#15 第八十七噺
黄色の紗綾形の着物と紫色の袴を、緑色の学校指定のジャージに着替えた蟲姫は、
宮代蛍の肩に白く長い髪を預けながら、満足そうに座っていた。
赤くなったその顔は、何処か安心しきった赤子のようで、
ぐったりともたれかかる身体もまだ熱く火照っている。
蟲姫はその細長い指で、蛍のセーラー服のリボンを絡め取って遊びつつ、
ジャージのズボンの内側で柔らかな布に包まれた、疲れた半身を相手のスカートに心持ち押し付けていた。
「……そろそろ学校に行くわね」
と蛍が少し決まり悪そうに小さな声で言うと、
「まだ行くでない。」と蟲姫が呟く。
白い布団の上に腰を下ろした2人の半径10メートルの範囲は、新築の家のように綺麗になっており、真新しい畳の匂いがしていた。
蟲姫は、先ほど若い宮代による邪気払いの洗礼を承り、
下の穢れから順番に、身体の上へ満遍なく御神水を浴びて、最終的に口の中まで祓い清めて頂いたおかげで、
まるで湯上がりのように清廉な雰囲気を身に纏っていた。
姫は微かに汗ばんだ額を蛍の胸に押し付けて、彼女の心臓の鼓動に合わせて呼吸をする。
「…ゴミ捨ての続きは放課後にまた戻ってきてやるからね。」と蛍が言った。
「ん。」と蟲姫が小さく返事をする。
「後で友達を連れてきていい?どうせ屋敷の中には入れないから、裏口からゴミを受け取ってもらおうと思うの。台車を持ってくるから、それに積んで洗濯物とかも持って帰るわ。この量を1人でやると夜までかかっても終わらないわ。」
「友達……?」と蟲姫が蛍の胸の中で顔を上げる。
「宮代には友達がおったのか?では、その者達も不老不死なのか?妾の他に友達がおるというのは初耳じゃぞ。」蟲姫は若干爪を立てて、蛍の二の腕を握ってきた。
「ん?今、不労所得って言った?まあ、ツムギのおうちは古いし由緒正しいとは思うけど、お父さんがちゃんと働いて稼いでると思うわ。……もう1人のメイカは外人だけど、多分、お父さんは学者かなんかなんだと思う。ま、不労なのはうちくらいだけど、正直、政関連で日々忙しいっちゃ忙しいわよね。」と蛍は答えた。
「ところで姫様?アナタ、さっきおちゃっぴーがどうのとか言ってたけど、もしかしてマホ持ってるの?三々賀村の人は誰も持ってないし、存在すら知らないはずよ。」
「スマホ……?ああ、もしやこれのことか?スマートフォンのことを言うておるのか?」と言って蟲姫は枕の下から鉄の板を取り出した。
「これはな、稲田創士とかいう男から貰ったのじゃ。」
「いなだ??……誰よそいつ?このお屋敷に来たの?1人で?今頃死んでない?」
「さあ、前髪サラサラな男じゃったの。あの髪質は将来ハゲるな。……どうした、宮代?気になるか?安心せい。妾はおぬしひとすじじゃ。他の者に
など興味はないわ。この鉄の板はおちゃっぴーと繋がっておるからな。便利だから一応貰っておいた。あと、ワイファイとかいう虫の捕まえ方も教わったぞ。これに呪文を入れるのじゃ。」
「ふうん……。その男、スマホのセールスマンか何かかしら……。」蛍は、……自分がスマホを持っていることは黙っておこう……。蟲姫から昼夜問わず連絡される可能性があるわ……。と心の中で考えていた。
「おほん、逆に宮代は…その……、お友達とかいう他の女にも、今日みたいなことをしておるのか……?」
座敷の周囲に、ワサワサワサ……と不穏な虫の気配が沸き上がってきて、
姫の白目の外周から黒い斑点が徐々にひろがり始める。
「今日みたいなこと?」と蛍が聞き返す。
「御神水を飲ませてもろうたり、おしめ縄をあててくれたり……」と白髪の少女は人差し指同士をツンツンとやりながら伏し目がちに答えた。
「……んなわけないでしょ。アナタは祟り神なんだし特別よ…」と、蛍は姫の頭皮にまだ残っていた薄いふけ細工を、摘まんでポイっと後ろに投げ捨てた。
「…妾は特別か?」
「ん?あ、ええ、特別よ。」しゅぅぅぅぅぅ……と白目が元に戻っていく。
「嘘いつわりはないか?」
「ないわよ。しつこいわね」
「……では許す。そのゴミ当番を連れてきてもよいぞ。」
**************
「行きたくないわよ!!」
木守紬は声を半分裏返らせながら叫んだ。
「え?なんでよ……か弱いホタルちゃんにあの家を1人で片付けさせろと……」と、涙目になって宮代の若い巫女が言う。
「と、当然でしょ……そういうのが宮代のおうちのお仕事でしょ?!なんで私達一般人が三神丘のお屋敷の清掃を手伝わなきゃならないのよ?!」
