#25 第七十七噺
20分ほど玄関で待たされた紬と愛衣花・エル・ターナーは、
やがて、暗い廊下の曲がり角から宮代蛍に手を引かれて、蟲姫こと旧姓矢峰日向子がフラフラと覚束ない足取りで戻ってくるのを見ていた。
力の抜けた姫の代わりに、宮代の巫女が黒いビニール袋を片手に提げており、
とろんとした白髪の少女の黒い瞳は、どこか遠い暗闇の先を見ているようだった。
「ホ、ホタル……、蟲姫様は大丈夫?なんか辛そうにしてるけど……」待っていた紬が立ち上がりながら長い髪を肩から後ろへ回し、小さな声で言う。
「あ、うん?ああ、大丈夫だと思うよ。ちょっと張り切っちゃっただけだと思うから……」と蛍は言って、自分の掛け衿の重なりに指を入れ、すっ……と直す。
「Gの方は大丈夫だったのですか?」と愛衣花が震える声で尋ねた。
「ん?あ、そっちの方はもう平気よ。おしめ縄を交換しておいてあげたから。それで姫様はマンゾクしたはずよ。こっちも目の前でGなんて見せられたらたまったもんじゃないからね。」
「ちなミニ……チューはしたのですか?」と愛衣花が小声で耳打ちしてくる。
蛍は凄く嫌な顔をして、
「しょ、しょうがないじゃない……。やむを得ずよ!ちょこッとホッペにだけよ。アナタもさ、ツムギの前で変なこと言わないで!」
「それは……イイナ漬けだからですか?」と金髪白人少女が、少し離れた所で背を向けて髪のおみくじを結び直している紬のことをチラ見しながら言った。
「な、なんでアナタがそれを知ってるのよ……」
「いえ、この前バス停でツムちゃんのお膝の上で眠ってた時、そんなこと喋っていたから…」
蛍は慌てたように蟲姫の血の気の失せた白い顔を覗き込み、まだ朦朧としている様子を確認すると、怒ったような声で愛衣花に囁いた。「ちょっと!間違っても蟲姫様にはそんなこと言わないでよ!それ知られたら、厄介な気がするから!」
「…………」
「なによ?その顔は?」
「……ホタル……?アナタと蟲姫様って……、ひょっとして腐レんズなんですか?」
「ぶはっ??」と蛍は口から唾を飛ばし、それが顔にかかった蟲姫が「う~ん…」と唸って自分の唇を舐めた。
「さっきから何をこそこそ話しているの?」と紬が、広い玄関を横断して戻ってくる。
金髪女児が早口で「メイカはまだ子供だから、そーいうのまだよくわかんないですけど…………、控え目に言って………ケガラワC♪」と指でCを作ってみせた。
「チューしろって言ったのはあんたでしょうが!!」と蛍が叫んで黄色い頭をスパーン!と、はたく。
目をバッテンにして頭を抱えた愛衣花は、「冗談ですよ……。メイカだって理解してます。よもや女同士がそんな感情を抱くわけないですものね……。そんなのマンガの中だけの絵空事ですから。だいたいツムちゃんに至っては、私達のママなんですからね??…間違っても恋愛対象ではないデスよ?ホタル?分かってますよね?独り占めはズルいデスよ?」と言った。「………」
「う~~ん……」と白髪の美少女が、巫女の腕の中で寝返りを打とうとする。
「ほら、蟲姫様、しっかりして。まだおしめ縄を切っちゃダメよ。……アナタはひきこもりなんだから、無理したらこうなるのは分かってたでしょ?」
蛍はこれ以上、愛衣花と会話を続けたくないとでもいうように、純真な青い瞳から目を逸らして、姫の体を揺すった。
近付いてきた紬は、操り人形のようにだらんと蛍の肩にもたれかかる姫を見つめながら「ホタル?蟲姫様を送ってあげた方がよくない?」と言った。
「え?私が?それマジで言ってる??」
