した相手の前だけでも、ガス抜きするところから始めてみたらいかがですか?派手に大きな音を出した方が臭わないと言いますし。」
囲炉理は、混乱しながらも、彼に言われた通り、思い切り喉の奥から大きな、……言葉にならない叫び声を上げようとした。
しかし出てきたのは、空気の漏れる音だけだった。
プス~~~~………。
龍治が、サッと気を利かせて側を離れ、換気扇を強に直してくる。
「まあ、焦らないでいきましょう。貴女は病気ではない。……その喋れなくなった問題の方だってきっと解決するはずです。」
そう言うと龍治は、次の仕事に行く為、彼女に別れを告げた。
*************
廊下を歩く稲田創士は、真正面から木守龍治がカートを押しながら歩いてくるのを観て、
壁の方に避けながら立ち止まった。
「お疲れ様です。」高校生の稲田少年がペコリと頭を下げる。
「やあ、つくし君。」と龍治も軽く頭を下げ、「すっかり元気そうだね。」と言ってから、彼の首に巻かれた黒いチョーカーを見た。
「ええ、おかげさまで。……木守さんはいつもお忙しそうですね。結局、なんやかんやで今泊まられている5人の方のお世話は全部木守さんがやられているとか……。僕にも何かお手伝いが出来ることがあれば言ってください。」
「いや、そういう訳にもいかないよ。君は正式なスタッフではないし。でもありがとう。そもそも彼女らは担当をコロコロ変えていいような子達ではないんだ。きちんと寄り添って、最後まで責任を持って治療に当たらねばね。こんなことを言っていいかは分からないけど……、言ってみればあの子達は私の娘のようなものなんだよ。」
「へえ……そういうものなんですね。ところで、木守さんに本当の娘さんはいらっしゃるんですか?……ご結婚はされているんですか?お仕事中は指輪をされていないようですが…」
と、創士は言いながら、
……あれ?木守……?どこがで聞いた名だな……と考えていた。
「つくし君、ここでは基本、プライベートの話題は禁止だよ。それは宿泊客であれ、スタッフであれ、同じことだ。」と龍治が答える。「私達は君についても根掘り葉掘り個人的なことは聞かないだろう?それがこの施設の良さなんだ。そうすることで我々は心の治療に専念出来る。」
「失礼致しました……」と再度頭を下げた創士は、
……木守……、木守………、あ、もしかして。と考えて、龍治の顔をじっと見返した。
……こいつは三々賀村の木守家の人間ではないのか??だとすれば5人のエクソダスを集結させ、暴走させるのには好都合なのでは……??
……だってこの人、妻子持ちだろ……。ヤバくないか?奥さんはこの仕事のこと知ってるのか?
ニヤリ……と創士は笑い、「……では、僕はこれで……。くれぐれもお気を付けください……」と言うと、後は振り返らず歩き去っていった。
龍治は、?…と首を傾げ、
気を取り出直すと、
夜のお散歩に向けて、他の細々とした仕事に戻っていった。
***************
白い襟に、細かいレースの付いた喪服を着たセイレン 星葉は、
この療養所の中庭に作られた母の墓の前で、大きなオレンジ色のスカシユリの花を手に持って立っていた。
来年には切られる予定だと聞いていた桜の木が、すぐ斜め前に枝を伸ばしてきており、地面に葉影を揺らしている。
質素な石を積んで作られた、この人気Vチューバーの墓には、木守龍治の計らいにより周囲に紫君子蘭が植えられていた。
彼女が手に持ったものも、墓の周りに咲いたものも、両方とも香りのない無臭に近い花で、虫も付きにくいことから、龍治が星葉におすすめしてくれたものであった。
彼女の黒いエナメルのローファーと、折り返しにレースが付いた白い靴下からは、蒸れた足の臭いが立ち昇っている。
星葉は、自分のフェロモンの匂いに対して、宙を見つめ口をぽかんと開けると、猫でいうところの『フレーメン反応』を起こしていた。
しばらくして我に返った色白の女性は、手に持った花を墓にたむけ、「…さようならお母さん。虐げられるだけで誰からも愛されなかったアナタの人生……私が代わりに、女としての幸せを掴んでみせるわ………だから安心して。私は一生、パパの娘として生きるから。」と呟く。
「でもね?私を生むためとは言え、一度でもパパと結ばれた淫乱なアナタのことを、私は許さない。……地獄に堕ちろ……」
星葉はそう言うと石の上にしゃがみ込み、仏前に閼伽水をぶち撒けると、母が生前好きだった柔らかいぼた餅を2、3個高い所から落とすように乱暴に供えつけてやった。
そして汚れを拭った懐紙をぼた餅に差し、
長いストレートの黒髪を肩から払うと、捻れた下着を直すような素振りをした後、つん、と鼻を立てて中庭を出ていく。
……もうすぐ日が暮れる……。
あのツインテール女と、パパが会って何をするのか確かめてみなければ。
私は、この世に生まれてきたことで母を殺してしまった女。
今さら何も怖くはないわ。
星葉は、細い紐で肩から提げた丸いポーチの蓋を開け、銀色に輝くスマホを取り出した。パパの浮気現場……。全部撮影させてもらうわ。あのツインテール……。サングラスをしていたからあの時は分からなかったけど……多分、アイドルの雨之内みぞれに間違いない。
アイドルなんて所詮、みんな非正規雇用の売女。うんうん、それもまたパパカツだね!
……恥をかかせてやるわ。私のパパに言い寄った罪、死ぬほど後悔させてやる!!