と紬は、朝からすでに土と泥で汚れまくった蛍のセーラー服を見つめながら言った。
「だいたいあそこ行ったら私達死んじゃうでしょ??」
「だ、大丈夫よ。普通の人は裏口の塀の外にいれば害はないから。……それにワタシも一緒だし……」
「宮代様が留守にされているからって、アナタ最近緩すぎない??村の掟を拡大解釈してはダメよ?!」と紬は途中まで大声を出して喋っていた自分に気付いて、途中からひそひそ声になって言った。
「で、でも、紬……あそこを1人で片付けるのはいや……。大変過ぎる……それに、ほら?放っておくとまた虫が沸くわよ……」グスン、と蛍は鼻を鳴らし、
今度は金髪碧眼の少女の方を向きながらこう言った。
「メイカちゃんはどーですか?清掃のバイトをしませんか?お礼にそう、ほら、これ、もう少し頑張って洗ってあげるから……」
蛍は鞄の奥から水色の袱紗を取り出すと、友人の前でそれを開いてみせ、
取れなかった汚れを指差した。
「チョット??ホタル?!アナタ正気??教室でそんなもの出さないで!!」
と真っ赤になった愛衣花・エル・ターナーが、ガバッ!とピンクの布を奪い取る。
「ところでメイカ、あなた今、ツムギに黒パンを借りてるでしょ?そっちの方も汚れが取れなかったらこっちに回しなさいよ。タンポポ屋敷のゴミ回収を手伝ってくれたら、2枚纏めて綺麗にしてあげるわ。」と蛍が言った。
堪りかねた様子の紬が間に入り、「い、いいよメイカちゃん……女の子だし多少汚れていても私は気にしないよ……そもそも黒だから目立たないし……。なんならあの黒パンはあげるわ。」と言う。
「ツムちゃんまじ天使!でも悪いから、代わりにメイカのこの桜パンツをあげますわ!…今見たら言うほど汚れてないDeath死!さすが宮代ですね。保母保母キレイになっていますよ!」
「ちょっと待ってよツムギ!メイカにあの黒パンあげるなら、ホタルにちょうだいよ??それにメイカ?その桜パンをツムギにあげるのなら、もう少し洗わせてよ!そのクォリティじゃ宮代のプライドが許さないわ…!」
と言って蛍が、愛衣花に一度返したピンクの布に向かって手を伸ばす。
「ナニスルンデスカ!これはツムにあげると決めたのです!友情の証に黒パンと交換するのです!あ!そんなに引っ張ったら伸びちゃうじゃないですか!やめてください!」
目の前で倍の長さに引っ張られるピンクの布を見て、紬が「やめなさいよ!こんなところ男子に見られたらどうするのよ!!」と赤い顔をしながら怒鳴った。「それに、私、そんな可愛い女児パンは履きません!!中2でそれを履きこなせるのはメイカちゃんくらいでしょうよ!」
それを聞いた蛍が「ふっふっふ…」と笑い、「メイカ、残念だったわね。やはりあの黒パンは私がもらうわ。正直、あの履き心地忘れられなかったのよね……。あれを履いて寝たら、かつてないくらい熟睡出来たわ。」と言った。
「じゃあ、紬?放課後に今ホタルが履いてるのと同じ裾除けをあげるから、黒パンは私が貰うね?」
「ちょっとちょっと??アナタ達さらっと変なこと言ってるけど、シール交換じゃないんだからね?!三々賀村の女子中学生の間で、そんなこと流行ってないからね??」と紬が叫び、愛衣花に早くパンツをしまうよう命じた。
「……でもその話、少し興味があるのですが……」と愛衣花がピンク色の布を鞄にしまいながら言う。
「ツムギの黒パン?ああ、あれを履いて寝るといい夢が見られるから……嘘じゃないわよ。」
「いえ、そっちの話じゃなく、蟲姫様の方です。」「ほえ?」
「え、なんの話だっけ……」と蛍が呟く。
「いや、そのですね。蟲姫様という方が本当に150年以上生きていて、その間……ずっと中2のままだとしたらですね……」と愛衣花は目を泳がせながら、紬と蛍の顔をかわりばんこに見て言った。
「メイカもその永遠の若さの秘訣を知りたいな…なんて☆」
「ダメよ、メイカちゃん!」と紬が驚いた表情で言う。「蟲姫様のはご不浄様の呪いよ!マネしちゃダメよ!!」
「Yes.それは分かってますが……食生活とか化粧品とか?…何か参考に出来ることはないですかね?ちな、ホタルはどう思いますか?」と金髪碧眼の少女が言った。
「さあ……蟲姫様は日本人だからね……アナタみたいな外人とは新陳代謝が違うだろうし……」
「地味に人種差別……(涙)」と愛衣花は言い、「ゴミ掃除、手伝ってもEけど、その蟲姫様にはお会い出来るんですか?」と聞いた。
