#11 第九十一噺
参道の途中で拾った木の棒に、自分が持ってきた蚊取り線香をぶっ刺した愛衣花・エル・ターナーは、
渦巻く線香を中心から下に向かって傘状に開いて、
「抹茶ソフトクリームみたいだネ♪」とご機嫌な様子で火をつけると、左右にそれを振って歩き出していた。
一本鳥居のところで、紬は一旦立ち止まって一礼をし、
愛衣花にも頭を下げるように促す。
金髪外人少女は、煙を吐く棒付きソフトクリーム線香を地面に刺し、首だけでヒョコヒョコ…と二拝すると、パパン!とジプシー風に二拍手した後、最後に深く一礼をした。
「……適当ね…」と紬は溜め息を吐き、
…ふと鳥居の側面に、何か文字が彫ってあるのを見つけて、軽く横に回り込んでみた。
……何かしら……。
石作りの鳥居に刻み込まれたそれは、まだ新しく見え、
屈み込んで読んでみると、
『SSID:misan_ga_free-wi-fi』
『 Password:123abc567xyz』
と読み取れた。
「メイカちゃん、この英語みたいなの、意味判る?」と紬が聞く。
金髪碧眼の少女が横から覗き込み、
「さあ……暗号みたいに見えるけど、ナンでしょうか?」と、リアルに読めない様子で答えた。
「え?少なくとも『みさんが』、って彫ってあるのは読めるけど?」と紬が言うと、
「もう!外でもお勉強とか…SoいうのホントEから!今はそんなヤボなこと言って場をシラけさせないでくダサい!」と愛衣花は、無い胸の前で腕を組んで、ぷんぷん!と頬を膨らませて怒ってみせた。
「……メイカちゃん……今日の目的、忘れてません?」
愛衣花は紬に、首から紐で提げた水泳バッグを後ろに引っ張られ、グヘッとなりながら「今日の目的…なんだっけ…?」と涙目で言った。
************
宮代の本堂が見えてくると、
紬が先頭になり腰を低くしながら、不用意にご神体を見上げないよう慎重にトチモチの木の前を横切っていく。
「いやあ、本当にお祭り以来ですね。屋台がないと随分、フンイキ?、フインキ?が違いますネ。」と愛衣花が言った。
付け加えて「それにしても、なんか静か過ぎて不気味なくらいです…。」と小さな声で言い、友人の腕を触りながら辺りを見回す。
紬が、入り口近くにある鍵のかかった手水舎を見て、「手……清めなくて平気かな……」と不安そうに言った。
玉砂利の上をジャリジャリと歩く2人は、周囲に紫の煙を立ち昇らせながら、
湿り気を帯びた空気を吸い込んでいた。
「なんか蒸し暑いね。」「そうですね。ナンとなく空気が重いというか……すごく…濃い……。あんまり酸素濃度が濃いと、メイカ、巨大化してしまいます!」と小柄な少女が怯えたように言った。
「ペルム期の昆虫かい!」と紬が裏手でペチンと金髪ガールをはたき、
「……蛍はどこかしら……」と呟いた。
「……こんにちはー……」
ガラガラと玄関の引戸を開け、木守紬が恐る恐る首を伸ばして中を覗くと、
背中にピッタリとくっついていた愛衣花が、「あれ?ツムちゃん?三段結びの一番下ほどけてるよ??」と言った。
「え?」と言って紬が振り返りながら編んだ長い髪を片手で摘まむと、
……確かにいつの間にか『凶』のおみくじがなくなっていた。
愛衣花が、棒に刺した蚊取り線香の煙を、松明のように天井の方まで掲げ、
「……ナンか凄く蜘蛛の巣が張ってますよ。……クモコワイ……」と言う。
「蛍、宮代様が数日いないだけで、どんだけ掃除サボってんのよ……」と紬は言い、顔の前に横切った蜘蛛の糸を鬱陶しそうに払い除けて、