「一本鳥居の所から上がれば三神丘はすぐなんでしょ?ほら最近、肉付きのよいホタルなら、姫様を背負って帰るくらい楽勝なんじゃない?……私達には無理だけど…」
「そーです、そーです。ヒナコちゃんを送ってあげてください!その間メイカ達はお洋服を選んで待ってますから!」と金髪碧眼の少女が、見よう見まねでうろ覚えの阿毘・羅吽・欠々を、中指と人差し指をクロスさせながら、ピッピッ!と顔の前で振った。
蟲姫のすじの通った白い鼻から、半透明の回虫がピョコピョコと頭を出しているのに気付いた蛍は、
(うえ……)と顔を歪めて親指でそれを押し込み、
宮代の杜の方からワサワサと虫の蠢く気配を背中に感じ取ると「……くっ……分かったわ……このままじゃうちが熱帯昆虫園になってしまうわね……ったく……なんでホタルちゃんがこんな思いをしなきゃならないのよ……」と言った。
「じゃあ、アナタ達?そこを曲がって3つ目の座敷を抜けると、欅の黒い柱があるから、そこの廊下を挟んで斜め向かいの部屋を通って、……次の廊下を左に曲がった四つ先の板戸が兄貴達の衣装部屋だからね……。そこで好きな服を選んで待ってて。蟲姫様!さあ起きて!」と蛍はパンパン!と軽く祟り神の頬を叩く。「一本鳥居まではおぶっていってあげるから!でもそこから先はデカいトンボでも呼んで、おうちまで連れてってもらいなさいよ!」
……じゃ、いってきます……と涙目の蛍は白髪のハイカラ乙女を背中に負うと、「ツムちゃん……可哀想なホタルを応援して……ついでに頭を撫で撫でして…」と悲しそうに言った。
紬は、鞄から飴玉を取り出すと、蛍のボサボサの頭に軽くポンポン…と手を置いてから、
お口に丸い玉を押し込んでやった。
****************
蛍が家を出ていくと、
残された2人の少女は顔を見合わせ、静まり返った宮代の家に上がり込んでいった。
「……えーっと……この先を曲がって3番目だったかしら……」と紬が薄目で闇を睨みながら言う。
「ケヤキの黒い柱が目印でしたよね……」と愛衣花は言うと、今になってようやく、返却された白ワンピとスク水を開いて確認し始めた。
「……穴は空いていないみたいです。」と金髪少女は、何度も表と裏をひっくり返しながら、玄関側の薄明かりに向かって透かし見る。
脱ぎ散らかされた外人少女の靴を、両膝をついて揃えていた紬が振り返り、「良かったわね。お気に入りの服が無事で。」と言った。
「メイカはこれで、明日からはプールに入れますけど、ツムギはどうするんですか?」
「……そうね。どうしようかしら。学校指定の水着を買い直すにしても、夏までに届くか微妙なのよね……。三々賀村の流通は脆弱なことで有名だから……。」
それを聞いて愛衣花は暫く考え込むような素振りをみせた後、おもむろに「…じゃあ、ツムちゃん。黒パンの恩もあるから、メイカのスク水を貸してあげまshort-cut。」と言った。
「え?でもそれじゃ、メイカちゃんがプールに入れなくなるじゃない?アナタ、三度の飯よりプールが好きでしょ??」
驚いた顔をして紬が、幼女の青い目を見つめる。
「Demoもし、宮代のお兄さん達の水着が貰えるんなら……、メイカはそれでもいい気がするんです。」「み、水着はさすがに男物だったんじゃないかしら……」と、迷路のように入りくんだ廊下を2人で歩きながら紬が言った。
「ですが、ツムギ?よく考えましたらメイカはまだ胸がありませんから。男物の水着でも大きな問題はないのでは……。」
「ほわっ???ダメでしょ?!」
「そうですかね?ところでツムギ、アナタのその大きなお胸からはもう母乳が出るんですか?」
