#3 第九十九噺
紬は家の下でタケノコを発見した話を蛍にし、
宮代様にお祓いをしていただけないか、お願いに上がった旨を伝えた。
「あちゃ~、それはタイミングが悪かったわね……」と、宮代家の長女、蛍が袴の腰に手を当てながら答える。
「ママは、明後日の夜までこっちに帰ってこないの。今、東京にいるのよ。」
……あれ?今さっき、蛍は一本鳥居の向こうでお母さんと話してなかったかしら……。
と紬は思ったが、
立ち聞きしていたことがバレるのも嫌だったので黙っていた。
蛍はどんどん暗くなっていく杜の空を見上げながら、「……う~ん。でも紬のおうちに生えてきたのは、ひこばえ神なんだよね?まあ、多分、あのお祖母ちゃんがそう言ったなら間違いないでしょうから……。
あ、でもだとしたら、少なくとも明日中に切り落とさないと、アナタのおうちの床を突き破っちゃうわよ……」と言った。
「え、ど、どうしよう??ホタル…、何とかならないの??」と紬が焦った様子で早口で言う。
懐中電灯の明かりが届かない参道の先の暗闇に、蛍は視線を向けながら、しばし考え込むような顔をして鼻をスンとすすると、
「……まあ、昼間のラテナのクリームの恩もあるし……この蛍ちゃんがひと肌脱いであげようかしらね……」と言った。
「ホント?で、でもホタルに、ひこばえ神様の駆除なんて出来るの?やったことあるの?」と紬が眉をしかめながら言う。
「……いや、正直あんまし自信はないんだけどね。でもそんなに難しいお祓いじゃないはずだから、まあ、何とかなるっしょ。」
蛍が肩から提げた朱色の鞄に手を突っ込み、和紙で綴じられた御朱印帳のようなものを取り出して、ペラペラとページを捲り出した。
「……え~と、これじゃないな……ん~と、こっちでもない……あ、これだ、これこれ。紬?ちょっとその灯り、こっちに向けてくれる?」
そう言われた紬は、青い柄の懐中電灯を友人の帳面に向け、
急に接触が悪くなってちらついた電球を、パンパン!と手のひらで叩き、オレンジ色の光の焦点を搾ると蛍の肩の上から覗き込んだ。
そこには、のたうつようなミミズ文字で、祓詞と、ひふみ祝詞がビッシリと書き込まれていて、その下には墨で描かれた鳥獣戯画に似た図案があった。
「…ひこばえ神には種類があるのよ。」と蛍が面倒臭そうな顔をして言う。
「まず、仮神様ね。平常時は先端が皮に覆われているんだけど、お怒り時に竹が露出するやつ。日本古来の竹に最も多く、…これは祟り神ではないから、お祓いの緊急性はないの。」
「ふうん。……うちのやつはどうだっただかな……そこまであんまりちゃんと見なかったけど。」
「で、次にこれ。この絵みたいに皮の出口が狭いやつね、これを真の神と呼ぶ。竹が育っても全く露出しないから、中で怒りが溜まりやすく、年を経るごとに強い呪いを発するリスクがあるため、巫女によるお祓いが推奨されるてるの。」
「……うちのはコレだったかしら……」と紬が青い顔をして言う。
「……さて、最後に説明するのが、これ。一番恐ろしい神様よ。」
蛍は、紬と顔を寄せ合いながらノートを照らす光の中央を見つめた。
「嵌頓神。無知な人間により無理矢理に剥かれた皮が、竹の根元で絞め付けられてしまい、そのまま元に戻らなくなってしまった場合ね。その強い痛みにより、ひこばえ神は瞬時に祟り神と化すわ。こうなってしまうと緊急祈祷や、強力な巫女による夜を徹したお祓いが必要となる。」
「……ホントにホタル、大丈夫なの?アナタがやって……」「う~ん、ま、だいじょーぶっしょ。そこまで重度のお冠のひこばえ神は伝承の中でしか聞いたことないしね。私もね?喝霊の儀は何度か見たことがあるから。あ、なんなら今からそっちに行こっか?ちゃちゃっと終わらせて、ツムギのおうちでお風呂とお夕飯をご馳走になろうかしら。」
「えー、宮代様にお祓いをお願いする場合って、お寿司とか取らないと駄目なんでしょ?」と紬が言った。「今からじゃ用意出来ないわよ?」