ふと、
玄関から見える長い廊下の先の突き当たりらへんで、何かが小さく唸りながら光っていることに気付いた。
それは、蛍が以前持っていた鉄の御札だった。御札はヴー、ヴー……と光を明滅させながら、振動して床を這うように動き、
その少し後ろに、曲がり角の向こうから少し覗く、人間の白い指先が目に入る。
「ホタル??!」
紬は悲鳴を上げて、玄関にローファーを蹴散らすと、ダダッ!とそちらへ駆けていった。
怯えた様子の愛衣花は、そのまま後退りをして、顔を青ざめさせながら黙って玄関から出ていってしまった。
「ホタル!!」そう怒鳴りながら紬は、廊下の角を急旋回する勢いで曲がり、
きりもみしながら、倒れた友人に覆い被さるようにして肩を掴む。
うつ伏せになった蛍の首すじに、太った蚊が、縞々の脚を突っ張ってへばりついているのを見て、思わずギョッとする。
紬は、鞄から携帯蚊取り線香のフックを外し、円を描くように蛍の身体の周りに煙を撒くと、
「えい!」と目を瞑りながら彼女のうなじを思い切りひっぱたいた。
狙いの外れた蚊は、ぷ~~んと上に飛んでいき、
叩かれた蛍が、「う~~ん」と唸りながら頭を動かした。
床に落ちていた鉄の御札は、いつの間にか静かになり、
今は優しい緑色の光だけを小さく光らせている。
紬は素早く鞄のポケットから赤いキャップの軟膏を取り出すと、
友人の首の裏に爪でバッテンを作り、「 ……阿毘・羅吽・欠々……」と祓詞を唱えた。
「……う、う~~ん」
もう一度、蛍が唸り、ゆっくりと上半身を起こすと、ボサボサの頭を振った。
蛍は、自分が紬に背中を支えられていることに気付き、「あ、おはよう……」と寝ぼけたことを言う。
「どうしたのよ?!いったい。何でこんなところで寝てたの??心配したじゃない!!」と、紬が少し涙ぐみながら言った。
蛍は、ぼんやりとした様子で、しばらく彼女の顔を見つめ返していたが、やがて「あ、チャクシン……」と呟いて、落ちていた鉄の御札を手に取った。
そして、「あ、紬、ちょっとゴメンね。そこの奥の部屋で待っててくんない?ホタルちょこっと、ご用事があるから……。」と言い、よっこらしょ、と立ち上がりながら、懐から人肌に温まったデパートの包装紙を取り出すと、
紬の手に「これ、あんがと。」と言って押し付けた。
……ご用事と言えば……、もう一人のご幼児はどこ行ったのかしら……。
トテトテと廊下の更に奥に歩いていってしまった巫女装束の友人の背中を見送り、
しわくちゃの包装紙を抱える紬は、無人の玄関の方を振り返っていた。
************
その頃、金髪女児、愛衣花・エル・ターナーは、建物から少し離れた石の灯籠の裏に隠れ、
「ねえツムちゃん?大丈夫?ホタルはどうだった?死んでた??」と震える声で呼び掛けていた。
気を落ち着かせる為に、愛衣花は、プールバッグの中から小さな花柄の巾着を取り出すと、
そこから黄色い天然ゴム製のおしゃぶりを出し、シュポン!と素早く口に咥えた。
すぐに……ちゅっぱ、ちゅっぱ、……と小さな唇が吸いつき始める。
眉間にしわを寄せ、おしゃぶりに付いたハート型の把手を3本指で押さえた愛衣花・エル・ターナーは、真剣な表情で母屋の方を見つめる。
……ちゅっぱ、ちゅっぱ、ちゅっぱ……。
もう一方の手には、木の棒に刺した螺旋うずまきソフトクリームを構え、そこから出る煙が彼女の頭上に紫のすじとなって立ち昇っていた。
ガサガサガサ………!
