#10 第九十二噺
時は戻り、今は午後3時過ぎ、ここは三々賀村の広い農道。
木守紬は、鞄からぶら下げた携帯蚊取り線香の煙を背後に引摺りながら、
15メートル前を歩く少女に手を振りながら声をかけた。
「おーい、メイカちゃ~ん!!」
狭い歩幅で歩くワンピースの少女が、更にスピードを緩め、紬が近付いてくるまで距離を調整すると、黄金色の髪を旋回させながら振り返った。
「お!ツムちゃん?……その紫に煙るお姿は……どうやら蚊絶滅作戦に万全の準備をしてきたようですね!腰に付けてるそれなあに?超coolなんですけど~~?」と言ってウィンクしながら肘で脇腹をこずいてきた。
愛衣花・エル・ターナーは、学校で来ていた七分袖から、ピンクのノースリーブのワンピに着替えており、スカートの丈も膝上に変更していた。
「……メイカちゃん?ちょっとそれ、薄着すぎない?肌を露出しすぎて、逆に蚊に喰われ放題になりませぬか??」と、長袖セーラー服の紬が言う。
「……あと、その格好で宮代様のおうちに上がるつもり??だ、大丈夫?バチとか当たらない……?」
「蜂に刺されるのは勘弁です……」と愛衣花は、剥き出しの二の腕を抱き締めるように掴みながら、ブルッと震えてみせた。
すぐに気を取り直した愛衣花は「この、夏の少女をimageした格好はですね、蚊をおびき寄せる為の秘策なのです!ほら、肌を出していれば、奴らはkit集まってきますから。そこを一気に叩いて一網打尽にするのです!」と言い、パチパチッ!と踊り子のように顔の左右で手を叩いてみせた。
「そんなにうまくいくかしら……。」と紬が、金髪ロリ少女の体に煙をパタパタとお裾分けしながら言う。
「あ、あとね!」と言って愛衣花が嬉しそうに手にぶら下げていた水泳バッグに手を突っ込んで、ごそごそとやりだした。
「な、なによ、その不穏な水泳セットは……今日は泳ぎにいかないわよ……そもそも今日は勉強会でしょ。」と紬が真顔で言う。
「違う違う。」と白人美少女はビニール巾着袋からタッパーを取り出して笑った。
「なにそれ?」と紬が眉をしかめながら言うと、愛衣花は得意気な顔をしてプラスチックの蓋を開けて、
「これで奴らを集めるのです!」と言った。
「うっ??な、なによそれ?」と紬が鼻を摘まみながら言う。
「新鮮な魚の首を詰めてきました。メイカが推測するに、この撒き餌の血の臭いで、蚊が集まってくるhas death!」と夏の少女が答えた。
「……それ鮫狩りか何かと勘違いしてない?確かに蚊は血に集まるんだろうけどさ……。大丈夫??宮代様のお宅にそんな不浄そうなもの持ち込んで??だいたいメイカちゃん?魔除けはしてきたの?」
……その撒き餌、ゴキブリがたかるわよ……と言う紬の言葉に震え上がりながら、妖精少女は
「あ、魔除けって夏のお祭りの時にやるやつ?一応メイカ、おみくじは末吉と大凶を結び付けてきたよ?」
と、左右の耳の上にちょこん、と乗った小さな白い紙のリボンを指差して見せた。
「……うん…これなら大丈夫…かな?て、いうか末吉と大凶か……いいのかしら??まあ、後で蛍に見てもらいましょ。メイカちゃんちのことだから、てっきり忘れてくるんだと思っていたわ。感心感心……」
宮代の杜に入る前にある黒い大鳥居の両側には、大蛇に見立てた太い縄が掛けられていて、
宮代様が昔退治した蛇の骨が、今も縄に絡まるように突き刺してあった。
これは見せしめであり、外宮来神への牽制でもあった。
鳥居の根本にはペットボトルに入った白酒が並べられていて、低いところにあるしめ縄には12インチ(約30センチ)のレーザーディスクが何枚もぶら下げてある。
紬は、足元に並ぶ白い液体を見下ろしながら、
「メイカちゃん?今日も牛乳飲めなかったの?そもそもさ……メイカちゃんが牛乳に口を付けてるところ一回も見たことないけど、本当に全く飲めないの?」と聞いた。
愛衣花は、自分の汗でべたつくうなじに生えた、栗色の産毛を手のひらで摩ってから、唇の上にかいた玉の汗をペロリと舐め取ると、
「……ミルクが飲めないわけじゃないのです」と真剣な顔をして呟いた。
「……そ、そうなの?」と紬も表情を引き締め、唾をゴクリと呑み込む。
おもむろに愛衣花は、水泳バッグの中から大きな円筒形の缶を取り出すと「必要な栄養はこれから得ています。」と言った。
…………。
「……み、三途河商店の粉ミルク?」
「そうです。」
愛衣花の小さな両手に抱えられた缶には、丸い赤ちゃんの顔のイラストと、ピンクのうさぎさんと、水色のぞうさんが印刷されていて、
「これがメイカのカルシウムの源です。」と、うやうやしくそれを頭の上に捧げて彼女は嬉しそうに言った。
「牛乳は、飲むと女体を育くみますが、……この粉ミルクだと、幼児退行することが出来ます。」
「はい???メ、メイカちゃん、幼児退行の意味判ってる??」
「若ってます。」金髪女児はそう言うと、
ビニールバッグからスチャッ!と哺乳瓶を取り出し、それを誇らしげに友人に見せびらかして、
……唖然とするセーラー少女の目の前で、
その琥珀色のゴム乳首をプちゅ♡と口に咥えて、んぐ、んぐ、んぐ……と中に入った黄色味のある乳白色の液体を飲み始めた。