「善は急げよ。ちなみにワタシはまだ見習いだから、稲荷寿司で十分よ。どのみち、ちゃんとしたお寿司出されても、ワサビを食べれないから、ホタル困るし~。あ、あとガリもいらないからね。」
「……そんなんで本当に大丈夫なの?」と紬は呟いた後、「お父さんがそろそろ帰ってくる時間だから、ホタル?一緒にバス停まで付き合ってくれない?」と言った。
「ホタルがお祓いをするのなら、お父さんにそれでいいか一応聞いてみないと……」
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四国山保養所温泉施設行き停留所。
ちらつく街灯の下にシャク蛾が一匹飛び回っていて、照らされた黄色いペンキの剥げた木のベンチが、夜の闇に浮かび上がっている。
やがて遠くから二つのライトが揺れながら近付いてきて、この打ち捨てられたように見える折り返し駅にバスが到着すると、
紬の父、木守龍治は、
酸っぱい板の香りのするボンネットバスから地面に下り、まだぬかるみの残る道に革靴をめり込ませた。
「それじゃ」と龍治は、グレーのソフト帽のてっぺんを軽く摘まみ、低く落ち着いた声で運転手に挨拶をすると、四角い革の鞄を一度ベンチの上に下ろした。
龍治は、ふう。と溜め息のような声を吐き、背広の内ポケットから煙草を取り出すと、一緒にしてあったマッチ箱を擦る。
温かい煙を口から吹き出して空を見上げると、南にひときわ明るい白い星が見えた。
林から続くジグザクの道を、ふらふらと小さな光が揺れながらこちらに近付いてくるのが見える。
「おと~さ~ん!」
龍治は煙草の火を消し、吸い殻を仁丹の空缶の中に揉み入れた。
「おかえりなさ~い」
手を振りながら娘の紬が、巫女の正装をした宮代蛍と連れ立って歩いてくる。
「どうしたんだ、紬?こんな夜遅くに。何かあったのかい?」と龍治は、宮代家の長女のことをチラッと見ながら言った。
その時、紬の持つ懐中電灯の明かりが薄くなって消えていき、何度か叩いたり、振ってみたりしていたが、ついには完全に電池が切れて、点かなくなってしまった。
龍治は自分の鞄を開け、中から携帯のランタンを取り出すと、
芯を小さなハサミで平らに切り、オイルを注ぎ入れた。
「さて。油が染み込むまで少し待とうか。」と龍治は言って、2人の少女をベンチに座らせる。
「……それで紬、なにがあったんだい?蛍ちゃんまで一緒だし、……もしかしたら、なにか氏神様のことで鎮魂の祈祷が必要なのかな?それとも外宮来神でも出たのかな?」と龍治は頭から帽子を取りながら言う。彼のウェーブのかかった髪質は、手ぐしを入れると、すぐにふんわりとしたセットに戻る。
彫りの深い顔は、時に厳しい表情をすると強面に思われがちだったが、
今は優しげに娘とその友達に注がれていた。
父の銀色の細い眼鏡に映る自分の顔を見ながら、紬は「お、おうちにひこばえ神様が、お、お居座りされたかもしれないの……」と言った。
「……お祖母ちゃんは?なんて?」と龍治が言う。
「……愛衣花ちゃんが連れてきたんじゃないかって…」
「お義母さんはまた、そんなことを言って……」と父は一瞬、煙草を取り出そうと胸のポケットを漁ったが、すぐに思い直して「紬、それはないよ。ターナーさんのご家族がひこばえ神を持ってくることなんてあり得ない。」と言って少し笑顔を見せた。
「蛍ちゃんごめんね、こんな夜遅くに。それで宮代様は何とおっしゃっていたのかな?」
「あ、いいえ。母は、所用で東京に……」
「ひょっとして叙勲かな?」「まあ、そんな感じです。」
「じゃあ、ひこばえ神は明日戻ったら切ってもらえるのかな?」
蛍は目を伏せて「いえ…、母は明後日まで戻りませんので…」と言う。
「……それは困ったな。」と龍治が言った。
彼はランタンのつまみを回し、ホヤを持ち上げると、マッチを使って芯に火を点ける。