突然の葉擦れ音に驚き、愛衣花が横に飛び退くと、
彼女の背後に、いつの間にか見たことのない男子が立っていた。
……そう、年の頃は、高校生くらいだろうか。
愛衣花は、何か言おうとしたが、緊張のあまり、チュパチュパチュパチュパ………!と凄いスピードでおしゃぶりを吸うだけで、無言で後ろに下がっていく。
……狭い村社会の中で、この男子と会うのは初めてな気がした。
彼は滑らかそうな黒髪を眉の下まで伸ばしていて、それを悲しげな瞳ぎりぎりまで前髪を垂らしている。鼻は細く高く、あごも細めな為か、繊細な見た目で、激しいスポーツには向かないタイプに見えたが、
背は170以上はありそうで、まっすぐに伸びた背すじと、綺麗に弓なりになった足が、彼を見た目よりも健康そうに、また力強く見せていた。
長い睫毛に隠された瞳には微かに緑の色素が含まれていて、
これといって特徴のない丸首のシャツを、ななかなかお洒落に無造作に着こなしている様子は、まあイケメンと言って差し支えなかった。
愛衣花は、口に咥えていたものをようやく外し、それを襟元にクリップで繋げたままぶら下げた。
「……ひょ、ひょっとして、ホタルちゃんのお兄さんのお一人ですか……随分前に他の村へ行ったと伺ってましたが……」と彼女は言った。
「ん?」
と、彼は不思議そうな表情をし、すぐに、にこやかに笑うと、「あーそう、そうだよ。で、可愛いお嬢さん?そういう貴女はどなたですか?」と耳に心地好い中性的な声で尋ねてきた。
キモ……
愛衣花は咄嗟にそう思ったが、さすがに宮代の家の人に失礼だと考え、
「アナタのお顔は……私も記憶にないですが…、狭い村です。小さい頃一度くらいはお会いしている可能性はありますね。二本松の赤煉瓦屋敷の愛衣花・エル・ターナーです。」と言って、スカートの端を摘まんで軽くお辞儀をした。
**************
宮代蛍は、襖を固く閉ざした奥の茶室で、
鉄の御札を耳にあてがいながら、母と会話をしていた。
『でね?こっちに出てこられる機会なんてそうそう無いでしょ?
後悔したくないし。……だから私、あと1ヶ月かけて、聖地88か所巡礼、ファンクラブ限定スタンプシール集めをすることに決めたの!!』
「はあ??!」と蛍が叫ぶ。「ちょ、ちょっと待ってよ!ママがいない間、三々賀村の政はどーなるのよ!この前のひこばえ神の件だって、写真送ったのに既読してくんないし!メ(旧ツイスタ)ーの方でも『見て』って催促してたでしょ?!どーして見てくんないの?!」
『あーごめんなさい。忙しくって。それに、結局貴女うまくやったみたいじゃないの。
だいたい貴女ももう中学生…、14歳でしょ?時代が違えばもう成人よ?14と言えば、先代(私の母)はもう私を生んでいた歳よ!
私だってもう婚約してた歳だし……。貴女もね?一人で何でも出来るようになりなさいよ!いつまでも遊んでばかりいて……。お兄ちゃん達は、嫁ぎ先でもう立派に種馬の役割を果たしてるわよ?』
「じ、時代が違うのよ!コンプラ違反よ!だいたい村の護りよりオタ活優先とはどーいうことよ!!そんなの許されるの??」
『は?貴女、メ(旧ツイスター)見てないの?ジャリオタはね?父の葬式よりA・RA・SAの方が大事なの!
この解散に合わせて、今88か所巡りしておかないと、私一生後悔するわ!怨恨が残ったまま、巫女が村の護りなんかして、村の人は嬉しい?
………たった1ヶ月だから……。
その間、貴女が村を護ってみなさいよ。どうせ今の時期、大した神は出ないから……。貴女が一人前になる為の修行をするには丁度いい季節よ。お母さんだってね、不慮の事故でいつ死ぬかわからないのよ?その時の為に予行練習をしておきなさいよ。鉈はもう使えるようになったの??いつまでも鋏だけというわけにはいかないでしょ……』
「もう、いいわ」と、蛍は床の間に掛かった茶掛けと、細い土瓶に生けられた紫の水仙を凝視しながら言った。
……このお軸と花も、今月は私が変えなきゃダメなの……?
