#16 第八十六噺
「ちょっとお祖母ちゃん、聞いてもいい?」
三神丘の麓に集合する前に家に戻った紬は、
部屋で正座しながら写経をしている幸に話しかけていた。
「……なんじゃ?」と背中で答えた老婆は、すぐに振り返らず、
今書いている行を最後まできっちり写し終えた後、ゆっくりと首をこちらに向けた。
「……あのね。お祖母ちゃん。……変なこと聞くけど……いいかな?」
「……言うてみい。」そう言うと幸は筆や墨を脇にずらし、文机に腕を突っ張ると、
正座したまま体を180度回転させる。
セーラー服姿の紬は、その場でスカートの裏を太ももの下に畳み入れながら腰を下ろし、真っ直ぐ祖母の顔を見つめ返した。
「ホ、ホタルはさ……そ、その……女の子…だよね……?」
幸は一瞬驚いたような顔をして口を開けたが、すぐに襟を正しながら「……その様子じゃと、紬や、お前、蛍ちゃんから何か聞いたな?」と、低く落ち着いた声で答えた。
紬は途中まで何か言いかけて、唾をゴクリと呑み込む。
幸はいったん目を閉じ、肩で静かに息を吐くとこう言った。
「勿論、蛍ちゃんは女の子じゃ。」
張り詰めた表情をしていた紬の背中から緊張が解け、わずかに猫背になっていく。
「…そもそもこのわしが、蛍ちゃんをとりあげたのだから間違いはない。宮代様のご出産の日、杜の上を燕が五回まわったけ、わしには女の子が生まれることが判っておった。」
「そ、そうだよねー!ホタルは女の子だよね……あ~驚いた……」紬はそう言うと明らかにホッとした様子で、クスクスと笑い出した。
幸はそんな孫をしばらく黙って眺めた後、「そうじゃな……お前ももう14。そろそろ本当のことを教えておいてもよいな。」と呟いた。
「ん?」と紬が首を傾げる。
隣の部屋で、幸の飼っている文鳥が『キュウキュウ……』と鳴いている声が聞こえる。
「よく聞くのじゃ紬、お前はな……
宮代家の次代当主、蛍様の許嫁なのじゃ。」
…………。
………。
ん????
「え?ちょっと待って…今さっき、お祖母ちゃんは、ホタルは女の子だって言ってたよね……」
幸はかけていた老眼鏡を外して机に置くと、「… もし蛍ちゃんが男で生まれておったらな、許嫁であるお前は……宮代の子を生むことになっておった。宮代様と同じ月に久代が身籠った時に、それは大理により定められたのじゃ。
そしてもし、生まれたお前が男であった場合、お前が蛍ちゃんに種付けする役目を負っておった。」と言った。
「What??」
「……ホワ…?それは余所者の言葉か?」
「ご、ごめんなさい……。あんまり驚いたものだから……。で、でも!私もホタルも女の子に生まれたから……い、許嫁は解消されたん……だよね?」
最後の方は小さな声になりながら紬は祖母に尋ねた。
「……まあ、そういうとこになるな。じゃがお前はな、この世に産まれる前とはいえ、一度は宮代の器として選ばれた身。たとえ今生でその大切な役目を果たせなくとも、来世で宮代の子を産むという重大な責務を負うことになるやも知れん。
それを念頭にお前は、傷ものにならぬよう両親から大事に育てられてきた。
…どれだけお前が大切に扱われていたか知っておるか?
…姉ではなく、お前が宮代様のお子と同時期に生まれた理由は誰にも判らぬ。今思えば沙因が家を出たのには、また他の意味があるやも知れん。」
ピッピッピ…キュウキュウキュウ………奥の部屋で文鳥の文子が篭の中で羽ばたいている音が聞こえた。ちなみに文子は雄だった。
「でも、安心せえ。今生でのお前は、好きな人と結ばれて、自分の子供を産んでええ。……意外に思うかもしれんが、…婆ばはそう考えておる。」
「じゃ、じゃあ……、今生では私を…特別扱いしないで……。」と、正座した膝の上で拳をギュッと握り締めた紬が、喉の奥に何かが詰まっているような声で言った。「ずっと気になっていたの……私は、お姉ちゃんに比べて、構われていなかったんじゃないか、って………ずっと思ってた……普通の子みたいに、悪いことをしたらちゃんと叱ってほしいって。それで、もし叱ってもわからなかったら…構わず私をぶってほしかった。私がそんなに大切なら……!道を誤らないように導いてくれるのが親でしょ……??