「どびゃ??!?」と紬は怒鳴り、思わず力を籠めて金髪の後頭部をはたいて、土壁に白人少女の広いおでこを叩きつけた。
(ふにゃ………)と愛衣花・エル・ターナーが首の折れたニワトリのように廊下に崩れ落ちる。
「ご、ごめんなさい!」と紬は同級生の脇の下に手を差し込んで立たせようとした。
うっすら血の滲んだ彼女の額を見て、紬がもう一度「ごめんなさい!」と叫ぶ。
「ツ、ツムちゃん……メイカ……モウ…ダメdeath……」
「そんなこと言わないで!」
涙に濡れた瞳をした紬が、金髪の頭を胸の中にぎゅっと抱き寄せる。
「ツムちゃん……」「なあに?」
「やわらかい……」「?」「おちち……」
紬はバッ!と手を離し、ゴツっ☆と固い板の上に愛衣花の頭が落下した。
「……牛の乳なんか飲みたくないです……」と目を閉じた愛衣花の頬を一筋の涙が伝う。
「いいから!モウ、牛の乳は飲まなくていいから!」と紬が言い、床に落ちていたプールバッグから哺乳瓶を探し出すと、妖精少女のお口にズボッ!とゴムの乳首を突き刺した。
チュッパチュッパチュッパ……
仰向けになったまま、両手でガラス瓶を抱えた少女が粉ミルクを飲んでいる。
「……て言うか、ここどこよ……」と紬が呟く。「確か3つ目の角を曲がって、座敷を抜けると、欅の黒い柱があるはずだから、そこの廊下を左に進んで斜め向かいの部屋を左に4回曲がった所に、衣装部屋があるって言ってたよね……」
「いえ、4つ目の曲がり角の先にあるお座敷を通り抜けた所で、3回まわってワンと言った後で、斜め上に片足を上げたら、そこにケヤキの黒い柱があるとか……」
「いやいや、メイカちゃん?それは御手洗いの場所じゃないですか??頭強く打った?ごめんね!」
上半身だけムクリと起き上がった愛衣花・エル・ターナーが真剣な表情をして、
「これは…完全に道に迷いましたね………」と言った。
――――――――――――――――――
ガラリ……
と襖を開いたセーラー服姿の木守紬は、隣に立つ校則違反のお嬢様服を着る金髪少女を見下ろし、
「……ここ、さっき通ったかしら……」と呟いた。
愛衣花は薄暗い部屋の角の上部に、神棚と天狗のお面が飾られているのを見上げ、
「……いえ…さっきの部屋は般若だったと思います…」と囁いた。
その言葉にハッと気付いた紬は、編んだ髪を手のひらの上に乗せ、
「……おみくじが二本切れてる……」と言う。
「それマズいんですか?」
「……確か、こういう呪いが強くかかった結界を通り抜ける時は、道を間違える度に式神様から攻撃を受けると、お祖母ちゃんから聞いたことがあるの。」と紬はほどけた毛先を三つに分けて編み直しながら言った。
「ナニそれ……怖いんですけど……」と愛衣花は言い、紬の腕に縋り付いた。
「メイカちゃんのおみくじも切れてるわよ。」
「と、言うことは……???」
「多分、あと一回道を間違えると護符の効果が切れるわね……。」そう言うと紬は畳の部屋の中央で腰を下ろした。「蛍が戻ってくるまで、ここから動かない方がいいかも……。」
「ええ~~」と愛衣花は声を上げ、「なんですか、それは?!そんなに怖い所だったらメイカ、ホタルの家に上がりませんでしたよ~~。ツムちゃ~ん、メイカもうおうちに帰りたいです…怖すぎます……」ぐすん、白い肌の少女は鼻を鳴らして項垂れた。
紬は背すじを伸ばしたまま正座をし、一度目を閉じて精神を集中すると、
……あの天狗の面を見る限り…、多分ここは金比羅様の区画……。コンプラ様は航海の安全を司る神様。……水の導きがあれば目的地に辿り着けるかもしれない…。と考えていた。
「て、メイカちゃん?!?」