煙が少し出てきたので、炎を小さめにすると、龍治は銀色のランタンを手に持ち、
「さ、そろそろ帰ろうか。蛍ちゃんは送ってあげるよ」と言った。「……でもツムギのお父さん?私、まだひこばえ神を確認していないですが……」
龍治はしばらく思案するような顔をして、「……対策はまた明日考えよう。今日はもう遅い。いくら君が宮代家の人間だとしても、まだ子供だからね。…宮代様が泊まられているホテルに連絡はつかないのかな?明日の朝にでもお伝えいただくわけにはいかないだろうか?」と言った。
「は、はい。連絡はつくと思います…」と呟く蛍は、肩から提げた朱色の鞄に入った鉄の御札の輪郭を指でなぞった。
「……でも、ツムギのお父さん、もしひこばえ神が祟り神になっていたら……今夜中にお宅の畳を突き破ってしまうかもしれませんよ……?」
「……その時はその時だ。それよりも宮代様の大切な娘さんを危険な目に合わせる訳にはいかないよ。」そう言うと龍治は、不安そうな表情の自分の娘の方を振り返り、何かを言いかける。
それよりも先に紬が「……お父さんごめんなさい!最初から私がホタルにお願いしなければ良かった!まさか宮代様がいらっしゃらないと思わなかったものだから!私、ホント、考えなしでごめんなさい!」と叫んだ。
「……いや、紬は悪くないよ。」と龍治が、何処か悲しげにも見える優しい顔をして言った。「…でも……」「いや、いいんだ。紬は悪くない。」「そうよ、紬、アナタは悪くないわ!悪いのは勝手に生えてきたひこばえ神とママよ!じゃあ、オジサン、私……一応明日は朝いちに伺いますから、念のためひこばえ神の上にある部屋には盛り塩をしておいて下さい。え~と、東と…西と、北に……」と蛍はノートを覗き込みながら言った。
龍治は「蛍ちゃんありがとう。…じゃあ、参道の前まで送っていくから、明日は宮代様への伝達を宜しくね。」と言うと、ランタンを肩の高さに掲げ、紬の肩を軽く叩くと「さ、行こうか」と呟いたのだった。
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宮代蛍は、家に帰ってくると、早速、東京にいる母親に電話をかけてみた。
プルルルル………。
ガチャ
『…この電話は、電波の届かないところにあるし、電源も入っておりませんが……何よ?今から寝るところだったのに。』
『……あ、ママ?実はかくかくしかじか……木守さんちに、ひこばえ神が生えたかもしれないの』
『………あら。…さすがに明日は『A・RA・SA』の解散コンサートがあるから帰れないわよ……。そうね……。貴女、明日写メールをこっちに送ってよ。で、安易に手を出したりしないこと。ああ…でも貴女、おっちょこちょいだから心配ね……あと、万一に備えてお禊してから行きなさいよ?お祓い中にお禊に行きたくなったって知らないからね。明日また連絡するから、寝坊するんじゃないわよ?だいたい貴女、今日の宿題はやったの?夜更かしはダメよ?ガス消して寝なさいよ?』
『ハイハイりょうか~い』あーうるさい、うるさい。あんたみたいなジャリヲタに言われたくないわよ。
蛍は、鉄の御札を充電器に差すと、畳にペタンと座り足袋の先を摘まんでポイッと放り投げた。
今夜は一人だ。
……3人いる兄は、最後の一人が去年婿として他の村へ貰われていってしまったので、もうこの家にはいない。
父親は、蛍が3歳の頃から別棟で暮らしている。……正直、顔も覚えていないわ。
ああ、それにしてもツムギのお父さんは優しくてカッコよくて羨ましいな。
……て言うか、うちのパパはそもそも人間ですらないし。比べようもないか。
さてと、っと。
蛍は古い木の香りがする文机に肘を乗せ、昼間貰ったラテナのクリームを手に取ると、キャップを外した。
そしてクンクンとバナナの匂いを嗅ぎ、蓋を戻す。
……やっぱ先にお禊をしておくか……。明日の朝、慌てたくないしね。