「……ねえ、お母さん、聞いていい?」『なあに?』
「今日さ、なんかすごい不快な音がしてさ、……おちゃっぴーが言うにはモスキート音っていうらしいんだけどね……、」
『また貴女、おちゃっぴー使ってるの?あれは嘘ばっかり言うでしょ?それに、スマホでネットばっかり使うのやめなさいよ。どうせ、おらが村は通信安定しないんだから。』
「あ、ママ?言っときますけど、私、一本鳥居のところで、三々賀村のWi-Fiの設定見つけたんですからねー?それ繋げたら、随分サクサク動くようになったわよ?あんなのあるなら早く教えてよ。」
『Wi-Fi??』と宮代ママが低い声で聞き返した。
「うん。フリーのやつ。」
『……お母さん知らないわよ。フリーのWi-Fiは危険だから十分身元を確認しないとダメよ?情報抜き取られるだけじゃなく、変なヴァイルス(良き発音)とか入れられるわよ?今すぐ切断しなさい。』
「え?わかったわよ!(ちぇっ)。……あ、後ね、ママがいなくなってから虫が増えたのよ。三々賀村全体というか、…なんなら宮代の杜にもうじゃうじゃ出るようになったのよ。」
『あ……』と母親が電話の向こうで息を止める音が聞こえた。
『ホタル、ごめんなさい。お母さんすっかり忘れてたわ。』「なにをよ?」
『三神丘の蟲姫様のおしめ、そろそろ切れる頃だったかも!行ってくれる?あー、うっかりしてたわ!そうだわ丁度今月切れるんだった!東の蔵にまだストックがあるから持っていって~。あ~痛恨のミス!明日にでも早速届けてあげて。』
ん?と蛍は怪訝な表情で「蟲姫様……て誰よ?」と呟き通話を切ると、
……渋々といった様子でWi-Fiを切った。
―――――――――――――――
「……ん?切れましたか……」
と、前髪さらさらの男子が呟き、目の前にいる青い瞳をした白い少女を見下ろした。
そして彼女が手にする、緑のとぐろを巻いた線香を見つめると、
「ふむ………」と深く頷いた。
「な、なんですか?」と愛衣花が怯えたように目を逸らす。
彼は思案げに顎をこすると、「…まだ幼そうだし、丁度良さそうですね。」と言って、くんくんと鼻を鳴らした。「……穢れも始まっていない……。どちらかと言うと……これはおチビちゃんの臭いかな?」
「ほわっ?」と、愛衣花が真っ赤な顔をして男を睨み返す。
「…そして、その赤子のおしゃぶり……。うん。なかなか……これは上物だぞ。」
「ナ、ナニを言ってるんですか?ホタルのお兄さん??」
「……あ、ゴメンね。どうせバレるから先に言っておくよ。ボクは宮代の所のお兄さんではないな。」と彼は言った。
「実はボクはね、君達が外宮来神と呼んでいるものなんだ。ここ数日、宮代の力が弱まったのを機にこの身体を手に入れて戻ってきたんだよ。名前は…、確か、稲田創士といったかな。生前は創士くんとか呼ばれてたみたいだよ。アハハ」
「と、とぐらい??!」と愛衣花は叫び、とぐろを巻いた蛇の形をした線香棒を、慌ててポイッと足元に投げ捨てた。
「アハハ…そこには腐った魚も入っているのかい?」と、創士は優しげに、彼女のプールバッグを指差した。
「いやあ、参ったね。これは出会いだね。……よし決めた。……君をボクのお嫁さんにしてあげよう。見たところ君は宮代の娘と同級生で、処女で、まだお無念もなく、獣の印すら発毛んしていないであろう生粋の乙女のようだね。更に金色の髪と青い目の異人か。これは完璧だ。……おめでとう。君を生け贄に選ばせてもらうよ。早速今週中にでも君のお父さんにお願いにあがるっぴ。」
「はあああ??!」
愛衣花は左側に結んだ大凶のリボンを引きちぎり、キモ男に向かって投げつけた。
「メイカーー!!どこー??」
建物の方から紬の声がして、即座に「ツムちゃ~ん」と泣きながら愛衣花は走り出す。
大凶のおみくじをぶつけられた創士は、「クソッ!」と呻き、瞬時に、しゅるん……と、身体を滑らかに宙に向かって捻切ると、吸い込まれるようにして後ろの藪に消えていった。
「……どうしたのよ?メイカちゃん?」
「うぇ~ん。今、メイカね!トグライカミを退治した~、怖かった~~」と言って紬の胸に飛び込んだ。
「そ、そうなの?」
その更に後ろから蛍がやってきて、「何の騒ぎよ?それよりねえ、お二人さん聞いてよ!急に虫が湧いてきた理由がわかったんですけど~。」と言った。