…ら、来世のことなんか知らないよ!それに私は……みんなが思っているようないい子じゃない!だから、ちゃんと罰を与えて、きちんと躾てほしかったの!」
紬はぶるぶると震えながら、そこまで一気に言いきると、耳を真っ赤にして幸を睨んだ。
黙ったままの祖母に向かって、やがて紬は瞳に涙を溜めて、
「ごめんなさい…。こんなことお祖母ちゃんに言ってもしょうがないよね……今のこと全部お父さんに……伝えて……」
と、ポツリと言った。
「……紬や。やはりお前は、道を踏み外さない良い子じゃ。」
「……お祖母ちゃん?私、今からホタルと一緒に三神丘に行くよ。余所者のメイカちゃんも一緒だよ。それでもまだ私が良い子だと言える??」
幸は「…紬?!」と鋭い声を上げ、近くにあった手拭いを掴んで頭上に振り上げた。
紬は思わず目をつぶり、首を竦めて頭を手で覆う。
しかし、そのまま祖母の手は振り下ろされることはなく、やがてすまなそうな顔をして机に手を置くと、幸は唇を噛んで俯きながら言った。
「……紬や。……お前の気持ちはよう判っておる。甘やかされるお前を不憫に思っていた婆ばは、幼き頃より形だけでもお前のことを叱ってやっておったのじゃが……いよいよ化けの皮が剥がれてしもうたようじゃな………そうじゃ、わしらはお前をぶつことは出来ん。それが運命なのじゃ。諦めてくれ……どうしても罰せられたいと言うのならば……、18歳を越えてから重大犯罪でも起こしてくれ……少年法の適応が外れるから。」
………。
……。
……いや、別に犯罪者になりたいわけではないんですけど………。
……そうじゃなくて、ちょっとお尻ペンペンしたり、「めっ」て言ってほしかったかなあ……なんて。
紬は、あの夜に見た龍治による久代への厳しい躾を思い出し、父から強く愛されていた母の恍惚とした表情を思い浮かべていた。
数日前、虫被害の確認のため母の衣装箪笥を覗いた時に、奥の方から沢山のチョーカーが出てきたことも思い出した。
それらの中央にはリングが付いていて、近くにはリードのような長い紐や鎖が折り畳まれて収納されていた。
……私だって、本当は悪い子なんだ。
ちゃんと首輪を付けて繋いでおかないと、いけない所へ行って遊んじゃうんだからね……。知らないからね……
紬は痺れてきた足を伸ばし、よろけながら苦労して立ち上がると、
今日のゴミ屋敷清掃に着ていく『汚れても良い服』を探しに、ふらふらと自分の部屋の方へ戻っていった。
*************
姉の部屋は封印されている。
着る服がなければ、本当は、姉である沙因のお下がりを着ればいいはずなのだが、
姉が家を出た時に、持っていかれなかった彼女の所有物は全て部屋にしまいこまれ、引き出しという引き出しには御札を張られ、固く閉ざされてしまっていた。
……もう二度と、生きている間に姉に会うことはないだろう。
四国山を越え村の外に出た者は、再び三々賀村の境界を跨ぐことは許されないのだ。
結界を自由に行き来できるのは、成人した宮代様だけ……。
……ホタルは、私が許嫁だったことを知っていたのだろうか……よく考えると、なんか気まずいような……
いやいや、気にしすぎか。私達女同士だしね。
運命が違えばあのホタルと結婚??……あ、あり得ないわ……。
…そういえば、ホタルのお父さんとお会いしたことはないけど、どんな方なんだろう?ホタルから話を一度も聞かされたことがない気がする。家で無視される系の父親のかしらね。
宮代の家の男の人は大変ね……。男に生まれなくて良かった………。
紬は自分の部屋に戻り、腕組みをして大きなビニール袋に纏められた夏服の束を見下ろしていた。
……結構気に入ってたTシャツもあったのに……、のきなみ虫にやられたわ……。
蟲姫様………ひどい。(グスン)
……さて。汚れてもいい格好。どうしよう。
「紬や。」
背中から声がかかり、振り返るとそこには祖母が、手に何らかの布の塊を抱えて立っていた。
「……三神丘のゴミ屋敷の方へ行くのなら、これを着ていきなさい。これはな、わしの婆様が空襲の時に着ておったものじゃ。婆様は三々賀村に疎開してきたその後に、色々あってこの木守家に嫁いできたのじゃ。
……これはな、まだ女学生だった婆様が、防空壕の中で漏らしてしまい、その濡れた生地のおかげで火の粉から身を守ることが出来たとされる、我が家に伝わる最強の護身防具の一つなのじゃ。これは必ずや、危険からお前の身も守ってくれるであろう。」
