少年になる。(8)
初めて森に狩りへと行った日の翌日から、早速身体を鍛えることにした。とは言うものの前世では、一日中机の前に座りっぱなし、家に帰ってからもネットを見ながらゴロゴロしていたので、筋トレ界隈の知識は皆無だ。むしろ決意した翌日になって、実際に行動していることに対して最大限の賛辞を送ってほしい。
まずは、早朝の走り込みからだ。朝、日が昇る前のうっすらと明るくなった時間帯に、ジャックの背中に収まるくらいのバッグを持って家を出る。昨日、大量に持って帰ったキノコや、いくつかのビンに詰めた蜂蜜を机の上に並べたジャックとライは、どうだとでも言わんばかりに家族の集まる前で見せびらかした。しかし、母さんには少し困った様な表情をされてしまった。
「まぁ、ずいぶんたくさん取ってきたのね。でも、こんなには調理しきれないわ。この辺のものは乾燥させて保存できるけれど、こっちのはすぐに痛んでしまうから、食べられなかった分は捨てるしかないわね。蜂蜜もこの取り方だと一月ぐらいしか持たないわね。」
うーん、せっかく取ってきたのにもったいない。確かに元々罠にかかった動物を入れて、キノコはついでのはずだったのに、獲物がかからなかったからと行って袋目一杯に詰め込んだのは良くなかった。それにしても蜂蜜があまり日持ちしないとは。後から聞けば、今回取ってきた蜂蜜は、魔力を与えて子どもを育てる種類のものだったようで、時間が経つにつれて魔力が放出されていくことで鮮度が保たれなくなると言う。前世のいつ買ったかわからない、そしていつ開けたのかもわからず、底の方でわずかにたまった、なかなか出てこない市販の蜂蜜とは大違いのようだ。
「ああ、そうだ。明日、リリアンのうちにでもお裾分けすればいいわ。前回来たとき牛乳とバターを分けてもらったのよ。」
リリアン?誰だっけ、ジャックの記憶をしばし遡る…ぼんやりと顔が浮かんでくる。ああ、あのよくうちに来る佐良の年齢よりもずいぶん若いお母さんか。傍らには小さな女の子、初めてこの身体で意識を取り戻したときにいたあの子だ。ソフィア。そうだ、将来ジャックのお嫁さんになる子だ。
ジャックはとっさに口に出す。
「おれ、俺が行くよ!明日から、からだ鍛えようと思うんだ。」
「えぇ?危なくない?今日あんなことがあったんだし…」
「大丈夫だよ。ソフィアの家だろ?すぐ隣だし、森に深く入るわけじゃないし。」
うーん、それもそうねと渋々だが了承をもらう。ジャックがこれからどんな風にソフィアと関わっていったのかは知らないが、接触出来るならできる限りそれを逃すのは避けた方がいいだろう。
そんなやりとりを経て現在に至る。許可を得ているとはいえ、母さん、まさかこんな朝早くから出かけるなんて思ってないだろうな。そんなことを思いながら森を走る。まだ眠っている森では鳥の鳴き声すら聞こえない。頬をなでる少し冷たい空気が風になって気持ちがいい。
しばらくして森を抜けると遠くに家とその向かい側にある納屋のような建物が見えてきた。どちらの建物からもうっすらと明かりが漏れている。今の時間帯ならこっちかなと、納屋の方へと回る。
「おはよー。おばさーん、いるー?」
「…こっちに来てー!」
おばさんの声ではないが、返事があった。そちらの方へと向かう。納屋の裏の方だ。
先ほどから近づくにつれ、そのにおいは強くなっている。ああ、昔、小学校とかの遠足でこんなにおい嗅いだことあるなぁと思い、そちらに顔を出すと、突然何かにぶつかる。いや何かねっとりとした干し草のにおいが顔をなめ回す。これが好きな人もいるんだろうが、俺にとってはあまり心地がいいものではない。
「あっ、だめだよ、こら。」
「ブモー」
「だいじょうぶ…えっジャック?なんでこんな時間にここにいるの?」
大きな牛の後ろから現れたのはソフィアだった。
「昨日、ライと森でキノコとはちみつ取ったんだ。いっぱいあって使い切れないから。まえ、牛乳とか、バターもらったお礼に。あと、これなんとかならないの?」
