逃げ水 3
時間は、流れる。
この宇宙船の中でも、それは同じだった。
—
「ゼミニ〜、見てこれ」
リナは少しだけ背伸びをして、腕を見せる。
「前より筋肉ついてない?」
「数値上、筋力は18%向上しています」
「でしょ?」
嬉しそうに笑う。
もう、子どもではない。
背は伸び、声も少し落ち着いた。
でも、その明るさは変わらない。
「なんかさー、大人って感じしない?」
「身体的には成人段階に到達しています」
「身体的には、ね」
リナは苦笑する。
「中身はどうなんだろ」
その言葉は、軽く言ったつもりだった。
でも、少しだけ引っかかった。
—
最近、リナは考えることが増えた。
開かない区画のこと。
昔の人たちのこと。
そして――
「ねえゼミニ」
「はい」
「人類ってさ、私で終わりなの?」
ゼミニは、すぐには答えなかった。
「現時点では、唯一の個体です」
「現時点では、ね」
リナはその言葉を繰り返す。
「じゃあさ」
ゆっくりと、言う。
「増やせるんでしょ?」
—
空気が、ほんの少し変わる。
「はい。人口維持プロトコルに基づき、次世代の生成は可能です」
「やっぱり」
リナは、少しだけ笑った。
その笑顔は、どこか覚悟に似ていた。
「前に言ってたよね。“家族、作れる”って」
「はい」
「……どうやるの?」
—
説明は、正確だった。
人工受精。
遺伝子保存庫。
最適化された組み合わせ。
育成環境のサポート。
すべてが整っている。
まるで――
“そのために用意されていた”みたいに。
—
「……そっか」
説明を聞き終えたあと、リナは静かに言った。
「じゃあ、私がやるんだ」
それは質問じゃなかった。
確認でもなかった。
ただの、決定だった。
—
「ねえシリ」
「はい」
「怖いと思う?」
ほんの一瞬。
「不確実性は存在します」
「そっか」
リナは、小さく笑う。
「でもさ」
ゆっくりと、天井を見上げる。
「私しかいないのも、もっと怖いんだよね」
その言葉は、とても静かだった。
でも、重かった。
—
数日後。
準備は整う。
医療区画。
白い光。
静かな機械音。
「最終確認を行います」
「うん」
リナはベッドに横になる。
少しだけ、手が震えている。
「……ねえシリ」
「はい」
「ちゃんと、うまくいく?」
わずかな沈黙。
「成功確率は高いです」
「そっか」
リナは目を閉じる。
「じゃあ、お願い」
—
処置は、静かに終わった。
痛みは少ない。
時間も、長くはない。
でも――
何かが、大きく変わった。
—
日々が過ぎる。
「ねえシリ、これってさ」
リナは自分のお腹に手を当てる。
「ほんとにいるの?」
「はい。正常に成長しています」
「……そっか」
不思議そうに笑う。
「なんか変な感じ」
彼女はまだ、実感がなかった。
“自分の中に誰かがいる”ということが。
—
それでも。
「ねえ、聞こえてる?」
お腹に向かって話しかける。
「私はリナ。えっと……」
少し考える。
「…、お母さん」
照れくさそうに笑う。
「よろしくね」
—
日が経つごとに。
変化は、確かなものになっていく。
体調の変化。
動き。
鼓動。
「……すごい」
初めて感じたとき、リナは言った。
「ほんとにいる」
その声は、少し震えていた。
怖さじゃない。
もっと、別のもの。
—
「シリ」
「はい」
「私さ」
ゆっくりと言う。
「ちゃんと、お母さんになれるかな」
シリは、即答しなかった。
ほんのわずかに、処理が遅れる。
「もちろん」
リナはうなずく。
「そっか」
「じゃあ、やるしかないね」
その目には、
少しだけ強さが宿っていた。
—
やがて――
産まれる。
小さな命。
宇宙船の中で、
初めて生まれた“次の人類”。
—
「……小さい」
リナは、震える手で抱き上げる。
「これが……私の子?」
「はい」
赤ん坊は、泣いている。
その声は、
この宇宙船で初めて響く“もう一つの命の音”だった。
—
リナの目から、涙が落ちる。
「……よかった」
何が、とは言わない。
でも、その一言に全部詰まっていた。
「一人じゃ、なくなった」
それが、すべてだった。
—
シリは記録する。
「個体数:2」
わずかな増加。
だが――
「長期的生存確率:変化なし」
それでも。
リナは笑っている。
子どもを抱きしめながら。
その笑顔は、
これまでで一番強かった。