紬はその服を受け取って「ありがとう、お祖母ちゃん。さっきは色々言ってごめんね…」と言って、長い髪をまとめ直し、褪せたベージュ色のモンペを顔の前でひろげ、股下に残った古の染料を見つめた。
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愛衣花・エル・ターナーはふわりとした金髪を颯爽と靡かせながら、三神丘に続く畦道を闊歩していた。麦わら帽子に白い襟つきワンピースという、避暑地のお嬢様のような姿で丸いサングラスをかけた愛衣花は、体中を虫除けクリームでテカらせて、
丘の麓にある今は使われなくなったバス停に立つ友人に手を振った。
三神丘に火を持ち込むのはご法度な為、今日は蚊取り線香を携帯していない木守紬は、眉をしかめながら白人の少女を見て「……メイカちゃん、その格好……汚しても大丈夫なの?」と言う。
蒼い瞳をこちらに向けた愛衣花は、
「……ツムちゃん……確かにアナタは汚れても平気な格好みたいですね……て、言うかもうすでに汚れている…」と呟いて、眩しそうに友人の立ち姿を見つめていた。
髪の長い紬は、エンジ色のしじら織の甚平を羽織っていて、……下には色褪せて薄汚れたモンペを履いている。
そこへ反対方向から宮代蛍が「おお~~~い」とぶんぶん手を振りながらやってくるのが見えた。
遠くから見るとパンダのように見えた蛍が近付くにつれ、彼女は紺色の丸首がついた白い体操着を上に着ていて、柔らかく弛ませた裾を、黒いブルマにウェストインしているのが確認できた。
膝下までのハイソックスは、セーラー服と同じ濃い目の紺で、ゴム部には同じく白いストライプが2本入っている。
健康的にむっちりとした太ももはラテナのクリーム効果で肉割れ一つなく、形のよい膝のお皿は血色良くピンク色に染まっている。
ボサボサめの髪は小学校時代からの歴代のハチマキで、短い2つ結びにしてあり、左が赤組、右が黄色組になってリボンのように肩に垂れていた。
それなりに膨らんだ胸には『2ーA 宮代』と墨で書かれたゼッケンが縫い付けられており、肩に掛けられた朱色の鞄には軍手や手拭い、マスク、ゴミ袋などが入れてあるのが見えた。
古いバス停に打ち捨てられた大八車を確認した蛍はドスン!と荷物をそこに置くと、
「メイカちゃん?そんな綺麗な格好じゃ、本腰入れてお掃除なんか出来ないでしょ?まさか、座って見てるつもりじゃないでしょうね?」と言いながら、ブルマの外にはみ出した下尻を、片足の踵を上げるポーズをしながら収納した。
「ふっふっふ……」蛍から鋭く突っ込まれた愛衣花・エル・ターナーは、麦わら帽子の下で白い顔を影に隠しながら不気味に笑った。
「今日のホタルのLevelも相当他界ですが、まだまだですね……汚れても大丈夫な服とは………こういうことです!!」
愛衣花は、ガバッ!と格好つけて、ワンピースと麦わら帽子、そしてサングラスを頭上に舞いあげながらその場で脱ぎ捨てると、
「キャ?!」と言って紬は顔の前を手のひらで隠した。
………。
紬が恐る恐る指をパーに開き、その隙間から目を開けると、
正面に、えっへん!と腰に手を当てた、肩幅よりも少し広めに脚をひらく、スク水金髪少女が田んぼを背に立っているのが見えた。
その平坦な胸に縫い付けられたゼッケンには『2ーA TURNER』とカッコ良く掠れた墨で書かれている。
「て、プール清掃じゃないから!!」と鋭く叫んだ紬の手の甲が、空気をかまいたちのように切り裂きながら、スク水女児の鎖骨辺りをはたいた。
「うひゃっ??!」と愛衣花は体勢を崩し、手をばたばたさせて仰け反ると、
そのまま背中から水を張った田んぼの中にドッボーン!と落ちていった。
…びちゃっと緩い泥が、脱ぎ捨てられていた白いワンピースの上に飛び散ると、
「うわっはっはっ!!」と蛍が膝に手をつきながら涙を流して笑い、
茶色いものを体中にこびりつかせた白人少女を見て再び爆笑すると、嬉しそうに紬のことを振り返って「最高ね」と言った。
「ご、ごめんさない!!」と紬は叫び、田んぼに向かって手を差し伸べる。
ムッとした顔をして一人で立ち上がった愛衣花は、若干ぶかぶかの水着の内側に入り込んだ泥を、お尻からボトボト…と落としながら「F○ck!」と悪態をついた。
「ぶわっはっはっ……」と蛍は大笑いし、「……く、苦ひい……チュムギ……た、たしゅけて……息が出来ない……」と畦道にうずくまり、背中をひくひくと痙攣させたのだった。