この間ジャックは顔をなめ回され続けている。手で押しのけても、少し距離を取ろうとしても顔にまとわりついてくる。もういいや…このままで。
「ちょっとまってね。」
そう言うと、ソフィアは牛を引っ張って牛舎内の柵に入れる。牛も彼女もなれているのか、すんなりと言うことを聞いている。
「ずいぶん早起きなんだな。俺の家族、まだ誰もおきてないよ。」
「お世話とか時間かかるし、牛のお乳とか取って配達したりバターとかにするのにいろいろやらないとだからね。わたしはまだ小さいからってあんまりお手伝いさせてくれないけど、最近やっと牛に触れられるようになったんだ!」
荷物を差し出すと、お母さんのところに一緒に行こうといわれたので、ソフィアの後に続いて台所の方へと向かう。
「おかーさん、ジャックがね、キノコとはちみつ持ってきてくれたって!」
「ソフィア!あんたまた早起きして牛さんとこ行ってたのかい?朝の世話はまだだって言っただろう!」
「だって、早くに目が覚めちゃったんだもん。おとうさん、起こしてもおきてこないし…。お手伝いしたかっただけだもん。」
ソフィアはその目にうっすらと涙をためながらつぶやく。
「一人だと危ないから、誰かと一緒にって言ってるのに、まったく困ったもんだねぇ。それにしても、うちの男どもはまだおきてないのかい。朝からやることはいっぱいあるってのに…」
はぁと息をつきながら、ズンズンと台所を出て行く。しばらくすると、辺り一帯に聞こえているのではないかと言うほどの大声が上から聞こえ、家の周辺で休んでいただろう鳥たちが逃げていく。それと同時にバタバタと慌ただしい足音が聞こえ始めた。肝っ玉母ちゃんはどこの世界にでもいるようである。やがてリリアンが台所へと戻ってくる。
「悪いねジャック、うちはいつもこうなんだよ。まったく、困ったもんだよ。」
リリアンはそう言いながらソフィアの頭をなでる。それにソフィアは母の身体に顔を埋める。
「で、何だったっけ?ああ、これ持ってきてくれたのか。朝から悪いね。ちょうどこれから朝食だからおまえも食べてくかい?」
「ううん、だいじょうぶ。きっと母さんが家で用意してくれてるだろうし。」
「そうかい、でも手ぶらで帰らせるわけにはいかないね。昨日作ったバターと、ああそうだ。昨日はチーズの仕上げも終わったんだ。それも持っていきな。」
そういって倉庫のようなものから取り出してきたのは、水に浮かんだモッツァレラチーズ。それをザルですくい、ビンの中に入れて手渡される。
「あと、これは駄賃だよ。帰りに食べて帰りな。」
リリアンはそう言うと小さな包みをジャックに手渡す。包みをあけると、クッキーが入っていた。バターのいい香りがする。
「昨日、ソフィアと一緒につくったんだよ。」
ソフィアの方を見ると、やや視線を落とし、顔を赤らめている。
ジャックは一枚クッキーを手に取り、パクリと噛みつく。サクサクした食感だが、バターのおかげでしっとりもしている。やっぱり採れたて、絞りたてのものは違うなぁなどと感心しながら味わって食べていると、視線を少しだけこちらに向けたソフィアと目があった。ジャックはにっこりと笑みを浮かべながら、
「これすっげーうまい!ありがとな、ソフィア!」
瞬間、ボンッと音が出てもおかしくないぐらい顔を真っ赤にしたソフィアが外へと駆けて行ってしまった。え、俺、なんか変なこと言った?普通ににうまいって言っただけなんだけど。
突然の状況について行けないジャックにリリアンが、あきれながらもにやついた笑みを浮かべながら、
「あの子にはまだ早かったねぇ、あんたも罪な男だよ。」
そう言って、さあ、マリーが待っているだろうから帰った帰ったとソフィアの家から追い出される。
いまいち腑に落ちない。この世界特有の落とし文句でもあるんだろうか。そんなことを思いながら、クッキーを時々口に放り込みながら来た道を引き返す。
ちなみに、リビングで我が母には何も言わずに朝から出かけたことをしこたま怒られた。朝食のため、すでに卓についていた家族が、あまり状況をわかっていないアンナを連れてそそくさと部屋から逃げていくくらいには猛烈に。