紬は足を崩す間もなく思わず飛び上がると、隣に座っていた金髪少女の股下からお水がチョロチョロと流れ出しているのを凝視した。
「……ガマンできませんでした……メイカは悪くありません……ツムちゃんがさっきミルクを飲ませてきたのが悪いのです……」
「メ、メイカちゃん?!そーいうことは早く言いなさいよ??だったら衣装部屋よりも先にそっちを探したのに!!」
「言いましたけど……3回まわってワンって……」
紬は急いで鞄からハンカチを取り出し、畳を拭こうとした。
……が、その手を止めて、……静かに流れゆく水の流れを見つめると……、
目を細めてその流れる方角に視線を向けた。
紬は、鞄の底から筆箱を取り出し、中から出した鉛筆を畳の上に転がしてみる。
緑色の軸の鉛筆は、微動だにしなかった。
「メイカちゃん。……当然だけどこの部屋は建築的に傾いてはいないわ。」
「ほえ?」と愛衣花・エル・ターナーは引き続き力無くお尻の下を濡らしながら返事をした。
「ほら見て。水の流れる方向を。何らかの意思を持ったように一方向へ向かっている。メイカちゃん?もう少しお尻を持ち上げてみて。水が服に染み込んでしまうと勿体無いから。さあ、立って!」
紬は愛衣花を無理矢理立たせると、「そのまま歩いて!」と片方の脇の下に腕を入れながら水の流れる方向に引っ張っていった。
「ちょ、ちょっとツムちゃん??ま、まだ出てるんですけど……?!」
内股になった愛衣花は足元にびちゃびちゃと水を流しながら、彼女よりも先に進んでいく流れの後を追いかけるように歩かされる。
「メイカちゃん!水の供給が途切れる前に歩き続けるのよ!多分、金比羅様の水の導きのおかげで目的地に辿り着けるわ!!ほら!止めちゃダメ!」
愛衣花は真っ赤な顔をしながら、友人に背中を押されて、股下に水を噴射しながら、がに股になってヒョコヒョコと進んでいった。
板張りの廊下の途中で、 愛衣花は立ち止まり、「終わっちゃった……ごめんなさい……」とびくびくした様子で紬を振り返る。
「待って……」と紬が真剣な顔をして、最後の水の流れを、息を止めて目で追う。
「………」「………」
「あそこよ!!」ビシッ!とセーラー服の少女が黒い板戸を指差す。
ダッ!と駆け出した紬の後ろをヨチヨチ歩きの愛衣花が追いかけた。
「メイカちゃん!やったわ!!衣装部屋に着いたわよ!」と紬が嬉しそうに叫ぶ。
「びちょびちょデス……」と、金髪少女が憔悴しきった顔で、廊下に足跡を残しながら部屋に入ってくる。
「おお……」
先に入っていた紬の背中の陰から顔を覗かせた愛衣花・エル・ターナーは、今度は感嘆の声を漏らしていた。
その部屋には床から天井まで桐箱が積み上げられ、畳の上には艶やかな繧繝縁の緋毛氈が敷かれており、竹細工の黒い衣桁が鳥居のように並んで立ち、
そのそれぞれに十二単にでも使用しそうな着物が掛けられていた。
「……ス、スゴイですね……」と愛衣花がポカアン…と口を開けて言う。
我を忘れて天井を見上げていた紬も、「あ!メイカちゃん?早く着替えないと!前にホタルが、宮代のうちで決壊を破ってしまった時は早くパンツを替えないといけないって言ってたわ!」と叫ぶ。
え?え?と慌ててお嬢様服を捲り上げようとした愛衣花・エル・ターナーは、ボタンを留めたままの襟首に頭が引っ掛かって、巾着状態になりジタバタと暴れていた。
その瞬間、紬の長い髪を縛っていた最後のおみくじがプチン☆と切れ、柳のように毛髪がバラけてしまう。焦ったセーラー服少女は、巾着少女の白いお腹に特攻し、濡れた黒パンをガシ!と掴むと、
一気に真下へ向かってずり下ろした。