「いや、それはさすがにマズいでしょ。虱とかぎょう虫を移されるわよ。」と蛍は答えた。
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いつものように給食の牛乳の前で、こっくりこっくりと居眠りする愛衣花・エル・ターナーの横顔を、
教室の外から見ながら、木守紬と宮代蛍は、改めて最近の衣料事情について話し合っていた。
「……ホタル…さっきは、他の人の目もあったから、パンツを返さなくていいとか言ったけど……実は…蟲姫様の暴走?のせいで、結構な数のお洋服が虫にやられてダメになっちゃったのよ……」
「へえ、そうだったんだ。宮代の桐箪笥はさすがにそこまで被害はなかったけど……。そうなってくるとシロアリなんかも心配よね。ツムギんちは、最近ひこばえ神も出たばかりだし、そっちも確認しといた方がいいわよ。……柱や床を叩いてみて空洞音がしないか。ドアや窓の立て付けが悪くなっていないか。確かめてみて。」
「……それ、貴女がうちに確認しにきてくれない?なんならタンポポ屋敷のゴミ掃除は手伝うからさ。」
「まあ、シロアリの確認は、掃除を手伝わなくても見てあげるわよ。」
「ありがとう。……でも悪いからやっぱりお掃除は手伝うわ。危険はないのよね?」
「だいじょーぶだいじょーぶ。マスクと手袋して、汚れても平気な服装で来てね。」と蛍は嬉しそうな顔をして言った。
「……で、その服装のことなんだけどさ……」と紬が言いにくそうに、つっかえつっかえになりながら小声で言う。
「ん?どったの?」
「あのね……実は、私の衣装箪笥……虫に喰われてほぼ全滅しちゃったの……。冬服はまだ何着かあるけど、普段、着るものが結構駄目になっちゃってて……。半袖のセーラー服も喰われちゃった。」
「だからこのクソ暑いのに長袖なのね。」
「とにかく今の私には着る服がないのよ。しまっていた分が殆ど虫に食べられちゃったから…、これから丁度衣替えの季節でしょ?夏服がなさそうなの。」と紬が言う。
「ああ。そういうことなら、宮代の虫避け箱にツムギでも着れそうな服が一杯あるわよ。」
「え?でもホタルのは巫女服ばっかりでしょ?」
「兄貴達が残していった服があるわ。あれなら年令別に各サイズが揃ってるはずだから、ツムちゃんに合うものもあると思うよ。」
「……ありがと。ん?でもそっか。私っていつもTシャツとかGパみたいな男っぽい格好ばっかりしてるから、ホタルのお兄さん達の服でも平気って言いたいのね。…ハイハイその通りです。色気がなくて悪うございましたねー。…でもよく考えたら、私、宮代の男の人達って見たことないような。今はもう全員他の村へ行かれたんでしょ?」
「ええそうよ。」と蛍は言った。「でも紬、兄貴達の服は全然男っぽくないわよ?」「?」
「三人の兄は私が7歳に育つまで女子の服を着て育ったから。」「はい???」
「言ってなかったっけ?宮代のうちは女が生まれない可能性を考慮して、男が生まれても女の格好で育てられるのが決まりなの。で、万一女が生まれなかった場合、一番適正のある男児を性転換させて跡継ぎにするのよ。知らなかった??」
「……………………。ちょと、待ってよ……。それだと子供を生めなくないですか……?」
紬は、突然の話に戸惑いながら幼馴染みの顔を見つめ返した。
「あ、説明をはしょりすぎたわ。」と蛍が何でもなさそうに答える。「そういう場合、子供を作るまで手術はしないの。その間は巫女としての能力を得る為に女性ホルモンの注射だけね。あとは選ばれた許嫁に女子を無事生ませたら、あれを切って完全に女になるのよ。それまでは付いたままね。」
紬は落ち着かなさげに目をキョロキョロさせながら、「…ま、まあ……宮代様の長い歴史の中では、そういうこともあったんでしょうね……当代では女の子が生まれて良かったわね……ホタル……」と言った。
「そうね」と蛍が静かに囁く。
「………ちょ、ちょっと、ホタル??あなた……、お、女の子よね?月のものもあるって言ってたわよね?」アハ、アハ……と半分笑いながら紬が言う。
「まあね。でも代々宮代はカタツムリみたく雌雄同体みたいなところがあるから、そういうとこにはあんまりこだわってないけどね?」と蛍は言い、
真剣な顔をしている紬に「いやあね!冗談よ!」と背中を叩いて「なんなら今日一緒にお風呂入る?アハハハ……」と笑ってみせた。