本来、宮代家の巫女装束は、近頃ではとんと見かけなくなった馬乗袴なのだが、
イマドキ女子の蛍は、スカート式の行灯袴を履いていた。
まあ、誰も見てないし。……今日はいいか。
と、上半身に羽織っていた千早を脱いだ蛍は、着崩れしないよう途中まで捲り上げていた袖と帯を洗濯バサミで留めた。
そしてそのままの姿で蛍は、とてとてとて…と廊下を進み、玄関で素足に草履をひっかけると、
外にある手水舎の方に歩いていった。
誰も立ち入ることのない宮代の杜の入り口脇に設置された、この屋根付きの質素な施設には、
龍を象った石の彫刻が置かれ、その開いた口の中には、折り畳まれた紙が重ねられている。
蛍は手水舎の前で一礼をし、しばらく目を閉じてその場に立っていた。
……やがて、ふう、と息を吐くと、ふんわりとした髪を横に広げた少女は、
右手で木の柄杓を取り、もう片方の手で、よっこいしょ…と重い鉄の蓋を持ち上げた。
……グワァン。
霊水の強い臭いが、むわぁん……と立ち昇ってくる。
蛍は蓋を横に置くと、石の水盤の上に登り、落ちないようにしっかりと静謐な水面に身体を被せると、
……柄杓に向かってジョロジョロジョロ…と御神水を注ぎ入れ始めた。
次に左手に柄杓を持ち変えて、溢れたものを使って右手を洗い清める。
蛍は、もう一度柄杓を右手に移すと、中に並々とつがれた御神水を左の手のひらに受け直し、袖が濡れないように気を付けながら、
……それを唇に持っていき、口をすすいだ。
……くちゅくちゅくちゅ………。
同時に下に向かって御神水を流しながら、蛍は俯くと、口の中のものをペッ、と静かに吐き出す。
再び左手を洗い清め、最後に柄杓の中に残ったものを柄に伝わせて流し、
そのまま裏返して水盤に置く。
蛍は、ふう…、と息を吐き、龍の口から紙を取り出して、濡れた肌を軽く拭き取った。
次に巾着の中に入れてきていた瓢箪を水の中に傾けて滑り込ませると、
月明かりの下で黄金色に輝く霊水にブクブクと泡を立たせながら注ぎ込んでいく。
……これくらいで十分かしら。
蛍はキュッキュッと指で栓を閉じると、重い金属蓋をドン!と水盤に被せ直した。
……ん?
と振り返ると、背後の杜に空気を震わせる高い音と、微かな瘴気を感じた。
やっぱママがいないと完全に低級霊を抑え込むのは難しいみたいね……。
母屋に戻った蛍は、すぐに手にスプレー缶を持って帰ってきて、シューーーッと空気中に噴霧する。
………。
……か、痒い……。
……刺されたわ……ポリポリポリ……。
蛍は緋袴の上から皮膚を搔いていた。
……明日は早起きしなきゃね。でも寝る前にラテナのクリームも試してみなきゃ。あー忙し忙し。
蛍は土の上に置き放しになっていた瓢箪を掴むと、それを腰の帯に結わき直し、お尻をふりふりしながら家に戻っていった。
宮代の神依木であるトチモチの木が母屋の屋根に覆い被さり、葉を揺らしている。
もうすぐソフトクリームに似た白い花が咲く季節だ。その時期になると、しめ縄を巻いたこの巨木からは、パリの街路樹のようなフローラルな薫りが漂ってくる。
カレー鍋で野菜と肉を煮込む蛍は、鼻歌を唄いながら、さきほどの瓢箪の中身を耐熱グラタン皿の中に空け、その上から鍋の灰汁をおたまで注ぎ入れた。
その後それを、さいばしを使ってよく撹拌し、表面に白いキッチンシートを被せておくと、業務用発酵器の中に皿ごと入れ、ダイヤルを翌朝までに合わせた。
――これで、よしと。昔の人間は偉大ね。
ご霊水を発酵させることで、火薬の原料である“なんとかカリウム”?が作れるなんてよく思いついたわね……。
念のため明日はこれを持っていきましょう。ひこばえ神が暴れたら、これで退治してくれるわ。だいたいママは心配し過ぎよ。ホタルだってやれば出来る子なんですからね~。
蛍は鍋の中にカレー粉を溶かし入れ、いったん茶の間に戻ると、
ネップラ独占配信ドラマの続きを立ち上げ、ラテナのクリームをお尻に塗り始めるのだった。