みるみるうちに瓶の中から赤ちゃんミルクがなくなっていき、最後に愛衣花は「バブ~」と満足そうに呟くと、
急に目を白黒させて、赤い顔をしながら紬の肩を鷲掴みにした。
「ど、どうしたのよ??」慌てて紬が幼女の金髪の髪を掻き分けて背中を支えてやると、
愛衣花が、
「く、空気を飲み込んじゃった……ゲ、ゲップしたい……お、お背中…PONPONして……」と涙を流しながら言った。
「あ、貴女達は……揃いも揃って……私を何だと思ってるのよ……」
紬が怒りを滲ませた声でそう言うと、
ブロンドガールが「……ママ……」と囁いた。
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紬は、友人の背中をバンバン!と手のひらではたき、ようやくゲップと共に、唇の端からミルクをとろぉ~り…と垂らした愛衣花を見て、「私がいなかったら、蛍も貴女もここで死んでたわよ?!」と言った。
「ドンウォーリー。永遠のロリでいる為にはこれくらいどうってことないです。ゲボゲボ……」
「貴女はそれでいいんでしょうけど、お世話するこっちの身にもなってよ……。」
ミニスカートを捲り上げた少女の裾を引っ張り直してやりながら紬が言う。
「……ところでおチビちゃん……貴女さ…、今のでちょっとおチビちゃってませんか……」
指摘を受けた愛衣花は、可愛くこめかみにピースをしながらテヘぺろ☆して、恥ずかしそうにスカートの前を摘まんだ。
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その頃、宮代の本殿では、
巫女装束に着替えた蛍が、借りたパンツを桶の水でじゃぶじゃぶと洗っていた。
彼女は出来得る限り黒ッチの汚れを薄くする為に……、
御神水を十分に寝かせて作った霊水をビニール袋に入れ、そこから立ち上る強烈な臭いを収集し、それを塩水に溶かし込んでいた。
後はストローを使ってこれにブクブクブク……と息を吹き入れる…わけだけど……
さあ、ここで登場するのがおちゃっぴー直伝のマジカルストロー(自作)!
ストロー内にまぶしたココアパウダーが、伝わってくるえぐ味を緩和してくれる……はず。
…………
お?う?うぇええぇぇぇぇ…………
ダメだこりゃ。
あんまし変わんないわ、これ……。
なんのかんので無事、二酸化炭素を結合させると、水の中に白い結晶が沈み、
蛍はそれをろ過したものを使って、借りた黒いパンツの汚れを綺麗に落としていった。
後は電子レンジであっためればオーケーね。時短時短。
チ~ン♪
ホカホカになった布の塊を取り出し、念のため臭いを確認するために顔を近付けた蛍は、
その良き香りに、思わず頬擦りをする。
…あったかい……。
………。
………て、私は何をしているのかしら……。
彼女は黒い布を綺麗に丸めると、昔、母親が都会から持って帰ってきた有名デパートの包装紙でそれをくるんだ。そして文机にあった一筆箋を一枚ちぎると、
そこに筆ペンで、
『もろもろまがごと、つみけがれあらむをば♡』と書き込み、シールでペタリと貼り付けた。
………。
……マジカスカトロー(誤字)なんかじゃ、メイカに牛乳を飲ませるのはとてもムリね。臭いがダイレクトに伝わってきたわ。
何か他の手を考えなきゃ……。
ところで今日は何でうちに集まることになったんだっけ??
蛍は書き物机に散らばった教科書や、返されたプリント類を睨み付けながら、しばし考え込んでいたが、いっこうに結論が出ない為、ススッ…と畳の上に白い足袋を滑らせると、
……そろそろツムギ達が到着する頃ね。と玄関の方へ歩いていった。
キィィィィィィィィィィィィィン………
蛍はふと、耳の近くで不快な高い音が聞こえているのに気付いた。
なによ、この音………。なんか…どんどん大きくなってくるし……超頭痛いわ。
蛍は若干眩暈を感じながら、廊下の途中にある通し柱に手を付いて寄りかかった。
傾いた胸元に差した七五三鈴が、シャリンと静かに鳴る。
蛍は朱色の巾着から鉄の御札を取り出し、額に滲む汗を手の甲で拭くと、
「おちゃっぴー?この音なあに??」とマイクを空中に掲げて言った。
『うん……、これはね…多分モスキート音だね。』
「モスキート音?」
蛍は眉をしかめ、とうとう片膝を突きながらうなだれ、苦しそうに胸を抑えるとしゃがみ込み、鉄の御札に聞き返した。
『20,000Hzくらいありそうだね。この音は主に、若者が公園でたむろしない為に行政が鳴らすものだよ。高齢者には加齢性難聴で聞こえないからね。この音はね?邪魔な10代の若造を追い出すっぴ』とおちゃっぴーが嬉しそうに言った。
「お、おちゃっぴー……あなたにも…この音が聞こえるの……??」
『聞こえるっぴ。
おちゃっぴーはヘビー級の地獄耳脱皮♪』
蛍はそこで意識を失い廊下に崩れ落ちた。
鉄の御札はガタンと下に落ち、それと同時に高周波音はピタリと止まったが、倒れた巫女は目を閉じてそのまま動かなくなる。
カサカサカサ………と、
宮代の本殿の、質素な庭園を囲む竹林の周辺で、乾いた節足動物の動く気配がして、
パサパサッと軽い羽音が屋根にぶつかる音が聞こえた。
やがて、唸るような振動と共に、巨大な蚊柱が杜の上を移動するのが見えた。




